2015-01

キルギス共和国と日本の歴史を講演 自転車で巡るユーラシア大陸


1948年に日本人が建てた診療所の前で記念撮影、2012年5月20日キルギス共和国にて

講演会のお知らせ
日時:2015年3月14日(土) キルギス共和国のタムガ村で抑留生活を過ごした宮野泰さん(87歳)の体験談 時間は下記に問い合せてください
会場:新潟県新発田市立図書館(詳しくは電話0254-22-3101まで)

資料及び写真展のお知らせ
日時:2015年3月10日(火)~29日(日)まで 時間は下記に問い合せてください
会場:新潟県新発田市立図書館(詳しくは電話0254-22-3101まで)

今年(2015年)は戦後70年ということもあり、昨年からキルギスの日本人捕虜に関する問い合わせが増えている。一般に言われている呼び方は、シベリア抑留だ。

しかし、スターリンの方針で中国の東北部・満州地域にいた日本人の一般人と兵士の一部には、中央アジアに移送されて強制労働を強いられた人もいた。中央アジアのキルギス共和国にも、125名の日本人が捕虜として2年ほど過ごしていた。不幸中の幸いで、全員が帰国している。

日本の厚生労働省は、死者の発生したラーゲリだけを調査対象としている。それゆえに、中央アジアのキルギス共和国で過ごさざるを得なかった日本人125名の情報は、日本の厚生労働省も把握していなかった。つまりた、キルギス共和国に日本人を抑留したラーゲリはなかったと厚生労働省はみていた。

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1946年から1948年にかけて日本人とラーゲリで働いた体験を持つキルギス人及び子孫

2012年5月20日に、68年前にキルギスのタムガ村で労働を強いられた元日本兵と日本人、キルギス共和国の国防省の役人や診療所の所長、日本の在キルギス共和国大使館の職員の出席を得て、日本人が建てた泥治療の診療所の前で記念植樹をした。シルクロード雑学大学のメンバーも7名が記念植樹に加わった。記念植樹したのは、ヤマザクラだった。農林省や外務省に連絡して、法律をクリアできる種に特定した。

記念植樹の後、天山山脈に向けて、あるいはイシククリ湖一周のサイクリングに挑んだ。

こんなことから、昨年の夏から、中央アジアのシベリア抑留者に関して、自自体やマスコミから問い合わせが増えている。

講演や番組は、決まり次第、順次お伝えします。
問い合わせも遠慮なく連絡をください。尚、在日キルギス大使館への連絡も協力します。

また、長澤法隆は、シベリア抑留研究会にも所属しています。講演者や資料に関しても協力します。
シベリア抑留や私家版の資料など協力したい点がありましたら連絡をください。今では、原本を損なうことなくスキャナーで簡単にコピーを作ることができます。

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昨年(2014年)中国で脳梗塞になったレポート


羽田空港で自転車を預ける場面

1993年以来、20年以上を自転車で旅行している。多くが友達と一緒で、海外では伴走のバスとトラックも依頼している。
もちろん、長い間には自損事故で動けなくなった仲間や脳梗塞による意識不明者を日本へ送り返すことも体験している。それだけに、海外における集団走行の利点を楽しんでほしいと思って参加を呼びかけている。一人で海外へサイクリングにでかけて、病気で倒れた仲間もたくさん知っている。

ところが、2014年は出発前の調子が悪かった。咳と食欲不足の中で出かけた。9月8日だった。

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青空の広がる北京空港

北京空港ではどんよりと曇り空に迎えられることが多かった。しかし、青空が広がっていた。

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自転車を運ぶ北京」空港の職員

北京空港はどんどん変わっており、昨年は羽田空港であずけた自転車を北京空港の職員が台車で運んでくれた。これを受け取って国内線の受付であずけた。

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北京空港内のお店

北京空港内には、アウトドア関係のお店も出ており、中国の魅力も変わりつつあると感じることが増えた。

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蘭州空港のホテル近くでビールを購入

蘭州のホテルに到着するとすぐにお酒を売っているお店を見つけてビールとつまみ、水を購入した。それにしても、遅くまで若い人が起きていた。
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蘭州空港からチベット族の街・天祝へ車で移動

