2013-04

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ダイコンやカブはシルクロードの旅人 コールラビ

コールラビ
コールラビの種のパッケージ

昨日は、サイクリングの後に畑に出かけた。自宅から自転車で10分ほどのところにあり、広さは10坪。

ダイコンやカブは、地中海原産で、シルクロードを通って日本へ伝播したと考えられている。そこで、「ツール・ド・シルクロード20年計画」で訪ねた地域で、ダイコンやカブ、その仲間の種を購入して畑で栽培し、食でもシルクロードを楽しみたい。そのために畑を借りている。もちろん、種は成田空港で植物検疫をすませている。

昨日は、ビート、黄色いニンジン、ねぎを収穫。その後に、セルビアで購入したコールラビの種を蒔いた。

私が住んでいる団地は、1つの階段を各階にある2軒で共有する構造になっている。5階建てなので、10軒で共有している。

5年ほど前、5階に住んでいた。当時は八王子に畑を借りていた。片道1時間のツーキンだった。畑で収穫した野菜の食べ方が分からなかった。お向かいさんに届けたところご主人に「コールラビ、どこで買ったんですか」と聞かれた。

「借りている畑で育てたんです」と返事した。お向かいさんのご主人は、ドイツから一橋大学の大学院に留学している学生だった。奥さんは日本人で、ご主人は日本語を日本人と同じように話している。子供たちは、日本語とドイツ語を話す。

ご主人によれば、コールラビという野菜はドイツでは一年中、八百屋さんで売っている野菜だという。日本で例えれば一年中スーパーで売っているダイコンやネギ、トマトのような存在らしい。

それだけ、ドイツの家庭では欠かせない食材となっているという。だた、日本で一回買ったことがあるが、2度と出会うことがかなわなかったコールラビ。それをどうして10も20も持っているのか。そんな驚きでコールラビは歓迎された。

八王子の畑は、遠いので借りたのは1年だけ。昨年、市報で団地の近くの畑が空いているのを知り、2区画10坪借りることにした。だが、昨年は、種まきの季節がデタラメだったのか、思うように収穫できない。

そこで、今年こそはと思って、まずはコールラビの緑と紫、チシャ、果肉が赤いカブの種まきをした。

今日は、ヒョウタンと綿の種を蒔いた。ヒョウタンは、アフリカ原産で約8000年前に日本で栽培されていたことが分かっている。ヒョウタンを利用した楽器の代表的なのが、インドのコブラ使いが吹いている笛。同じように、雲南省でもヒョウタンを利用した楽器がある。

また、キルギスのガイドの話では「おばあちゃんは最近までヒョウタン製のスプーンを使っていた」とのこと。軽くてすでに円くなっているヒョウタンを、食器として利用していた様子は、各地の遺跡で明らかになっている。
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復元された東山道武蔵野路 国分寺市・府中市・多摩市

東山道武蔵野路
JR西国分寺駅の近くにある復元された古代道路

快晴の日曜日、ちょっと仕事をした後にサイクリングに出かけた。

今日の目的は、約1300年前の古代道路である東山道武蔵野路の発掘現場を結ぶサイクリング。

JR西国分寺駅の東南側に長さ約400メートルの道路遺跡が発掘されている。現在は、復元されているので、ここで道路の幅や構造を知ることができる。

すぐ南側にも復元された古代道路がある。かつては小学校だったが、小学校がすぐ近所に移転し、跡地を復元して保存している。この発掘場所はあまり知られていないのか、何回も訪れているが、他の見学者に会ったことはない。

さらに南下して府中市に入り、東芝府中工場の中を古代道路は通っているが、発掘はされていない。東芝府中工場の南側にある団地で、発掘されている。

南下を続けて府中市の美好町にあるマンションの建設時に、古代道路の遺跡が発掘されている。隣に大森自転車と言うお店がある。

多摩川までの間に他にも発掘現場はあるようだが、わたしが把握しているのはこれだけ。

多摩川を渡って多摩市に入り、連光寺の多摩中央病院の隣にあるマンションの建設時に、古代道路遺跡が発掘されている。今日はここまで、確認してきた。基本的に古代道路は直線だった。4箇所の発掘現場をGPSで記録しているが、これを結べば古代道路を推測できる。また、発掘現場を結んで移動するルートを紹介すれば、サイクリングやウォーキングで歴史の路を、誰もが楽しむことができる。そんなことを順次、お知らせしていきたい。

