2017-09

フランスのニースでサイクリング2014年5月



フランスのニースをサイクリングしたのは、2014年の5月のことだった。

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地中海に面した海岸沿いはサイクリングやランニングを楽しむ人でにぎわっていた。私たちが行ったときは、観光シーズンの始まりだった。10人ほどで、イタリアのジェノバからフランスとスペインの国境まで、だいたい海岸線をサイクリングしている。

バカンスのシーズンの始まるのに合わせて行っている。世界各地から観光客が集まっていた。上の写真は、車の乗り入れられないエリア。ニースで泊まったホテルから自転車でもすぐだった。

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ランニングをしている人の姿も多い。道路を横切ったりするときに乗用車で出会うことはあった。だが、トラックとすれ違ったり道を譲ってもらったりした記憶はない。昼間は、トラックの入域を制限しているエリアを走ったせいかもしれない。偶然なのかもしれない。

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自転車に4つバッグを付けた4バッグのサイクリストもいたが、ニースの町の近くはレンタサイクルを利用した観光客風が多かった。あくまでもバカンスや日光浴が目的という服装が多かったように思う。

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子供と一緒に休暇を楽しんでいる家族連れの姿は多い。

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サイクリング・ロードは、だいたいスペインとの国境まで続いていた。時には、廃線の跡がサイクリングロードになっていた。海岸沿いで、景色には恵まれたエリアだ。

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ニースのように海岸沿いにビルが並んでいる地域もあるが、緑の多い地域もある。

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新聞によれば、2年前に走ったフランスのニースの海岸沿いで、トラックにより84名の方が亡くなったという。2年前は、安心してサイクリングできる街だった。異文化理解、交流を求めて世界各地をサイクリングしているが、今後も続けたい。文化の違いの根本に、何があるのか。今後も知って理解できるように出かけたいし、異文化圏からも日本に来てほしいものだ。
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報告会のお知らせ スペイン・ポルトガルサイクリング



スペイン・ポルトガルをサイクリングした報告会を開催します。
  誰でも参加できます。

「ユーラシア大陸横断サイクリング」報告会
日時:5月22日(日)15時から18時
会場:JICA地球ひろば 600号室 (東京都新宿区市谷本村町10-5、JR市谷駅下車徒歩10分)

参加費:一般1000円、学生500円
予約不要
主催:シルクロード雑学大学(東京都国立市)

http://www.geocities.jp/silkroad_tanken/index.html

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備考:サイクリングの参加者は、60歳から79歳。
男性11名、女性2名。東京、神奈川、埼玉からの参加がありました。
毎月一回定例会で準備を進めています。仕事だけじゃない生き方を願っています。

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天山を越えて?キルギスをゆく


中央アジアにあるキルギス共和国

始めてキルギス共和国へ行ったのは199年。中国との国境に近いアトバシからのスタートだった。

中国のカシュガルから天山山脈を国教としているのだが、トルガルト峠(3752メートル)を越えて中国に自転車で入国する予定だった。

だが、カシュガルをでてトパという中国にある検問の町に到着する前から、道路がなくなっていた。洪水のために、道路が流されていたのだ。トパはまだ標高2200メートルほどだと思う。国境となっているトルガルト峠までは約120キロ。フランスの観光客は、国境を越えたものの道路が流されており、中国軍から食料をもらって、かなり大変な目にあったらしい。

川の水は荒れ狂っていた。添乗員には一足先にカシュガル、ウルムチと飛行機で移動してもらい、18名分のウルムチからキルギスの首都ビシケクまでの航空券を確保してもらった。

ウルムチからビシケクへ向かう飛行機は、1週間に2便だったと思う。ウルムチに到着すると参加者は、ビシケクに向かう飛行機に乗るまで2日ほど時間があった。こういう時、中国では飛行機がいつ飛ぶかわからないので、ホテルの近くに待つのが基本だ。だが、4駆をチャーターして山の中にある天地へ行くものも出る始末。観光旅行気分のメンバーもいて、まとめるのは大変だ。

