2015-10

定年後は趣味や特技で楽しく過ごす

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講師の市川武邦さん

講演会のお知らせ 

タイトル:定年後は趣味や特技で楽しく過ごす

日時:11月1日(日曜日)

会場:JICA地球ひろば(新宿区市谷本村町10-5、JR市ヶ谷駅下車徒歩10分)

参加費:1000円(学生500円)

詳細は、シルクロード雑学大学のホームページhttp://www.geocities.jp/silkroad_tanken/index.html
を見てください。誰でも参加できます。

尚、シルクロード雑学大学は、定年後を趣味や特技、ライフワークを持って過ごすことを勧めています。また、「ユーラシア大陸横断サイクリング」「ツール・ド・シルクロード10年計画」にも取り組んでいます。

参考図書の紹介

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『民族楽器大博物館』(若林忠宏著、アートダイジェスト)1200円だった。アマゾンでは295円。絶版だから買うなら今。

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『シルクロード楽器の旅』(柘植元一著、音楽之友社)アマゾンで1499円の1冊だけ。コレクター品は2000円以上。

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『シルクロードの響き ペルシャ・敦煌・正倉院』(柘植元一監修、オリエント博物館)、アマゾンでは578円より


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天山北路から届いたハガキ


今日(10月29日)に届いたハガキ

朝、郵便受けを見に行くとハガキが届いていた。9月に中国の新疆ウイグル自治区にある天山北路へサイクリングに行ったとき、自分あてに出したものだった。すっかり忘れていた。投函から配達まで、1か月半かかったことになる。長い旅をしている。ご苦労様。

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1992年に中国甘粛省の敦煌から新疆ウイグル自治区のチャルクリクまでラクダと一緒に旅した時、自分の撮影した写真でハガキを作っていた。その時の残りが出てきたので利用

ハガキを出したのは、清水という町。ホテルの斜め向かいに郵便局があった。20年程前にハガキに中国で買った切手を貼っていた。その金額で間に合うかわからないので、聞いたら大丈夫だという。郵便局の前にあるポストに入れたらいいと教えられ、投函した。2週間後には届くはずだった。消印を調べたが、見当たらなかった。だから、投函日を第三者の目で確かめることはできない。

清水ではもう1通自分に出している。翌日にイーニンでも出している。あと2通、到着が楽しみだ。

鎌倉街道をサイクリングス本の紹介


『鎌倉街道をゆく』(栗原仲道著、埼玉新聞社)アマゾンでは扱っていなかった。わたしが見つけられなかっただけだと思うのだが。

「鎌倉街道」をサイクリングしようと思って開いたのがこの本。1997年に古代道路を歩くイベントを企画したが、その際についでに鎌倉街道も調べた。その時に買った本の姉妹編。道の細かいところは、ほかの資料でも調べてみた。それにしても、古書が消えるのは早い。次はわたしの番か。

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『鎌倉街道 古道探訪編』 購入を希望する人は、日本の古書店のサイトにリンクしてあるので、調べてください。

発行されたのは、昭和58年。4冊もので、各1300円だった。今は1冊1000円くらいだが、見つけるのが大変そうだ。でも、手書きの地図が書いてあり、時代も感じることができる。サイクリングに行く気にさせてくれる地図が待っている。

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『中世を道から読む』(斎藤慎一著、講談社現代新書)は2010年の発行時740円(税別)、アマゾンでは410円より、4冊しかありませんでした。

足柄峠、碓氷峠などを5万分の1の地図で紹介している。参考資料の一覧もあり、勉強にも使える。

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『中世の東海道をゆく』(榎原雅治著、中公新書)2008年の発行時は800円。アマゾンでは450円より。

こちらの参考資料の一覧がある。地図に関しては、古い資料かおこしたもの掲載されている。東海道に限っている点はユニークだが、奥は深かった。

古代道路探すサイクリングに行こう

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『日本古代道路事典』(古代交通研究会編、八木書店)、発売したころは12600円だった。今ならアマゾンで買える32000円から。

友人と電話で話した後、急に寒気がした。11時から15時まで寝て休養した。ガダルカナルから帰った父は、復員後、真夏でも布団をかぶって震えていたと母から聞いたことを思い出した。マラリアに感染していたのだった。

さて、サイクリングを計画中だ。まずは古代道路を探して自転車で足跡を追う。発掘された遺跡と寺院や神社を結ぶ予定だ。第1の参考資料は、「日本古代道路事典」。都道府県別に構成されていて、発掘した場所を紹介している。発掘された遺跡は埋め戻されているけれど、地図も使って紹介している。とんでもなく高くなっている。でも3冊あった。定年後の遊びのためには、この本でで10年以上歩き回れる。専門家以外は買わない方がいい。高い。図書館で見よう。

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『続 古代の道』(武部健一著、吉川弘文館)発売時は2800円だった。今はアマゾンで4341円で手にできる。正編もある

「日本古代道路事典」の発行後、実際に歩いてまとめた本が「古代の道」。2冊に分けて作ってある。この本を持ってサイクリングして、新しい情報を加えたいと思っている。食事やトイレの情報も。ただし、歩いたりサイクリングで回りたい人は少ない感じ。まずは、西国分寺から関東周辺でサイクリングしてみたい。
昨年、群馬県まで走りに行ったが、準備不足で呑んで帰っただけ。楽しさだけが残った。

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『古代道路を考える』(木下良著、吉川弘文堂)、発行時は2500円。今ではアマゾンで1439円。

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『古代の道路事情』(吉川弘文館、木本雅康著)発行時1700円、今はアマゾンで700円より

また、今は手元に見当たらないが、

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『日本の古代道路を探す』(中村太一著、平凡社新書)

『日本の古代道路を探す』(中村太一著、平凡新書)は安く手に入り、入門書としてはうってつけ。アマゾンでは382円より

『日本の古代道路を探す』(中村太一著、平凡社新書)は、まだ手に入る入門書といえる。地域によっては2万5千分の1の地図もあり、実際に古代道路の足跡を探しに行ける。わたしも最初はこの本を持って古代道路を探しに出かけた。

この本が、古代道路を一般の人でも探してみようという気にさせた最初の本といえよう。中村太一、木本雅康の二人が、古代道路を研究している若手といえそうだ。大学の先生だが、素人にもわかりやすい本を書いている。

これらの本を読んで、2万5千分の1の地図とGPS、デジカメをもって、古代道路を探しに行く予定だ。もちろん自転車に乗って。

次回は鎌倉街道に関する本を紹介します。


自転車の車線に駐車している車をブログにアップ


昨日(10月26日)に続いて線路を利用したモニュメントから

快晴で、風もない。多摩川の起点まで走りに行こうと思ったが、すでに8時。朝食もまだだった。団地の桜やケヤキは、かなり落葉している。桜通りのイチョウは黄色い実がかなり落ちて、足の踏み場もない箇所もある。すっかり秋だ。でも、朝は意外と明るい。

近所に住む友人を誘って羽田を目指そうと思ったが、朝食とパソコンで9時30分になってしまった。11月15日に大磯で試走会にボランティアで参加してサイクリングをしたいと思ったが、募集を一時中断とのこと。再開したら、行きたいものだ。話は違うが、大磯は静岡県内だとばかり思っていた。電車の時間を調べていて分かったのだが、神奈川県内だった。鎌倉の近くだ、開高健の記念館が近くにると思うんだけど。来月の話だ。

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線路を曲げて作ったらしいモニュメント

そんなことで、再び廃線跡を活用したサイクリングロードへ向かった。
モニュメントは、太陽の光で見るとやはり線路を利用したものだった。茶色い錆に覆われていた。それにしても、線路は本来はまっすぐなもの。どうやってこんな風に半円にしたのだろうか。地球を表現しているのだろうか。

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「西町緑地」の看板がみえてきた。すぐです

国立市内から始まったサイクリングロードには、すぐに西国分寺市内であることを示す看板が現れる。立派だなあ。

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サイクリングロード脇の畑に巨大なカボチャ

北に進んで、サイクリングロードの左側は住宅が並ぶ。右側には時々畑が見える。畑の中は、巨大なカボチャが2個現れた。サイクリングロードの向こうを見ると南砂小学校の裏口があった。だが、カボチャとサイクリングロードの間には、鉄の柵が張り巡らされていた。ハロウィン後に、カボチャがどうなっているか見たい。

