2013-03

シルクロードの日本人捕虜 山梨県

毎日新聞甲府支局の記者から電話があった。

昨年(2012年)の8月17日から毎日新聞の山梨版に「シベリア抑留者・伝える記憶」と題する連載記事があることを友人から教えてもらった。そこで、3月28日にメールでキルギス共和国のタムガ村における日本人捕虜のことを調べていること。

わたしが持っている捕虜の名簿には100名の元日本兵の名前と住所がある。しかし、捕虜たちが1948年に舞鶴に復員した時に作成したままの住所が多い。合併や町名変更などで取材したくても所在を追跡できないので、お知恵拝借をお願いしたいとの連絡を行なっていた。

名簿には、山梨県内の出身者3名の名前と住所がある。インターネットで調べたが、具体的な番地までは把握できなかったことも書いた。

その返事の電話だった。

3名の中の1名は番地まで把握できた。1名は同じ苗字が多いので特定が難しい。最後の1名は、手がかりがないとのことだ。山梨県内のシベリア抑留者の名簿を持っている方の名前を伝え、その方の持っている名簿とつきあわせてもらえることになった。

今後、日本国内でも捕虜の証言を聞くサイクリングが始まる。まずは山梨県からスタートすることになりそうだ。シベリア抑留者で今も健在な方の平均年齢は90歳といわれている。証言を聞くにしても残された時間は少ないが、歴史の真実を掘り起こすことになるかもしれない。楽しみだ。
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シベリア抑留体験者による絵画展

宮崎静夫の世界
絵画展「《死者のために》宮崎静夫の世界」

3月20日日より上記の絵画展が始まった。
日時:26日(火)まで、11時より19時
会場:九段ギャラリー(千代田区立九段生涯学習館2階、地下鉄九段下駅下車6番出口上)
入場無料

毎日新聞の記事http://mainichi.jp/feature/news/20130313dde018040030000c.html

読売新聞の記事http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/news/20130322-OYT8T00109.htm

昨日、お昼頃より留守番に行き、終了後、宮崎静夫氏夫妻、村山常雄氏(「シベリア抑留死亡者名簿を独力で作成した抑留者)などと一緒にビールを飲みながら歓談した。

シベリア抑留者が、斉藤六郎派、相澤英之派に分裂した当時の話を村山さんが熱弁した。ソビエトまで遺骨収集に出かけて墓地に、それぞれの派がトップである「斉藤六郎」「相澤英之」と書いた記念碑を建てた話しでは、相澤氏が「あちらの記念碑を見てはいけない」と語ったという。思わず「子供のけんかですね」と本音を話してしまった。


「その通りなんです」との村山さんもすかさず応えた。好々爺の笑顔があった。

村山さんは、復員後、新潟県内で教員と過ごし、教壇に立ちながらシベリアで命を落とした人たちの名簿をコツコツと積み重ねた。現在は、糸魚川市に住んでいるのだが、豪雪地帯なので冬の間は埼玉県内のマンションで過ごしているとのことだった。高齢化で雪下ろしも雪かきもできない集落は、10年後は誰もいない、と断言していた。

わたしが調査を進めているキルギスのタムガ村の抑留者は、125名全員が復員したことを話した。

シベリア抑留者が作った最初の大きな団体は、斉藤六郎が立ち上げ、新潟県内だけで1万5千人。ただ、翌年には相澤英之が「こちらは自民党と政府がついている、会費は無料」と呼びかけ、新潟県内の「斉藤派」は5名に激減。

斉藤派が1万5千人いた当時の名簿を、村山さんは持っているという。当時は、抑留者が名簿を作るといえば、厚生省が名簿を提供してくれたという。

「キルギスのタムガで抑留生活を過ごした日本人は125名。その中に6名ほどの新潟県出身者がいた。こんど一緒に調べましょう」と、村山さんに呼びかけた。

厚生労働省の資料では、キルギス共和国には抑留者はいなかった、ことになっていた。それを、シルクロード雑学大学のメンバーと一緒に覆した。だが、実は、厚生省は知っていたのではないか。これを調べるために、村山さんと長澤が持っている名簿を付き合わせようというのだ。

