タジキスタンで見たシルクロードの旅人の足跡
2月9日(日)の定例会。都内は銀世界に埋まった。
いつもより早く自宅を出て会場に向かおうとしたら、電話がかかってきた。
講師をお願いしている本多海太郎さんだった。
「茅ヶ崎の本多です」とまずは、名乗りを上げた。
「雪ですけれど、予定通りに実施します。お願いします。昨年もこういうことがあったんですよ」とこちらから第一声。
「京浜急行に乗れば行けます。行きます。苦労してパワーポイントで作ったんだから」と、銀世界で聞く声は熱かった。
ますます話が楽しみになった。定年後10年も通っているタジキスタンへの旅で、張騫、玄奘三蔵、高仙史、マルコポーロなどのシルクロードの旅人は、どこを通ったと推定しているのか、旅の成果に期待した。
雪に覆われた坂道を登り、帰り道の一抹の不安も抱えながら会場に向かった。
JICAの入口、案内板で会場を確認。会場で定例会の準備。
会員からの電話で「牛久から行けません。欠席します」
携帯電話のメールへ「西八王子駅へ向かうバスが動いていません。タクシーを拾おうとしましたが、走っていません。今日は欠席します。11日は伺います」
といった連絡が次々と入る。会場に到着した仲間からは、
「帰りの電車と凍った坂道が心配だから、今すぐ飲み屋へ行こう」という、気持ちをストレートな声も出た。
講師の到着を待った。本多海太郎さんは、ジーンズにセーターのラフな格好で来場。ほっとしました。
「大学で中国史を学んだけれど、学生時代は中国に入ることすらできなかった。会社勤めをしている間に、若い人たちが簡単に中国へ留学する様子を、羨ましく思ってみていた」
こんな背景があって、定年後になぜタジキスタンへ通っているのか、と話を始めた。
遺跡、水場、牧草と地理的な条件も加えて、シルクロードの旅人のルートを推定。地図でも見せてくれた。
ペルシャ語圏のタジクだが、チュルクの明らかにキルギス語の地名があったりと、地図も興味深かった。
昨年、タジクで出会った中国人の研究者との出会い、とりわけ過去に中国の覇権の及んだ地図には、わたしもショックだった。中央アジアで中国が行っている経済行為の地域と重なるからだ。
本多さんも「今後もタジクに入れるかわからない」と中国の影響を懸念した。
また、懇親会の席で、
「キルギス側からタジクに入る時、キルギスのバトケン州にフリークライマーのメッカと言われる1000メートルの絶壁がありました。ヨーロッパの人が来ていました」
「メッカ、そんなに魅力的な壁なんですか」と聞くとすぐに、
「魅力的です」と返ってきた。
バトケンには、日本人捕虜の調査で行きたいと思っている。どんな壁なのか見たいという気持ちになっってきた。
タジクを走るサイクリストの姿にもい魅了された。次はわたしの番だ、と言ってみたい。
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