今日は、途中で鎌倉街道と呼ばれている道路や伝鎌倉街道と言われている道路も通った。

古代道路は約1300年前、鎌倉街道は約750年前より現代より。そんなことから、ホームページで紹介するときには、古代道路と鎌倉街道を分けて紹介したい。

お楽しみに。

近所に残っていた戦争の傷跡   旧日立航空機株式会社変電所

弾痕は語る
弾痕の残る旧日立航空機株式会社変電所

天気に恵まれた一日だった。ここのところ週末となると天候が崩れていたので、午後からサイクリングに出かけることにした。

「歴史の道」を巡ることをテーマとしているので、4月22日付の朝日新聞朝刊多摩版で知った「旧日立航空機株式会社変電所」をめざすことにした。1945年2月、4月に計3回、米軍の戦闘機の爆撃を受けた建物は、もうすぐ70年の年月が過ぎようとしているが、今でも弾痕を残していると紹介されていた。尚、3回の攻撃で勤労動員の学生など約100名が命を落としていた。

普段は、この建物はフェンスに囲まれていて中に入ることはできない。今日と明日は東大和市グルメコンテスト「うまかんべぇ祭り」が開催されるので、建物の内部にも入れるのだ。

片道10キロの道は、車が渋滞。その脇を走った。天気に誘われて行楽に出かける人が多いようだ。

「変電所」は、1995年に東大和市の史跡に指定され、戦争の実態を伝える遺跡としての役割を担っている。内部に入ると、銃撃で壁に穴がいていたり、階段の手すり2箇所がえぐられていたりと、銃撃の威力が分かる。

小中学生くらいの子供を連れた家族連れが多かったが、若い女性が大きな一眼レフカメラで撮影する姿もあった。若い人たちに戦争の悲惨さが伝わる機会は、大切だと感じた。昨年は、1200人が建物の見学したという。今年は、もっと多くに人に見学してほしい。

地平線会議で関野吉晴氏の報告を聞く

関野さんの本

昨日、久しぶりに地平線会議に参加した。報告者は、グレートジャーニーの関野吉晴氏。知り合いに関野さんのファンがいて、国立科学博物館で開催中の特別展「グレートジャーニー人類の旅」を見た後に、国立科学博物館の日本館で開催される地平線会議に参加したのだ。

報告は、これまでも地平線会議で何度か聞いている。そんなこともあり、冒頭で紹介している関野さんの対談集「人類滅亡を避ける道」(東海教育研究所発行、東海大学出版会発売)から読み上げた作家の船戸与一氏の

「現代は『暗闇』というものが地上から失われていく時代だし、これからも進むだろう。加えてITが社会から『闇』なる部分を奪っていく。しかしね、これまでの人間の歴史をみると、夜の闇こそが『恐れ』といった感覚とともに人間の想像力を生み、思想を鍛え、人々の心をつなぎ、謀議も進ませ、‥‥その暗闇がない時代になって、いったい人間はどうなるのか、政治はどうなるのか、文化はどうなるのか‥‥」

との表現が印象に残った。

会場を出ると、編集した月刊「望星」の元編集長の岡村隆さんが、本の頒布をしていたので早速購入した。編集長時代の岡村さんには、連載を書かせてもらったり、キルギスにおける日本人捕虜のことを発表させてもらったりと、とてもお世話になっている。

昨年、「ツール・ド・シルクロード20年計画」がローマに到着したことを伝えると「新聞で読んで知っているよ。よかったね」と返ってきた。ゴールの報告をしていなかったので、岡村さんと会い報告をするのも、この日の楽しみ、目的でもあった。まずは安堵。

地平線会議では、厳冬期のシベリアを自転車で単独走破した安東浩正さんとも久しぶりに会うことができた。最近は国内にいることが多いというので、近々ゆっくり話しをしたい。

玄奘三蔵は長安城の開遠門から旅立ちか 西安

開遠門
西安にある開遠門

「ツール・ド・シルクロード20年計画」が西安を出発したのは、1993年4月28日。

西安の城壁より西にある開遠門遺跡をスタート地に選んだ。この遺跡は、唐の時代の長安城の西門で、門の部分だけが復元されている。門から西へ向かうラクダのキャラバン隊のモニュメントがあり、今では公園になっている。

当時は、出発の前にテレビ局や新聞社の取材が続き大変な騒ぎだった。今と比べて交通量が少なく、街の中心部からローマをめざすことができた。

参加したのは、高校生から68歳までの17名。財団法人自転車産業振興協会からは、1名の職員が派遣され、自転車のメンテナンスに励んでくれた。

当時、自転車で海外を旅行するツアーに協力してくれる旅行会社はなかったが、セゾングループの出版社で社長を務めている従兄弟がおり、同グループの旅行会社を紹介してもらい、夢への第一歩を踏みだすことができた。

