2014-05

5月19日(月) ルカートからアルジュレス・シュル・メール 最終日

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5月19日(月) ルカートからアルジュレス・シュル・メールへ

「ユーラシア大陸横断サイクリング」第2次遠征も最終日を迎えた。向かい風の中を連日100キロを走る日が3日続き、早く終わってほしいという気持ちを持ったメンバーもいるかもしれない。しかし、毎回のことだが最終日は寂しいものだ。

しかも今回の最終日は、スペイン国境まで進むことは時間的な制約があり、40キロほどの走行ののちに、自転車を解体して輸送の準備。スペインの道路事情に詳しくないフランス人スタッフの事情も考慮して、お昼頃に走行を終えることにした。

ルカートの朝は、雨が降りそうな空模様。

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それでも、8時30分に走り始めた。雨が降ることを前提として、カッパなどを着込んでの出発だった。

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ヨーロッパ各国のサイクリングロードを結ぶユーロヴェロという計画がある。ユーロヴェロは12本からなる構想だ。わたしたちが走っているのは、道路の標示を見るとユーロヴェロ8で、スペインとギリシャなどを結ぶ地中海ルートのようだ。

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時には短いトンネルもあるが、車が通らないので安心感がある。

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ユーロヴェロ8、ちょっと路面や標識もしっかりしてきた。構想は着々と進んでいるようで楽しみだ。

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道路脇の畑を見るとどこかで見た野菜がある。アーティチョクの畑だった。八百屋さんでは見たけれど、こんな風にしてなっているのか。始めてみた光景だった。

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野イチゴも道路わきに自生していた。日本でも中国でも見かけた。旅人のお腹を満たした時代もあったのだろうか。

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ローマ街道といえばやはり松の並木。一部に復元した松の並木を見かけることができた。木陰を作ったりや風をさえぎるためにも、松の並木を伸ばしてほしいものだ。

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先ほどまで雨の心配をしていたが、青空が広がってきた。

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サイクリングロードにかかる橋は、同じデザインで統一されていた。この地域だけなのかもしれないが。

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北風と太陽、ではないけれど、陽が照るほどに気温は上昇し、雨の用意は不要となった。

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11時には30キロメートル進んだ。気温は20℃を超えていた。

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海岸脇のサイクリングロード、八百屋も出ている。

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ちょっと前には住宅街に魚屋も出ていた。バカンスの人を対象としたお店なのだろう。

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波の強い海岸は、砂が流れないように護岸工事を施していた。

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砂浜は、ブルドーザーのような車両を使ったのだろう、きれいに清掃されていた。車の轍だけが砂浜に残されていた。これからパラソルなどが並ぶのだろう。砂浜が夏を待っている。

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40キロ走ってアルジュレス・シュル・メールに到着したのは、12時だった。

ここからは車でフランスとスペインの国境を通過し、スペインのバルセロナへ向かう。自転車を輸送する準備をした。ペダルの外れにくい自転車が2台あったが、何とかなった。あまり乗りなれていないのだろうか。

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強風の中で百瀬夫妻が最後の昼食の準備に取り組んでいた。

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サイクリングロードを見ればフランス人の若者が、疾走していた。

今回のコースは、「ガリア戦記」に関係のある地域の走行でした。
来年のルートは、バルセロナからマドリード。1613年に日本を出港した支倉常長などの慶長遣欧使節の廻ったルートをなぞるようなコースです。
1年かけて、日本人や日本との交流の足跡を調べて、サイクリングに臨みたいと思っています。

最後までレポートを読んでいただきましてありがとうございます。また、参加者の皆さん、お疲れ様でした。けが人のなかったことが、一番のいい結果かと思います。

順次、写真や動画を通して、フランスの様子を伝えていきたいと思っています。今後もよろしくお願いします。
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5月18日(日) ベジエからルカートへ


農家民宿の中庭に自転車を置いて休んだが、カギは使わなかった。

5月18日(日) ベジエからルカートへ

6時に小鳥のさえずりで目覚めた。さすがオリーブ畑とブドウ畑の真ん中の一軒家。家の周囲には雑木林のあるのも、小鳥の集まる環境を生み出しているのだろうか。晴れたり曇ったり。

もう少し明るくなったら、ビデオを回して小鳥のさえずりを録音しよう。15分ほどすると明るくなり始めた。ところが、小鳥のさえずりはピタリと消えた。青い鳥はどこへ行った。早起きは三文の徳、とはこういうことか。日本国内のキャンプでリベンジだあ。

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畑の中では野草も美しい。生命力が輝いている風だ。

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畑を抜けだして、運河に沿って走り出した。昨日は運河の立体交差だったが、今日は運河のトンネル。地下水道だと、イランで発達してアフリカ北部や中国のトルファンにまで伝播したカレーズが有名だ。乾燥地帯では、水分の蒸発を抑えるために地下に水路を設ける。しかし、ここでは地形的な理由で運河が地下に潜った風だった。

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本日のルートは、海岸線に沿って南下する予定だったが、スタッフの提案により内陸部を走ることになった。楽しいことにアップダウンを繰り返すことになった。

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丘の上で自転車を止めて、眼下を見下ろした。

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麦畑の区画が、特定の点に向かって描かれていた。線が集まってできた点が一番の低地。ため池の痕跡と思われる。

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10時30分、昼食の買い物のために教会の前で休憩とした。

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教会のわきには、運河ではなく川の流れがうねっていた。

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昼食は、ナルボンヌという町で開かれていたバザールの中だった。

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洋服を扱っているお店が多い。

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子猫と子豚を一つの箱に入れているお店は、何を扱っているのかわからなかった。

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行商にでも行くのか、同じ衣装とバッグで、カートを引いていたカップル。

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バザールは川を挟んで両側に繰り広げられていた。川のわきにはサイクリングロードがあり、親子連れの姿も多かった。人出の多いのは、今日が日曜日だからであろう。

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湖のほとりで休憩。

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石畳の町の中でスイカを食べての休憩。

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ある家の壁には、絵を右から見た場合、左から見た場合、路地の方角が違って見えるだまし絵が描かれていた。心のゆとりや文化の違いを感じた休憩だった。

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丘の向こうに白い家並みが見えたら、ル・カレパレのホテルはすぐだった。ホテルへの道は、白い家並みの手前を砂嘴の間を進んだ。

ホテル到着は18時30分。わたしのメーターでちょうど100キロメートルの走行だった。空は曇り、今にも雨が落ちてきそうな重そうな雲が動いていた。気温20℃、湿度60パーセント。