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立川市内の散歩道を紹介している案内板

サイクリングロードには、立川市内に限るが、散歩道を紹介している案内板がある。JR立川駅とJR西立川駅を結ぶルートを紹介している。「歴史と文化の散歩道」と看板のつぃとるにあるが、線路跡を利用したサイクリングロードだとは一言も書いていない。線路の終点と始点がこの中に入るはずかと思うが、それもない。どんな府に利用されていたのか。それもない。ここでも現代史を教えることはない。何か不都合があるのかと考えてしまう。

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立川市内では、自転車の車線を空色のペイントで書いた標識が一部にある。だが、駐車中の車があることが多い。自転車に乗っている人は大きく車道に膨らんで、駐車している車を追い越す姿をよく見かける。とても危険だ。危ない。だが、取り締まりの警察官を見たことはない。警察署は、この道路の近くにあるのだが。

これからは、車のナンバーも分かるようにブログに掲載しようか。GPSカメラで撮影して、日時もはっきりと警察署が把握できるように協力したい。車に会社名などが書いてある場合は、その部分も撮影して掲載したい。会社にもプラスになるはず。交通事故のによる犠牲者をなくするためには、市民による協力も必要だろう。自衛の手段でもある。

国立市、国分寺市、立川市を結ぶ廃線を利用したサイクリングロード

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国立市内にあるサイクリングロードのモニュメント

東京都にあるJR国立駅とJR立川駅の中間あたりに、廃線を利用したサイクリングロードがある。国立市、国分寺市、立川市の3つの自治体を結ぶサイクリングロードだ。冒頭のモニュメントがあるのは、国立市内。廃線跡のサイクリングロードは、JR中央線にほぼ直角に北に延びて始まる。サイクリングロードにあるモニュメントは、線路をモチーフに使っているが、本物なのか不明だ。今度、市役所に聞いてみたいと思う。

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北第一公園の入り口

サイクリングロードの入り口は国立市の北第一公園の近くにある。公園は、近くの団地の子供たちの遊び場として利用されている。昼間は幼児と母親、夕方になると小学生とおばあちゃんの組み合わせが多い。もちろん小学生と思われる子供同士が遊んでいる姿も見える。ただし、中学生の姿はほとんど見ない。塾へ行っているのか、多摩川へ魚釣りに行っているのか。尚、この公園はトイレがあるので自転車のスタートや待ち合わせにはぴったりだ。

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モニュメントの脇にあるみかんと花

サイクリングロードは一戸建ての住宅地の間を進んでいる。駅前はビルばかりなので、空が広くほっとできる景色の中にサイクリングロードはある。

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サイクリングを楽しむ人、ジョギングや散歩を楽しむ人などがいる

この道は、一般的には「緑道(りょくどう)」といわれているようだ。もともとは、軍都立川の飛行場と中央線を結んで軍事物資を運ぶ線路だったようだ。それが利用されなくなり、今はサイクリングロードに生まれ変わっている。昔は畑の中を通っていたのだろう。今でも時には畑を見かけられるところがある。

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サイクリングロードを紹介

案内板は、立川市内にあるだけ。国立市内と国分寺市内を通るサイクリングの案内板はない。ちゃんと紹介してほしいものだ。それに、これ以上畑が減らないでほしいものだ。でも、10年もしたらマンションだらけになり、ビルの谷間を行くサイクリングロードになるのだろうか。

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サイクリングロードの距離を知らせる案内板よう

調べたところ、廃線は10キロほどあったようだ。ところが、「線路が続いていたのは工場の中だった」ということもあり、10キロないようだ。次回、調べたい。尚、距離を示す案内板があるのは立川市内だけ。従って、立川市内のサイクリングロードの距離を示しているだけの模様。立川市長ってケチだなあ。サイクリングや散歩を楽しむ人にとっては、意味のない数字だけが並んでいる。必要なのは、地主だけか。

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緑道の脇には畑もある

畑には大きなカボチャが2個あった。ハロウィンが近いので、保育園や小学校での出番を待っているのか。

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線路を並べて作ったらしいモニュメント

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猫や犬を捨てないでの注意書き

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注意書きの下には、猫がいた

猫は多い。しかも逃げない。誰からエサを与えているのだろう。中には、耳が欠けている猫もいた。生存競争は厳しい社会のようだ。

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植木の畑には、枕木をみた

畑の中には、枕木を利用して車が入る道を作っているところもあった。でも、今では珍しい光景だ。

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北第一公園の近くにある団地

鉄道の線路をモニュメントにしているサイクリングロードの入り口は、国立駅の北口にある団地が目印。帽子のようなものがてっぺんにあるのでわかりやすい。のんびりと走ってほしい。



やせるなら自転車。「継続は力なり」でございます

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『自転車でやせるワケ』(松本整著、サイエンス・アイ新書)。アマゾンで76円より

サブタイトルは「体にやさしく、効率的に脂肪燃焼できる理由とは?」。著者は、スポーツクラブを経営しているようだ。そこに通う人に聞いてみると、「ダイエット」を目的として運動をする人が多いという。雑誌の特集にしても「ダイエット」は目玉らしい。

裏を返せば、「ダイエット」を希望する人は多いけれど、成功する人は少ないということか。気持ちがあって始めても、「継続は力なり」は難しいということか。読者の質問に、著者が答えるスタイルで構成されている。また、イラストで工夫された図解もあって分かり安いらしい。カラーページ。

だが、自転車はやせられるらしい。続けて運動すればのことだ。どんな運動も続ければやせられる。相撲以外ならば、という条件が必要かもしれない。運動したからといって食べ過ぎない、という言い訳を排除することも大事かもしれない。著者は元競輪選手。本を読んで、やってみよう。

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『自転車の科学』(服部四士主著、講談社ブルーバックス)。アマゾンでは696円より

サブタイトルは、「メカから乗りごこちまで」とある。第1章は「自転車って何だろう」。それにも増して付録が面白かった。大正4年の自転車の法う台数は何台でしょう。答えは684台。もう少し古くなると、志賀直哉が中学生の頃におじいさんに買ってもらった自転車は、160円。当時の一人の生活費1か月分だったようだ。明治30年頃の話だが、年収に相当する金額になるのだろうか。

まったく科学的でない文章となってしまったが、本には「乗りごこちの科学」という章立てもある。お尻のいたくならない科学、関心あります。尚、著者は、名古屋工業大学の前身・名古屋工業専門学校を卒業し、自転車産業振興協会・技術研究所の技術部長を務めていた。昭和57年の発行なので、データには注意してほしい。

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『スローサイクリング』(白鳥和也著、平凡社新書)。アマゾンでは84円より

サブタイトルは「自転車散歩と小さな旅のすすめ」とある。風景の中を飛ぶような走り方よりも、風景の中に立ち止まる散歩を、というところか。ツーリングで風景や人との出会いを楽しむには、時速16キロから18キロくらい。のんびりと旅を楽しむには、歩くのもいいが、のんびりとペダルを踏むのもいい。定年後、時間を楽しむこころのゆとりがあったら、こんな遊び方もためしてみたい。

自転車入門者向け日本の紹介。定年後は自転車でどうぞ


「スポーツ自転車でまた走ろう!」アマゾンでは1132円より

昨日(10月20日)、「スポーツ自転車でまた走ろう!」を立ち読みして買った。副題は「一生楽しめる自転車の選び方・乗り方」とある。

最近は、ドロップハンドルのロードバイクに乗る人の姿が多い。でも、そんな乗り方の人だけが増えているのか疑問だった。街乗りだっていい、砂利道だっていい、オフロードだっていい、自転車の遊び方と乗り方は人それぞれだと思う。もっとのんびりと、ゆるやかに生きて、自分の時間を楽しんでもいいのでは。気ままに自転車に乗りたい人、自転車で旅を楽しみたい人はこの本を読んだらいいかもしれない。

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「自転車困った時の即効マニュアル」は、アマゾンで530円より

そんな気分にぴったりの1冊だった。競うことを忘れて、景色や人との出会いを求めてさまよう乗り方もあっていいのではないか。競争社会を離れて自由時間に満ちた定年をむかえる。ウェアーや工具などについても紹介している。カラー写真で説明していてわかりやすい。

