2015-12

キルギス・イシククル湖周辺で温泉とサイクリングを楽しむ


イシククル湖の朝

2012年、イシククル湖を一周するサイクリングに出かけた。他にも目的はあったが、あまり期待されても困るので話さなかった。
この線路は、おそらくドイツ人の捕虜が敷いた。1945年の敗戦国の兵士は、一部がソビエトの国土で建物の建設や鉄道の線路を埋設する工事に従事させられた。命じたのは、スターリンだった。ビシケクからイシククル湖畔のバリクチまでの鉄道の埋設には、主にドイツ兵の捕虜が関わっている。

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鉄道は今利用されており、貨車や客車が通る。それでも、列車の数が限られているために、馬や羊、村人や海水浴客も利用している。事故のないのが不思議だ。

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イシククル湖の周囲には道路があり、湖岸1周は680キロと言われている。自転車で走ると580キロくらいだったように思う。両側には並木が続いている。

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ちょうどジャガイモの収穫の時期だった。イシククル湖のジャガイモはおいしい。有名なのだ。子供たちも手伝い、収穫シーズンには一家総出でジャガイモ掘りに精を出す。

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実は、イシククル湖の周辺には温泉が多い。家族で貸し切ったり、男女に分かれてグループで貸し切って利用している風だった。日本風に言いえばかけ流しだ。湖の周囲は4000メートルを越える天山山脈で囲われている。夏でも白い雪山を眺めながら、水泳を楽しむことができる。だから雪解け水が豊富で、温泉も豊かなのだ。

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この時は、上流で雨が降っていた。濁った水が流れていた。あちらへ、こちらへと、橋を渡りながら上流にある温泉に向かう。橋と言っても、水量が増えたら水に浸る沈下橋もある。また、家畜の面倒を見るのは子供の仕事。子供の面倒を誰が見るのか。家畜の大人が見るのか。詳しいことは、住んでみなければわからない。いえるのは、家畜は子供の家来のように素直だということ。

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道路わきには、日本では見かけない草花もある。3000メートルを越えれば、一面にエーデルワイスの咲いた高原も多くみられる。

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草原には、岩に動物などを描いた岩絵を見られるところもある。

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右手にワイングラスを持った石刃を見られる草原もある。岩絵や石人は、中央アジアに広がっているようだが、キルギスにもある。

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また、イシククル湖の南岸にあるタムガ村には、1946年から1948年まで元日本兵がいた収容所があった。人数は125名。全員が復員していることから、シベリア抑留を題材とした本や資料か抜けている。だが、2007年に元日本兵の証言も得ている。証言を記録したビデオも持っている。一刻も早く本として、社会に示したいものだ。

そんな役割も自転車旅行でも可能なのだ。歴史の謎は、まだ多い。サイクリングを楽しみながら、歴史の謎解きも楽しみながら社会的な役割を果たしたいものだ。


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野川に残った自然を、工事で改造中。


国分寺尼寺遺跡、東京都国分寺市にある

12月29日、朝は寒かった。天気のいい証拠。気になっている世田谷区の高速道路のインターチェンジの工事現場、遺跡の発見でテンヤワンヤの箇所へ行くことにした。出発は12時、国分寺の尼寺の遺跡からスタートすることにした。

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遺跡の案内板1

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遺跡の案内板2

遺跡の案内板で、東山道美佐氏道の位置を確認する。「交差点の近くか」と思ってみると、「警察病院入口」とある。あの交差点の看板、今は違う文字が並んでいる。今度写真にとっておこう。遠くから来た人は、間違いに気づくだろうか。国分寺市役所に電話してみよう。

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野川公園の風景1

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野川公園の風景2

野川公園の一角は、東京都内とは思われないのどかさが残っている。菜の花の黄色が、のどかさを、自然を表しているしているように感じる。

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野川には田んぼもある

サイクリングロードの脇に稲の切り株の並んだ田んぼがあった。このあたりは、夏には蛍も見られるようだ。今も、四季の変化を風景や自然相手の仕事の変化で感じられる場所だ。

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野川に沿って桜の木が並ぶ。大きく育ち、つっかえ棒で支えられている並木もあった。花のシーズンに通ってみたい。

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鳥がいるということは、魚やドジョウもいるに違ない。

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こんなものがいるらしいが、子供たちの縄張り。彼らの方がよく知っているだろう。