アッピア街道を歩く、サイクリング ローマ街道

アッピア街道
ローマのアッピア街道

今年(2013年)からスタートする「ユーラシア大陸横断サイクリング」。第1回目の今年のサイクリングは、7月9日(火)出発に変更した。参加者の中には、自転車を持参しないで、バスで移動する女性もいる。
7月9日出発の日程表はこちら

音楽に興味のある人、野菜や果物、絵画、建築、服飾など、旅で楽しむテーマは人それぞれだ。わたしは、ひょうたんの置物、ラクダの置物、西欧から日本へとシルクロードを通って伝播したと思われる野菜や果物の種を収集し、ベランダで栽培してきた。大きく育ったブドウの木は、佐渡に住む友人が育てている。

昨年の9月にローマにゴールした時、一人でアッピア街道を歩いた。第1マイルストーンの周辺は、片側1車線の道路で道幅も狭い。それでも、石畳の上を走るサイクリストがいた。ほとんどが男性二人組み。それ以上に長く伸びた車列では、事故の危険性が増すからだろう。二人はぴったりと縦列に並んで走っていく。ペダルを踏んだり自転車のスピードをコントロールする力の似通ったチームと思えた。

そうでなければ、危なくて走れない。

アッピア街道も第1マイルストーンから1kmくらい離れると、交通量はかなり少なくなる。それに、車のタイヤと石畳の路面が繰り出す音が小さくなるので、恐怖感も少なくなる。

7月には、のんびりとアッピア街道を歩きたいものだ。そしていつの日か、アッピア街道、あるいは他のローマ街道でもいいのだが、田園の中や山の中を通るローマ街道を歩いたりサイクリングして、往年のローマ街道の雰囲気を感じたい。

西南シルクロードで仲間の捜索 中国の雲南省


講師の小林尚礼氏の著書

シルクロード雑学大学の次回の定例会は、

5月11日(土)13時30分からです。15時からの講演は、山岳写真家で京都大学学士山岳会理事の小林尚礼氏です。
タイトルは「梅里雪山の麓で友を探して。22年目の捜索」
講師の小林さんは、1991年に京都大学学士山岳会主催の日中合同梅里雪山第二次学術登山隊の遭難で行方不明となった仲間の捜索を続けている。会社を辞めて山岳写真家となり、中国まで捜索に出かける時間を作った。

この22年間で小林さんは結婚し2児の父親となった。頭髪には白いものが目立つようになった。仲間の両親たちは高齢となり、捜索現場の近くまで、小林さんと一緒に足を運ぶことのできる人はめっきり少なくなった。

昨年で捜索活動は22年目となった。最後の1名の捜索に取り組んだ。一昨年は遺品などの発見はなかった。だが、昨年は遺品が見つかったと言う。

氷河に閉じ込められた遺品が、22年の歳月を経て地上に現れた。後退し先細っている氷河も遺品の発見に繋がっているようだ。

地元のチベット族が聖山と崇める梅里雪山。捜索に通ううちに小林さんは「登っていはいけない山」と思うようになった。雪解け水を飲んで、家事などに用い、家畜を養い、作物を育てる。麓の村人にとっては、生活を支えているのが梅里雪山から届く水。命の源となる山だと気づいたのだった。

22年目にどんな発見があったのか。経済発展の著しい中国の山村には、今日、どのような時間が流れているのか。話していただく。定例会の参加は、予約は不要です。会場で受け付けます。

写真の本は、山と渓谷社から文庫本で出ている。

自転車では時速30キロで走行でも大けが 保険も大事

momose
講師は、会員の百瀬修平さん

4月14日(日)の午後、JICA地球ひろばでシルクロード雑学大学の定例会を開催した。

これまで、国立オリンピック記念青少年総合センターを利用して定例会をしていた。だが、オリンピックでは、教育及び学生団体は1年前から予約できるのに対して、一般団体は10ヶ月前から予約を受け付けいている。そのために、収容人員80人や40人の部屋を予約できないことが多い。そこで、広尾から市谷に引っ越したJICA地球ひろばを利用することにした。

今回の講演のタイトルは「アウトドア・スポーツの単独時のトラブル 病院での見聞より」とした。

昨年(2012年)、ケガで入院生活を送った百瀬さん。入院中にインターネットで調べると、自身の負傷した手首と足の付け根部分の骨折は、自転車に乗っているときのケースが多かったという。また、2週間で足の筋肉がすっかり落ちてしまった。加齢とともに骨折の治療後のリハビリが大変厳しくなる。このように聞いていたので、体験をそのまま話してもらうことにした。