だが、自転車の乗り方、トラブル時の対応など、具体的なことは「自転車困った時の即効マニュアル」疋田智著、成美堂出版にまかせたい。細かい紹介がある。

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「自転車入門」河村健吉著、中公新書、アマゾンで1円より、早い者勝ち

自転車を買ったばかり。それもスポーツ自転車という人には、「自転車入門」を勧めたい。1か月かけてトレーニングすれば、1日に100キロ走ることも可能になると書いている。実際、わたしの友人は1か月で1日に100キロ走れるまでになっている。定年直後だから62歳くらいの時か。今では、わたしよりも断然強い。ただ、この本は熱心に書いている。著者が自転車に関しては初心者の時に書いたからだ。著者の本当の専門は、年金なのだ。

この本を全部読もうとすると疲れる。適当に付き合ってほしい。著者の話し方は、落語家風。話は面白い。顔つきも金語楼みたい。親しみやすい人だ。著者は、ヘルメットは服装に合わせて色を換えているらしい。色違いで持っているという。1週間分そろえているのだろうか、おしゃれだ。だがもう80歳近いはず、適当に付き合ってほしい。

抑留者を巡る旅は、シルクロード・サイクリングから生まれた

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団地の庭にある桑の木

わたしが住んでいるのは団地。その庭には、桑の木が2本植えてある。一つの植木鉢から生えているので、根がつながっているように見える。
2004年にイランを仲間と一緒にサイクリングした。街路樹は桑の木で、靴を脱いで桑の木の上の方に向けて投げている子供がいた。2人いて兄弟のようだった。靴が落ちると、続いて白い実も落ちてきた。二人は拾って競うように食べていた。二人のまねをして、白い実を拾って口に放り込んだ。。甘い。それが桑の実だった。

日本では、黒というか紫というか、そんな色をした桑の実を食べていた。子供のころの話だが。
だが、イランでは子供たちが拾って食べている桑の実もバザールで売っている乾燥した桑の実も白い色だった。バザールで買った桑の実を、サイクリングの時、休憩の際に食べていた。いろは坂のような坂道の途中にあるチャイ花で紅茶を飲みながらのお茶請けも白い桑の実だった。

その桑の実を自分へのお土産にして持ち帰り、その中の1個だけベランダの鉢に植えた。春になると芽を出した。数年して、大きくなったので団地の庭に植えたのだった。海外をサイクリングに出ているときに、水をやることができない。だから、植木鉢の底をのこぎりで切ってある。大地に根を下ろしているのだ。毎年5月の連休を過ぎたころに花が咲き、8月の中頃を過ぎると白い実をつける。

今日、2本の桑の木を見たら、1本は枝が下がっている。枝垂桜ではなく、枝垂れ桑だったのだ。ウズベキスタンの首都のタシケントでは、街路樹として桑の木を植えているところがある。しかも、枝垂れ桑なのだ。団地の桑の木も、春には挿し木で増やして、あちこちに植えてみようか。いたずら好きは、60歳を過ぎても枯れることはない。

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近所の家の庭に実っていたザクロ

また、買い物の帰りに近所の一戸建ての家の庭で、大きく口をあけたザクロを見かけた。ザクロの原産地はイラン、ザクロス山脈という山並みがあり、大小はもちろん、黒いザクロなどもあるという。基本的に、原産地に近くなれば、仲間の種類も多くなる。でも、海外でこんなにぱっくりと口をあけたザクロを見たことはない。日本の湿気の多い気候が、あるいは土中の水分がこんな形を作ったのだろうか。

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注文した本が届いた

趣味というのか仕事というのか、好きでシベリア抑留者のことを調べている。ただし、わたしが調べているのは中央アジアにある小さな国、キルギス共和国に抑留された日本人のことだ。元兵隊もいれば民間人もいる。ソビエトによる処分を嫌って、戦時中の身分を偽ったり、偽名を使っていた人もいたようだ。それらも含めて調べている。厚生労働省は、収容所の記録がないので、キルギスの収容所で日本人が無くなった事例はないという。つまり、日本政府の資料では、キルギスに日本人の抑留者はいなかったことになっていた。

だが、2007年にわたしの電話に「あなたが探しているキルギスに抑留されていた元日本兵です」という連絡が入った。この方を通じて、キルギスのタムガ村にあった収容所にいた125名の日本人、その中の100名の名簿が手に入った。しかも、125名全員が帰国していることもわかった。その後、4名にインタビューし、2名と電話で話した。電話をしたけれど外出中の方も3名いた。だが、それから8年。今では、電話で話ができるのは、2名になってしまった。

1993年に中国の西安を自転車で出発し、毎年少しづつ西へ進み、2012年にローマに到着した。「ツール・ド・シルクロード20年計画」と銘打って、仕事も遊びも自分の生き方だ、というメッセージを込めて仲間と一緒にサイクリングを楽しんでいた。その途中、立ち寄ったキルギスで抑留者を見つけたのだった。遊びも、社会的な結果が出てくるとのめりこむ性質で、すっかり染まっている。

最近、父親がカザフスタンのアルマトイに抑留されていたという方と知り合った。国際的に有名な評論家・淡徳三郎氏のお嬢さんだった。淡氏の周辺で抑留時の手記を残している方を探していた。抑留時の体験記はないものか。その本が今日届いた。

「大戦争の表と裏」と題した書籍で、元民社党の代議士で和田耕作氏の著書だ。さっと目を通したところ、驚いたことにアルマトイからカラカンダに移送された体験を持っていた。カラカンダは、炭鉱の町で多くの抑留者が命を落としている。

淡氏と和田氏が、アルマトイでどんな抑留生活を過ごしていたのか、抑留者同士がどのように助け合っていたのか、ロシア兵とはどんなやり取りがあったのか。生活の面や工夫を知りたいものだ。

「この煙草入れは、父がシベリアのラーゲルで使っていたものです」

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監視する側のソ連兵からプレゼントされた煙草入れ(らしきもの)

10月18日、日比谷図書館でシベリア抑留に関する映画の上映があった。映画の合間に「シベリア抑留映画を語ると題しての講演があった。講演会をビデオに記録するのが、わたしの役割だった。主催は、シベリア抑留者支援・記録センター。

「『人間の条件」という映画でもシベリア抑留を一部で取り上げているが、日本人が作った映画ではソ連をそんなに悪く表現していない」と、講師の木全公彦氏の話していたのが印象に残っている。

また、ソ連に捕虜としてとらえられたのは日本人ばかりではない。ドイツ人は250万人、ポーランド人は90万人もとらえられている。日本でいう、シベリア抑留者だ。日本人の場合、捕虜になった方の10パーセントが命を落としている。一方、ドイツ人の場合は25パーセントが命を落としている。ドイツ人は、日本人以上にソ連に苦しめられていた。だが、ドイツ政府による自国民で捕虜になった人への補償は素早かった。日本は、いまだに問題解決していない。

補償問題は別として、ドイツ映画でシベリア抑留をどのように取り上げているかも、木全氏は話していた。DVD見られるようなので、後ほど見たい。

上映会にシルクロード雑学大学の友人が学生時代からの友人を誘ってくれた。映画に誘われた友人は、父親がアルマトイで抑留されたときに使っていた煙草入れをシベリア抑留者支援・記念センターに寄贈するためにも来てくれたのだった。

煙草入れは2つあった。1つはアルミ製、ほかの一つは鉄分の多いステンレス製だった。両方ともソ連兵からプレゼントされたという。シベリア抑留者の体験記を読んでいると、ソ連兵が抑留者から取り上げたアルミ製品を加工して、様々な品物に作り替えていた様子がわかる。

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ロシア語でタシケントと書かれていた

アルミ製の煙草入れには「1944年11月タシケント」とあった。父親が抑留されたのはカザフスタンのアルマトイ。だが、煙草入れに書かれた文字は、ウズベキスタンの首都タシケント。しかも、1944年、抑留される前の時代を示す文字だ。

煙草入れをプレゼントしてくれたソ連兵がタシケントに配属された時期を示すのか、徴兵されて初めての任地だったのか。どんな意味のある時間なのか知りたくなった。

この煙草入れの持ち主だった人は、淡徳三郎さんという。当時すでに国際的に有名な評論家で、戦前の共産党員。フランスに亡命していおり、敗戦直前にドイツ、モスクワ、満州と移動することになり、満州で抑留の身となっていた。出身の京都大学でも有名な秀才だったのだ。

