2015-11

多摩川とは違う支流、浅川の風景


東京都八王子市内にある浅川

12月1日、曇りのちに、11時ころより晴れてきた。日が短いので、メールなどを済ませて高尾のギャラリーへ行くことにした。野川は、多摩川よりもサイクリングロードと住宅の距離が近いので、路地を進む感じで、温かみを感じる。このルートを覚えてポタリングのルートの一つに加えたい。

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東京には珍しく単線が走っている。

八高線。もともとは絹を運ぶ専用の路線だったらしい。のどかでいい。野川沿いのサイクリングロードは、沿線に学校が多いようで、ランドセル姿や制服姿の子供たちをよく見かける。陸上部なのか多くの学生が並んで走っている姿もみかける。でもタイムがちょっと、箱根駅伝の補欠選手の練習なのか。一生懸命に走っている。

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花も咲いている。路地を進むように花壇を楽しむことができる

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時々は河原を進むサイクリングロードの両脇にススキが並ぶ

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みずき展では、どうしても気になる写真が出ていた。九段でも写真展を開催中の方が出しているという

グループ展に行ったら、実は今回が最初なのだという。来年も開催しようと話し合っていた。話を聞いていると、定年後に趣味を始めても続かない人が多い。時間潰しに趣味を始めたのでは、楽しく面白く続けられない人が多いようだ。人生80年時代だというのに、定年後の20年間を時間潰し過ごそうと考えるのが、人生設計の誤算。趣味を楽しむ時間が増えたと喜ぶ人は、本音で生きる時間の到来。姿も表情も、生き生きと見える時間だ。ここもそんな人の集まり。

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帰りのサイクリングロード

サイクリングロードの脇に、イチョウが黄色く色づいた葉を落としていた。小学校の体育館が見えていた。

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柿をついばむカラス

サイクリングロードの上を見上げれば、鈴なりの柿の実をカラスが独り占め。一羽占めが正解か。冬までに食べ終えられるのだろうか。こちらが心配になってしまう。

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サイクリングロードは夕陽で影が薄くなってゆく

年後のおじさんのサイクリストが多い。ロードは少なく、マウンテンバイクだ。恰好は若い人と同じだが、通り過ぎると白い無精ひげで顔が埋まっていたりする。ジョギングをしている人は、若い女性が多い。若い男性は、仕事に追われて遊ぶ時間、趣味の時間がが少ないということか。

白い画廊ポランでの「みずき会」のグループ展は、来年も取り組むらしい。
それならば、来年は高尾から東京湾まで、写真を撮りながら自転車で巡ってみようか。今日は高尾往復で42キロメートル、食事と画廊滞在を含めて4時間だった。時速10キロというところか。標高の差、川幅の差、住宅の変化、風景の変化、東京も違いに目を向ければ面白い。来年は、のんびりと自転車で川下りりとしたいものだ。

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イギリスから届いた「きのこ星たんけん」

団地の部屋につくと、交際郵便が届いていた。開けると「きのこ星たんけん」の英文が届いていた。小学生の時に、図書館の本はたいてい本でいた。「きのこ星たんけん」は記憶に残っていて、以前から探していた。インターネットで検索して、英文だったらアマゾンで注文できることが分かった。すぐに注文した。表紙も見覚えがある。楽しみが一つ増えた。

明日も晴れたら、どこを走ろうか。雨だったら、「きのこ星たんけん」を読んでみよう。1年くらい読めそう。


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多摩川のサイクリングロードを東京湾まで行く 神奈川編


団地前の常緑樹。右隣の小さな緑は、イランで買った白い桑の実のドライフルーツ。種から育てて、実が成るまでに成長している

11月29日の天気予報は、晴れ時々曇りとか。天気は続きそうだ。多摩川サイクリングロードを東京湾まで行くことにした。今日は、神奈川県側の0メートルの表示を見るのが、目的。

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野川、仙川、多摩川と走って大師橋を渡った。橋の上から見た多摩川と船の係留地

多摩川を東京湾側から見た時、空は青かった。青空が続くような空模様だった。

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残念ながら多摩川の0メートルの基準を見つけることはできなかった。

残念。再度のチャレンジに期待している。国土交通省って、全国の川を計測しているのだろうか。そんな仕事があるのだったら、ライターよりもストレスがたまらない感じ。カニと戯れている間に、昼休みが来そうな気がする。今頃気づいても遅いか。

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多摩川の向こう、東京側を見ると羽田空港だった

多摩川の水がきれいなのには驚いた。残念ながらカニはいなかった。神奈川よりのサイクリングロードは、堤防を行くが、以前は構造の裏道を行く感じだった。工場はなくなって、公園になっているところもあった。すっかり変わって小ぎれいになっていた。

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帰り道、ちょっとというか、かなり変わったお寺があった。大きな石で、中国の伝説の人物を掘っている風。狛犬風のものも変わっていた。あれは獅子か。もう一度じっくり見たい。

今日は100キロ走った。何故か、体重は変わっていない。帰りに、高速道路の工事で出てきた遺跡の発掘現場を覗いたり、道草を味わいながらの帰宅となった。明日も晴れてほしい。

「現役の時から趣味を持っていきなさい」と展覧会


国立から見えた富士山

天気が良かったので、午後から高尾駅の近くにある(1キロくらいある)ギャラリーへ行くことにした。富士山がよく見えた。

昨日(11月27日)から、シルクロード雑学大学の会員である市川武邦さんが、白い画廊ポランで、11ガラ17時までグループ展に出展している。道はよくわからないけれど、自転車で行くことにした。

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浅川を上った

多摩川から朝川に進み、さらに南朝川に進んだ。ずっと緩やかな上り坂。

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ランニングやジョギングの人の方が、サイクリストよりも多かった

多摩川よりも人出が少ないのでサイクリングにはよかった。

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南浅川橋を渡ってすぐにギャラリーはあった

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民家の一角がギャラリーになっている

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くじが待っていた。わたしは3等賞。渋皮煮をいただいた。入場料も払っていないのにいいのかな

グループ展では「みずき会」というグループが作品を持ち寄って展示している。元教職員の集まりで、八王子市立椚田(くぬぎだ)小学校が創立した時の荒井淳吉校長を中心としている。荒井校長は、「現役の時から趣味を持ちなさい。定年になってから始めるのでは遅すぎます」と、教職員に諭していたという。荒井校長が定年を迎えると、「みずき会」を結成して、教員も職員も一緒になって1年に一回の集まりが始まった。

20年以上も続いている「みずき会」では、メンバーが趣味としているモノを持ち寄ってのグループ展を開催することになった。教員と職員が一緒になって行うのは、珍しいのだと聞く。

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レース編みを展示するメンバー

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「先生、ちょっと古いんじゃないの」生徒に冷やかされそうなドラエモン

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絵手紙や俳句も並ぶ

並んでいるのは、レース編み、編み物、絵、写真、水墨画、絵手紙、俳句、書、毛筆、くじといった作品。

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たくさん並んでいた豆本

会場には、自由に持ち帰ってもいい豆本が並んでいた。わたしが頂戴したのは「般若心経」と「趣味で生き抜く」。巣意味で生き抜いている人たちの集まりだ。

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教え子との歓談も「作品」のうち

わたしが作品を見ていると、女性が恐る恐る入ってきた。何しろ、80歳を超えた老人多い集まり。40歳を過ぎた女性と言っても「あんなこどもが…」と言われている会場だから、そうだよね。

女性は「○○先生ですか。わたしです。中村です。東浅川に住んでいるんです」と声を上げた。「面影あるのかね。このアルバムに移っているのは、わたしかしら」と若い女性に助け舟を出した。女性が小学校1年生の時に、おばはんに教えてもらったそうなのだ。