オリーブ畑とブドウ畑に囲まれた農家民宿から、ホットハーバーでの宿泊への転居となったサイクリングだった。

 

5月17日(土) セートからペジエ



5月17日(土) セートからペジエへ
 セートのホテルは、すぐ裏手に港がった。向かいはカジノだった。
 晴れ、8時の気温は16℃、湿度40パーセント。昨日はホテルに到着する時間が遅かった。休むのも遅くなったので、1日の始まりも遅くした。

 9時に百瀬さんによるコースの説明があり、5分後に走り始めた。気温は20℃に上がり、湿度は33パーセントと低くなった。暑くなりそうな気配だ。また、湿度が低いのが原因なのか、のどの痛みや声のかすれを訴えるメンバーが増えた。疲れもあるのかもしれない。

 走り始めてすぐに市街地を外れて地中海に面した砂浜に沿ったサイクリングロードを西へ進んだ。ちょっとだけ向かい風だ。

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サイクリングロードの周辺は、砂の移動を留めるために小さな枝を砂に差して柵を作り、この間に植物を植えていた。中国の砂漠では、草方格と呼んでいるが中国で利用しているのは主に葦だ。生命力の強い葦は、そのまま根を生やし定着することもある。また、中国のタクラマカン砂漠でよく見かけたタマリクスという塩分濃度の濃い水に強い灌木もよく見かけた。中にはピンクの小さな花をつけている木もあった。

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さらに進むと海岸に沿ってコテージが並んでいる。すでにバカンスと思われる家族連れもおり、子供たちに自転車に乗る練習をしている光景を見かけることもあった。

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海岸沿いのサイクリングロードが、内陸部の町アグド方面に向きを変えようというところでダートに出くわした。どうしたらいいものやら。

ちょうど三叉路で大きな木があり、3人のフランス人サイクリストが休憩していた。トップを引いている百瀬さんは、流ちょうな英語にフランス語を交えて話し合いを始めた。GPSとも睨めっこをしながら。

結果、一人のフランス人サイクリストが道案内役を務めてくれることになった。ダートの道を進むことになったのだ。

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サイクリングロードの脇には、こんな愛嬌のあるオブジェも見かけた。

フランス人のサイクリストは、アグドの町を過ぎて運河に沿っているサイクリングロードまで案内してくれた。ありがとうフランスのサイクリストよ。ここで彼とは別れた。しかし、フランス人のスタッフと話したところ、この先のサイクリングロードはかなり道が悪いことが判明。アクドの町に戻って、わかりやすい運河沿いの道を走ることになった。

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アグドで見かけた駐輪場。

アグドの広場で休憩の間、城壁が見えたので、例のごとく高いところを目指した。ギリシャ時代の城壁だが、城壁の中には住宅が並び洗濯物が干してある。市民の暮らしがあった。歴史をどのように感じながら暮らしているのだろうか。路地を歩きながら眩暈を感じた。

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アグドの町を過ぎて運河沿いのサイクリングロードに入った木陰で昼食とした。

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運河に沿ったサイクリングロードは快適だった。行きかうサイクリストも多い。ときどき見かける石造りの橋に出会うと、運河の歴史を感じられるように思われた。

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運河の両側にもブドウ畑が広がっていた。

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ペジエの町の中では、ロータリーをぐるぐる回った。宿泊する施設が郊外にあるのだが、ロータリーからどの道に入ったらいいのか、GPSを見ながら走っていても分からない。

舟田さんが「あの上を船が進んでいった。運河の立体交差だ」という。ロータリーや幹線道路から外れて、河原に降りた。歩いて坂道を上った。下から見上げているときは車の通る橋と思っていたが、確かに運河の立体交差だった。よく観察しているものだと、舟田さんに関心した。

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立体交差の運河の両側は、サイクリングロードになっていた。

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結構利用されている。

その後、ペジエの町を抜けてGPSを頼りに宿へ向かうが、進むほどに街並みから外れた。ポツンポツンとあった家も見当たらなくなった。ブドウ畑の間を縫うダートを走り続けた。

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オリーブ畑とブドウ畑に囲まれた農家が、今日の宿だった。スーパーもなければ飲み屋もない。だが、プールは二つ備えていた。今回も3か所に分かれての分宿。13日に買った5リットルのワインをようやく開ける日が来た。ワインが切れたというYさんに、ペットボトルに詰めたワインを届けた。

この日は、順番に回ってくるノートに日記を書く当番だった。わたしがワインを呑む時間はなかった。


5月16日、サン・ジルからセートへ



5月16日(金) サン・ジルからセートへ

サン・ジルの朝は水田の中。水の影響なのか気温は14℃と昨日より8℃も高い。ただ不思議なことに湿度は44パーセント。

宿泊した農家は、闘牛士の家だった。昨夜、この家の主のおじいさんは、ずっと闘牛のテレビを見ていた。テレビから受ける印象は、フランスのこの地方の闘牛はスペインの闘牛とずいぶんと異なる様子ということ。1頭の牛に対して、次々と闘牛士が出てきてはちょっと頭部に触り、すぐに場外に脱出する。これを繰り返していた。

どうもこの家の息子さんも闘牛士で、テレビに出ていた一人のようだった。スペインが近いとはいえ、フランスで闘牛と出会うとは予想外の出会い。それに、夕食に出てきたビーフのおいしいこと。もちろん、ワインもおいしかった。

さて、本日の話、6時に起きたが、水田の真ん中では散歩の気分にもならない。やることがないので、準備は淡々と進んで、7時50分にスタート。昨日、約100キロ走って「ここでゴール」とぬか喜びの現場まで7キロ戻る。幸い、天気は晴れ、早朝なので風もなく穏やかだ。いや、ちょっと追い風だ。

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約7キロの交差点まで、ぬか喜びの道は、15分ほどで走り終えた。交差点の直前に、学校前のバス停のようなものがあった。学校をイメージさせたのは、巨大な鉛筆を模したオブジェだ。道路を挟んだ向うには、確かに校庭のような空間があった。バスケットボールのコートもあった。

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湿原の中を追い風に乗って西へ西へと進む。9時に運河にかかる橋を渡るが、その前に百瀬さんによる解説があった。この辺りは湿地で農業など考えられない土地だったが、土木技術の進展の中で干拓事業が進んで巨大な耕地が編み出されたようだ。解説の様子は動画でお楽しみください。

そうした土木技術の結果、生まれたのがワイン畑なのか。アイスワインの試飲のお店に遭遇。大きな声では言えませんが、試飲して1本買いました。まだ呑んでいません。飾っています。