実は、シベリア抑留者支援・記録センターでは、抑留者がソ連から持ち帰った持ち物の提供を呼び掛けている。だが、抑留者が日本へ復員する際には、ソ連兵による身体検査があった。軍事的なことや経済状況を知られることを恐れたのか、日記などのメモや持ち物は没収されていた。だから、抑留者の持ち物を展示しようと思っても、展示するものが集まっていなかった。
今回の上映会では、抑留の実態を知ってもらうこともあり、抑留者から寄贈された持ち物の展示を試みた。ところが展示できるのは、体験記、スケッチや絵、報道写真が中心となっていたのだった。

わたしも抑留者からいただいた写真をパソコンに取り込んで、展示してもらった。この写真は、中央アジアにあるキルギス共和国に抑留された方からいただいたもので、没収されないようにと工夫して「エリに縫い込んで持ち帰った」と聞いている。このため写真には折り目が入って割れている。そんな背景があり、抑留者の持ち物はあまりないのだ。

だから、とても貴重な寄贈だったのだ。これを機会に、持ち帰ったものを展示するチャンスに恵まれたい。

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抑留者が寝起きしたラーゲルで読まれた日本新聞

また、淡徳三郎氏は、日本新聞の「友の会」にもかかわっていた。

抑留者の書いた体験記を読むと、日本新聞にかかわった人はソ連の言いなりになり、民主運動を進めたように書いているケースが多い。いただいた『淡徳三郎遺稿集』に書いている小説家山田清三郎氏の文章を読んだ。そこには、抑留者が食糧の足りない事情をロシア語のできる淡徳三郎氏を通じてソ連当局に提訴して、食糧の改善及びラーゲルを管理するソ連兵の更迭に結びつけたとある。また『捕虜体験記 Ⅴ中央アジア編』にある小野地光輔氏の「アルマ・アタ収容所」と題した文章にも同様のことが書いてある。

日本新聞にかかわった人がみんなソ連寄りの考えでもなかった。食糧が足りない点は現実に即して指摘し、抑留者の要望をソ連当局に代弁していた。人間の対応としては、当然のことだろう。そう思うだけに、この点は調べがいがある。もう少し淡三郎氏の文章を読んで、あるいは周辺の人の文章を読んで、日本新聞にかかわった人に対するステレオタイプの見方に一石を投じたいと思う。

わたしでは足りないところもあると考えて、研究者にも声をかけている。

シベリア抑留関連の映画と体験記の展示


シベリア抑留に関係する本やスケッチ、写真集の展示

10月17日(土) 東京都千代田区にある日比谷図書館文化館に行ってきた。

上映されたのは、下記の6本。
『シベリア抑留はこうして始まった』(NHK、1994年8月)った
『まだ見ぬ父の墓標を求めて―母子のシベリア紀行』(NTV、1990年5月、松島トモ子さん)
『ダモイの画家-友よ…永遠なるシベリア鎮魂』(テレビ熊本、2002年11月、宮崎静夫さん)
『北朝鮮に送られたシベリア抑留者たち』(NHK、2005年10月)
『冷戦俘虜記-シベリア抑留旧日本軍朝鮮人兵士の戦後』(山形放送、2000年12月)
『引き裂かれた歳月-証言記録・シベリア抑留』(NHK、2010年8月)

入場無料だったが、協力費は500円だった。

隣の会議室では、シベリア抑留に軽軽するスケッチ、体験記、資料の展示をしていた。中には、福島県の会津からきて、父親の亡くなった場所が、厚生労働省に聞いたのと村山常雄氏の調べたのでは異なるので、どちらが本当なのか知りたいという相談もあった。厚生労働省の調査は間違いが多いとの声が上がっていた。

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敗戦直後に出版された資料の図書

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中央アジアのキルギス共和国のラーゲリに抑留されていた時に使っていたスプーンとフォーク。抑留された方からの提供

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明日は2本の映画を上映すると朝刊にも紹介されていた。

明日は、
『私はシベリアの捕虜だった』
『ダモイ』
が上映される。協力費は1000円。時間は、10時30分から16時30分まで。途中でトークもある。

詳しくは、シベリア抑留者支援・記録センターのホームページを見てほしい。

また、帰りに本屋へ寄った。

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「被差別の食卓」

友人のノンフィクションライター・上原善広さんの新刊が売っていたので購入した。

明日は映画の合間にこの本を読む。楽しみだ。

サイクリングロード脇に誕生した「サイクル・ステーション」、「たちかわ創造舎」に行く


「たちかわ創造舎」の「サイクル・ステーション」内部

10月13日(火)は朝から晴れた。近所に住む友人にメールを送り、午後に一緒に多摩川のサイクリングロードに出かけることにした。最近、東京都立川市内にオープンした「サイクル・ステーション」を訪ねることにした。自宅からは20分くらいだろうか。

多摩川サイクリングロード沿いにある「サイクルステーション」は、「たちかわ創造舎」という施設の中にあった。もとは立川市立多摩川小学校。廃校になり、今年の9月27日にオープンしたという。

「たちかわ創造舎」は、映画やテレビのロケの際に、学校を舞台としたシーンの撮影に利用されているらしい。友人は、撮影に出くわしたことがあったという。撮影の様子を見ていると、「邪魔だから見ていないで」という感じで追い払われたらしい。一石二鳥と考えて、映画などの営業もすればいいと思うのだが。

さて、サイクリングロードから「たちかわ創造舎」の看板が見えた。入口には自転車に乗ったままで入られるスロープがある。真新しい。かつては小学生の歓声が響いていたであろうグランドの脇を通って「サイクル・ステーション」に入った。

鉄棒を利用したような駐輪場に自転車を留めた。鉄棒を利用したのではなかったが、背景に校舎があるので、そんな風に見えたのだった。

中に入ると、まず目に入るのは応接セット。案内板に従って、靴を履いたまま室内に進んだ。小学校の頃は、何に使っていた部屋だったのか。黒板も設置されていた風だ。廊下を通って隣にある「ギャラリー」に入った。

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「ギャラリー」には、子供用の自転車が展示されていた

目を引いたのは、黄色い風合いのタンデム。同じくロードやMTBなどがさげてある。ヘルメットもある。実際に乗って見られるのだろう。何か係の人に説明をしてほしいと思ったが、火曜日は定休日で誰もいない。部屋の明かりだけがついているのだが。

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本棚には「弱虫ペダル」が並んでいた

自転車のほかに、関連する本も読めるようになっているのだろうか。本が少ないと思うのだが。まだスタートだからだろう。今後に期待している。

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本棚の全体

本棚には、子供にも親しんでもらえるようにコミックを置いているのだろうか。もっとそろえて、見知らぬサイクリストともスムースにコミュニケーションできるようにしてほしいものだ。

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入口にある応接セット

容れ物は作ったけれど、中身はこれからそろえるといった感じだった。工房もあり楽しみにしみいるので、サイクリストのコミュニケーションに役立つようにしてほしい。

羽田国際空港近くで右往左往、夕陽に追われての帰路


多摩川サイクリングロードにある府中の森近くの看板

10月12日(月、祝日)目覚めると晴れていた。一昨日(10日)に多摩川の始点を探しに行った。だが、準備不足のため見つからなかった。行けばわかる、と思っていたのが間違っていた。秋なので日没も早くなっている。
今日は早めに出かけよう。だが、出発は9時半になってしまった。

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府中の森まで自宅から約14キロ。タイヤは太目で急がずに

府中の森まではあまり混んでいなかった。天気も快晴に近くなっている。のんびりと行こう。

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水神前にある狛江高校近くの交差点の近くにある万葉歌碑

時間もあるので、万葉歌碑に寄ることにした。サイクリングロードは結構にぎわっているが、万葉歌碑は静寂に包まれている。はっきりいって、誰もいない。緑が勝手気ままに伸びていた。4月中旬過ぎには、しだれ桜に覆われてきれいだ。