シルクロードの日本人捕虜 キルギス 

キルギスの証言者
小学生のときに日本人捕虜を見たキルギス人証言者

『天山の小さな国・キルギス』(三井勝雄著、東洋書店)を読んだのは、2006年のことだった。このブックレットには、「日本人捕虜と一緒に働いたことがある」あるは「子供の頃に日本人捕虜が働いているのを見たことがある」といったキルギス人の証言が紹介されていた。日本人捕虜とは、一般にシベリア抑留者と言われる人たちのことで、日本の敗戦後、ソビエトにより捕虜としてとらえられ、ソビエト各地で労働を強いられた人たちだ。兵士に限らず民間人も捕虜になっていた。

証言は、キルギス共和国の東部にあるイシククル湖の周辺を中心として、証言者の写真と共に紹介されている。丹念に取材していることは、一読して分かった。しかし、当事者である「日本人捕虜」の証言がなかった。裏が取れていない状態だった。

また、三井勝雄氏に連絡をしたら、取材した人たちに『天山の小さな国・キルギス』を届けていないことがわかった。取材は2002年までに終え、ブックレットは2004年2月に発行されている。

2007年、イシククル湖の南岸にあるタムガという村を訪問し、キルギス人の証言者に『天山の小さな国・キルギス』を届け、証言を確認し、その前後に玄奘三蔵が天山山脈を越えたベデル峠をめざすサイクリングを計画した。

ベデル峠は、100キロ以上手前から軍の管轄となることもあり、あの手この手を使ったが、兵士により12キロほど手前で行く手を阻まれた。それでも、標高3800メートルの高原でアップダウンを繰り返すサイクリングは爽快だ。360度、どこを見ても雪山がそびえている。中国への国境が閉鎖されているルートなので、車の往来はない。凸凹の路面が、マウンテンバイクでの走行を待っている風でもあった。時には馬に乗った子供と併走して、高原を楽しんだ。

タムガに戻って、ゲストハウスのご主人の前に本を広げて
「この女性に会って、本を渡したいのですが」
と伝えると、
「家の後ろに住んでいるよ」
との返事だった。すぐに案内してくれた。

女性の名前はマリア。73歳だった。
「小学生6年生の時に、日本人は船でタムガへやってきました。彼らは、サナトリウムの診療所や桟橋とサナトリウムを結ぶ階段の工事をしていました」
と、日本語の読めないマリアさんが、ブックレットの記述と同じ証言を始めた。三井先生から預かったとの言葉を添えて手渡した。

突然、男性が話しに加わった。
「わたしも日本人と一緒に働いたことがある。17歳の時でトラックドライバーだった。日本人をトラックの荷台に乗せて、バルスコーン渓谷やカラコルへ行った」
と話し詳細な証言を続ける。斜め向かいに住んでいるという。証言者は他にもいるようだ。新しい証言を発掘できるかもしれない。

タムガには、ソビエト時代に国防軍の高級将校の保養所として開設されたサナトリウムがある。ソ連崩壊後は、キルギスの国防軍の管轄になっている。宇宙飛行士のガガーリンなども利用しており、サナトリウムの歴史を伝える資料室に、大きな写真を飾っている。

日本人捕虜は、サナトリウムの中にある泥治療の診療所の建設に関わっていた。この診療所は、現在も利用されている。診療所に勤務する看護師の女性は、
「日本人には感謝しています。この診療所があるから、ソビエト各地からサナトリウムを利用する軍人が集まってきて、タムガの人はとても助かっています」
「スパシーバ(ありがとう)と伝えてください」
と繰り返した。

タムガの村人の発する元日本人捕虜への感謝の言葉。この言葉を当事者である元日本人捕虜に伝えたいと思い、帰国後にサナトリウムや証言者、キルギスの風景などを伝える写真展を開催。こうしてタムガで捕虜として過ごした日本人探しが始まった。

スペインの使節団と慶長三陸地震

遣欧使節の出航地
1613年に遣欧使節が出航した月の浦

シルクロード雑学大学では、「ツール・ド・シルクロード20年計画」に続いて、今年(2013年)から2016年まで4回に分けてローマからポルトガルのロカ岬をめざしてサイクリングの予定だ。

ローマを出発して1日目は、「Civitavecchia(シヴィタヴェッキア)」と言う港町に宿泊する。遣欧使節は、1615年にこの町から上陸し、ローマをめざした。

1613年に日本を出航したのは、牡鹿半島にある「月の浦」という港だった。調べていたら、スペインからの使節団が、約400年前の慶長三陸地震に伴う津波に巻き込まれていたことがわかった。