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しかし、土木技術の進展による結果誕生したブドウ畑ですが、耕作を放置したような一角も見受けられました。日本と同様に、フランスでも農業人口は減っているのでしょうか。後継者問題などあるのでしょうか。

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10時30分にエグ・モルトのお城脇に到着。晴れた青空に白い巨塔が映えていました。ここで1時間の自由行動。城や塔に上るのも、城の中のお土産屋さんでショッピングも、運河での水泳もご自由。

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城塞都市エグ・モルトのガルディット門、訪れるサイクリストも多かった。

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高いところが大好きなわたしが自由時間に選んだのは、城塞都市の一角にあるコンスタンス塔に至る階段から塔の上へ。

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受付で7ユーロ払うのだが、その後ろにある高さ70センチメートルほどの台の上には、敷物の上に猫が熟睡。5世紀にわたって牢屋として機能していたというが牢屋の主か。撫でたくらいでは動じなかった。でも寝てる姿は愛らしい。

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コンスタンス塔へは、エレベーターでも昇ることができる。塔の上からは、運河を挟んで栄えたエグ・モルトの町の様子が手に取るようにわかる。

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遠足で訪れたのか、子供たちの姿もあった。

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城壁の南西方向には、塩田も広がっていた。

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城の前の運河を行くサイクリスト。

エグ・モルトでの1時間の観光ののち、ここで昼食。午後の走行は運河沿いに地中海に至る道を進んだ。

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海岸に出たとたんに南国の雰囲気に包まれた。

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気温19℃とちょっと寒いのだが、シーズンに早いビーチには、すでに海水浴客の姿があった。しかし、まばらだった。

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埋め立ててできた道を行くが、時々道が消える。担ぎの出番だ。老いも若きも自転車を担いで、柵を乗り越えて、自転車道を目指す。とりあえず、目の前の目標に迫るので精いっぱい。宿泊地のことなど考えられない。「僕の前に道はない。僕の後に道はできる」と高村光太郎の気分だ。

ところで、老いも若きもといったところで、60歳から74歳かな。表現は難しい。

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金網を乗り越えて道路に復帰して振り返ると、門のわきに道路があった。これはなんだ。あのやぶ漕ぎは蜃気楼だったのか。まあまあ、次のトラブルも楽しみだ。

しかし、そんなに楽しいトラブルがそうそうあるものではない。2回の担ぎの後は、

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浮き橋が待っていた。

浮き橋を渡るといえば、思い出すのは2002年にウズベキスタンのブハラからトルクメニスタンのチャルジョーへのサイクリング。トルクメニスタン側の許可の問題で、国境からの出発が遅くなった。アムダリアにかかる橋を渡るとき、時刻は21時を過ぎていた。ライトはない。真っ暗な闇の中、先導車が照らすテールランプの路面からの反射を頼りに、なぞるようにして轍を重ねる。突然汗が噴き出てきた。水の音も聞こえる。アムダリアにかかる浮き橋の水面に近いところ走っているのだな、と想像しながらペダルを踏んだ。

テールランプの反射は、幅30センチほどの鉄板に光り、時々鉄板の継ぎ目を、ドンドンと音を轟かせて先導車が行く。続く自転車も鉄板の継ぎ目では、自転車も段差を乗り越えたり、落ちたりと、水の上だけに、暗いし、段差の上下が読めない。とても緊張した時間だった。もう一度、昼間に渡りたいと思っていたが、こんなところで浮き橋に出会うとは、思いもしなかった。

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迷いながら埋立地を進んで、セートに到着したのは、19時50分。走行距離は112キロに及んでいた。

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今日も白馬の群れを見た。白馬の尻尾もバイオリンの弓に使われているのだろうか。










5月15日(木)、エクス・プロバンスからサン・ジルまで



5月15日(木) エクス・プロバンスは晴れ
 朝7時の気温は6℃、湿度は68パーセント。

 エクス・プロバンスの学校には、スクールバスがなく、朝と夕方、父兄が自宅から学校まで子供たちを車で送迎するのだという。かなり遠くから通う子供もいるということだろうか。

イタリアでは、子供を一人にしておくと虐待として隣の家の人から警察に通報されてしまうと、昨年、イタリアのガイドを務めてくれた村井さんから聞いた。フランスでも子供の保護に、法的な面からも配慮があるのだろうか。

朝一番にエクス・プロバンスの町を抜けるのだが、子供たちを学校へ送る車で午前8時以降はラッシュアワーとなるとのこと。

 7時40分に出発することにした。また、エクス・プロバンスのほか、通過するサロン・ド・プロバンス、サン・マルタン・ド・クロ、アルルは古い街なので道路が狭く交通量が多い、くれぐれも注意するように百瀬さんから説明があった。

宿泊したB&Bはエクス・プロバンスの町の丘の下にあった。エクス・プロバンスは丘の上だ。朝から向かい風の中、丘の上の古都を目指してペダルを踏んだ。

郊外に出るとエギーユ道路をひたすら西に向かう。向かい風。右に曲がっても左に曲がっても向かい風。地図を見たら、ほぼ直線の道路だった。これは一日中向かい風を覚悟だ。

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昼食は自分たちで買い物をして、サンドイッチなどを自分たちで作って食べることになっている。スーパーマーケットでお買い物。

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猫を探しているのか、スーパーの入り口には猫の写真があった。若くて、しっかりしていそうな猫なのだが。早く飼い主のもとに戻ってほしい。

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道路わきに大きなワインの樽がオブジェとして展示してあった。右側の奥にはワイナリーがある。試飲したいが、本日はサイクリング中だ。それに、今回は参加者の中にお酒を飲む人が少ない。ここで大いに飲んで、バスで移動しようと言っていも無理そう。

後ろ髪を引かれる気分で、向かい風の中を西進した。

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時にはお城で一休み。古いかどうかは不明だが、街道を走っているようだ。

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赤い花が一面に咲く光景に出会った。美しい風景にめぐり合うと、自然とペダルを踏む足を休める。写真を撮る。皆で同じことをして、再び風に向かってペダルを踏んで西へ行く。

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お昼休みの時間となったが、強い向かい風の中。一軒の野菜と果物を扱うお店で買い物をし、裏のベンチで昼食となった。ところが突風がすごい。建物の風下に隠れるようにして、パンにかじりついた。昼食で一番の人気は、百瀬夫人の調理した漬物。白菜の漬物は特に人気だった。