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プラナの塔。何度か行っているが、青空の向こうに雪山の見えた記憶はない。

飛行機でビシケクに入ると、バスで山の中をアトバシへ向かった。暗くなるとバスは雨の中をアトバ。シに向かった。標高が高いので、雨が多いのだった。

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アトバシを出ると道は草原と山の間を繰り返し通った。この写真は、ドロン峠だと思う。標高は約3050メートルくらい。今は往来する車が多いが1999年当時は、峠にクムスという馬乳酒を売っている少年がいた。丼でクムスを売っており、丼のふちには羊の毛がついていた。でもうまかった。のぼりががしんどかったからだろう。

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峠を降りて、イシククル湖に到着した。湖畔にある合宿所のような施設にとまった。シャワーはとっても冷たい。夏だったけれど、山の水のような冷たさだった。今はみんなきれいになり、値段も高いリゾート地だ。

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平均年齢50歳くらいの自転車軍団。帰国して2週間後くらいに、JICAの日本人技術者が拉致されたというニュースが新聞をにぎわせた。

2012年にキルギスへ行ったとき、とっても高い通訳に数時間依頼した。医学用語も温泉などに関する日本語も翻訳は正確だった。オムルベックさんという男性だった。モスクワの鉱山大学を卒業しており、そのために理系の言葉や教養が深いのだった。オムルベックさんは、1999年に日本人技術者が拉致された時、日本語通訳を務めていた。1か月ほどタジキスタンの山中を日本人技師と一緒に拉致されていた。今度は、一緒にキルギスをサイクリングで巡りたいものだ。

400年の時間を超えて スペインと東日本大震災

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「野口健×藤巻亮太 100万歩写真展」。写真展は入場無料だったが、今日までだった。明るい写真展だった。


3月9日(水) 国立は朝から晩まで雨。静かな1日だった。

「野口健×藤巻亮太 100万歩写真展」に行った。どんな画角で写真を撮っているのかを知りたかった。写真は大きくプリントされていたが、時間とともに印象が薄くなった。

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写真を見ていたのは、老若男女。この写真展では、写真撮影が許可されていた。facebookやブログで紹介することで、さらに人を呼ぶことを念頭に置いているのだろう。出口には、山のように写真集が積まれていた。1冊2700円。買っている人の姿はなかった。写真を見て満足する人が見に来るのではないか。facebookの数が、売り上げと結びつかない事例のように思う。でも、あの写真の大きさは魅力的だ。

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目黒区美術館で「気仙沼と、東日本大震災の記憶」展を見た。写真展は㋂21日まで。入場無料。

2011年の東日本大震災の時、わたしは心臓の手術を1か月後に控えていた。手術と言ってもカテーテル手術で、調布の病院まで自転車で行って、手術の翌日に自転車で帰ってきた。だから、お手軽な手術だったのだが。

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気仙沼では、東日本大震災の記憶を失わないために震災の痕跡のあるモノを展示するなどして、教訓にしてみようとしているようだ。

2011年10月末に気仙沼の小学校で、ブルガリアやイタリア、スロベニアなどで被災者へのメッセージを書いてもらい展示したことがある。11月初めに帰ったのだが、気仙沼から石巻まで自転車で被災地を周りながらだった。あの頃、のどが渇いてもコンビニがなかった。海辺では家がなかった。家の土台に、トイレとお風呂場だけはタイルとセメントが残って生活の痕跡が残るだけだった。

ある家の跡で、写真のプリントを見つけた。だが、地震は半年前。どんな人の写真なのかを見る勇気はなかった。近くに神社の登り口の階段があり、携帯電話が置いてあった。誰から、水にぬれないところに置いたのだろう。石段の一角にあった。だが、携帯電話に触る勇気もなかった。あの場所が、南三陸町歌津だと写真展を見て分かった。道路が流されて橋脚だけが残った写真もあった。立ち入り禁止のロープを無視して、橋の先端まで行って写真を撮った。これも歌津だった。お腹が空いてのどが渇いても、コンビニもお店もなかったのを思い出した。人の姿もなかった。