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サイクリングロードに沿って、白く塗った鉄板が並んでいた

高速道路のインターチェンジを建設する工事をしていたところ、ハケから横穴が現れた。しかも、人骨が出てきた。1000年以上前の遺跡だったらしい。急遽、発掘が始まり、インターチェンジの工事は遅れるらしい。だが、本当に工事は遅れるのであろうか。本当に遺跡の発掘は行われているのだろうか。

産経新聞の記事http://www.sankei.com/region/news/150630/rgn1506300059-n1.html

世田谷区議のブログ http://kazamayutaka.com/2015/10/22/4650/

それにしても、サイクリングロードから工事現場を見ることができない。

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はけの下を見ようと思ったが横穴は見えない。すでに発掘調査は終ったのだろうか。工事だけが進んでいた。4日には、目隠しの鉄板を撤去すると工事のおじさんは話していた。4日、どうなっているか見たいものだ。

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ハケを見上げると注意書きを書いた看板があった。そこには「コナラ林保全の協力のお願い」と書いてあった。だが、ハケにコナラはなかった。鉄骨だけが赤い錆をさらしていた。

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野川では、我関せずの風で野鳥がせわしなく騒いでいた。中学生が来たのだった。野鳥が騒がしい原因は人間だった。それにしても、この鳥は案内板にでは紹介していない。わかる方は教えてください。

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3時ころにインターチェンジの工事現場を後にして家路についた。野川沿いにある長谷川病院(三鷹市)の隣には、馬を数頭みることができた。久しぶりだった。

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国分寺の遺跡の脇を通った時には、かなり暗くなっていた。

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国分寺市の発掘で出てきた遺物を見たいと思った。だが、今日は休みだった。
思い出せば、インターチェンジの工事は今日も休みなく続いていた。財源は税金、日本列島改造に盆も正月もないようだ。

国分寺の遺跡を自転車で巡る


東京都国分寺市にある国分寺の遺跡

昨日(12月27日)、多摩川河口からの帰り道、友人と野川のサイクリングロードを話しながら「ゆず」の話をした。

国分寺遺跡近くの農家では、軒先で「ゆず」を打っているという。それも、大量に。漬物を作る際にゆずの香りをつけるが、皮が少しあればいい。ところが、大量にあるからと言ってゆずをお風呂に入れて、絞って水分の汁をお風呂に入れるとピリピリする、らしい。

国分寺へ買い物自転車で行った。石碑を見ると大正13年に建てた石碑らしい。父は大正2年生まれだった。この石碑は、90年ほど前のもの。石碑の土台の石は、根に食い込んでいる。90年前から石碑があったとしたら、この木はかなりスマートだったみたい。

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通りを隔てて案内板があった

案内板には、発掘時の様子を写真で説明していた。小学案内ばにゃきの周りをぐるぐる回っている。生くらいの子供を連れた男性が、案内板を見ながら子供に説明していた。考古学のファンらしい年金族の男女が、案内板と石碑の周りをぐるぐる回っている。そのほかに、国分寺の遺跡に関心を示す人はいない。近くの農家の広い庭には、大根もゆずも山のように売っていた。年末だが、誰も買い物客はいなかった。

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看板には古代道路・東山道武蔵路も書かれていた

だが、問題があった。カメラの電池が切れたのだ。機能のサイクリングの帰りは、懐中電灯の電池が切れた。友人に借りて、ラーメンを食べに行った。ラーメン屋さんの壁には、北京の地図が壁にあった。紹興酒も、その他のお酒もあった。「寒いので一本つけて」とはならなかった。そとの気温は4度くらい。飲んだらお店を出られなくなる。

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話を今日に戻そう。とにかく遺跡には誰もいない

年末なので、農家ではゆずも売っているし松飾を売っている農家もある。ゆずだけを買って帰る。今日もゆず湯にした。風呂の中で思いっきりゆずを絞った。足のモモの裏側だけがピリピリしてきた。傷があったようだ。その後、キルギスで買ったアプリコットの種からとった油で作った石鹸で体を洗った。髪の毛も洗った。結果は明日。

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国分寺の遺跡の隣には、お墓がある。地面をよく見ると国分寺の河原のかけらだった

風呂上りも足のモモの裏側はピリポりしている。皮膚のかゆみがとれるような気がしてきた。

ゆずの種は2個だけ、少し根が出ていた。ゆずの大馬鹿18年という。ベランダにまけば、生きがいにつながるかもしれない。「18年後が楽しみ」というには、先が長い。気長に待ちたい。