教師はすでに80歳を超えている。アルバムを開いて、40歳ころの写真を見ても自分の姿がわからない。見慣れない顔か。教え子にとっては、40歳も80歳もあまり変わらないのかもしれない。8歳くらいの目でみていたのだから、80歳って10倍生きてるじゃない。いやあ、会話が楽しい。もっといたかったけれども、日没前に帰りたいので4時ころに引き上げた。もう一度行ってみよう。会話が楽しそうだ。教員は定年後も教え子に慕われて、わたしなんか緊張してしまいます。うらやましい。


グループ展は、12月1日まで。11時から17時まで。最終日は16時まで。入場無料。
会場は「白い画廊ポラン」八王子市長房町です。どうぞ会場で会いましょう。

くじの1等賞は自作の味噌。手前味噌といったところか。皆さんも狙ってください。

キルギスに抑留された手記、第9回新潟県出版文化賞大賞を受賞


キルギスに抑留された体験を持つ宮野泰んさん(89歳)の手記の受賞を伝える新聞記事(新潟日報2015年11月25日)

11月26日の夜に、宮野泰さんから電話があった。宮野さんが自費出版した「タムガ村600日」という手記が、新潟県で賞を受賞したという。詳しいことはわからない。宮野さんは新潟県新発田市にあるホームで暮らしている。ホームにある新聞の新潟日報で紹介しているいう。

電話の後に、新潟県のホームページを開いた。確かにあった。「第9回新潟県出版文化賞」が正式な名称だった。

戦後、多くの元日本兵や民間人が捕虜になり、ソ連の各地に送られている。「シベリア抑留」と一般に言われている。シベリア抑留といわれるものの、モンゴル、中央アジア、グルジア(ジョージア)などの収容所に送られた日本人もいた。

宮野さんは、中央アジアにあるキルギス共和国に送られていた。キルギス共和国の東部にイシククル湖という一周680㎞の湖がある。この湖の南岸にあるタムガ村で、1946年から1948年までの約2年間、サナトリウムの建設に就かされていた。125名の日本人が捕虜でありながら労働を強いられていた。

一人も亡くならなかった。全員が帰国している。亡くなった人のないことから、厚生労働省は、収容所があったことも、抑留された日本人がいたことも把握していない。仕事が増えるのを嫌うためか、厚生労働省は記録も調査もしていない。幻の収容所にいたのだった。

宮野さんは、ここでの2年間の体験を記録して2013年に「タムガ村600日」という本を自費出版している。この手記が、今回の受賞対象となったのだ。

キルギスの映画監督が、この手記をもとにしたロシア語の小説を読んで、6月末から7月にかけて来日している。テレビ番組を作るとのことで、宮野さんと長崎に住んでいる松田六郎さんの取材に飛び回っていた。松田さんも2年間タムガ村で過ごしている。今では90歳だが、長崎の空港まで自分で乗用車を運転して、映画監督と通訳の2名を出迎えたという。元気な90歳だ。

キルギスの映画監督が来日するにあたり、協力をお願いしていたのが在キルギス日本大使館と在日キルギス大使館。それぞれの担当者にも宮野さんお受賞をお知らせした。それに、新聞やテレビ・ラジオの関係者にも。

在キルギス日本大使館からは、「映画監督は、映画がもうすぐできるけれど、完成した時には日本でも発表したい、と言っている」との返信があった。

「今年は戦後70年の節目、舞鶴抑留記念館にある抑留者が引き上げた時に持っていた品物がユネスコの世界記憶遺産に登録されている。だから今年中に映画を完成して日本でも発表して」と伝えてほしいとお願いした。映画は、日本語の字幕か吹きかえを加えているようだ。これが映画完成の遅れにつながっているのかもしれない。会場もおおよそ検討を付けた。12月13日、宮野さんの表彰式が待ち遠しい。

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宮野さんの記事のあった新潟日報の対向面

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新潟日報を買った時に、紙面の対抗面を見ると、シベリア抑留研究会で顔を合わせている成蹊大学名誉教授の富田武氏がコメントをだしていた。戦後70年と言っても、今もロシア各地や周辺に国々で暮らしている日本人は多いと思われる。日本政府は、無策のうちに70年を迎えてしまった。戦後70年を、遠くに感じた記事だった。

国策で中国の満州に行ったりシベリアに抑留された日本人、望んでも日本に帰れない日本人には、「戦後70年」という言葉は絵空事にしか聞こえないだろう。





多摩川の地図を探して


「ジオラマ東京」鳥瞰図で見や東京の様子

11月26日(木)、多摩川の東京側にある0メートルの標示まで、先日自転車で行った。友人と3人で2回出かけた。すぐに標識を見つけることはできなかったが、2回とも見つけることができた。

0メートルと決めたのには訳があるはず。いったいどんな理由があるのか、気になっていた。そこで、天気もはっきりしないこの日は、日本地図センターに行き、古い地図を見て、昔の多摩川をどのように描いているのか見ることにした。地図も買いたい。霞が関あたりにあるかと思っていたのだが、治部や近くの大橋にあった。崖の脇にあり、地形図を売るにはふさわしい場所だった。

まず見たのが、東京の鳥瞰図だった。鎌倉街道も、栃木県とか群馬県の低い山の上にある城跡から見たら「いざ鎌倉」の言葉を実感できるのだろうか。

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明治14年の羽田の地図

明治14年の地図では、羽田村鈴木新田はあるが一がhttp://www.jmc.or.jp/shop.htmlちょっと違うようだ。現在の空港のある所は畑になっていた。もともと埋め立て地ということか。砂が押し寄せて、陸地鈴木新田となっている。が広くなったのか。

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大正14年の羽田の地図

羽田空港のあるあたりは、鈴木新田となっている。集落もできている。穴守稲荷があり、隣には水泳場や穴守遊園地が並んでいた。この辺りの土地が低いために、ため池のように水をためたままプールとして使っていたように感じる。

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昭和5年の羽田の地図

プールのようなものや遊園地がなくなっている。更地だ。また、隣に埋立地が作られている。穴守稲荷の先の砂地は、荒れ地のマークがある。砂地に草が生えている。砂が押し寄せて高くなり、あるいは洪水の旅に泥をかぶって高くなり、「陸地」になりつつあるのか。

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昭和14年の測量した地図

一番北側にあった埋め立て地には、羽田江戸見町と東京市飛行場ができている。さらに、一番東京湾側にあった荒れ地には、羽田競馬場がある。海を埋めてできた土地が、今でいえばカジノになったということか。このころに、多摩川の東京側にある0メートルの標識のあるあたりに、東実川ができている。陸の水分がにじみ出て川となったのか。

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昭和30年の羽田の地図
 
東京国際空港ができている。羽田村も鈴木新田もない。第2次世界大戦で日本が負けた時、アメリカは占領軍として、この一帯を軍事空港とした。昭和30年の地図を見ても現在ある鳥居を見ることはできない。穴守稲荷のあったところには、稲荷だけを避けるようにして空港ビルができている。

ジオラマの図は、日本地図センターで購入した。ここで、「古い地図を見たい」と職員に方法を聞いたところ、国土地理院関東地方測量部に謄本交付と閲覧の窓口があると知らされた。千代田区九段南1-1-15 九段第2合同庁舎9階にある。

ここで多摩川の0メートル地点はどのようにして決めるのか聞いたところ、「引き潮と満ち潮をと観測して、0になるところ」とのこと。陸の始まりが、川の始まりとなるということのようだ。