慶長三陸地震が起こったのは1611年12月2日。

スペイン大使ビスカイノ一向は、1611年11月16日に塩釜から船出し、三陸沿岸の測量を始めた。12月2日には大船渡市三陸町に至っていた。沿岸を測量中だから、船に乗ったまま津波に遭遇した。ビスカイノは、生々しい記録を残しているようだ。読んでみたいものだ。

2011年の東日本大震災の際、7月や8月といった海水浴シーズンだったら、関東からの観光客や外国人も多くが犠牲になっただろうと考えた。津波に対処する術を知っているのは、日本人の中でもかなり少ない。

約400年も前に、外国からの使節が地震に遭遇し、津波も体験しているとは驚くばかりだ。

5月にローマから始まるサイクリングに出かけるが、その前に三陸町から月の浦、塩釜、そして仙台まで自転車で巡ってみたいものだ。

団塊の世代よ、シルクロードへ行こう

2月28日(木)~3月4日(月)まで開催していた写真展「自転車紀行 シルクロードをゆく」は無事に終了した。

実はこのタイトルは、月刊『歴史街道』(PHP研究所発行)で連載させていただいた「ツール・ド・シルクロード20年計画」のレポートの題名を使わせていただいた。編集長に感謝。

写真展には、地球と話す会に所属していた1994年に、一緒に走った井田宗秀君も来場してくれた。当時高校2年生だったが、今では34歳。カメラマンとして活躍している。結婚もしているという。歳月の流れるスピードに驚くばかりだ。

3月3日(日)、阿佐谷地域区民センターで「ツール・ド・シルクロード20年計画」の報告会と今年の遠征の説明会を行なった。参加者は40名ほど。20歳代1名、50歳代2名、他は60歳代、70歳代、80歳代。日本の高齢化を3歩くらいリードした年齢構成だ。

目立つのは、団塊の世代の参加だ。報告会や写真展に参加した中の3名が、今年の遠征に参加したいと早くも連絡してきている。日経新聞に「シルクロード自転車の旅に出よう」というサイトがあるので、団塊の世代の方は見てほしい。
http://www.nikkeibp.co.jp/style/secondstage/jinsei/jyujitu_061120.html
今年の遠征は、5月14日~31日第1回「ユーラシ大陸横断サイクリング」(ローマからミラノ)。このときは、途中で1613年に宮城県を出発した遣欧使節がイタリアに上陸した港町を訪ねる。

6月4日~15日「シルクロード自転車キャラバン パート7」(キルギス共和国でイシククル湖を一周)、イシククル湖の南岸にあるタムガと言う村で、1946年から1948年まで、日本人捕虜が過ごしたラーゲリを訪問する。昨年、日本人捕虜が建てた診療所の中に「キルギス平和センター」と銘打った日本人捕虜を記録する資料室を移設した。今年は、村長と会って村の施設としても「資料室」を設けて、定年後の日本人が村の子供たちへの日本語教育に取り組む場としたい。

9月6日~23日「「ツール・ド・シルクロード10年計画」第一回遠征(西安~蘭州)。戦後、満鉄の技術者を中心とした職員が、天水から蘭州までの鉄道を設置するために中国へ留め置かれ、天水で家族と共に過ごしている。その数は800名。シベリアは「抑留」と表現するが、天水の場合「留用」と表現されている。帰国後彼らは、天水会を組織して交流していた。天水に記念碑を建てていると聞いているので、これを確認し、証言者がいれば話を聞きたいと願っている。

「ツール・ド・シルクロード20年計画」の第一回目の遠征(西安~天水)のとき、天水会に所属しているという55歳の女性が参加していた。戦後、どうしてこんな辺境に日本人が送り込まれたのか。天水会を調べていた。3年ほど前に事務局を探し出し電話連絡が取れた。女性の名前を伝えて消息を尋ねると「やす子ちゃんは亡くなったわ。もう随分前のことよ」との返事が返ってきた。それでも、シルクロードを自転車で走った話を楽しそうに話していたとも語ってくれたので、ホッとした。

その年の6月に天水会は解散した。ブルガリアから戻った翌日で、出席することはできなかった。

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