今日、自転車で走ったのは10キロ。暖かい1日だった。

大漁より、紹興酒が楽しみなおじさん。いい人生だな。


多摩川の神奈川側では、多くのランナーがマイペースで走っていた。早さを競うでもなく、距離を競うでもなく楽しそう。1年の総決算は「楽しく」か

12月27日(日)、多摩川の神奈川県側をサイクリングしていると、様々な年齢の男女がマイペースで楽しそうに走っていた。月例川崎市マラソンと受け付けのテントにはあった。

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月例川崎マラソンの受付

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受け付けの隣ではダイコンやキャベツの販売。ズボンや洋服のコーナーもあり、フリーマーケットのようだった

とても寒かった。走っている人は元気で、寒さは関係ないようだったが。

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今日も多摩川の神奈川県側にある0メートルを探したが、

多摩川の0メートル地点。神奈川県側は、工場の敷地の中にあることが分かった。誰でも入られるわけではない。サイクリングの途中で紹介したい景色もあった。だが、寒さにはかなわなかった。それに、昨日スネを打っていて、まめに動くことができなかった。ガス橋から東京湾まで、神奈川県側をサイクリングしている。暖かい日、スネに傷のない日にもう一度紹介したい。スネの傷、何時のものかと聞かれると、古いとしか答えられない。

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多摩川の川面にはカモが4羽浮かんでいた。いつまでも離れようとしない。それにしても、何を探しているのか。

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この寒い中、多摩川の水に入っているのはカモだけではない。人間も強いもんだ

多摩川で顔をとっている人がいた。自転車で上流に向かう彼に話を聞いた。話を聞いたのは、12時ころだろうか。日の出とともに買いをとっているのだという。だが、寒くて全然取れないという。でも、あっけらかんとしている。すでに年金生活も8年目、これから家に帰って、紹興酒を飲むのだという。。笑顔になった。実に楽しそうに話した。

収穫よりも、仕事の後の一杯が楽しみのようだ。仕事って何だろう。大漁だろうか。過ごした時間に満足を得ることだろうか。あるいは、取った魚を隣近所に差し上げて社会的な満足を得ることだろうか。どうであってもこのおじさん。「分かっちゃいるけどやめられない」という風であった。奥さんが何を言ってももマイペースの感じだった。

来年の再会を約束して別れた。来年も紹興酒か。いい年をお迎えください。

野川沿いの遺跡、多摩川の河川敷も工事現場。列島改造中。


国立市桜通りの銀杏の落葉

昨夜(12月24日)は雨だったらしい。先日の落葉したイチョウはすっかり落ちて、黄色いじゅうたんを敷いた歩道は消えてしまった。諸行無常。
興味を示すばかりだ。
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午前9時30分の野川。朝食だったのか白い鳥がいた

友人と待ち合わせて、野川公園で待つ。犬の散歩をしていた熟年の男女の会話が耳に入る。
「お父さんは8歳。この子は4歳。親と一緒だから、何時まで経っても子供なんですよ。甘えん坊で。」
8歳で父親。そんなことあかよう。会話がチグハグなような気がする。朝早くて私が寝ぼけているだけか。

「お父さんは家で待っているんです。あと4年くらいかしら」
あと4年。本気かよ。思わず女性の顔を見た。犬のことだった。犬は言葉と関係なく、相手の犬に好奇心を示すばかりだ。恥も照れもない。朝の散歩時の恒例とな挨拶らしい。雨の日も風の日も、晴れた日も。会話を無視して犬は本音で勝負か。
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工事現場のフェンスの中

風人と一緒に野川を下ってサイクリングすると、世田谷区大倉では、野川脇の畑を白いフェンスで囲っていた。中を覗くと工事ではなくて遺跡の発掘だった。インターチェンジのできる前に、発掘をしているらしい。わたしたちがのぞいた個所は、道路の下になるのか。すでに下水のマンホールだけがボタンのように飛び出ていた。

この発掘現場の近くには、ハケがある。ハケに横穴が掘られており、骨が出てきたとインターネットで読んだことがある。ここだったのか。他も見たが、工事はかなり進んでいた。遺跡の保存など、想定外、といったふうだ。

ガス橋でもう一人の友人と合流して、神奈川県側のサイクリングロードを登戸と方面に上った。向かい風が強く、堤防の上を走るのはしんどい。河原の砂利道を走ったたのだった。すれ違うサイクリストは、気持ちよさそうにスイスイ飛んでいく。うらやましかった。