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お店の広場には、こんなクラシックな車があった。わたしよりも生まれが古いと聞いたが、現役だ。わたしも、もう少し頑張らなくては。

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お店に入ったが、扱っている商品は日本と似たり寄ったり。「正体不明だから食べてみたい」という食品は見かけなかった。ワインも売っていたが、試飲できないので買えません。

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卵の売り場の上には、鶏の置物が並んでいた。鶏と卵の色の違いを示しているだけなのだろうか。あらら、容器の色も違いました。

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アルルの町に到着したのは、15時50分頃のことだった。アルルの円形競技場前で一度解散し、1時間ほど個人個人でぶらつくことにした。1世紀末の建造と言われている。フランスで最大の円形競技場。幾度も幾度も闘牛が行われたことだろう。

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わたしは、まずは、円形競技場の周囲を自転車で1周したのちにローヌ川までペダルを踏んで、再び円形競技場に戻って、円形競技場に上がることにした。でも、これは失敗だった。最初に高所に上り、町の様子を把握したうえで繰り出せばよかった。旅人としての未熟さがこんな時に現れる。反省である。

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円形競技場は2層になっている。ローマよりはコンパクト。

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町の中を散策したが、イタリアと同様に窓辺に花を飾っていた。トルコを出て、ブルガリアからだろうかこのような光景を目にするのは。

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「日本人ですよね」と声をかけてくる親子連れがいた。女の子は、4・5才だろうか。娘がこれくらいの時に離婚して、その後会っていない。懐かしい気分で親子の呼びかけに応じた。わたしは、昨年より、自転車に鯉のぼりを吹き流しのようにつけて走っている。これで、日本人には一目で「日本人」と分かる。

こちらは団体旅行。先方は個人旅行だった。子供のいることもあり、鯉のぼりは親しみを持ってもらい、声をかけるチャンスになったかもしれない。もちろん、イタリアの子供たちもフランスの子供たちも、外国人やサイクリストに関心がなくても、鯉のぼりにだけは反応する。ただ残念なことは、説明する語学力のないことだ。

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アルルを出て、西風に向かって10キロほど走った。湿地を干拓したような平らな地形。風をさえぎる丘も木もない。時には水田が時には麦畑が広がっている。西からの強い向かい風は、コンパスのように安定している。ここがサン・ゾル。宿があるはずだ。向かい風kら解放される交差点。ホテルもある。

しかし、スタッフは北へ7キロ先に宿があるという。町のある様子はない。牧草の草原や麦畑が風になびいて海のようにうねっている。疲れ果て、7キロに30分ほど要した。

到着すると牧場だった。今日は農家民宿。わたしたちのほかに、スイスやベルギーから乗馬を楽しむために宿泊しているお客さんもいた。若い女性もいた。4名は母屋、4名は100メートル離れた建物。

そしてわたしを含む4名は、2キロほど離れた倉庫に収容された。同宿の外国人はいない。水田に囲まれた孤島に放り込まれたような光景だった。

周囲には何もないが、夜中に外へ出てみると強風の中に満天の星が輝いていた。泊まるなら、5つ星より満天の星。

備考:ここ数日、仲間の死に直面してドタバタしており、日記を書けませんでした。一件落着で、何とか日常生活に戻ることができました。今回はいくつか考えることがありました。人間は、死んでも過去から逃れられないのか、世間や社会からの束縛から解かれないのか。藤原新也が「人間は犬に喰われるほど自由だ」といったことを書いたのは、『メメント・モリ』だったでしょうか。あれはチベットで鳥葬を見たのちの文章だったのでしょうか。もう一度読んでみたいと思いました。今日から普通の生活です。協力いただいた方々、心配をおかけした方々にお礼およびお詫びいたします。

変死扱いでしたが、事件性はないとのことで解決しました。


イランで買った桑の実の種から育てた桑の木。団地で実をつけている


イタリア・フランスでのサイクリングから帰国直後、学生時代の仲間の急逝の知らせがあった。
あわてて駆けつけると、自宅で倒れたのだが変死扱いだという。検死となった。

実は、デモ仲間。お互いにいろんなことがあり、就職などできない身だった。

死亡した人のうちの15パーセントが変死扱いだと言われている。

診断に時間がかかっている間に、家宅捜査などされたらたまったものではない。
現在の交友関係だけでなく、他の団体との関係も把握されてしまう。

どたばたと3日間動きまわり、事件性はないとの結論を得て、一件落着。遺体は、家族の元に戻すことができた。

仲間は、事実婚で、夫婦別姓だった。このケースでは、遺産相続を狙っての奥さんによる他殺が疑われるケースが多い。あるいは保険金狙いだ。

だが、仲間は専業主夫。奥さんが働いていて、彼が家事の一切を切り盛りしていた。学校に通う子供の弁当も彼が作っていた。そんなことだから、住んでいるマンションは奥さんの名義。そんなに多くの保険もかけていなかった。こんなことを議員を通じて担当者に伝え、上司に伝え、何とかご遺体を取り返した。

一件落着。この3日間でわたしの体重は、58.5キロから57キロに減量。

かなりストレスを感じていた。我を忘れての電話やメールもあったかと思いますが、関係した皆様お許しください。また、みなさまの協力に感謝します。

仲間には、ゆっくりと休んでもらいたい。永遠の眠りだけれども。
わたしもゆっくり休みたい。永遠の眠りになるかもしれないけれども。

5月14日 エクス・アン・プロヴァンスで過ごした休養日

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5月14日(水) エクス・アン・プロヴァンス滞在

B&Bというホテルに宿泊した。ヨーロッパ各地にチェーン展開しているホテルのようだ。

本日は休養日。午前中は洗濯と写真の整理。午後からエクス・アン・プロヴァンスの旧市街地へでかけた。

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自転車に乗った人を見かけるので、自転車屋さんをさがすことにした。パン屋さん、観光センター、お菓子屋さんで聞いた。道順を聞いて歩いてみるがお店を見つけることができない。

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英語で聞いてもフランス語で答える人が多い。高校生くらいの女の子に声をかけたら、スマホでお店を調べて案内してくれた。それでも自転車屋さんを見つけることはできなかった。

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一緒に写真を撮って、メールアドレスを聞いて写真を送る約束をして女の子たちと別れた。

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いったい自転車のメンテナンスをどこで行っているのだろうか。

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夕食まで町の中を散策した。

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5月13日、強風の中セザンヌの道をゆく



5月13日(火) ベス・ジュル・イソルからエクス・アン・プロヴァンスへ

「カーン、カーン、カーン」と鳴り響く教会の鐘の音に見送られて走行を始めた。

朝8時のスタートだが、気温は17℃、湿度は36パーセント。空気が乾燥しているので咳をする人やのどの痛みを訴えるメンバーが増えた。日本からのど飴を2袋持参したが、手元には残っていない。