次回のサイクリングでは、神奈川側にある多摩川の0メートルの標識を探したいと思う。

展示会「趣味をもって生きる」


ウズベキスタンの民族楽器ギジャークを手にする市川武邦さん

グループ展のお知らせ

下記の日程で、グループ展を開催するので、お知らせします。

「現職時代から趣味や特技を持ちなさい、続けなさい」と諭し続けていた荒井淳吉さん。その同僚による様々なジャンルの手作りの作品を持ち寄った展示会です。定年後も定期的に集まりを持っている元教職員による作品展です。

日時:11月27日(金)~12月1日(火) 11時~17時、最終日は16時まで
会場:白い画廊ポラン 東京都八王子市長房町1562ー33、JR高尾駅下車徒歩15分、http://poran-art.la.coocan.jp/
会場費:無料

シルクロード雑学大学の会員の市川武邦さんが、元教職員の友人と一緒に開催します。展示されるのは、書道、俳句、短歌、木工、絵画、写真などジャンルは様々です。

市川さんの同僚だった荒井淳吉さん(89歳、元小学校長、多摩市在住)は、「現役の時から趣味を持ちなさい」と口癖のように勧めていました。この勧めもあり、市川さんは現役の時からバイオリンを手作りしていました。定年後は、手作りバイオリンの工房をひらいて、第2の人生を過ごしています。
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また、定年後は、シルクロード雑学大学の行っている「ツール・ド・シルクロード20年計画」に参加して、バイオリンの源流といわれている民族楽器を購入して、構造や音の響き、技術を確かめています。

定年後も様々な趣味や特技を楽しんで過ごしている人生を、会場にいる作者と話しながら実感してください。

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難民になった日本人


『満州難民 三八度線に阻まれた命』(井上卓弥著、幻冬舎)、2015年5月発行1900+税、アマゾンでは1398円によりある。

昨日(11月21日)は、シベリア抑留研究会出席するために神谷町にある大阪経済法科大学東京麻布台セミナーハウスに行った。

いつも国立駅前にある西友、地下1階の自転車置き場に自転車を留める。この日は、1台ずつ駐輪ラックに入れて、帰りに清算するシステムに変わっていた。2時間までの利用は無料、それ以降は200円。有料になっていた。

今日のシベリア抑留研究会の講師は、『満州難民 三八度線に阻まれた命』(幻冬舎)の著者の井上卓弥氏。多くの日本人が満州に渡ったが、その数は約155万人。また、敗戦時には民間人の男性のほとんどが徴兵されており、満州にある自宅にいなかった。不在だったのだ。

敗戦後、日本人男性は兵士になっていた人も民間人も、多くがシベリアに抑留されたことはよく知られている。では、女性や子供はどうしたのか。その一つの例を、著者は母や叔母、家族や周囲の人の体験を掘り起こして記録している。著者の家族を含めた日本人は、帰国を願って中国の奉天から北朝鮮にある郭山という小さな集落に集団で疎開したものの、38度線を越えて南下することが叶わなかった。

中国の奉天に住んでいた民間人1000名あまりが、奉天から北朝鮮の郭山へ集団で疎開した。ほとんどが女性と子供だった。敗戦から半年ほど過ぎた1946年2月末になって、著者の家族を含めて疎開した1000名ほどの半数が、再び北朝鮮と中国の国境を列車で越えて奉天に戻ることになった。その理由は、38度線を越えて日本へ帰国できるめどが立たないこと。集団疎開した1000名あまりの食糧を確保するのが難しくなっていたことから、口減らしの意味もあったようだ。

栄養不足から幼い子供たちから命を落としていった。子供を気遣いながら命を落とす母親もいた。子供がいても母乳の出る母親はいなかったようだ。

夫である男性は、ほとんどが満州にあった民間会社に勤めており、敗戦の直前に満州で徴兵されている。当然ながら、シベリアに抑留された人も多い。

以上のように、満州から北朝鮮の小さな集落に疎開した経緯とその後、そして彼らは日本政府からも見放された難民だったと著者の井上さんが説明してくれた。

井上さんは、コソボの難民キャンプを取材したこともある毎日新聞の記者だけに、難民という視点で満州で暮らしていた日本人に目を向けていた。しかも戦争で語られることの少ない女性や子供に視点を置いた把握の仕方に、なるほどと思った。歴史に関する雑誌や本では、戦術や戦略を扱うことが多い。そうではなく、生活者の視点から戦争を見ることの重要さを実感したのだった。

また、井上さんは、日本と北朝鮮の間に国交がないから、郭山で日本人と接して親切にしていた北朝鮮の人たちが、どのような戦後を送って、その後どのような生活を送ったのか。子供たちや孫の世代も含めてどのようにしているのか、知る由もないと語ってた。その前に、国交のないことの意味は大きいのだが。

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難民に関して板書で整理して説明する成蹊大学名誉教授の富田武さん。どう説明したらわかりやすいのか、電車の中でも考えていたという

シベリア抑留研究会の会場には、子供の頃に満州から帰国した人、満州で徴兵された後にシベリアに抑留されて亡くなった人が家族の中にいる、しかしどこで亡くなったのか、土地も時期も厚生労働省に聞いても分からない、というた人も来ていた。厚生労働省があてにならないから、糸口を求めてシベリア抑留研究会に来ているようだった。

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ウズベキスタン(Uzbekistan)のタシケント(Tashikent)に住んでいる「日本人」(右から2人目)

わたしは2002年に中央アジアにあるウズベキスタン(Uzbekistan)のブハラ(Bukhare)からトルクメニスタンのマリー(Mar)まで自転車で旅行している。

この時、飛行機の発着の都合でウズベキスタン(Uzbekistan)のタシケント(Tashikent)に行っている。郊外にあるコリアン・コルホーズに足を運んで、ここに住んでいる日本人に会っている。

彼は、敗戦の時、樺太に住んでいた。2人の兄がいた。日本人の子供であることが、ロシア兵に知られたら迫害されるかもしれないと思った両親は、子供たちを知り合いの朝鮮人に預けた。食糧難の時代だから、3人を別々の朝鮮人の家庭に預けたようだ。ところが、樺太にソ連が侵攻すると、スターリンによって朝鮮人は中央アジアに移送された。みんな民間人だった。

日本人を預かった朝鮮人もタシケント(Tashikent)に移送された。郊外にあるコリアンコルホーズに、一緒に強制移住させられた朝鮮人と一緒に住むことになった。彼は大人になると有名なジャズ・ドラマーになった。日本から原信夫とシャープ&フラッツが公演に行くと、ドラマーとして一緒に演奏したという。写真も見せてくれた。

また、日本と国交のない北朝鮮にも演奏に行き、生き別れになっていたお兄さんと再会することができたという。もう一人のお兄さんは、東北に住んでいると話していた。仙台だったと記憶している。マスコミの関係者に話して、東北に住んでいるお兄さんを探すのに協力しようかと提案した。だが断られた。北朝鮮に住むお兄さんに、何らかの被害が及ぶのを恐れたのかもしれないと、わたしは感じてた。

肉親捜しも北朝鮮が関係すると一歩も動かなくなる。井上さんの話を聞き、国交のないことがこの兄弟の場合にも影を落としているのかもしれないと、思い出したのだった。

2002年に会った時、コリアンコルホーズに住む日本人の彼は、60代半ば。定年できれいな日本語を話していた。今思えば、周辺に日本語を話す人がいるから、幼くして両親と別れた彼の日本語は由緒正しき日本語のままと思われる。子供ならば、幼児語しか知らないはずなのに。それに彼は、中風を患い歩くのが不自由だった。周囲に住んでいるコリアンの人が、身の回りを世話していた。今年はタシケントに行き、彼の「戦中戦後」に耳を傾けたい。このような例はまだまだ多いのかもしれない。