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ガス橋から神奈川側を北上すると、サイクリングロードの脇は工事現場
多摩川の神奈川県側の堤防は、サイクリングロードになっているが工事中だった。自然の河原などどこにもない。生態系も無視してセメントのブロックが並んでいた。

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この辺りには、河原を利用したグランドやテニスコート、趣味で耕しているような畑もある。庶民のささやかな楽しみは、どんどん削られていく。年金とともに防衛費ほどに増大すればいいのだが。

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冬休みもサッカーや野球を炭素忌んでいる子供たちは、どこへ行くのだろうか。




アーモンドの芽が出ました

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キルギスに抑留された宮野泰さんの第9回新潟県出版文化賞大賞の授賞式の様子を伝える新聞

宮野泰さんが、第9回新潟県出版文化賞の大賞を受賞している。その表彰式が12月13日(日)に新潟市内で行われた。BSN(新潟放送局)と新潟日報が報道していた。20歳の頃にキルギスに抑留された体験を自費出版したことが、評価されたのだった。一般には、シベリア抑留といわれている。

宮野さんの息子さんは、わたしと同じく61歳らしい。キルギスに抑留された体験を持ち宮野さんは、息子に話すことをしていなかったようだ。今は足が弱って高齢者向けの施設で暮らしている宮野さんは、自分で車を運転しないことにしたので、表彰式への出席をあきらめていた。だが、息子さんが表彰式の行われる会場まで車で送ってくれるというので、出席することができるようになったのだった。

これを機会に、息子さんもキルギスに抑留された宮野さんの若き日の体験に関心を持ってくれるとうれしい。


アーモンドはベランダの植木鉢で芽を出した

今年の9月に中国の新疆ウイグル自治区へサイクリングに出かけている。その時に、天日干しのものをお土産に買ってきた。ドライフルーツだ。これは、植物検疫にかからない。それで購入したのだった。

10月にベランダにある植木鉢にアーモンドの実を埋めて蒔いた。それが、この陽気のせいか、昨日、芽を出した。「モモ・クリ3年、柿8年」というから、3年後にはアーモンドの花が見られるかもしれない。スペインでは、アーモンドの花は春の訪れを伝える風物詩と聞いたことがある。日本の桜の花のような感じだろう。ピンクの花が咲くのが楽しみだ。

「引き揚げと海軍ゆかりのまち舞鶴 in 東京」のお知らせ


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キルギス共和国のタムガ村にあった収容所にて撮影。長崎市に在住の松田六郎さん帰りに縫い込んで持ち帰ったもの。シベリア抑留された人が帰国するが際に、捕虜の扱いによって国力がわかってしまうと考えてソビエトは写真や日記などを持ち帰ることを禁じていた。この写真は密かに持ち帰った珍しい写真。場所を特定する際に背景の風景が役立つ。こんな写真も展示されるかもしれない

「引き揚げと海軍ゆかりのまち舞鶴 in 東京」のお知らせ

 舞鶴引揚記念館の「世界記憶遺産」登録品の一部が東京で展示されます。この機会をお見逃しなく、お出かけください。

<日時>12月25日(金)~27日(日)10時~20時(27日のみ19時まで)
<場所>東京シティアイ・パフォーマンスゾーン(JPタワーKITTE地下1階:東京駅下車丸の内側もと東京中央郵便局)
<入場>無料
<主催>舞鶴市、舞鶴引揚記念館、一般社団法人舞鶴観光協会
<展示品>抑留者・家族の葉書・手紙、「白樺日誌」、抑留体験画(安田清一、木内信夫、羽根田光雄)など。

チムールさんの支援要請、横浜ユーラシア文化館


facebookで在日キルギス大使館のチムールさんが脳腫瘍で緊急手術を必要としていることを伝えていた画面

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キルギスの保険制度を知らないが、手術の費用を支援してほしいとのメッセージだった

明日の日曜日は、チムールさんを支援するために新聞社に記事を書いてもらえるように努めたい。手術の手配は時間の問題もあるので、どんどん進められるだろう。支援の輪もどんどん広めていきたいと思う。

わたしが、6月に心臓の冠動脈にステントを入れるも50万円近くだった。国立市の高額医療費に対する補助金を負担する制度で、入院費用を含めても数万円になったのだが。キルギス人の場合、いったいどうなっているのだろうか。外国籍の場合も調べたい。