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朝から強い向かい風の中を進む。
9時ころに古い街道と思われる脇で休憩し、昼食の買い物をすませる。

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連日、いくつものチームに追い越されながら西へ進む。マクドナルドで休憩したが、言葉の通じない国でも安心して利用できると百瀬さん。お目当ては科食事やドリンクではなく、トイレ。もちろん1ドリンク飲んでの利用。

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向かい風で上り坂。わたしたちが喘ぎながら進んでいると、対向車線に軽快に疾走するカップルがいた。4個のバッグを付けたカップルや男性の二人組、2つだけバッグを付けた二人乗りの自転車タンデムに載ったカップルにも毎日のように出会った。

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道路わきに咲いている野草は、草原や林、里山を通る度に変わっていく。

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本日、わたしが選んだ昼食はこんな感じ。

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スタッフからいただいたフォアグラなどで、こんな昼食も作ってみた。とにかくみんなよく食べる。

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セザンヌの道と言われている地域では、強風の中で立ち止まって、あるいはペダルを踏んでの記念撮影の舞台に人気だった。

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一面にひなげしの紅い花の咲く風景は、グルジアの山間部で木立で隠すようにして栽培されていたケシの花を思い出させた。老いた夫婦が、畑の脇の木陰でサンドイッチを食べている光景だった。

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セザンヌが好んで描いたサント・ヴィクロワール山を正面に見て進む道も上り坂で強い向かい風。きびしいペダリングの連続だった。

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栽培しているのか。今回のサイクリングでお気に入りの花。

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セザンヌの描いた風車小屋とガイドの川田さんの説明だった。今も昔も、風の強い地域なのだろう。

エクス・アン・プロヴァンスのホテルに到着したのは、16時15分。走行距離は74㎞だった。ホテルに到着後すぐにスーパーへワインを買いにいた。5リットルで10ユーロと高い。だが、封を切ったのは18日。しかも、ワインの切れたAさん促されてペットボトルに1リットル分けただけ。わたしがこのワインを口にしたのは19日、バルセロナに到着後となった。

5月12日、在フランス日本人や日本語を話すフランス人と交流

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5月12日(月)、アゲーからベス・ジェス。イソルへ
7時40分の気温は15℃、湿度37パーセント。

出発前に、日本語ガイドの川田さんとゲストハウスのレストランで、GPSに走行ルートを入れている百瀬さん山本さん、市川さん、わたしの5人でルートを確認した。




8時に走り始めた。気温は17℃。湿度37パーセント。寒い。
ホテルを出てすぐに、わたしを含めた3名が先頭からはぐれて迷子になる。

わたしと百瀬さんは、遅れて走るメンバーにぴったりついていた。長い下り坂の下にロータリーがあり、ここで遅れて走っている3名は先頭集団を見失った。

先頭を走る市川さんと百瀬さんが無線で連絡を取り、市川さんがロータリーまで迎えに来ることになった。「待ちましょう」の百瀬さんの呼びかけがあった。

しかし、遅れて走っていたAさんは、百瀬さんの呼びかけを聞かないで直進。姿が見えなくなるほど進んだので、止めようとわたしが追いかけたが「右折するなら、誰かがロータリーで待っていて方向を教えるはず。誰もいないから直進だ」と譲らないAさん。

百瀬さんが追いかけていない上に、無線で連絡がついている。さらに先頭集団が、わたしたち遅れたメンバーを待つ姿も見えない。これは方向が違う。Aさんに強く呼びかけて走行を止めた。目の前にある砂浜にでは、浜茶屋のようなお店の掲げたこいのぼりが青い海と空の間を優雅に泳いでいた。

10分ほどして百瀬さんが追いかけてきた。2.5㎞走ってロータリーに戻った。途中でわたしたちを探していたフランス人スタッフの車と出会い、無事に先頭集団と合流することができた。

先頭はロータリーを右折し、さらにすぐに左折したため、どん尻の3人が見失ったことがわかった。後続が離れている場合にロータリーや交差点で右折や左折する場合、前の集団の誰かが待っていて後続に進路を示すことを確認。

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ノルマンディー上陸作戦は聞いたことがるが、こんなところだったのか。百瀬さんの説明で、遠い日の歴史の授業を思い出した。本日の宿泊地の近くに、ユダヤ人を収容した施設もあるとの、川田さんの説明も加わった。現代史を巡る旅としても、フランスは興味深い国だと思った。
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ブドウ畑の間を進んだ。

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ヨーロッパ各地から乗馬を楽しむ人が訪れるというだけに、上記のような交通標識も見かけた。

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大きなサボテンも多く、黄色い花をつけていた。朝の気温は厳しいけれど、日中の気温はすでに25度を超えるようになっている。南国の雰囲気が漂う中を行くサイクリングとなっている。

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再び市街地に入ると古い街並みが並んでした。

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交差点の道路を挟んで教会の向かいにあるBARで休憩。アイスクリームを買い、トイレを借りた。

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宿泊地のベス・ジュル・イソルに到着したのは、17時30分。

今日の宿泊は民宿だが、オーナーに電話がつながらないというので、トラクターの行きかう通りで待った。閉まっているBARの前にイスとテーブルがある。

「急いでもしょうがない。持参しているワインを飲みながらじっくり待とう」とメンバーに声をかけた。するとすぐにオーナーが戻ってきた。

部屋割りをして、部屋に入ったのは18時30分。走行距離は92㎞。迷子になったわたしは5キロメートル多い97キロとなった。

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19時30分頃から始まった夕食には、川田さんのアレンジで、この地域に住んでいる日本人の岩朝あずささん、日本へ留学したことのあるニコライさん、ベネディクさんも一緒に食卓を囲むことになった。また、ここで自己紹介を行った。ワインもたっぷり飲んだ。

今日は、向かい風の中、迷子、熱暑、交流と印象深い1日となった。民宿の宿泊客は、わたしたちのほかに5名ほどいた。

Wifiの設備があるのだが、わたしの部屋ではつながらなかった。日記の宿題は増えるばかり。



5月11日(日)、カンヌ映画祭の会場前、前夜祭をパンクで祝う

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5月11日(日) ニースからアゲンへ
7時、ニースの朝は曇り空、気温は16℃、湿度72パーセント。