『満州難民 38度線に阻まれた命』を読んで、著者の話を聞き、個人の生活や人生の視点から国家のあり方への疑問を実感した。

シベリア抑留といえば満州に住んでいたり徴兵された日本人の理不尽さを思う。さらに、この本のように生活した女性や子供にも視点を広げてほしいと思う。戦後が終わることはない。

天山北路を行く 1


中国の新疆ウイグル自治区、清水とイーニンを結ぶ道路。小麦を干してあった

2015年9月17日、天山北路の中国側、新疆ウイグル自治区にいた。カザフスタンとの国境が近いので、イーニンにはロシアのお菓子が売っていると、モンゴルに住んでいる友人からfacebookで教えてもらった。昨年、スペインのバルセロナでロシアの民芸品や食料品を売っているお店を見つけた。食料品の中にヒマワリの種を粉にして固めたお菓子があった。

キルギスで日本語を教えていたことのある友人が、以前、同じようなお菓子を送ってくれたことがある。奥さんはロシア人で、ロシアへ里帰りした時に買ってきたようだ。貴重なふるさとの味だったのだろう。このお菓子を、イーニンのバザールで買おうと思ってもいたのだった。天山北路では、国境を間にして中国とカザフスタンの人が交流していることを、お菓子を通して実感したかったのだ。

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道路脇でサツマイモ掘りをしていたおじさん。61歳のわたしより若いのだと思う

サツマイモをしていたおじさんからは、大きなサツマイモをいただいた。ありがとうございます。

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清水からイーニンへ行く途中、道路脇の食堂で食べたラグマン

ラグマンは、小麦粉を練って作った麺類。野菜や肉を痛めたり似たものをかけて出されることが多い。中央アジアから西に多く見られる食べ物。

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食堂の近くにあるナンを焼くお店に集まっていた子供たち

ナンもラグメンと同じように中央アジアでよく見かける食べ物。写真を撮らせてもらったお礼に、仲間が日本から持参したお菓子をあげていた。子供たちは大喜び。

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イーニンの市場ではロシア語で市場と書いた看板があった

ホテルから郵便局へ歩いて行った。ホテルの近くにある郵便局は、国際郵便物を扱わないらしい。郵便局の女性の事務員が表に出てタクシーを拾うと、このタクシーに乗せられた。ドライバーの手には10元札があった。

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郵便局からホテルに帰る途中、寿司の看板があった

海から遠く離れた大陸の真ん中で、寿司の看板を見た。食べたかったが、食事を済ませた後だった。20年前だったら考えられない。輸送手段も大きく変わったものだ。次回は食べよう。

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イーニンの博物館で見た民族楽器

民族楽器は中央アジアからトルコまで似ているように感じた。民俗的に似ているということかもしれない。ただ、楽器の上部に鳥の飾りを掘っていて、渡り鳥の飛来地にあたる地域かもしれないと感じた。

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中国語でいうパオもこの地域の伝統的な住まいのようだ

ロシア語ではユルタという。移動式の住まい。博物館なので内部をよく見られなかったのは残念。

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名前は忘れたが、羊のミルクの上澄みを固めたもの。中央アジアでも見かけた。自転車で走りながら食べている

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博物館に展示されていた石人

石人は、アルタイ山脈の周辺にある。中国、カザフスタン、モンゴル、キルギスにある。兵士の墓という説もあるが、実態はわかっていないようだ。右手にワイングラスを持っているのが面白い。ブドウの伝播と関係するようだ。日本のお地蔵さんのようなものだろうか。


国立市では、自転車専用レーンが延びています


自転車レーンの増設のための工事を伝えるお知らせ

昨日(11月14日)、買い物の帰りにさくら通りをと通った堂と工事を伝える看板があった。よく見ると、車道を片側2車線から1車線とし、自転車レーンを増やす工事のようだ。

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工事の様子

実際、工事は進んでいた。どようびということ、雨ということもあり工事はお休みだった。JR国立駅の南側からは、大学通りでは自転車用のレーンがある。さくら通りにも伸びるとなると、歩道を走る自転車も少なくなるように思う。それにしても、自転車用のレーンをもっと多くしてほしい。車を運転する人の安心にもつながると思うのだが。

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団地の隣にある公園

普段は子供でにぎわっている公園も、雨なので子供の姿はなかった。以前は傘をさして遊んでいる子供もいたのだが、いまどきは品よく育っているようだ。自転車のマナーも車のマナーも、そうなってほしいものだ。

野川サイクリングロードを走って水車、武蔵野公園で戦争遺産を見学


国立市の桜通り、イチョウが色づいている

桜通りでは、イチョウが黄色く色づいている。通りは東西に走っているが、太陽の光を受ける並木の北側は緑が多い。並木の南側は団地の陰になり日照時間が短いためか、黄色く色づいている。秋の訪れが早い風だ。週末は雨の予報だが、来週には黄金の並木になりそうだ。楽しみにしている。

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野川の河原で風になびくすすき

野川もすっかり秋の気配の中を流れている。

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すすきの脇を散策する人と野川

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野川公園に入ると陽が差してきた

野川公園、週末は家族連れでにぎわうのだが、平日は静かだった。ジョギングする人の姿もまばらだった。また、定年を過ぎたようなランナーが多かった。

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近藤勇の生家のあったことを伝える案内板

調布の飛行場のすぐ北側に近藤勇の生家があったようだ。15年ほど前にここを歩いて通ったことがある。道路ができたりして、すっかり風景が変わっていた。それにしても、近くに飛行場があったことは知らなかった。

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野川公園に続く武蔵野の森公園の案内板

戦時中に戦闘機の格納庫である「掩体壕(えんたいごう)」が武蔵野の森公園にある。一昨日(11月11日)に野川をサイクリングしたときに、一緒に走った友人に教えてもらった。だが、羽田へのサイクリングの帰りで、お尻もいたくなり早く帰りたい。よく見ていなかったのだ。そのため、じっくりと見たかった。

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「掩体壕」のひとつ

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上と同じもの

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もうひとつの「掩体壕」

武蔵野の森公園の中には、今でも二つの掩体壕が残っている。北海道から沖縄まで、戦後70年の現在、戦争の遺産である掩体壕は全国に100を数える。5か所が史跡に指定されている。自転車で廻ってみたいものだ。

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野川にある水車。シルクロードでは、蘭州の黄河にある水車が有名だ。以前は、大麦を粉にするのに利用されていたようだ

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水車小屋の中。見学者の多い時は、臼をつく様子が見られるという

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水車小屋の屋根はカヤぶきだった。今は文化財として保存されている。見学は100円

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調布飛行場の脇にある池には、カモが羽を休めていた

野川を通って帰宅したが、往復30キロとのんびりしたサイクリングだった。団地に戻ると、部屋のノブにハヤトウリの入った買い物袋が下がっていた。立川に住む友人が届けてくれたようだ。ありがとう。彼は、大学で教えていたが定年の身だ。定年後は農民に転職か。農民には定年もないのだから、気楽に、気長に楽しんでほしい。

立川駅の周辺の駐輪場は、3時間まで無料だった


立川駅北口にある自転車の走行車線を示す標識

東京都立川市内にあり、自転車の走行車線であることを路面に書いて表示しているところを通った。JR立川駅の北口から5分ほどのところにある。ここは駐車禁止のエリアだ。先日は駐車している車があり、自転車の人は車道側に大きく回り込んで車の脇を通り過ぎていた。