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二ケ領せせらぎ館に寄って資料にあたる

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「二ケ領せせらぎ館」の大きな地図

まずは、「二ケ領せせらぎ館」に寄り、床に多摩川の写真を伸ばした地図を見る。9日の記憶では、ここに多摩川の0メートル地点が書いてあったので、確認する。ありました。多摩川の東京側の始点を知りたいので、写真を撮り、カメラに記録して持ち歩くことにした。

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外国人の子どども走っていた

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六郷にある「大田多摩川管事務所」には、だれでも利用できる食堂・トイレがあり便利

「大田多摩川管理事務所」には、トイレがありゆったりしていて水洗。それに「たまりば」という食堂は安くて気さくに入ることができる。ラーメン390円、カレー500円、サイクリング時に縁はないがビールは540円。ビールを飲むのは、河川敷にある運動場で野球やサッカーを終えたおじさんたちのようだ。「こどもののみもの」も置いてほしい。ちなみに、国立市内の多摩川河川敷にある運動場に、食堂はない。トイレはもっと質素だ、水洗だけど水を流さない・手も洗わないおじさんもいる。水節約のエコ自慢か。無精か、汚いだけだ。

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再び羽田の大鳥居。今日は晴れてカモメもいました

やはり、鳥居を見るのは晴れの日に限る。このコントラストは気分がいい。「平和」って書いてあるけど、誰が考えたんだろう。空港だから「安全」だったら国土交通省か、強制的に退去させられた住民が自分たちの身の上を考えての願いだろうか。気になります。
色に関しては、病院で見たならば動脈と静脈みたい。床屋と違うか。

さあ、ここからが本番だ。ここまでで自宅から約50キロ。この先東京湾側にある多摩川の始点の印を探しに行きます。周辺を赤いペンキで囲んでいるのですぐにわかるよ「二ケ領せせらぎ館」のおじさんは、にこやかに話していた。そうあってほしいものだ。

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見つかりません。帰りません、見つけるまでは

だが、目印の金属は見つからなかった。どんどん東京湾に向かって進むが、ない。ついに、フェンスに行く手を遮られた。赤いペンキを目印に、進んだのだが。こうなったら、自転車を降りてフェンスから大鳥居方面に歩いて捜索としよう。

1時間ほどの捜索ののち、ありました。セメントの堤防というか塀の上に、真鍮の金属のポイントが。だが、よくみると「-0.4」と刻んであるではないか。0メートルよりも先、400メートル東京湾側という意味だ。これじゃダメ。他にあるはず。やり直し。
今日もスカかな。日も傾いてきたし、リベンジか。「あと400メートル歩いてみるか」。釣り客の間を歩いた。彼らに何が釣れたか聞いたけれど、釣れていないようだった。お互いさま。幸しよう運を祈ります。

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ついに発見。多摩川の始点

大鳥居を過ぎること約1時間。ついに多摩川の始点の標識を見つけました。赤いペンキを目印に捜したのだが、赤いペンキが剥げていた。まあ、見つかったからいいじゃん。すぐに夕陽で赤く染まるんだから。

それにしても、赤いペンキはどうしたのだろうか。甲子園の土のように、みんなが記念に削って持ち帰ったのか。どうせなら、金属部分を持ちかえればいいのに。使い道はないけれど、冥途の土産にいいかも。冥途って、手ぶらで行くところでした。でも、冥途への記念に原点回帰、いろんな意味で「0」をめざそう。また来て、いろんな写真を撮りたいものだ。

帰り道、再び遅くなってしまった。だが、

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多摩川の夕陽はきれいだった

コンパトカメラって、夕陽を撮るのは難しいですね。全体が明るく映ってしまい、夕陽の「赤」が思うように出ません。お金を出せばいいだけか。ちなみに、この写真を撮った多摩川サイクリングロードには、多くのカメラマンが構えていました。携帯電話やタブレットで撮影している人もいました。夕陽を狙うマニアには、人気のスポットのようです。


川の始点を求めて多摩川サイクリング

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多摩川サイクリングロードの登戸駅近くにある「二ケ領せせらぎ館」

10月10日、3連休の始まりの日。団地の隣にある保育園では運動会が9時から始まった。広場は歓声に包まれている。お父さんは子供の応援はそっちのけでビデオ・カメラにかじりつき、記録に余念がない。「そのビデオ映像、今度みるのはいつなの。毎晩帰りは遅く、家にいる時は寝てばかり」というのは、自分のことか。わたしの場合、フリーのライターだから毎日が日曜日だ。

天気予報では1日中雨は降らないというので、10時30分にスタート。昨日、サイクリングの最中にでハンドルが曲がっているのに気づいたとサドルも低かったので直した。後輪がすり減っているが、まあいいか。

最初の1時間ほどは快調。スムースに「二ケ領せせらぎ館」に到着した。ここでトイレを借用。いつものことだが、脇の道からサイクリングロードに入っている自転車の中でも買い物自転車の多くが、走行している自転車に注意を払わない。後方を確認しないで本線に入る感じだ。気を付けよう。

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河口に近い地域のサイクリングロードは整備されて、川寄りの部分を自転車も通ることができるように変更されていた。東京都側のサイクリングロードだけしか見ていない。神奈川県側は不明だ。

国立から狛江高校の脇までは東京都側、ここで多摩水道橋を渡って神奈川側を下流に向かう。狛江高校の近くは、ダートもあるのでスピードを落として走った。ガス橋まで神奈川側を走って、再び東京都側に戻る。この間の神奈川側はあまり路面が平らではない。野球やサッカーの練習のために河川敷に集まる子供たちもいる。のんびりと走った。

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約40キロ走って羽田の大鳥居に到着した。雨は落ちてこないが曇り空だ

大鳥居の前に案内板があった。この近くに3つの街があったが、戦後、米軍によって立ち退きを命じられ、鳥居だけが残されたようだ。強制執行は、戦争直後に法的な裏付けもないまま行われていたようだ。見学者もいて、ガイドの声に耳を傾けていた。

今日は、多摩川の出発地、ゼロメートルの基準点を確認したいと思っている。さらに、羽田空港に向けて走った。

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羽田国際空港の駐車場に到着

多摩川の始まりの地点は見つからない。滑走路の工事が進んでいるようだが、ランニングや散歩の人が行きかう。探し物をしている風な人も見当たらない。人に聞きようがない。大鳥居の方に戻ることにした。

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何やら金網が張ってあるが破れている。中に入って芝に覆われた地面を見ると、基準点があった。だが、多摩川と関係があるのかは不明だ。何の説明もないから。

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看板が見えたが、説明版ではなかった。管轄の境目を示しているだけ

東京都側から神奈川県側を眺めても見えるのは工場だけ。多摩川を行く舟が一艘見えた。

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金網に看板が貼り付けてあった

金網につけられている看板をみると、この金網の中に羽田空港を設置するために米軍によって強制的に立ち退かされた3つの街があったようだ。看板は、べニア板に貼ってあった。
ここで15時となっていた。帰宅することにした。雨が降らなくてよかった。

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帰宅しようとペダル踏んでいると、活気のいい一角があった

銚子のイワシもあったが、ここは羽田。地場産で行こう。そう思ってみると、羽田で水揚げされた海産物はあまりないみたい。海はつながっているからいいのか。どうせ自分で食べるんだから。「大谷政吉商店」の「かりっとわかさぎ」はとてもおいしかった。ビールのつまみに最高、だと思う。300円ちょっとだった。

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サイクリングロードの路面には、河口からの距離が書かれていた。20キロ地点をゆく家族連れ

多摩川サイクリングロードを国立に向かったが、サドルの上のお尻が痛くなってきた。脚力が弱いのと、サドルが低すぎるのか。暗くなるのに休憩が多くなってしまった。「秋の日は釣瓶落とし」というので、早めにライトを点けた。

走ってる間に、暗くなった。無灯火のロードバイクが多い。高校生の乗った買い物自転車も無灯火が多い。高校生は若いから目がいいのだろうが、老眼のわたしには17時過ぎ頃から真っ暗闇だった。曇り空も影響したのだろうが。
スピードを抑えてケガのないようにペダルを踏んだ。帰宅は18時になっていた。

今度こそ、多摩川のはじまりの地点を見つけよう。

悲田処跡を探してサイクリング、鎌倉街道をゆく

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伝鎌倉街道は、東京都国分寺市内にある武蔵国分寺尼寺跡の近くにある