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毎日、出発時間は朝の8時と決めている。しかし、ニースの朝の8時はラッシュアワーとのことで、出発時間を1時間遅らせて、9時の出発とした。

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休日だからなのか、ランニングやサイクリングで海岸沿いの遊歩道は朝からにぎわっている。

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休憩したところにある看板を見上げると、チベットと書いてある。ガイドの川田さんに聞くと、ニースとチベットは姉妹都市とのことだった。チベットに潜入する探検家や冒険家の手記を読んで高校生時代や大学生時代を過ごしたことからか、急にニースが身近に感じられるようになった。ニースでは、チベットのことをどのように報道しているのか。旅の最後に尋ねてみよう。

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家族でサイクリングを楽しむ人。

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ちょっと変わったレンタサイクルで休日を楽しむ人、サイクリングロードの楽しみ方は様々だ。

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フランスの南海岸を自転車で走っているが、リゾート地を縫うようにして進むことになる。ヨットハーバーを通り抜ける際には、高級車に乗った若者の姿を見かけることもある。

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12時になるが、お昼休みに利用できそうな広場がない。カンヌまで走ることにした。

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カンヌの海岸には強風が吹いていた。それでも、海岸のベンチに腰を下ろして昼休みとした。気温は25度だが、風が吹いているので寒く感じる。ますます強くなる風の前に、海水浴客の姿は少なくなっていく。砂遊びの子供の姿だけが、舞い上がる砂塵の向こうにあった。

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午後の走行を始めて、翌日から始まるカンヌ映画祭の会場の前で休憩をした。大きなカメラを持った男性が並んでいた。報道陣かと思えば、追っかけのようだった。再び出発というとき、シューと勢いのいい音がした。花火ではなく、パンクだった。カンヌ映画祭の会場の真ん前でパンク修理。この間にほかのメンバーは、映画祭の会場を見たり、追っかけの人に話を聞いたりしたという。



再び海岸沿いを走るのだが、アップダウンを繰り返しながら高度を上げた。すると、湾の向こうにアルプスが見えた。海岸線のルートは、くねくねと右に左に進路を変えながら進むことになる。どこまで進んでもアルプスが見えた。

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海岸線の坂道を上ったのちの楽しみはアイスクリーム。住宅街の中にあるお店で、わたしはキンカンとラズベリーのアイスクリームを注文した。

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アイスクリームを食べながらのんびりと汗の引くのを待った。

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さらに坂道を上って、赤い岩山の続く海岸を走った。オートバイの往来が多くなったが、帰路を急いでいるのだろうか。

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赤い岩山と海の見える丘の上で20分ほど休んだ。その後は一気に海岸沿いの一般道を下り、本日の宿泊地アゲンに到着したのは17時となった。走行距離は、70㎞。

宿泊はゲストハウスで、道路を挟んだ向かいに海水浴場が広がっている。今日は日曜日なので、小さなこの町のマーケットは開いていない。スタッフは4キロメートル先の町まで買い物に出かけるという。コーラとワインを各1本買ってきてほしいとお願いした。

5月10日、国境を越えてフランスを走る

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5月10日(土) インぺリアからニースへ
インぺリアは晴れていた。
7時の気温は17℃、湿度は70パーセント。肌寒い朝だ。

インペリアルからのサイクリングは、廃線を利用したサイクリングロードで始まった。土曜日ということもあり、がんがんとバスサイクリストも多いが、親子やカップルで楽しんでいる姿も多い。

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サンレモでは、サイクリングロードを離れて、音楽祭の行われる近くのバルでトイレ休憩。

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廃線を利用したサイクリングrp-度だが、サンレモ駅は残されていた。観光名所の一つになっているようだった。

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サイクリングロードが途切れて一般道に入るところで、サイクリングをスタートしようという大きなぐるーぴに出会った。

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問瀬さんが英語で話かけると、一人の女性が「こんにちは、日本人ですか」と答えた。日本人が英語で話しかけ、ドイツ人が日本語で応える奇妙な会話が続けられた。

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ドイツ駐在歴13年の船田さんは、ドイツ人のご婦人とドイツ語での会話を楽しんでいる。語学が堪能で広がる世界、うらやましい限りだ。

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写真の左から4人目はイタリアのガイドを務めてくれた村井さん、左から2人目はフランスのガイドを務めてくれる川田さん。

12時に国境に到着したが、フランス側のスタッフと約束した時間はまだ先のこと。国境のお店でサンドイッチを食べて時間を待つ。気温は24℃で温かい。湿度は63パーセント。ここまでの走行は52キロだった。


山の上からみたモナコ。エンジン音が聞こえていた。

当然のことだが、何のチェックもなくフランスに入国。モナコで買い物をしたいと希望する参加者もいたが、国際的なレースがあり車両が入れないというので、国境からエズの見える山まで登ることにした。

先頭は、川田さんがペダルを踏んで案内役。途中から上りになると夫のルイ氏にバトンタッチ。2時間で約10キロ進んで500メートル上り、エズを見下ろすことができた。気温は18℃、湿度は69パーセントだった。

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山の上では、旅行会社のサミュエル氏が明日からの昼食のサンプルと言って、試食用としてサンドイッチを持ってきた。これでは大きすぎる。日本人の好みもあるので、こちらで買い物をしてサンドイッチを作ることにした。

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山の上で休憩後、「ここから下りです」とのことだったが、100メートルほど高度を上げた。上りの覚悟ができていないので、不満も出た。人のやることだから、いろいろなので納得。

川田さんは、サイクリングロードを利用したコースを設定していた。

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ニースの街が近づくと、海岸沿いのサイクリングロードを進んだ。

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マセナ広場のアポロンの像の前でホテルまでのルートの説明を受けた。


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マセナ広場では、市街地を案内するベロタクシーが待機している。

ここからは、トラム(路面電車)の走る通りをたどってホテルに向かった。マセナ広場から北に延びるトラム、通りには電柱がない。ここを通るときは蓄電池を利用しているのだという。

ホテル到着は17時50分。スタッフ同士の連絡もあり国境での待ち時間が長かったが、85キロ走っていた。気温18℃、湿度77パーセント。


5月9日、時には石畳の街道をゆく

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フィナーレリグレという町をゆっくりと自転車散歩

5月9日 アルビゾンスぺリオの朝8時の気温は14℃、ホテルが浜辺まで300メートルの距離にあるこのと影響しているのか、湿度は76パーセント。

8時に走り始めたが、ひんやりと空気は冷たい。リゾート地を抜けるとマウンテンバイクのサイクリストの姿を見かけた。ジェノバではドロップハンドルのロードに乗ったサイクリストの姿をよく見かけたが、このあたりからマウンテンバイクが増えた。