この通りの西側にある石井スポーツへ買い物に行った。いつもならば、店の隣にあるモノレールの下の駐輪場に自転車を止めて買い物を済ませる。ところが、駐輪場がなくなっていた。きれいにすっきりとしていた。

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ようやく見つけた駐輪場

周囲を探したら、すぐ近くに駐輪場があった。、有料だった。今後も買い物の時には利用するのだろうから、使ってみることにした。

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多くの自転車が並んでいた

かなり徹底して違法に駐輪している自転車を取り締まっているようで、有料ながらも駐輪場は満車に近かった。他の人が出るのを待って、駐輪した。石井スポーツでの買い物はすぐに終わった。

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名刺くらいの大きさの駐車券を受け取って、買い物を済ませた

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料金を知らせる案内板

料金は写真のようになっていた。

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出入り口の近くにある駐車券を発券する機械。料金の徴収も行う

駐輪場を出る時に、出口の機械に駐車券を入れると駐車料金は無料だった。出口の扉が開いて、自転車を引いて外に出られるようになる。
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出口の扉。右側は入口。わたしの買い物は30分くらいだったので無料だった

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出口を出て家路につく人

今は係員がいて、親切に機械の使い方などを教えてくれる。それにしても、駐輪場の周囲には違法にも歩道に止めている自転車はなかった。見かけたら注意する私服でもいるのだろうか。

帰りに、高架になった中央線に沿って北側に道路ができていた。どこまで伸びているのか知りたいと思って、新しい道路を走ってみることにした。国立へ向かう途中に団地があった。

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団地で咲いていた桜の花

団地には、桜の木が植えられていた。白いビニールのようなものがたくさん枝に絡まってた。よく見ると桜の花だった。そういえば、昨日の野川公園を走っているとき、「この桜は秋に咲く」と教えてもらったのだった。

また、この団地の桜はよく見ると、白い花とピンクの花が一緒に咲いていた。ポツンポツンと咲いているだけに、可憐だった。近々、野川公園の桜も見に行こう。花見サイクリングに。





多摩川と東京湾の境を見るサイクリング


団地の様子

団地は、すっかり秋の気配に包まれている。毎日、庭を掃除する担当者が一生懸命に掃除している。だが、情け容赦なく枯葉は舞い落ちてくる。まあ、それが仕事だからいいのかもしれない。

多摩川サイクリングは、今日(11月111日)も天気がいいというので決行。シルクロード雑学大学のメンバーと新前橋で合流して、野川サイクリングロードを南下することにした。

彼は、野川をトレーニングに利用しているとのこと。昨日は雨ふりだったので、水たまりの少ないところを走ってほしい。

実際、野川公園内では舗装されたウォーキングのルートを走った。また、団地の間など舗装され広いルートを進んでくれた。水たたまりの有無との因果関係は不明。人や交通の往来を考慮したのかもしれない。

走っているときに「多摩川の起点となる0メートル地点を知っているか」聞いてみると、「知らない」とのこと。0メートル地点。まで行くことにした。

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羽田の鳥居の隣にある看板

羽田の鳥居の脇には原っぱがある。金網で囲われているが、「通ってください」と誘うように穴が開いている。ただでさえ、「入ってはダメ」といわれるほどに、入りたくなる。子供のまんま、というところ。某大学で教えていたもう一人の友人も途中で合流した.。真っ先に破れた金網から、原っぱへと入っていった。退官しても、好奇心は引退できない。後に続き、自転車で金網の中にぞろぞろと入ったのだった。

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看板に書いてある「指定避難場所」が話題となった。2011年を思い起こし、「津波の時にここへ逃げるの」という意見もあった。「道路の向うにある交番の警察官に追われた時に、逃げ込むるところ」、「飛行場だから事故などの時に緊急車両が入るところ」と率いう意見もあった。いったい何のための避難場所なのだろうか。

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ここで多摩川が終わり、東京湾が始まる

0メートルの標識はなかなか見つからなかった。だが、友人が発見。また、堤防はセメントの表面を観察すると、形も風に洗われた様子も制作年の違いが感じられる。4回に分けて作ったようだった。堤防のセメントを見れば、堤防を作った時代の大雑把な変化がわかる気がした。

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この近くに多摩川の起点0メートルの標識がある

写真を撮ったが、「今日は晴れる」という天気予報だったのに曇り空。あまり写真を撮る気分にならなかった。次は、空も海も青い日に来てみたい。

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東京湾で河口アサリを撮る男女

多摩川と東京湾の境の標識から約100メートル東京湾より、潮が引いて現れた浅瀬に男女がいた。アサリ取りをしているようだ。漁というにはささやかだが、潮が満ちると釣りやあさりとりに精を出している人の姿が見られるようになる。日曜日には子供たちの姿も見える。東京湾もきれいになっていることが、光景から伝わってきた。

0メートルの基準を作ったのはいつの時代なのか。その当時の多摩川河口の様子を知りたい、写真を見たい、との意見が出た。そうなのだ。多摩川のの変遷と強制的に集団移転させられる前の人々の暮らしと水辺。写真と現実を見比べたい。

帰りに、野川公園の中を通って、調布の飛行場の。近くに脇を進んだ、戦争遺跡が残っていた。何に使われていたものだったのだろうか。さっそく戦争史跡に関係する本を注文した。戦争遺跡を巡るサイクリングも、戦後を考える上で奥が深いようだ。


絵や文学で表現されたシベリア抑留

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第1回シベリア抑留記録・文化賞を受賞した渡辺祥子さん

11月7日)土)、多摩川サイクリングロードを利用して東急大井線の多摩川駅の近くまで南下し、その後は田園調布、自由が丘と大井線に沿って進んだ。田園調布の近くは坂が急だった。この辺りはトレーニングに向いているようだが、先日の野毛のあたりといい、この辺りといい、高級住宅街は坂ばかり。コミックの「シャカリキ」はこんなところからヒントを得た作品かと考えた。

15時から日比谷線の神谷駅近くにある大阪経済法科大学で約束があるので、自転車を輪行して、電車で会場へ向かった。雨が降り始めていた。

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渡辺祥子さんがノリリスクに父親の慰霊碑を立てる経緯を書いた著書「魚と風と そしてサーシャ」800円、アマゾンで1円より。表紙の真ん中の子供が渡辺さん。

渡辺さんは、サハリン生まれの73歳。両親と一緒にサハリンで住んでいたが敗戦を前に、母親と二人で帰国した。これが父親との顔を見た最後となった。ただ、父親の顔は記憶にない。
父親はその後、ソ連のノリリスクの収容所にいたことが分かった。ノリリスクは、外国人が簡単に行ける場所ではない。

渡辺さんが60歳の時に、一緒慰父親の慰霊に行ったことのある母親が亡くなり、父親の慰霊碑の建立を思い立つ。ロシア語を勉強して、66歳でロシア語弁論大会に出場して、ロシアルう学生や大学生に交じった中で特別賞を受賞。今年になって、ノリリスクでの慰霊碑の建立にこぎつけた。

この渡辺さんの一連の取り組みが評価されて、第1回シベリア抑留記録・文化相が送られた。

わたしは、この授賞式の会場づくり、ビデオとカメラでの記録をしていた。

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授賞式の様子

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公開講座市民アカデミア「シベリア抑留70年 帰還者と記録が伝えるもの」の講師・石川巧氏(立教大学教授)

18時からは、立教大学教授石川巧氏による「抑留者たちの表現 香月泰男・石原吉郎・長谷川四郎」の受講。大阪経済法科大学東京麻布台セミナーハウスで行われた。

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抑留体験のある89歳の方。川崎市から電車で来ていた
小説で表現しています、
石川氏の講座では、抑留体験のある方から質問があった。
内村剛介、高杉一郎、胡桃澤耕史、山田清三郎もシベリア抑留体験を小説で表現している。