10月9日、朝起きると晴れていた。今日は早めに「悲田処跡」を探しに行こうと思う。先日は古代道路を推定してルートを決めた。今回は、鎌倉街道を探しながら行くことにした。スタートは、武蔵国分寺尼寺跡の近くに有る伝鎌倉街道とした。

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陶器の破片が落ちていた

武蔵国分寺尼寺をのんびりと見た。10時30分になっていた。3歳くらいの子供と父親がいたが、遺跡に興味は無いようだ。近くに公園があるので、遊びに来ているのだろう。のんびりと歩くと、陶器のかけら、漆喰の破片のようなものが落ちていた。遺跡に関心のある人は、ほしくてたまらないだろう。3月に西安へ行き、秦の始皇帝が都とした咸陽城遺跡で拾った陶片は、欲しいという参加者にあげている。古代史に関心のある人の中には、当時の遺物を希望する人は多いようだ。まだ、遺跡へ行けば落ちている。。

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今も通勤や買い物に利用されている伝鎌倉街道

鎌倉街道は、鎌倉時代に各地と都の鎌倉を結ぶ道。たくさんあり、今でも利用されているケースもある。東京都国分寺市には、鎌倉街道と伝えられている「道」が、今でも買い物や通学に使われている。JR西国分寺駅から近く、南武線の脇を通っている。

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伝鎌倉街道の北の端は線路になってしまった

伝鎌倉街道は、北に進むと台地の上に出る。だが、南武線と交差して、消えている。ずっと北側を見ると、遠くに見える20階程のビルの脇(西側)を通っていたと思われる。まっすぐだと仮定してのことだ。

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高いビルの北側に行くと、伝鎌倉街道はJR中央線によっても寸断されていた

伝鎌倉街道は、確かに遠くに見えた20階程のビルの西側を走っていたようだ。JR中央線の北側に出ると伝鎌倉街道の延長線上に金網がある。ここから切通しを通って北へ進む道があり、一般に「鎌倉街道」と言われている道だった。

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東村山市にある「東村山ふるさと歴史館」

現在、鎌倉街道と言われている道は、以前は鎌倉街道だったのかもしれない。東京都東村山市には、「東村山ふるさと館」という郷土の歴史資料を紹介している施設がある。入場無料で、誰もが利用できる。有料の企画展もあるので、注意して欲しい。

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所沢市松が丘団地で見つけた「悲田処跡公園」の案内

東京都東村山市は、埼玉県所沢市と接している。その境界は、狭山丘陵と呼ばれている。例えば一番東側にある「八国山緑地」に上ると、東西に走る尾根は境界となっている。境界は道となっていて、案内や注意の看板を見ると、南側は東京都、北側は埼玉県。管轄が道の左右で異なるようだ。この一角に「悲田処跡」はあったようだが、説はいくつかあるようだ。今回のサイクリングで、私が見つけたのはひとつだけ。それは「悲田処公園」だった。埼玉県所沢市松が丘の団地の中にあった。だが、公園にあったのは、金属でできた看板だけだった。

こんな「処」だったのかと感心してみていたが、今でも行政により「一時避難所」と指定されているようだ。

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「悲田処跡公園」にあった金属製の看板。説明の文章を探したが、なかった。どうしてここなのか、遺跡が出たとかの理由が知りたかった。

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トトロの大きなぬいぐるみを店頭に置くお店

16時なので帰途についた。先日、気になっていたお店があったので、そのお店の看板娘ならぬ「看板トトロ」を外から撮影していると、「中に入って写真を撮っていきなさいよ」と大きな声で呼びかけるおばさんがいた。「大森酒店」。酒屋だった。呼びかけに応えてお店に入った。それにしても、態度の大きな客だなあ。

「このぬいぐるみはみんな私がインターネットで買ったの」「ここはトトロのふるさとだからね」「レジの後ろにもぬいぐるみがあるのよどんどん中へ入って」。お店番をしている白髪の多いおばあさんの写真も撮った。「あの子の家でなくて、お店に置くっていうの」。

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トトロのぬいぐるみを買って「大森酒店」の店頭を飾っているのは、(声の大きなおばさんなんて言っては失礼だった)お店版をしている女主人のお嬢さんだった。お嬢さんといっても50歳くらいだろうか。

女主人の話によると、彼女がこの酒屋さんにと嫁いだころ「、悲田処跡」と書いた石碑が、東村山市内にあったようだ。八国山緑地の斜面が崩れるのを防ぐために石垣を敷いたときに、石碑がなくなったという。「あなたが見たのは所沢でしょ。前は東京都にあったのよ」。なんでも近くにあるお寺の資料室に行けばわかるとのこと。この次はそのお寺へ行こう。3回目の「悲田処跡」探しの目標が決まった。

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「大森酒店」の商品棚。お酒よりもぬいぐるみが多いように見えた。

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ぬいぐるみは、以前は売っていたと話していた。

酒屋さんだから、もちろんお酒は売っている。ぬいぐるみも、売っていたという。今は買いたいという人がいなくなったようだ。
大きなトトロのぬいぐるみは、注文して作ってもらったようだ。おばさん、今度はお酒を買います。病気で飲めないんだけど。買うのは大丈夫。旅を味付けするのに、ショッピングや会話も大事なようです。この次は、お酒を飲める人と一緒に来たいものだ。

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帰りは、右手に日没を意識しながら方向を決めた

家に帰ったら18時。走行距離は43キロくらい。買い物もしないで「大森酒店」で話し込み遅くなった。それでも、次回の「悲田処跡」探しのサイクリングが楽しみになってきた。





シルクロードの探検記を友人に届け、アーモンドが咲くのを期待

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地下鉄丸の内線近くに有るビルの谷間と化した古くからのお店

今日(10月8日)は、大学の同級生が経営しているバイク屋さんへ行った。昨日、約束したのだが、今朝の天気は良かった。それでも、部屋の整理をしている間に遅くなり、JR国立駅を出たのは11時30分だった。

都心へ出るのだからと他の仕事も済ませたいと思い、ロシア旅行社へ行く用を作るために電話して、公民館で印刷したりと、出かけるまでに時間がかかった。

さて、大学の同級生のバイク屋さんは、丸ノ内線の新中野駅の近くに有る。地図で調べると杉山公園の近くだった。地下鉄を降りて地上に出た。緑は少ない。セメントに覆われた地面、誰もいない広場、緑もほとんどない。そこが杉山公園だった。名は体を表すというが、全然違う。まるハゲ公園に替えたほうがいい。地下に自転車置き場があるのは、いいけれど、洪水の時はどうするの、とつっこみたくなった。昔から営業していたと思われる米屋さんも、ビルの谷間に沈んでいる。以前は、青空が広かったのだろうに。

部屋を整理したり読み終えてあの世まで持ち込めない本を持参し、友人に引き取ってもらったのだった。本が10冊ほど減って助かった。ありがとう。

昨年、中国で倒れて、府中にある病院で入院したことがあった。その時、彼女が見舞いに来てくれたのだった。何も知らせていなかったのだが。
その一年ほど前に、中国の写真展を麹町で行ったとき、この友人が来てくれた。
その前は、30年以上会っていなかった。彼女も、この間に病気をして、苦労したようだ。
でも、だんだんと学生当時の顔が戻ってきたように思う。他の大学時代の友人がバイクを買いに来てくれたと、パソコンで写真を見せてくれた。バイクを買いに来た学生時代の友人は、スリムなままだった。羨ましい。
お店は、シロタモータース中野店です。バイク好きな方は足を運んでください。バイクを買いたい方も歓迎します。

彼女は12月に入院するようだ。お客さんもいたので詳しくは聞かなかった。別れ際に、「病気をしないでね」と大きな声で言う。自分をも元気づけているのだろう。早いだろうけれど、来年(2017年)は、病気が話題に上らない1年にしたい。

お店を出る前に、お菓子をもらったのだった。

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矢田アケミさんからいただきました。ビールのつまみかな。ありがとう。また、もらいに来ます。

お店からは、JR中野駅へ向かった。13時だった。駅まで、覚えているだけで3軒の自転車屋さんがあった。スポーツ車もあった。ある自転車店のお店で、縁石に腰をかけて自転車の後輪のパンク修理をしている店員の姿があった。若い男性だが、膝を閉めて足の先まで揃えていた。ちょっと変かなと思ってみていたが、今思えばかなり変です。おしゃれすぎる服装に思うんですが。矢田さんのように、つなぎの作業服だったら理解できるんだけど……。