天祝へ向かうルートは新しい高速道路だった。黄土高原を進むが、沿線に古い集落はない。途中で人民軍の50台以上連なった車列とすれ違った。蘭州には軍隊があるのだという。高度を上げて天祝の街の標高は2400メートルあった。
1994年に天祝民族小学校で交流している。約20年前の写真を届けたかったが、小学校はなくなっていると聞いた。当時の子供たちも30歳を超えている。届けたかった。また、機会を作りたい。9月9日だった。

天祝では、ホテルの中庭で自転車を組み立てた。部屋に戻ると、同室のAさんが「忘れ物を取りに、対談を登って部屋に戻ったら、気分が悪くなった」という。ベッドの脇に腰掛けて体を起こしていた。高山病のようだ。本人も自覚していた。この世の夜が寒かった。夜中に起きて布団を探したが、なかった。朝、同室者に聞いたら「寒いので全部着込んで寝た」という。
高地での風邪は、命取りになることもある。寒さに関する情報は共有化したい。寒さ対策もみんなで取り組む必要性を感じた。

9月10日は自転車で走った後に、万里の長城の脇で2時間を作利用して歩いた。ここはよかった。多くの参加者が歩いた。人気の地だった。その後、走れなかった。水分は取れるjのだが、ご飯などの固形分が入らない。原因はわからない。みんなは自転車で走ったが、わたしはバスで移動しながらスタッフと打ち合わせをしていた。連日、バスで移動していた。お腹はすいているのに、食欲のないのが不思議だった。ビールも含めて水分だけは進んだ。

9月18日、当日宿泊する村に到着した。4人部屋、2人部屋、一人部屋2つ。宿に到着すると直ぐに部屋割り、そして飲みに出かけた。100メートルも進めば行き止まりの村だった。夜になると食堂へ行った。ドライバーが「今日は頑張ったから」といってビールをひと箱(9本)おごってくれた。しかし、飲むのは私だけのような気がした。白酒の方が人気だった。

9月18日の夜中にトイレに起きた。だが、立って歩けない。まっすぐに立っていられない。壁に寄りかかってトイレへ行った。20年ほど前に従兄弟がなくなっている。キネマ旬報社にいたが、「歩道を真っ直ぐに歩けない」んほで、病院へ行ったら、小脳のガンだったと聞いていた。症状は同じようだった。

9月19日の朝、みんなが朝食から帰ると3階からバスに運んでもらった。自分では動けなかったのだ。そのままバスで瓜州市病院へ行き、入院した。検査をみるまでもなく、脳梗塞だという。CTでも心臓のエコーでも検査が有り、脳梗塞と2011年に行った心臓の不整脈のカテーテル手術が明らかになった。海外旅行傷害保険の関係で、カテーテル手術のことを聞かれた。手術が成功していれば、手術の有無は気にすることはない。脳梗塞に関しては大きな梗塞だったが、何故か散らばって小さくなり、小脳の末端の血管に詰まっただけ。だから、意識もあるしても動く、麻痺も残らないだろう。足は小脳の梗塞の典型のようだ。1日中ベッドの上でじっとしており、点滴を受けるだけが時間の過ごし方だった。食塩と水分、ブドウ糖かと思う。

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唯一、中国の病院で撮った写真 機械が壊れていて数字はでたらめです。中国ではこんなことがあります。

夕方参加者の津田さんが病院に来て、海外旅行傷害保険のことを日本と電話して進めてくれていた。病気に関して不要なこと、不利な点を言わないことが、津田さんの在職中に医療関係者だったことの利点だった。だが、ほかの人だが、ネットで私の病気を日本の友人に連絡している参加者もいて、個人情報と連絡に関しては、シルクロード雑学大学で話を詰める必要を感じた。

9月20日の夜に退院し、ホテルで宿泊した。しかし、症状は変わらない。21日の朝に敦煌までバスで移動してもらい敦煌市病院に入院した。ここでも、CTをとり、心臓のエコーを検査した。瓜州市病院と同じだった。ベッドに寝て、なるべく安静にしている。点滴を継続して、リハビリはない。動いてはいけない、水分を取ってはいけないというのが、中国の治療だったように記憶している。日本だったら、少しずつリハビリを始めるのだろうが。