男性が多いのだが、足が長くサドルの位置が20センチは高いように見える。足も腕も太く筋肉質だ。白い髭を蓄えて、決して若くないサイクリストであることを主張しているかのようだった。彼らは、太いタイヤを履いたマウンテンバイクであっても、あっという間に渡したちを追い抜いていく。

彼らのスピードを知りたいと思い、メンバーと離れて平地を時速27㎞で走ってみた。やはりあっという間に追い抜かれた。マウンテンバイクも時速35㎞は出ているのか。

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わたしたちの自転車旅は、急ぐ旅ではない。完走が目的でもない。古い城跡があれば立ち止まって見学。遺跡があれば、佇んで物思いにふける。歴史とのふれあいを楽しみながらペダルを踏んでいる。

時には、古い街道の石畳をゆっくりと進んで、両脇に並ぶ家並みから時間を感じている。

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自転車屋さんを見かけたら、ちょっとお店に立ち寄っている。


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トイレを利用したいときには、BARでアイスクリームを買って使わせてもらっている。

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わたしの場合、アイスクリーム屋さんにお願いすることもあれば、プライベートビーチのBARにお願いしている。

ローマ街道といえば松の並木。この日は4つの峠を越えて獲得標高は約400mだった。最後の120メートルの峠を越えた丘は、松林だった。ローマ時代の面影を映しているのだろうか。

5月8日 ペダルを踏んでジェノバを出発

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ジェノバの朝、ホテルの窓から港を見た空模様

5月8日(木) ジェノバからアルビゾンスぺリオへ

6時 気温18℃、湿度59%

9時にジェノバを出発。

ホテルでフロントのアルバイトをしているファビオ氏が、ジェノバから30㎞ほど先導してくれることになった。彼の本業は弁護士だが、弁護士だけでは食べていけないので、ホテルのフロントでアルバイトをしているとのことだった。

また、ヨーロッパで開催される自転車のレースに出場し、何度も入賞しているという。日本語ガイドの村井さんが「宿泊しているグループは、西安らローマまで自転車で旅をしたグループ」と話したら、交通量の多いジェノバ市内を安全に走行するために、先導役を買って出てくれた。

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中央がファビオ氏、右は日本語ガイドの村井さん

ジェノバの朝の交通量は、9時を過ぎると少なくなるというので、出発は9時とした。

ファビオ氏の先導で、ホテルを出発したが、バスレーンを走ってはいけないので、バスレーンのセンター側にある黄色いラインの上を走る、左折の場合はセンター・ライン脇を自転車は走るなど、日本の交通ルールと異なる点がある。ファビオ氏にはとても助けられた。

出発早々は渋滞でトラックや乗用車が動かないので、センター上を走って進んだ。

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ベルギーからスペインまでサイクリング中のベルギー人の青年にファビオ氏が話しかける場面もあった。

廃線を利用したサイクリングロードの入り口は閉じられていたが、脇から入って波の音を聞きながら海岸沿いの風景を楽しむことができた。

今日のルートは、海水浴場やヨットハーバーが並んでいるリゾート地を結んでいた。6月に入ればバカンスのシーズン。海水浴客で砂浜は埋まる。今のところは、簡易更衣室が設置され、傘を閉じたパラソルが並んでいるだけ。人影はまばらだった。


手を振って別れの挨拶をするファビオ氏。

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お昼に食べたピザ

昼食は13時に終えた。

13時40分にアルビゾンスぺリオのホテルに到着した。
今日の走行距離は45㎞。交通量はすごかったけれども、アップダウンもなくちょっと物足りないサイクリングだった。

リゾート地だが、シーズン前なので静かな住宅街のような一角にホテルはあった。

夕食まで時間はたっぷりある。砂浜でレジンペレットの採取をすることにした。

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日差しの強い砂浜で、レジンペレットを探す参加者

レジンペレットは、プラスチック製品の原料となるプラスチックの小さな粒。これがトラックや船で輸送中に、あるいはプラスチック製品を作っている工場から漏れて、最終的に海に流れ出している。海を漂流しているうちに、海水に含まれる化学物質を吸着する。

また、たばこの吸い殻やプラスチック製品などの軽い物質と一緒に砂浜に漂着している。この砂浜に漂着したレジンペレットを通して、海水の汚染状況を調べているのが、東京農工大学大学院教授の高田重秀氏。高田先生の研究に協力する環境ボランティアとして、レジンペレットの採取に取り組んできている。

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砂浜に打ち上げられたレジンペレット。4個あります。わかるでしょうか。

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砂浜を歩き回ってレジンペレットを採取していると、砂浜で遊んでいた子供たちが「何をしているの」と声をかけてきた。う~ん、電子辞書を取り出したが、子供たちに説明するのは難しい。イタリア語での説明は。

5月7日、自転車の組み立てとジェノバ散策

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5月7日(水)ジェノバ滞在。
6時に目覚める。気温18度、湿度62パーセント。

7時にロビー脇のホテルのレストランでバイキングの朝食。いつものようにイタリアの朝食は、野菜がない。果物もリンゴがあるだけ。チョコレートの入ったクロワッサン、甘いお菓子のようなパンが多い。

7時45分より自転車の組み立て。ぽつりと雨の当たるような始まりだったが、組み立てが進むと晴れてきた。

百瀬さんの自転車は、後ろの変速ができないトラブルとなる。ホテルの近くにあるサイクルショップに預けて、16時30分に受取りに行くことになった。しかし、直らないので10キロほど離れたショップまで持参することになった。バスで運んだ。百瀬さんも乗り込んだ。

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部品交換が必要になった。そのお店のお客さんの注文した部品が、百瀬さんの自転車の修理に必要な部品だった。百瀬さんの自転車の修理を優先し、お客には1日待ってもらうことにしたのだという。

お店の人曰く「1週間待ったのだから、1日余計に待っても同じじゃないか」と。イタリアって、こういう文化だったのかと、親しみを感じた。

午前の話に戻す。自転車の組み立ては、ほとんどの人が10時頃に終えた。

わたしは、例の巨大な足が見たくて、王宮へ今日も出かけた。王宮の2階から上が博物館になっている。のんびりと午前中を過ごした。

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大理石の彫刻だけを展示している部屋と次の部屋では、次の作品が気に入った。

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聖書の舞台を描いているのであろうが、私はかなり勉強不足を実感。