12月19日(土曜日)、快晴で天気はいいが風が強い。気温も低い。青梅七福神めぐりの下見にサイクリングに出ようと思たが、山の上は凍っているかもしれないと言い訳して、横浜ユーラシア文化館へ行くことにした。友人が、企画に加わた展示会を見たかった、拓本を展示するというので、アムール川流域にあるシカチ・アリlァンの岩絵の大きさを実感したかった。

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篆刻や写真、魚の川で作った服やポーチもあった

岩絵は、岩に刃物でへこみを作って描いた岩刻画だった。彫刻刀でへこみを作って描いた風だ。現地で撮影した岩絵の写真を見ると、夕方など陽が傾いて影ができる時間帯の時のものが見やすかった。絵の出る時間帯に、漁に出たことを意味するのだろうか。昼間は「家宝はは寝て待て」で漁をしないで休んでいたのだろうか。

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自分で拓本を作ったり、拓本のコピーをバッジにできるワークショップもあった

実は、ワークショップを楽しみにしていた。わたしもシルクロードを自転車で走りながいくつか岩絵を見てきたたくさんの岩絵が並ぶ地域もあった。それも、シカチ・アリァンと同じように近くに水がある。

岩は、水をかぶったり陽に照らされたりと繰り返すと黒くなるようだ。霧や雨でも同じだ。だから、水路の後も石が黒く焼け焦げたような色に変色している。これを小石で落書きすると、黒い部分が剥げて絵となる。

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ワークショップで作った拓本

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ワークショップで作ったバッジ、絵柄は用意してくれていた

このバッジ、次回はラクダの岩絵を写真に収めている。それをプリントアウトして作ってみたい。

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会場で無料でいただいた衛星から撮ったユーラシアの地図と遺跡

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クリスマス前の国立の駅前

国立へへ戻ったのは16時。塾で忙しい子供たちが元気に走り回っていた。あんなに小さい時から受験勉強とは、田舎とはずいぶんと違うなあ。末は博士か大臣か、なんて言葉は最近耳にしない。

在日キルギス大使館のチムール・チョンムルノフさんに支援のお願い


キルギスから映画監督のサルカルダエフ・アルスタンベックさんが来日した際の新聞報道

今日(12月18日)、友人のキルギス人チムール・チョンムルノフさんが脳腫瘍で入院中だと知りました。しかも緊急な手術が必要だということです。チムールさんは、在日キルギス大使館に勤めていました。母国のビシケク人文大学やキルギスにある日本センターで日本語を教えていましたが、日本に留学して10年程。わたしの友人であるリスベクさんが在日キルギス大使館の大使に就任すると、すぐにチムールさんは大使館に勤めることになりました。

リスベクさんは、彼が大学院に留学しているときに知り合い付き合いをしていました。チムールさんも留学時代からの知り合いでした。

脳腫瘍で入院中だと知ったのは、facebookだった。10月下旬にメールを送っているが返事がありませんでした。大使のリスベクさんが8月で本国での勤務となった。その為に、チムールさんも引き継ぎなどの通訳で忙しくなったのだと理解していました。

チムールさんは、脳腫瘍のために緊急の手術が必要で、現在は入院中であることを知った。手術費用を賄うために支援を募っているので、協力をお願いします。在日キルギス大使館へ電話をして、チムールさんの入院と緊急手術の必要なことを確かめています。

支援は下記までお願いします。

支援口座 三菱東京UFJ銀行 目黒駅前支店
普通口座 0035442
口座名義 チョンムルノフ チムール

よろしくお願いします。

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読売新聞新潟版では、インタビューの様子は大きな記事で紹介されていた

実は、今年の6月から7月にかけて、キルギスから映画監督のサルカルダエフ・アルスタンベックさんが来日しています。狙いはキルギスに抑留された元日本兵にインタビューして、ドキュメンタリーの映画を作ろうというのでした。

わたしは、キルギスに抑留された日本人を見つけたことから、彼らの名簿を持っている。サルカルダエフ・アルスタンベックさんが来日するにあたり、在日キルギス大使のリスベクさんから電話があり、「日本とキルギスの友好関係にプラスになるように人選とアドバイスをしてほしい」といわれました。