10月17日と10月18日に開催される映画の上映を案内するチラシを、公民館で100枚ほど印刷していたが、これをロシア旅行社に置いてもらうためにJR市ヶ谷駅に向かった。13時40分から30分ほどいただろうか。東洋書店が廃業したので、東洋書店で発行していたブックレットが高騰していることも話し合った。例えば、「天山の小さな国」の場合、アマゾンで今朝検索したら87520円もしていた。

発行元は違うのだが、キルギスに抑留された元日本兵の宮野泰さんの著書「タムガ村600日」は、アマゾンで検索したが売っていなかった。私の本棚には5冊あるのだが。この本は、キルギスで日本語を教えている大学に寄贈して、学生に日本に関心を持ってもらうのに使ってもらおうと思っている。実は、私は1冊アマゾンで買っている。1550円くらいだった。いくらで販売に出てくるのか、興味深い。

所詮、持ち主が亡くなったら蔵書はゴミ。安くなるんだろう。私の部屋の本も、ゴミとされる前に友人に分けたいものだ。死ぬまで何冊読めるか計算したら、200冊くらいか。過去1ヶ月に読んだ本を確かめて、80歳までに残っている月数をかけ算すればいい。病院に入院したときは、よく読んだ。退院したら全然読まない。読んでも金にならない。書けば金になる。この違いか、あまり読まない。

JR国立駅に戻っても駅前に東西書房は閉店してなかった。増田書店で「『デジタル遺品』が危ない」(萩原栄幸著、ポプラ社)を見て、すぐに買った。というのも、友人が「俺が死んだら母ちゃんは、パソコンごと写真を捨てるよ」と行っているのが気になっていたからだ。とてもいい山の写真をたくさん持っているのを知っている方だった。わたしも、シルクロードの写真を何枚か持っている。シルクロードの風景も政治的な背景も変わり、写真は古くなり資料的価値となりそう。そんな時だから、パソコンの中の写真が気になっていたのだ。そういえば、帰国後に一回も見ていない写真がたくさんある。公民館などで写真展を開催し、関心のある人に見てもらいたいものだ。何のために写真を撮るのか。考えたい。

また、増田書店では「私の1960年代」(山本義隆著、金曜日)2100円、を買った。大学に残らないで、どんな人生を過ごしたのか気になっていたからだった。本の中身ではなく、経歴欄を見て驚いた。1941年生まれ、一緒にシルクロードを走っているメンバーと同じ年代だったからだ。そういえば、一緒にシルクロードを走ったメンバーの中に東北大のOBがいて、「仙台から国会へデモに来て、翌日に仙台へ帰った。その日に樺さんが殺された」という言葉を思い出した。

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60年安保を戦った世代も、1993年当時には定年後を見据えての生き方を再考しなければいけない年齢になっていたのだろうか。
家に帰ったのは16時。

今日は忙しかった。暑かった。まだ疲れやすい感じだ。
でも、こういう日は、一杯飲りたい。暑いから。理由はなんだっていいや。呑みたい。
矢田さんにもらったつまみもあるし。役者はそろっている。時間が早いだけ。カーテンを締めれば部屋は暗くなる。

ビールを飲めない私がスーパーで買ったのは、「こどもののみもの」。
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どんな味がするのか興味深く飲んだ。やっぱりこれに限る。
だが、うーん甘い。リンゴの味がする感じだ。瓶をとっておこう。ラベルの向こうに、目標が見えると思うことにした。

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昨日水につけたアーモンド、5個のうち1個だけ水に沈んでいた。中国の新疆ウイグル自治区で買ったもの。水に沈んだ順に植木鉢に植えてみる予定。3年後の春、アーモンドのピンクの花が楽しみだ。課題は、3年後も生きているように飲みすぎないこと。

シベリア抑留に関する催し物の紹介/広島&日比谷

10月12日から始まる催し物を紹介しているシベリア抑留者支援・記録センターのブログ

紹介している催し物は、以下のとおりです。

◆四國五郎追悼・回顧「四國五郎のシベリア日記」

<日時> 10月12~18日(9:00~19:00、12日は13時から、18日は18時まで)

<会場> 広島県民文化センター・展示室③(中区紙屋町、入場無料、

http://www.rcchall.jp/bunkac/html/access/index.html)

<連絡先> 「四國五郎・追悼の会」池田Tel/Fax082-291-7615 m-ike〇△y7.dion.ne.jp(〇△を@に代えてください)

◆【シベリア抑留70年】映像と歌とトークで振り返る「シベリア抑留70年」
<日時・会場>

10月17日(土) 10:30~16:30 映像の集い①ビデオ上映会(日比谷図書文化館小ホール)

10月18日(日) 10:30~16:30 映像の集い②映画上映会(日比谷図書文化館大ホール)

10月24日(土) 13:30~14:45 (第1部)トーク・セッション“体験者と若者が語る抑留の記憶”

      15:00~15:40 (第2部)歌とトーク“松島トモ子さんとともに”

               (日比谷図書文化館大ホール)

10月25日(日) 13:30~16:00 歌の集い“歌で振り返る抑留体験とロシア音楽との出会い”

出演予定=山之内重美・古川精一・天野加代子・関森温子・ほか

(日比谷図書文化館大ホール)

*10/17・18は入場無料、24・25は協力券:3000円(元抑留者・遺族は招待、学生1,000円、中小学生無料)

*予約受付中

<連絡先>シベリア抑留者・記録支援センター cfrtyo〇△gmail.com(〇△を@に代えて下さい。)



◆公開講座「抑留70年・帰還者たちと記録が伝えるもの」
<日時・内容> 

①10月31日(土)14:00「抑留体験と音楽」抑留体験者、

②11月7日(土)18:00「抑留者たちの表現」石川巧立教大学教授、

③12月5日(土)14:00「抑留体験の継承へ」富田武成蹊大学名誉教授、

<会場> 大阪経済法科大学・東京麻布台セミナーハウス(3回とも)

<申込先>☎03-5545-7789大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター

http://www.keiho-u.ac.jp/research/asia-pacific/

時間に都合のある方は、足を運んでいただけると嬉しいです。

バス停「悲田処跡」を探して古代道路をサイクリング。


東京都国分寺市にある「古代道路」を伝える案内板

東京都国分寺市は、古代道路を発掘した後に、絵や写真、文章で紹介している案内板が多い。また、JR西国分寺駅の近くには、復元した古代道路の一部、約400メートルを整備している。道路としても利用できるようにして、誰もが普通の暮らしの中で古代の風景を想像し、武蔵野の緑に覆われた地を這うように進む古代道路と地面の凹凸を感じることができるように整備している。古代道路を発掘したあとも、市民に親しまれるようにと工夫しているように思う。

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古代道路遺跡の発掘風景

古代道路は、約1300年ほど前のもの。中国の制度を取り入れて、直線的に作られたとされている。それ故に、今日の道路やマンション工事、公園や学校のグランドの整備など地面を深く掘り返す際に発見されることが多い。直線的なので、どこを掘り返せば出てきそうか推測できるらしい。発掘により、工事の方法や道路整備の痕跡もわかってくるようだ。

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古代道路の発掘現場を結んで、古代道路を推測した案内板

専門家の推理した古代道路を案内板で表示したものもある。道路遺跡の発掘現場を結べば、素人にも描けるかもしれない。

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台地の上から武蔵国分寺などを眺めた想像図

JR西国分寺駅の近くには、台地を通る古代道路から眺めた武蔵国分寺の周囲を想像した看板もある。道路は、直線的に描かれている。

今日は、天気予報通りに晴れたので、古代道路の遺跡を見学しながら、埼玉県所沢市にあると言う「悲田処跡」を探しに行くことにした。探すといっても、候補地はいくつもあり、はっきりしたことがわからない。10年以上前に歩いた際に、「悲田処跡」というバス停を見つけたので、そのバス停を探すのが今回のサイクリングの目的だ。それに、手術の後、時速20キロで走れるのか、往復40キロを走れるのか。これを確かめるのも目的だった。ダメだったら、戻ればいい。輪行の用意もした。遅くなるのも覚悟で、灯りも持った。