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王宮では前述の彫刻や絵画を目にすることができるが、建物は上記の通り。

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中庭にも絵が描かれている。建物に入って3階くらいに上って、下を見ると絵がよくわかる。

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向かい側にある教会は修復中だったが、中に入れてもらった。東側には死を象徴するような像が黒い大理石で表現されていた。、西側には生を象徴するような像が白い大理石で描かれていた。朝日と夕日の差し込むのを計算した配置なのだろうか。

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昼食後は、コロンブスの生家を見に出かけた。ゆっくりと見たいので、みんなとは別れて歩いた。とても小さな家だった。中も見たかったが、残念ながら中を見られるのは、土日だけのようだ。

ここには、小学生の遠足とみられる子供たちが、次々と訪れていた。親子連れも多かった。今日はなぜか、町の中で多くの子供を見かけた。

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日差しの強い夏のような1日だった。明日からは、いよいよペダルを踏んでの旅となる。

5月6日、ジェノバに到着

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「ユーラシア大陸横断サイクリング」の第2回目の遠征が始まった。

日程:2014年5月5日(月)から22日(木)
ルート:ジェノバ(イタリア)から南フランスを海岸沿いに走り、フランスとスペインの国境まで
参加者:12名(男性7名、女性5名、59歳から73歳まで)

5月5日(月)、羽田国際空港に22時に集合で「ユーラシア大陸横断サイクリング」の第2次遠征が始まった。全員が集合したのは、22時10分。すぐにチェックインカウンターに移動し、手続きを始めた。

航空会社はエミレーツ航空を使用している。搭乗の際に預けられる荷物が一人当たり2個。重量は2個の合計で30㎏まで認められているからだ。機内持ち込みの荷物は7㎏まで認められている。ヨーロッパのほかの航空会社を利用すると、搭乗の際に自転車を預けると330ユーロの支払いを求められることになる。この負担を軽減するためにエミレーツ航空を利用するようになった。

しかし、今回、大きな輪行用のケースを利用している参加者が2名おり、X線検査の機器の入口より大きいので、機器を通すことができない。ケースの鍵を外して目視による検査が求められ、検査器の脇で荷物の持ち主は待っていなければならなくなった。

また、機内に持ち込むザックの中に工具が入っていたために没収かザックごと荷物を預けるか、どちらか一方を迫られるケースもあった。

こんなことで時間をロスしたが、集合時間が早かったので、搭乗に時間には十分に合った。

羽田発は5月6日0時15分、ドバイ到着は日本時間で11時35分。ドバイは晴れていた。地上では、砂が移動して砂漠化が進んでいるのが、上空からもわかった。また、広大な面積に植林に取り組み、空港の周辺の緑化を恒常的に行っているのもわかった。

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ドバイ空港のトイレには、用を足した後に水で洗浄する蛇口が設置されていた。イスラム圏に入ったなと感じた瞬間であった。この設備は、とても快適。私は気に入っている。

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ドバイ空港はかなり広い。2時間ほどのトランジットまでの時間もある。インターネットに接続しようと、空港内にあるマクドナルドの近くの待合室でパソコンを取り出したがつながらない。この空港では、無料のwifiを見つけることができなかった。

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トランジットで待合室にいる人の中には、日本人の姿も多かった。思いのほか、新婚旅行と思われるカップルの数も多い。いったいどこへ行くのだろうか。

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成田からドバイまでの空路では、座席の前のテレビのような画面で空路を確認することができなかった。

しかし、ドバイからミラノまで向かう機内では、空路を確かめることができた。

ドバイを出発するとすぐにバクダットの上空を通過した。市民の暮らしは平穏なのか、最近報道される機会が少ないだけに雲に隠れた地上が気になった。

その後、トルコのエルズルム、アンカラ、イスタンブール、ブルガリアのソフィア、セルビアのベオグラード、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボ、スロベニアのリュブリャナ、イタリアのべニス、ミラノと空の旅は続いた。

1993年に始めた「ツール・ド・シルクロード20年計画」の後半の4分の1くらいの旅で大地の上を脚力で旅したルートとだいたい重なる旅だった。砂嵐で路面も対向車も見えない恐怖、砂漠でスイカや水をもらったりと親切との出会い、洪水で行く手を妨げられたこと、子供たちの素直な好奇心。多くの記憶がよみがえり、自らの脚力の旅が走馬灯のように頭の中を駆け巡った。

スイス国境に近いミラノ空港の到着したのは、5月6日14時。昨年もお世話になったガイドの村井さんの出迎えを受けた。バスのドライバーは、アントニオさん。

ジェノバに到着したのは17時過ぎ。曇り空だった。部屋割りのあと、18時から夕食の19時までの時間を利用して、ホテルの近くにある王宮を、同室の船田さんと一緒に見に出かけた。

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アレキサンダーなどの資料でよく見かけるサンダルのような履物を履いた石造の足が入口に展示してあった。あまりの大きさに驚いた。左足には羽がある。神話に基づいて、早く走る人物を表現している。また、足には、四角い穴があり、この足の上にさらに石造を重ねて、この左足が大きな人物の石像の一部であることもわかった。7メ-トルはある石像のように思った。

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19時に近くのレストランで夕食。ここまでは順調だった。
夕食を終えたのは、20時30分。仲間と一緒に町をふらついて21時にとホテルへ戻った。実は、仲間の一人がワインを買いにスーパーへ行くのに同行したのだが、お店を見つけることができなかった。

遅いのでホテルに戻ることにした。しかし、Aさんはホテルを過ぎた向うにある小さなスーパーへ行くという。かなり遅れてついていった。

キャッシングの機械の前でAさんが慌てていた。キャッシュカードを入れて、金額も入力し、カードと金が出てくるはずが、カードも金も出てこない。機械がカードを飲み込んでしまった。

すでに、21時30分を過ぎている。急いでホテルに戻った。昨年、イタリアで買った携帯電話に充電すること1分、着信記録を開いた。「YUKIKO」と文字が残っていた。すぐに電話をした。

「こんな時間に済みません、と事情を話した」すぐに村井さんと3人でロビーで合流し、クレジットカードを飲み込んだ機械に向かう。村井さんがあちこちに電話をしたが、どうにもならない。ホテルに戻ることにした。

村井さんがホテルのカウンターの男性に事情を説明すると、「イタリアではよくあることだよ。あの銀行は8時20分に開くから、その前に行けばカードを取り戻せる」。よくあることのようだ。イタリアに住んでいる村井さんには、そんな経験がないという。

明日の朝、8時10分に銀行へ行って交渉する。

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