すぐに「通訳はチムールさんにお願いしたい。日本に10年も暮らしていて、日本人の気持ちも習慣もよく知っているから」とお願いしました。

わたしは、キルギスに抑留された体験を持つ新潟県在住の宮野さん、長崎市在住の松田さん、そして熊本県に在住の1名に連絡をして、映画のインタビューへの理解をお願いしました。リスベク大使は、快くチムールさんを通訳としてサルカルダエフ・アルスタンベックさんに同行させてくれました。

実は、わたしは2014年に中国の敦煌近郊をサイクリングしている間に脳梗塞で倒れています。また、ちょうど映画監督が来日中に、入院して、心臓の冠動脈にステントを入れる手術を行う予定になっていた。手術の直前に、病院からパソコンでメールを送って、チムールさんとサルカルダエフ・アルスタンベックさんの宿泊するホテルのリストを送るなどをしていました。

そろそろキルギスと日本で映画の完成を伝える発表をしようと準備していいます。
手術を終えて元気になったチムールさんに、再び通訳をお願いしたいと思っています。
ぜひ支援をお願いします。

『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』の広告


今朝(12月15日)の朝刊で『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』(集英社)の新聞広告

12月15日、朝刊を開くと『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』の広告が目に入った。

第13回開高健ノンフィクション賞を受賞している作品だが、今日が発売だ。

著者の三浦英之さんは朝日新聞の記者。国立支局に赴任した時に、キルギス共和国に抑留された新潟県在住の宮野泰さん(現在は89歳)への取材を依頼した、キルギスに日本人の抑留者がいたことは、新聞各紙の東京版、新潟版で紹介されていたが、全国版では紹介されていなかった。2010年のことだった。

わたしは、戦争直後にキルギスに抑留された日本人を追いかけているが、タムガ村に抑留されたのは125名。しかも、名簿によれば125名の出身地は北海道から沖縄までの40都道府県。連絡が取れるのは、東京、新潟のほかに北海道、大阪、広島、熊本、長崎の10名ほどだった。

まだ、他の府県に暮らす抑留者と連絡を取りたいと思っていたのだ。それに、すぐに宮野さんがアルマトイ経由でキルギスへ行くことが決まっていた、他にも抑留者が一緒ならば、宮野さんも心強いと思って「仲間」を探していたのだった。

偶然にも三浦さんは、新潟支局に勤務していたことがあった。宮野さんのことばに含まれる方言も聞き取れるし、取材で新潟県を訪れるにしても土地勘が取材にも生きると考えていた。

宮野さんは、昭和12年に創立し、日本の敗戦とともに閉ざした満州の官吏を要請するエリート養成機関・満州建国大学の卒業生だった。また、同窓生のロシア人がアルマトイに暮らしている。

三浦英之さんの興味は、キルギスから満州建国大学の卒業生への人生を追うテーマに広がっていた。

満州建国大学の卒業生には、中国人、台湾人、ロシア人、モンゴル人、韓国人もいた。三浦さんは、国境を越えて満州建国大学の卒業生を追う取材に、テーマを広げていた。

詳しくは『満州建国大学卒業生たちの戦後』を読んでほしい。値段は1836円。


『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』三浦英之著

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『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』(三浦英之著、集英社)1700円+税

12月13日、日曜日だというのに曇りのち雨という天気。シベリアに抑留された人たちの証言から構成された映画「帰還証言 ラーゲリから帰ったオールドボーイたち」を観る予定を入れている。

ポストを見ると、本が届いていた。開けると『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』だった。差出人は著者の三浦英之さんだった。ありがとうございます。確かに受とりました。
映画を観に行く電車の中で本を開いた。様々な人生が描かれていた。中には、国家の監視により今も自由に発言できない卒業生もいるのだった。まるで留学をしているように様々な民族と一緒に学んだ満州建国大学の学生たち。彼らの戦後の歩み、現在を知ってほしい。現在の社会も見えて来る。ぜひ本を読んでほしい。

さて、20年かけて少しづつシルクロード雑学大学を自転車で走る『ツール・ド・シルクロード20年計画』と銘打ったサイクリングに、1993年から2012年まで取り組んでいる。毎年800キロほどサイクリングして、西安とローマの間をつぐ計画だった。

2006年に中国のカシュガルを出て、標高3952メートルある天山山脈のトルガルト峠を越える予定だった。中国側の国境の兵士の嫌がらせで、ペダルを踏んで国境を越える計画は実行できなかった。だが、この時に「若いころに日本兵と一緒に働いたことがある」と証言するキルギス人がいるにもかかわらず、キルギスに抑留されたという証言や手記を目にすることはできなかった。