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JR西国分寺の東にある復元した古代道路

スタートは、JR西国分寺駅の脇にある復元した古代道路。午後1時頃に国立市の団地を出た。太陽は出ていたが、雲も出ていた。長いズボンに長いシャツ、普通の格好。その上にフリースを着た。古代道路には、歩いて古代道路を調べているようなおじさん、自転車の練習をしている親子、赤ん坊を抱いた母親がいた。道路脇はビルとなり、ビルの谷間を古代道路が通っている風。長屋の路地を拡大した風だ。以前は空が広かったのだが。

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悲田所のあったと思われる地域の地図

「悲田処跡」というバス停は、埼玉県所沢市にある。ところが、古代道路の発掘現場を結んで進むと、八国山緑地に至った。埼玉県内のはずだが、どうも、都立公園らしい。境界はどうなっているのだろうか。まあ、自治体の境目ということは、辺境だったのだろうか。

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コンビニの後ろに塚を見つけた

所沢市松が丘、インターネットで調べて、地図をプリントアウト。池を目印にペダルを踏むと、山の形が見えた。将軍塚といわれているものらしい。ちなみに、台地の上は、古代道路が残っている。川などを横切ると、洪水などで水路が変わることもあり、移動することがある。また、私は時速20キロから30キロ。よく道を間違えた。うろうろした。

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「悲田処跡」のバス停

団地の一角で「将軍塚」のバス停を見つけた。さらに進んで西側に「悲田処跡」のバス停があるはずだ。だが、みつからない。バス停が引っ越したのだろうか。引っ返そうと思っていたとき、電柱の向こうにバス停が見えた。だが、一戸建てが並ぶ団地の中。住宅の真ん中。悲田処跡らしき空間も見当たらない。将軍塚といっしょなのかと思って、ペダルを踏んで坂を上る。ペダルが重い。各戸は国立と比べて庭が広い、空き地も多い。坂の連続……、上りきると雑木林だった。

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登りきったら行き止まり。

ここから先は歩いた。将軍塚を探して歩いたが、散歩のおじさんおばさんがいるだけ。通路から離れた、誰もいかない小さな広場にベンチと石碑があった。将軍塚だった。「悲田処跡」はなかった。トイレへ行きたくなった。300メートルほど歩いてトイレへ行った。なんと、その後ろには駐車場が見えた。車でも上れたのか。

「悲田処」は、貞観3年に設けられたらしい。西暦で言えば861年のことだ。古代道路を作った理由は、都(みやこ)から地方へ文書を送るのが目的だったはずだ。ところが、多くの旅人が通って、食べる物に困ったことを思わせる「悲田処」の設置。命を落とした人もいたようだ。

すでに仏教が日本に伝わっている時代、古代道路は国府と同時に国分寺も結んでいた。となると、命を落とした人はお寺で葬られたのだろうか。となると、悲田処の近くにはお寺ができたかもしれない。葬式仏教じゃなかったかもしれないけれど。コメなどを備蓄する倉庫もあったのだろうか。次回からはこんなことを考えながら、八国山緑地の周辺をのんびりとペダルを踏んで巡りたい。

16時頃、黒い雲が出てきたので急いで帰宅。途中でコンビニで水分補給。17時30分に帰宅。雨に降られることはなかった。走行距離は37キロ。次は、朝から行こう。




「悲田所」探しのサイクリングに挫折した1日、シルクロードは遠かった

天気もいいので「悲田所」へサイクリングに行こうと思った。手術後の経過もいいし。

「悲田所」のことは、中学校の日本史の授業で習っていた。だが、現実感はなかった。

10年ほど前に、古代道路を歩く企画を計画した。中央線の西国分寺から栃木県の壬生寺をめざす。1回では歩き通せない。15キロほどに分けて、日曜日を利用して数回歩いた。

この時に、埼玉県所沢市内で「悲田所跡」と記している停留所を見かけた。この時の参加者には、地図を渡して、古代道路と推測されるルートを示していた。ところが参加者は、歴史にはあまり興味を示さなかった。話が遠すぎたのだろうか。電車の駅まで距離があることもあり、そのままになっていた。

最近、近所に住む友人に「悲田所」のことを話した。関心を示した。後日会うと、インターネットで見たけれど住宅街の中に有ることがわかり紀伊持ちは盛り上がらなかった、出かける気にはならなかったと話していた。

「悲田所」と書いたバス停がある。公園もある。新しく立てた石碑もある。しかし、悲田所の場所はわかっていない。これが現実だ。でも、バス停だけでも見たい、周辺の風景だけでも見たいと思ったのだ。

ところが、facebookを見ていたらロシア語で言う「カレイスキー」、高麗人のことを書いた文章を見つけた。カザフスタンのアルマトイのゴーゴリー通りに面した公園で、著者はカレイスキーの生き残りである朝鮮人と合うことから書き始めていた。

タイトルは「『北朝鮮の冬』を逃れ『ソ連の春』を求めた留学生たち その数奇な生涯をたどる」とあった。

最近、シルクロード雑学大学に入ったメンバーの友人、その父親がアルマトイに抑留されていた。いわゆるシベリア抑留者だった。また、その父親は、ソビエトではないけれども、戦前にある国へ亡命した人だった。しかも、モスクワ、満州を経由している。そんな人が抑留されていたことも驚きだが、抑留者に向けて発行されていた「日本新聞」に関わっていたこともわたしの関心を引いた。

シベリア抑留のルートは、抑留者の手記やインタビューでは知っていた。だが、風景や寒さ、人家の感覚などの実際は知らない。せめて自転車でたどってみたいと思っていた。

そんなわけで、この文章を読み始めたら「悲田所」行くのは明日でもいいと思うようになったのだ。

今の時代では、好きで旅行や移動をしている人が多いと思う。しかし、移動手段が発達していない時代であっても、人はいろんな事情で移動や旅を強いられていたようだ。今も同じなのかもしれない。

「悲田所」に寄ることになった人たちは、どんな事情を抱えていたのだろうか。明日こそ出かけたい。

多摩川で彼岸花、ベランダでシルクロード交流


9月28日の多摩川サイクリングロード

9月20日に中国から帰国しているが、帰国後初めて多摩川を走った。彼岸花が咲いていた。サイクリストも散歩の人も多かった。

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ヤモリ

買い物に出ようとしたら、団地の階段にヤモリがいた。色は保護色の上に、忍者のようにすばしっこい。

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階段の隅っこに逃げたけれど、行き止まり。子供が部屋の隅っこに逃げるような雰囲気。一番遠くへ逃げた気分だろうからそのままにして、帰ってからも見ることにした。だが、いなかった。どこかへ行ってしまった。家守になってほしいものだ。

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アンズの木に蝶がやってきた。

今朝(10月1日)、7時半頃にベランダのアンズの木を見ると、枝に蝶がとまっていた。寒かったのだろう。動かない。写真を撮ろうとしたが、コンパクトカメラは、手前にある網にピイントがあってしまい、蝶を撮影できなかった。古いカメラではピントが合った。9時にベランダを見たが、蝶はいなかった。

アンズは、キルギスで買ったアンズの実からとった種を育てている。7年くらい経つだろうか。実がならないので、昨日インターネットで調べた。新芽の枝から実がなるらしい。枝を切らないことが原因のようだ。野生だったら、蝶の幼虫が葉を食べて、枝を枯らすのでいいらしい。ブドウも同じようだった。

ブドウは、ウズベキスタンやイランの干しぶどうの種を植えている。今年は、中国の新疆ウイグル自治区のブドウ。

ベランダで大きくなった苗は、近所の保育園や学校に配布している。東京都多摩市にある恵泉女学園大学の農園には、中国のカシュガルで買ったアーモンドを植えてもらっている。
来年は、スペインとポルトガルをサイクリングする予定だ。スペインでもアーモンドを買って食べたい。一部を持ち帰って植えてみたい。ももくり3年、待てばいい。芽が出るのも、実りも楽しみだ。

サイクリングで、アンズ、ブドウ、アーモンド、桃といった果物、コールラビ、ひょうたん、赤かぶなどの種を手に入れてベランダで育ててみた。蝶の訪問や苗の配布など、サイクリングから戻っても楽しみは続いている。

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