また、中国の病院では病院食を作る発想がない。食事は、患者の付き添いが街でお粥やマントウを買ってきて、患者に食べさせるのが基本だ。水分に関しても、点滴をしているので不要との考えを持つ医師もいた。脳梗塞の場合、動いてはいけないというのが、当時の基本だったと思う。

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日本の病院のタグ

9月24日になって、敦煌に到着した参加者も朝の飛行機で日本へ帰国する。津田さんは敦煌に残ってもいいとのことだったが、海外旅行傷害保険もあるので帰国してもらうことにした。
11月に西安でウォーキングを主催していることもあり、敦煌の医師の許可の出る9月28日に香港の医師に同行してもらい帰国することにした。飛行機内はビジネスクラス、成田空港からは私設の救急車で自宅まで移動させてもらった。
28日の夜中に自宅に到着した。津田さんは既に奥さんと一緒に、自宅前に待機していた。

29日の朝、救急車を呼んで府中にある府中恵人仁会病院に入院した。検査の後にリハビリが始まった。トイレやお風呂など歩くことも求められた。10月4日に立川相互病院に転院。空いた時間を利用して、自宅で自転車に乗ってみた。リハビリで自転車に乗ったら走り過ぎとのこと。10月7日に退院することになった。

すぐに多摩川を走ったり、歩いたりしている。
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新潟では山に行ってきました

1993年以来、毎年、外国を仲間と一緒にサイクリングを楽しんでいる。これまでのトラブルを見ると脳梗塞という病気、自損事故という転倒。見てきたのはこのカテゴリーに入る。水分不足、疲れ、過労、風邪薬の影響、頑張りすぎ、加齢への認識不足(自信過剰)などかと思われる。

今年の年賀状には、「自分のことも考えて」と言うセリフを頂戴することが多かった。すべてのカテゴリーに入っている。
要するに自分で気をつけていれば済むことだ。
年齢的に、仲間たちの脳梗塞や転倒が増えると思われる。

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新潟の八海山に行ってきました。帰宅したら、八海山のワンカップがありました。

今年(2015年)で61歳です。力を半分くらい抜く気持ちで、ほかの人の力や道具も借りながら新しい試みチャレンジしたい。

意見や体験、知識やアドバイスなどをお待ちしています。Facebookでもいいです。

バルセロナで買ったロシアのお茶菓子


バルセロナで買ったお菓子

2014年の春、イタリア、フランス、スペインとサイクリングの直前、facebookで浅沼さんから教えてもらったロシアのお菓子。

偶然にもバルセロナにロシア雑貨のお店があり、このお菓子も買うことができた。

パッケージに書いてあるのは、「お茶の友」とでも訳すことができるだろうか、ロシア語だ。

姉が来て、友人が来て、ようやく美味しく食べる方法がわかった。今年の春も、バルセロナでお茶と一緒に買いたい。写真を持っているので、途中の街でも探し求めたい。ユーラシア大陸の人とネットワークがお菓子や柿などのたべものを通して分かるといいなあ。

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映画「KANO 1931海の向こうの甲子園」を見に

映画「KANO 1931海の向こうの甲子園」

以前から書いていたが、シベリア抑留研究会で出会った歌手から、この映画のことを知った。

半年前から楽しみにしていたが、上映が近いことを知った。

色々と考えることがあった。

「ユーラシア大陸横断サイクリング」「ツール・ド・シルクロード」参加者募集

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フランスのニースにあるサイクリングロードですれ違ったサイクリスト

「CYCLE SPORTS」のサイトにある「レース&カレンダー」

2015年4月に予定している「ユーラシア大陸横断サイクリング」2015の参加者募集が紹介されました。

また、9月に予定している「ツール・ド・シルクロード10年計画」2015の参加者募集も紹介されました。

詳しくは、シルクロード雑学大学の事務局の長澤まで問合わせてください。

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