「岩立フォークロアテキスタイルミュージアム」と「横浜ユーラシア文化館」


岩立フォークロアテキスタイルミュージアムのチラシ

今では入るのが難しいアフガニスタンの布に刺繍されたスザニを持っているミュージアムだ。デザインと染色に用いられた植物や鉱物の移動を追いかける物語も面白そう。

先日の定例会でシルクロード雑学大学では、会員の市川武邦さんにシルクロードの楽器の話をしてもらった。バイオリンの弓は、南米から輸入された材木を利用しているとのこと。この材木は、もともと赤く染める染料として使われるために輸入されたという。この材木の軽さやしなりに注目したバイオリン作りの職人に注目されて、弓の材料になったらしい。
だが、糸や布、革製品、木工品など、どんな材質を対象とした染料として利用されていたのか、この点は不明のままだった。

化学物質ではなく天然の染料で木綿を染める場合や羊毛を染める場合、この材木が利用されていたかは話は出なかった。それにしても長年かかった時の脱色の様子も見たい。

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入口には、様々なチラシを置いていた。中の一つ「岩に刻まれた古代美術」のチラシ

岩立フォークロアテキスタイルミュージアムの入り口近くに、いろんなミュージアムのチラシを配布しているコーナーがあった。横浜ユーラシア文化館の「岩に刻まれた古代美術」のチラシもあった。

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横浜ユーラシア文化館のチラシ。これはもらえる

横浜ユーラシア文化館のチラシの裏にもロシアのアムール川沿いにあるシカチャリアンのスザニの写真が掲載されていた。中央アジアの模様にも似ているがアイヌ民族の模様にも似ている。手袋もきれいだ。水流のようでもあり、鹿の顔のような模様が面白い。

鳥も猛禽類なのか、肉食でないものか関心がある。花などの自然と関係するから。風景や気候も分かりそうだ。

チラシの裏面には、ワークショップがあった。「拓本に挑戦」「岩画缶バッジを作ろう」もあった。参加して拓本のノウハウを身につけたい。
佐々木史郎氏(国立民族学博物館教授)の講演会もある。往復はがきで申し込み仕組みになっている。古いなあ。
自転車置き場はあるのだろうか。チケットにもチラシにも注意書きはない。問題外ということか。

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横浜ユーラシア文化館のチケット

横浜ユーラシア文化館のチラシと一緒にチケットもあった。招待状だからこれがあれば無料で入られる。だったらもう1枚持ってくればよかった。また、自転車で行くか。

野川サイクリングロードをのんびり自由が丘のミュージアムへ


小金井市内にある野川にかかる新前橋

11月7日(土)は、自由が丘にある岩立フォークテキスタイルミュージアムへ行き、中央アジアの刺繍のある布の展示を見る予定だ。友人がfacebookで紹介していた。
友人は、横浜ユーラシア館の展覧会「岩に刻まれた古代美術」の企画にかかわっているので、案内用のチラシでも置きに行ったのか。田園調布に住んでいるが、家の近くにある博物館や美術館を順番に訪ね歩いていたのだろう。

自由が丘にある美術館に寄ったのちに、神谷町にある大阪経済法科大学の公開講座市民アカデミアで行う講座「シベリア抑留70年 第2回 抑留者たちの表現 香月泰男・石原吉郎・長谷川四郎」、講師:石川巧(立教大学教授)を、18時から聞く予定にしていた。

この講座行き先立ち、同じビルで16時から「第1回 シベリア抑留記録・文化賞」の贈呈式があり、この式の会場づくりも待っていた。

8時に家を出る予定が、宅急便の配達の都合で9時30分となった。天気は「曇りで、晴れ時々曇り夕方には雨」の予報。自由が丘から先は輪行して、電車で移動することにした。昨日届いた輪行袋のひもを確認。

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昨日買った輪行袋は10センチほどの大きさ。 「超軽量輪行バッグ ポケットイン」

国立の団地を出ると、東八道路を東に向かった。東南の角に交番のある交差点を目印に7キロほど走る。交差点からは、北東へ向かう道路に進んで、すぐに野川に架かる橋「新前橋」がみえる。ここで野川沿いのサイクリングロードに入った。

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新前橋。小金井市内にある。ここからは車を気にしないでのんびりと走ることができる

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途中で野川公園の中を行く。土曜日なので家族連れが多い。ウォーキングの大会があったのか、7人くらいで横に並んで歩くウォーカーが多かった。マナーが悪い。東京商工会議所のメンバーのようだ。腕章や旗は看板を持って移動するようなもの。悪い評判もすぐに広まる。注意してほしい。

加えて、遊びに夢中の子供に気を付けてよろよろと南へ進んだ。

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野川はコメや麦などを粉に挽く水車が多かったと伝えられている。この近くに水車博物館があったように記憶している。イランには、カナートの博物館があったのを思い出した。

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サイクリングロードは、広くなったり狭くなったり

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調布市内では、「やさい畑」という農産物の直売所で休憩した。ここまで家から15キロ、1時間かかっていた。

お昼用にと肉まんを買った。それに携行食にと思ってせんべい5枚、夕食のおかずに彩野菜塩麹漬。塩分の強いものは体重が増えるので、体調によくない。その分、運動だ。

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入口にある水飲み場の水は、66メートルの地下からポンプアップしていると案内板にあった。以前は、あちこちに湧水が多く、街道も川の近くにあったのだろう。

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畑の広がるところもある。カモやサギが時々見られた。

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アンツーカーの路面が見えたら、二子玉川駅は近い。野川と多摩川が合流したら、そのまままっすぐ多摩川沿いに進んで、東京大井線まで行って、左に曲がって田園調布、自由が丘と進んだ。多摩川駅の近くには、亀甲山古墳があった。寄りたかった。でも、時間がなかった。

田園調布からは激坂が待っていた。この辺りは、私のような筋力の弱い者には、トレーニングにいいかもしれない。小雨が降ってきたが、道がわからなく、迷った。

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ビルの入口は目立たない。周囲で道を尋ねても、他の地域から通っている店員が多く、地元のことを知らない人がほとんどだった。この地域では、収入に比べて家賃が高いのだろう。そのうちに街づくりの弊害となるだろう。

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入口のこの看板が目印。ビルの入り口に自転車を置く空間もあった。「知る人ぞ知るお店」と聞いていったのだが、周囲のお店の人もミュージアムのことは通行人も誰も知らなかった。

展示していたのは、アフガニスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンのスザニ。帽子と書いてあったが、イスラム教徒が太陽に頭のてっぺんを見せないための被り物が目を引いた。わたしはこのようなデザインを見たことがない。古いのかもしれない。

布の刺繍のデザインは、リンゴ、ザクロ、水流、花、太陽、鹿、羊などを題材にしていたように感じた。一足先に訪れた友人によれば、星もあるのだという。自然とともに暮らしがあったことを示しているようだ。ほとんどのものが、トルクメニスタンの古美術を扱うバザールで見られるようなものだった。ただ、「帽子」と表現された色の多彩な被り物は、トルクメニスタンにもない。2017年にサイクリングで行ったら、探してみよう。

トルクメニスタンに行ったのは、2002年と2004年だった。あの時のバザールの写真を引っ張り出して、2017年に備えよう。

スザニを見ている間に、14時30分を過ぎた。慌てて自由が丘駅へ向かった。

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輪行袋に入れたが、袋を肩にかけるヒモが細い。これを換えればいい。