厚生労働省にも足を運んだが、「キルギスで亡くなった抑留者はいない、記録はない」という回答だった。中央アジアにあるキルギス、には日本人の抑留者はいなかったというのが定説で、抑留者のいた収容所の地図を見てもキルギスに収容所はなかったことになっていた。だが、2007年の9月に、キルギスに抑留された元日本兵から長澤に電話があり、元日本兵125名が1946年から1948年までいたことが分かった。不幸中の幸いだが、一人の死者も出なかった。125名前が帰国している。それで、厚生労働省に記録が残っていないようだ。

こんなサイクリングの途中で、キルギスの収容所に元日本兵が抑留されていたことを突き止めたのだった。この抑留者の中に満州建国大学の卒業生がおり、『五色の虹 満州建国大学の卒業生の戦後』に結びついたのだ。

映画では、36名が証言していた。驚いたことに、キルギスに抑留された長崎市在住の松田六郎さん、看護師として抑留された女性も1名証言していた。

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昨日のサイクリングで府中へ行っているが、「ふちゅう地下マップ」は上の写真の通り。これは府中近郊近の所在を詳しく紹介しているので、関心のある人はぜひもらってはいかがでしょうか。このパンフレットは無料です。

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「ふちゅう地下マップ」というパンフレットは、中を開くと地図が出てきます。この地図を見ると、府中はどこを掘っても遺跡が出てくることを理解できます。ぜひ、ウォーキングやサイクリングに生かしてほしい。

東山道武蔵野路など古代道路と古墳


シナモンの香る紅茶はフランスで買ったもの。海外サイクリングの際に買ったが1年以上前に買ったもの。まだ香りはしている。

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晴れているけれども、昨日はすごい雨だった。時折、黒い雲も顔を出す。でも、紅葉がきれいな季節だから、近くで樹齢1000年のイチョウを見たい。自転車屋さんでねじを買った後に、府中にある大國魂神社に行くことにした。インターネットで探した。

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自転車屋さんというか、サイクルショップで買い物を済ませて府中なる大國魂神社に向かっていると、思いがけず熊野神社の前に出た。この神社の裏には古墳があり、数年前に整備されている。神社の前にある説明文を読むと、熊野神社が創建されたのは江戸時代。古墳が作られたのは7世紀頃のようだ。

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この古墳は、国の史跡に指定されている。上部が丸く、下の台の部分が四角形をしていることで有名だ。

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以前は、草むらの丘という感じだったが整備された。発掘したのちに、表面を覆っていた石を並べている。さらに、敷地の中に資料館が作られていた。資料室の中には、古墳が中国の技術である土を突き固めた版築(はんちく)で作られていることも示していた。

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だが、熊野神社の参道を振り返ると鳥居の南側には、ビルが立ちふさがっていた。

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旧甲州街道を東へとペダルを踏み大國魂神社に到着。だが、自転車置き場が見当たらない。ケヤキ並木沿いに自転車置き場を見つけて駐輪。2時間以内だったら無料だ。

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神社の裏手に推定樹齢1000年のイチョウがあるらしい。神社の表側がお参りの人が多いが、裏側には誰もいない。大体、イチョウは中国から仏教を取り入れた時に、銀杏として持ち込まれたのは始まりのように思う。神社にあるのは、不思議。

だが、右手の奥に黄葉したイチョウの葉が見えた。

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わたしの後に続いて3人の女性が続いていた。この3人は丁寧にお参りしていた。イチョウの木の大きさがわかるので、写真を撮らせてもらった。このイチョウのの周囲には、銀杏が落ちていなかった。

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神社の表に出ようと北を見ると、紅葉がきれいだった。通路の左手には東照宮を祭っていた。賽銭箱があったが、ビデオで監視しているとの張り紙が張ってあった。お賽銭をいてれいるかどうか見張っているようだ。お賽銭を入れて、駆け足で神社の表に向かった。境内まで監視社会、神も仏もないとはこのことだったのか。

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古墳のあった熊野神社の資料館の床には、府中近郊の遺跡を表示した地図を描いていた。また、「ふちゅう地下マップ」というパンフレットも置いてあり、府中駅近郊の遺跡も地図と一緒に表記されている。このパンフレットは無料で、府中市内の公共施設で配布している。それにしても、府中はどこを掘っても遺跡が出てくる風だ。