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「あれから5年 3・11 東日本大震災写真展」が弁護士会館1階エントランスホールであった。3月10日まで。入場無料。


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写真展のチラシ

100点ほどの写真を展示している。場所が場所だけに、高齢者が多かった。写真展も3つ目で疲れた。

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チラシの裏。

チラシの裏表で写真38点も掲載。写真家の名前には知り合いの名もあった。チラシに掲載されている小さな写真を見ても、いろいろ思い出す。一度自転車で廻っているせいだろうか。写真の人物から喜怒哀楽を感じることができる。これが腕なのか。

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ブルガリアのソフィア大学、日本語学科の学生が書いてくれた東日本大震災の被害者への激励のメッセージ

20011年に海外サイクリングでは、日本語を学ぶ学生たちに東日本大震災の被災者への激励メッセージを書いてもらった。今年はスペインとポルトガル。約400年前に支倉常長たちがスペインへ行っている。

スペインで被災者への激励のメッセージを書いてもらうように準備をしている。日本語を学ぶ学生にとっても、日本を知るチャンスにもなる。満開の桜の下で被災者が笑顔で並んでいる写真もあった。5年後の今日の様子も伝えたいと思う。

気仙沼で隠れキリシタンの足跡を巡る


以前、九寨溝や敦煌を一緒に旅した仲間たち

1月29日、南越谷駅へ行った。ずいぶん前のことになるが、一緒に中国の九寨溝や敦煌の鎖陽城遺跡を旅した仲間たちとの飲み会に行った。飲み会と言っても、わたしはウーロン茶で2軒をはしご。

九寨溝へ行ったのは、あの地が地震に見舞われる前のことだった。成都から九寨溝までは車をチャーターした。途中で寄り道をしながら、家のつくりに驚いたりしながら、チベット族の暮らしに触れての旅だった。ガイドブックに紹介されていないことに興味を持つ、そんなメンバーの集まった旅は面白かった。河西回廊の武威の東にある村でも、この地域と同じように家畜と暮らすつくりの家を見た記憶があったのだが。チベット族が暮らしていたのだろうか。遠い昔だ。

集まったメンバーはみんな、病院通いをしていた。わたしは脳梗塞と心不全、糖尿病の人、脳梗塞の人、不整脈の人。だが、わたし以外はお酒を飲んでいた。それだけ元気ということだろう。

メンバーは、と旧帝国大学のOBで教科書会社の編集をしていた人たち。大学で西洋史を専攻したり、日本史を専攻しており、歴史には強い。現在の教科書にまつわるニュースの話もあった。そういう見方もあるのかと感心しきりのわたしだった。

メンバーの一人に、気仙沼出身の人がいた。以前、「わたしの家は、お寺にあるお墓を見るとキリスト教徒だ」と話していたのを思い出した。今年の4月に、支倉常長一行の足跡をサイクリングするからだ。それに、2011年の地震の後、気仙沼へ行っている。

彼の話によると、先祖は、支倉常長と一緒に、その他大勢として慶長遣欧使節に加わっていたのだという。帰国後、隠れキリシタンとして北上川の方にのがれたらしいとも語る。墓の形が異なる上に、祖父母の代までは、お寺に墓がない檀家ではなかったという。

詳しい話を聞きたいというと、「弟を紹介しますよ。定年で暇にしているから、話を聞きに行ったら喜ぶよ」といい、弟さんの住所を手紙で教えてくれることになった。スペイン・ポルトガルのサイクリングから帰ったら気仙沼へ行き、隠れキリシタンの足跡を巡るサイクリングになりそうだ。

新年早々に面白い運びとなった。楽しみだ。尚、上記の写真は、前のもの。わたしの帽子だけは変わっていません。

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