自転車での事故の事例をみると、時速30キロくらい、それほどスピードを出していなくても大けがに結びつくことがわかった。また、骨折で入院していた80歳の方は、一旦筋肉が落ちると回復するのは難しい。高齢になって足を骨折すると、歩けるようになれない可能性が高いことも分かった。

さらに、自転車事故の加害者になったとき、相手の方に支払う入院治療費や給与の補償は、かなり大きな金額になることもわかった。

安全運転はもちろんだが、保険加入の大切さを実感した講演だった。

わたしは、自転車活用推進研究会の会員で、自動的に日本サイクリング協会の自転車保険に加入。さらにセブンイレブンから加入できる自転車保険にも加入している。

だが、痛い目にあうのも、人に痛みを強いるのもゴメンだ。
「安全第一、疲れてたら休む、ペダルを踏みながら余計なことは考えない、天気の悪い時は自転車に乗らない、トレーニングを重ねて体力にゆとりを持ったサイクリングをこころがけよう」
と強く思った。

朝日新聞が門出を紹介 ユーラシア横断サイクリング第1次遠征



2013年4月11日、シルクロード走破からユーラシア大陸横断へと、ライフワークの続きを朝日新聞朝刊の多摩版と東京版で紹介していただいた。

バイオリンの源流といわれているウズベキスタンのギジャークやモンシロチョウのことにも触れていただき、体育会+文化系の取り組みとして紹介していただいたのが、特にうれしい。記者の三島豊弘さんに感謝です。

1993年に始めた「ツール・ド・シルクロード20年計画」は、昨年の4月25日にローマにゴールして、完了した。

ただし、ライフワークや好奇心に定年はない。定年後こそ仲間作りが大切になる。だから、今年からはシルクロードの東西に足し算をして、ユーラシア大陸横断をめざす計画をスタートする。このことを書いていただいた。

早速午前中に問合せがあった。3名の女性は電話で問い合わせて参加を申し込んだ。男性1名がメールで問い合わせてきたので、こちらから電話をかけた。男性は、取り組みたいテーマを探しあぐねている風だった。

行動力は、女性の方が断然強力。話すこともハッキリしていて判断も早い。若い時は友達が増えるのは当然だが、40歳くらいから年々友達は消えてゆく。摂理だ。それだけに、還暦を目前に控えて友達が増えるのは楽しいものだ。

facebookでは、自転車仲間の4名が記事をシェアしてくれた。仲間たちに感謝。肩の力を抜いて、マイペースでライフワークを追っていこう。

タシケントの日本人ジャズドラマー

2002年8月、「ツール・ド・シルクロード20年計画」の参加者は2名だった。わたしと市川武邦さんだけ。通訳などの経費負担を少なくするために、法政大学大学院生の渡辺信さんに同行してもらった。モスクワの日本人学校で小学生時代を過ごした上に、タシケントの大学に留学経験もあった。英語よりもロシア語が自然に出る学生だった。

走行ルートは、タシケントのブハラからトルクメニスタンのマリーまで。アムダリアを渡ったのは午後9時。漆黒の闇の中を先導するワゴン車のテールランプが路面に反射する赤い光を頼りに進んだ。橋の上に差し掛かると急に湿度が上がり、汗が流れ始めた。路面の近くから水の流れる音が聞こえてくる。浮き橋だと思った。路面は、鉄板で、継ぎ目を通るたびに揺れた。タイヤの部分だけ平らになっており、幅30センチほどの鉄板の上を綱渡りのように進んだ。この次は、昼間に渡りたい。

タシケントでは、トルクメニスタンのビザを取るために1週間ほど滞在した。この間、渡辺君はコリアンコルホーズを案内してくれた。渡辺君は、アルミ缶のアサヒビールを半ダースほど持参していた。一軒のお宅の呼び鈴を押した。

ドアを開けた老人は日本語で「よく来てくれました」と出迎えた。丁寧な日本語を話す65歳ほどの男性だった。杖をついていた。室内に案内された。老人は、ソビエト時代は有名なジャズドラマーだったという。ジャズはアメリカの音楽。ソビエト時代にジャズをおおっぴらに演奏できたのか聞いた。