大阪経済法科大学のことは次回に報告します。



NHKの地球ラジオでキルギスからの留学生カリマンさんが演奏の予定

今日(11月7日)の17時からのNHK第1放送、地球ラジオという番組でキルギスからの留学生カリマンさんが出演する予定です。

カリマンさんは、キルギスの民族楽器コムズの演奏者です。東京芸大の大学院で民俗音楽の研究をしています。
をたのしんでほしい
生演奏も予定しているので、キルギスの音楽です。

NHKの番組はホームページで時間などを確認してください。

キルギスでの抑留体験記、新潟県より表彰される

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抑留中に使っていたスプーンとフォークを前にした宮野泰さん(89歳)

夕方、電話があった。新潟県に住む宮野泰さんだった。宮野さんは、1946年から1948年まで中央アジアにあるキルギス共和国のラーゲルに捕虜として過ごしていた。その体験を2013年に自費出版している。タイトルは「タムガ村600日」。新潟日報事業社から出したが、すでに売り切れ。2000円の値段だったが、今ではアマゾンで3800円の値段で古書が手に入るだけ。(11月6日現在)

この著書が、新潟県が著者に贈る賞を受賞したのだという。詳しくは、日曜日(8日)に、知り合いの元県会議員が宮野さんを訪れて、話してくれるのだという。とてもうれしそうな声だった。先月から、高齢のために歩行などに不自由がめだち、施設に入ったといっていた。一人暮らしになっていた。昨年には奥さんに先立たれてもいた。それだけに、うれしかったのだろう。

宮野さんは、満州建国大学に入学している。「卒業している」と書けないのは、2年生の時に徴兵で軍隊に入隊している。そのために卒業していないようだからだ。その満州建国大学のメンバーに、朝日新聞の記者三浦英之さんが取材している。韓国、台湾、モンゴル、中国と取材し、カザフスタンのアルマトイには宮野さんと3人で行った。(実は、NHKの記者も一緒だったのだが、プライべートだった。)

満州建国大学は、五族協和をスローガンとして日本政府が開校した。元学生だった人たちに取材して、三浦さんが1冊にまとめた。この原稿が今年の開高健ノンフィクション大賞を受賞し、来月表彰式があるので出席してほしいと、南アフリカに赴任中の三浦さんから電話があったと。こちらのことも喜んでいた。「年の終わりに、いいお土産ができた」というので、「土産の続きを来年も聞かせてください」と返した。

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抑留仲間が送ってくれた写真

実は、宮野さんは、キルギス共和国のラーゲルで使っていたスプーンとフォーク、それに抑留中の写真をわたしにくれた。わたしは、シベリア抑留者支援・記録センターに寄贈して、シベリア抑留の実態を若い人に知ってもらうために使ってもらうことにした。先月、日比谷図書館で展示したのだが、その時の写真を送る約束をした。

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寄贈したスプーンとフォークの展示の様子

ナイフは、ソ連兵からもらったという。両方ともアルミだとばかり思っていたら、フォークはステンレスだった。アルミのスプーンは、ソ連兵が自作したと思われる。飯盒などのアルミ製の品物を、ソ連兵が自分たちで加工したのだろう。だが、ステンレスはソ連兵がどのようにして手に入れたのか不明だ。

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アルミ製の煙草入れと鉄製の煙草入れ。アルマトイに抑留された方のお嬢さんから寄贈された

主宰しているシルクロード雑学大学の会員から、「友人のお父さんがアルマトイ抑留されていたようだ」とのメールがあった。しかも、そのメールには、アルマトイの様子がわかるかもしれないと思い、書名と出版社も書いてあった。

本を出すといっても、あの時代は紙がなくて印刷物を発行できなかった時代だ。紙は統制物資だった。シベリア抑留の体験を出版したくても、紙を調達できないために出せなかったという話を取材で聞いていた。何か理由があるはずだ。そう思ってインタネットで調べると「淡徳三郎」さんは、有名な評論家だった。それがどうしてシベリア抑留になったのか。疑問が残った。

お嬢さんから煙草入れを、シベリア抑留者支援・記録センターに寄付してもらった。話を聞くと、これもソ連兵からもらったという。アルミ製と鉄製の2つあった。

宮野さんに、「宮野さんのスプーンがきっかけで、ソ連兵からもらったたばこい入れが寄付されました」とお礼を言うと、「え、アルマト」と驚いた返事があった。実は、宮野さん、朝日新聞の三浦さんと一緒にアルマトイへ立ち寄ったとき、アルマトイにある日本人墓地へ墓参りに行ったことがあったのだ。帰りたくても帰れなかった抑留者のお墓に、日本酒をかけて、花を供えたのだった。日本人抑留者が建てたといわれているビルもたくさん見ていた。満州建国大学のロシア人の同窓生も暮らしている、今でも。それで、どうしてアルマトイなのか、驚いていたのだった。

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日比谷図書館で開催されたイベントで父親の抑留されたち場所を聞く女性

シベリア抑留された人は、日本に帰国するに際して、メモや記録、様々な持ち物を持って帰ることを禁止されていた。ソ連は、場所が特定されたり、労働の内容、生活のレベルを知られるのを恐れていたようだ。だから、抑留中の様子や暮らしがよくわかっていない。それで、このような寄贈はとても貴重になっている。また、抑留中の暮らしを知るうえでとてもわかりやすい。

家で、あるいは親せきや知り合いに抑留中の品物を持っているという人がいたら、ぜひともシベリア抑留者支援・記録センターに寄贈してほしい、願いします。センターでは、抑留地や墓参の相談にも応じています。




自転車を始める人のために、入門書の紹介


『スポーツ自転車でまた走ろう』(山本修二著、技術評論社)1280円+税、アマゾンで1132円より

2回目の紹介だが、これから自転車を始める人に読んでほしい。それも、定年後にちょっとした自転車旅行にチャレンジしたい、自分の夢を広げたい人、自分を外側から見たい人、そのために自転車旅行を始めたいと考えている人に読んでほしい。

人生のあれこれを書いているわけではないが、著書の表現でいえば「自転車旅行=小さな冒険のはじめかた」「楽しい乗り方、走り方」を具体的に紹介している。カラーで気楽に読める。

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『自転車 困った時の即効お助けマニュアル』(疋田智著、成美堂出版)950円+税、アマゾンでは381円より

この本も2回目の紹介。写真を使って、自転車の各部の名前やペダルを踏む際の姿勢、自転車でのスタートの方法・ストップの方法、ブレーキが調子悪い時など。具体的な場面を想定しながら、自転車を買うときからから走り出すまで、場面を追ってコマドリのように紹介している。新書判サイズで、ビニールカバーもついていて持ち歩きを想定してデザインしている風。大きな写真も、見るだけでわかる感じだ。

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『自転車で旅をしよう 初めてでも楽しめる週末ツーリングのすべて』(自転車生活ブックス編集部編、ロコモーションパブリッシング)1500円+税、アマゾンでは200円から

大型本。写真と矢印などの記号で見やすく工夫している。自転車の選び方、バッグなどの小物、水分補給のノウハウ、自転車旅行の準備に必要なもの、ウェアー、自転車の安全な乗り方、宿泊施設の違いと便利さなどを紹介している。自転車旅行を国内で楽しむためには必要なことは紹介されている風だ。

旅行での楽しみは何だろうか。人との出会い、風景との出会い、様々な見方のある事、異なる習慣や考え方との出会い。旅行に出かける目的や動機はいろいろあるが、手記や体験記でも感じてほしい。