写真を出してきて、日本の原信夫と♯&♭と共演した当時のことを話してくれた。ジャズドラマーとして北朝鮮へ演奏に出かけたとき、お兄さんとあったことも話してくれた。もう一人は、日本の東北地方にいるとも話した。そして、日本のビールを飲みながら半生を話し始めた。

終戦をサハリンで迎えたが、日本人だと分かると殺されたりするといけないというので、両親は3人の男の子をコリアンの夫婦に預けた。その末っ子が老人だった。

スターリンの政策により、コリアンの夫婦と一緒にタシケントに移送された。そして、郊外にあるコリアンコルホーズで過ごすことになったそうだ。

老人は、脳梗塞で倒れたことがあり、半身不随だった。若い頃は有名人で、ロシア人と結婚した。病気をきっかけに離婚。次にコリアンの女性と結婚。それも破れて、一人暮らしだった。しかし、近所に住むコリアンの男性が身の回りの世話に時々顔を出している。食事や洗濯、掃除といった家事、お風呂などをお世話していたようだ。

久しぶりに日本語を話すのか、饒舌だった。帰り際に、「マスコミに頼んで、日本のお兄さんを探してもらいましょうか」と声をかけた。「気持ちだけ頂戴いたします」との返事は、すぐだった。北朝鮮と日本の間には拉致問題などがある。北朝鮮に暮らすお兄さんのことを考え、日本とのつながりを表に出すことをためらったのだろうか。

戦争で辛い思いや悲しい思いをするのは、何時の時代も庶民だけ。そんなことを書きたいと思って再会を願っていたが、10年の時間が流れてしまった。今年は何とかしたい。

老人と一緒に写った写真があるのだが、見つけることができなかった。見つかったらすぐにブログに紹介します。

伊豆サイクリング 坂井眞理子展

いのちの色・赤
オープニングレセプションの様子

4月6日(土)、天気予報は暴風雨、だが伊豆へ行ってきた。
池田20世紀美術館で4月4日から6月25日まで開催される「いのちの色・赤 坂井眞理子展」のオープニングレセプションに出席するために出かけたのだった。

朝6時に自転車をかついで家を出て、新幹線も利用して伊豆高原駅に到着したのは9時13分。偶然一緒になったシルクロード雑学大学のメンバーと一緒に自転車を組み立てて「青い風」というユースホステルをめざした。走ったのは4名。走ったのは5キロ程度だが、250メートルほど高度をあげた。

桜並木の間を進むが、花は散っていた。30分ほどで「青い風」に到着した。経営者の青山さんは、OL時代に土日やゴールデンウィークの休日を利用して、自転車で日本一周を達成している。日本アドベンチャーサイクリストクラブで出会い、いつか宿泊したいと願っていたのだった。

「青い風」では、東京や埼玉、神奈川から車で来ていたメンバーと合流。合計7名で大室山を周回。今にも雨が降りそうだったので、男性4名はサイクリング後は食事、温泉コース。男性1名はトライアスロンに備えてのトレーニング。女性2名は桜の花見サイクリング。

わたしは、食事、温泉コース。食事中に豪雨。露天風呂に入っているときも雨が降ってきた。温泉を出ると2時に伊豆高原駅到着の3名を車でで迎えに行った。この3名は、天候が悪そうなので宴会を楽しみに集まってくれた。

4時からパーティーだが、ちょっと前に会場へ出かける。すごい暴風雨の中を車で向かった。

美術館に到着。シルクロード雑学大学の会員の奥様の絵画展だが、現代美術の世界では著名な方のようだ。「よくわからない絵なのに、来てくれてありがとう」との言葉に出迎えられた。館長や来賓のスピーチを聞いていると、やはり偉い人のようだ。凡人のわたしには、縦も横も斜めも理解できない。

ただ、最近で言えば2010年で絵が変化しているのはわかった。旦那さんである会員の話では、東日本大震災と弟の死が影響しているかもしれない、とのこと。

オープニングのお祝いに集まったのは約70名。11名がシルクロード雑学大学のメンバーだった。暴風雨の中での祝いごとだったので、美術との縁は薄いとはいえ、頭数がそろったのはいいことだ。友情に感謝。

家に帰ってからも図録を見て、作品を鑑賞している。もう一度見に行きたくもなった。若い時と違って、お金を出して現代美術の展覧会に足を運ぶことはなくなった。会員の奥様の展覧会だから出かけたのだが、いい刺激になった。明日で59歳になるが、年齢を重ねても好奇心を錆びつかせないようにしよう。初心忘るべからず。門外漢の展覧会へと足を運んだことは、好奇心の原点を見つめるいい機会となった。

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