横浜ユーラシア館で「岩に刻まれた古代美術」展

展示会のお知らせ

横浜ユーラシア館では「岩に刻まれた古代美術」と題して展示会を開催している。見に行きたい、楽しみだ。

1月11日まで。

友人が企画にかかわっている。ユーラシアには石人、岩絵などもあるけれど、題材がどのように違うのか気になる。自転車で行って、輪行で帰れば、陽の短い季節でも時間を気にしないで展示を見ることに集中できそう。

餃子でも食べて帰ろう。

多摩川、野川をサイクリングし、糠漬けと甘納豆も買う

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国立市内の桜通りの朝の風景

今日は珍しく、5時半に起きた。多摩川でサイクリングをするために、朝一番でサドルを替えた。窓の外には、靄が広がっていた。、

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海川の境界を示すと標識

多摩川サイクリングンは、2つの目的があった。一つは、ガス橋で合流する友達にギアチェンジや輪行の方法を教えること。安全にサイクリングを楽しみ、疲れを少なく事故も少なく、と考えてのこと。二つ目は、国立から一緒に行く友人に、多摩川の0メートル地点を示すマークを教えること。

なんとその友人が、海と川の境界をしめす標識を見つけた。小さな金属の杭のようなものだった。多摩川サイクリングロードを走っているサイクリストは多い。多摩川の河口近くにある羽田にある鳥居に到着すると、写真に撮ったりしている。だが、0メートル地点、このポイントを知っているのは少ない。どこからが多摩川なのか、どこからが太平洋なのか、知らない人が多いのだ。でも、話の種に、探してみてはいかがか。

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多摩川の河口から-400mを示す表示

多摩川の河口が決まっているので、海に向かって400メートル走った。だが、そこはまだ陸の上だった。この辺りは、河口の位置が決められた時には、海底だったようだ。東京湾の底といったらいいのか。「東京湾まで走った」とはこういうことを言うのか。地理学的には東京湾の海水の中なんだから。

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羽田にある鳥居

鳥居は、占領軍がここに住んでいた庶民に立ち退きを命じた歴史のランドマークだった。48時間で、ここに住んでいた住民は立ち退かされた。これも戦争の悲劇だ。おそらく、着の身着のままでの立ち退きを命じられたのだろう。羽田から外国に行く際には、こんな歴史にも心を向けてほしい。

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帰り道は野川のサイクリングロード

野川を走っていると、産直のようなお店があった。お店の前で出迎えてくれたのは、乳牛のベンチ。2つあった。ここで、糠漬けを買った。なんと50円。友人は今夜のビールのつまみにするらしい。2つも買ったという。わたしもそうすればよかったと反省。お酒を飲めないので、甘納豆を買った。明日のおやつだ。こんな楽しみもサイクリングにはあるのか。

お店の名前は、「調布のやさい畑」。東京都調布市深大寺元町1-11-1だ、ペダルを踏んでいってみてはどうだろうか。近くに、水車もあると思う。ここは見学できる。多摩川と暮らしの接点を見ることができる。発見続きの1日だった。



サイクリングのテーマにヒントになる本


『廃線紀行 もうひとつの鉄道旅』(悌久美子著、中公新書)発売時1000円、アマゾンで701円より

鎌倉街道をサイクリングすると同時に、ほかのテーマも見つけた。廃線に関する本は多い。過疎化や車社会の影響なのか、廃止される鉄道も多い。自治体の変化もある。調べて、ルートを考え始めた。

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『東京の古墳を歩く』(大塚初重監修、祥伝社新書)発売時1000円、アマゾンでは229円より

東京都内にある古墳は、約1000か所あるといわれている。発見されていないものもあるだろうから、もっと多いのだろう。この本を読むと、住んでいる国立にも古墳があった。隣にある府中や立川にもある。身近なところから地域の歴史を感じるサイクリングをスタートしたい。

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『にっぽん地図歩きの旅 古道、旧道、旧街道』(堀淳一著、講談社+α新書)発売時838円、アマゾンでは109円より

道に限って紹介している。日本全国の道をサイクリングしたいという場合には、これを参考にしたい。ただし、全国の道を知り、歴史に関する本を加えて読めば、道を通してどんなつながりがあった借り解できると思う。

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『水中考古学』(井上たかひこ著、中公新書)発行時800円、アマゾンでは540円より

水の中だから歩くこともサイクリングもできない。だが、佐渡や対馬などの島部には、船が交通手段だった。今でもそうだが。歴史を感じる上では、遺跡のような盗掘で荒らされることもないので、水中に沈んだ時代を伝えてくれるように思う。知識を加えるだけだが、このような分野にも目を配っていきたい。

シベリア抑留者が持ち帰った歌曲集


シベリアで抑留された元日本兵が、アコーディオンに忍ばせて持ち帰った歌曲集

10月31日(土)、大阪経済法科大学の市民アカデミアに参加して、「シベリア抑留70年 帰還者と記録が伝えるもの」と題する講座を聞いてきた。

89歳になるという抑留者が並んだ。今ではすっかり老人だが、70年前は20歳にも満たなかった人たちだ。最も自由に過ごしたいときに、有刺鉄線の向こうで明日も夢も忘れはて、その日を生きることに日々を過ごさざるを得なかった人たちだ。

一人が、ソ連が抑留者に配った歌曲集を持ち帰っていた。彼はアコーデオンを演奏して、収容所の抑留者に歌を通して元気付け、労働意欲を失わない様にする役割だったようだ。歌で音楽で、生きることを意味付けたようだ。ソ連は、民主運動のために歌曲集を作り、捕虜に歌曲集を配布していたようだ。

しかし、帰国の際には、歌曲集を持ち帰ってはいけない。没収された。見つかれば帰国できない、生きて帰れないことを覚悟して、アコーディオンの中に隠して日本へ持ち込んだ、抑留者は20歳のころを振り返る。アコーデオンは、ソ連の民謡を通して民主運動を日本に広めるために、持ち帰るのが許されたと抑留者は説明した。

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歌曲集を手に帰った抑留者。抑留中のことを話す姿

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歌曲集の表紙。今でも大事にしている

日本に一冊しかないと思われる歌曲集。これを手に北海道から講座のために来てくれたようだ。懐かしそうに、嬉しそうに歌を歌っていたが、20歳のころ、何を夢見て収容所で過ごしいたのだろうか。いろんな夢を描けるのが、若者の特権のように思うのだが。

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カチューシャのページ

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インターナショナルもあった

講座を受けた人の間に、この歌曲集が回された。とてもきれいに使っていた。どんな曲があるのかと思って目次を見ると、トップはインターナショナルだった。時間が許せば、どんな曲が編集されているのか知りたかった。編集方針を知りたかった。持ち帰った抑留者には、どんない思い出が詰まっているのか。今ではなく、20歳のころの抑留者に、ともに過ごした時間を聞いてみたい。。

実は、この講座には偶然にも友達が来ていた。父親がシベリア抑留者で、復員後に亡くなっているという。薬剤師だったために、モスクワに近いエラブカという収容所で過ごしたようだ。生前はシベリア抑留のことは何も聞いていないとも話していた。わたしと同い年だから61歳の友達。人生も第3コーナーを回って、最後の力の残りと力量に気づいたときに、親の死、自分の残り時間について考えるものだろうか。若い時は、目の前のこと、「今の問題」しか話さなかったのだが。

友達とはデモ仲間だった。大学も偶然にも一緒だった。この講座の企画に絡んでいるメンバーのAさんも、偶然にも若い頃の知り合いだと知った。あの頃は、お互いに物理的にスマートだった。歌曲集を持ち帰った抑留者のように自分に正直で、好きなものは好きと、精神的にもスマートに生きたいものだ。残りの時間を。


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