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古代道路に関心のある人は、「東山道武蔵野路を探る」と題する展示が、坂戸市と国分寺市で開催されるので見てほしい。

坂戸市内では12月17日まで、国分寺市内では2016年1月16日から3月13日まで。

「kotoba」コトバ第22号で上原善広さんのインタビューに遭遇


『満州暴走・隠された構造』(安富 歩著、角川新書)800円+税、アマゾンでは882円より

シベリアに抑留された人たちを取材しているので、彼らの住んでいた地域を知りたいと思っている。まずは、満州から。そんな軽い気持ちで買ったが、大豆のこともある書いてので、「何だ、なんだ」という気分。満鉄関係の手記なども読んでいるが、まずは概略をつまむ読書。

2010年に中央アジアにあるキルギス共和国に抑留された宮野泰さんと一緒に、収容所を再訪している。この時に、飛行機の都合で通るカザフスタンのアルマトイに連泊した。朝日新聞の記者・三浦英之さんと仁川空港で合流して、アルマトイでは同じホテルに宿泊した。

日本・中国・台湾・朝鮮・ロシア・満州といった民族が一緒に寮生活を送りながら学んでいた。朝日新聞の三浦英之記者は、これらの多様な民族に取材するために飛行機で飛び回っていた。取材のきっかけとなったのが、宮野さんとの出会いだった。

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その三浦英之記者が、満州建国大学のOBを取材した経緯をまとめた作品が、今年の開高健ノンフィクション賞を受賞した。作品は『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』という。12月15日に集英社から発行

満州建国大学に関する著作には、コミックの『虹色のトロッキー』がある。このコミックの著者である漫画家の安彦良和(やすひこ よしかず)へのインタビューが読みたくて、「kotoba」という集英社の雑誌の第22号を買った。中上健次の特集だった。

すると、ノンフィクション作家の上原善広さんのインタビューもあった。写真。も載っている。だが、よく見たら中上健次だった。上原さんも写真の中上健次と同じ場所に立ったんだろうなあ。

上原善広さんには、1月10日にシルクロード雑学大学で講演をお願いしている。ただし、上原さんの講演は、この原稿とは関係ない。今年、カナダを自転車で旅行した体験を語ってもらう予定だ。まあ、上原さんの著書に関する質問などはいいでしょう。懇親会という名の呑み会もあるので、その時に質問してはいかがでしょうか。

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上原さんの最新作は『被差別のグルメ』。こちらもよろしくお願いします。

上原善広さん、講演も懇親会もよろしくお願いします。


自転車関連の本・イスラム映画祭の紹介


12月8日(火)の新聞で紹介されていた広告

新聞の広告を思い出して、引っ張り出した。川西蘭の「セカンドウィンド3」が小学館の文庫から発行されるとのこと。「セカンドウィンド」は「1」も「2」も読んでいる。すっかり展開は忘れている。だが、高校生の自転車レースがどうなるのか楽しみ。後で買いに行こう。

「ぼくたちと駐在さんの700日戦争 ベスト版 闘争の巻」も発行という。この本は書店の本棚で見たことはあるが、読んでいない。だいたい、ママチャリという著者がわからない。まじめにやれ、といいたい。

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本屋さんに行った。「セカンドウィンド3」を買った。

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裏表紙の本の紹介。小学館の文庫だけでも、自転車に関係する小説がこれだけある

Amazonで見て、単行本の表紙に見覚えがあった。本棚のどこかにあるはず。だが、文庫本は加筆してあるらしい。どんなふうに書き換えているのか、追いかけてみよう。何だか、大学のレポートを書く気分だが。

「ぼくたちと駐在さんの700日戦争 ベスト版 闘争の巻」も本屋さんで見た。何と横書きだった。携帯電話じゃあるまいし、と思って買わなかった。でもこれでは進歩はない。明日、買いに行こう。

本屋さんで思い出した。友人の高世仁さんのブログで紹介していた「騙されてたまるか 調査報道の裏側」清水 潔著を読みたい。

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家に帰ってパラパラ見たら、歯切れがよくて面白い。テンポの速いのが気持ちいい。

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そういえば、新聞広告の裏には、「髪は増える」という本の広告があった。最近気になっているだけに、書名が目に入った。最近、若い時の友人の写真を新聞などで見ることがある。きれいに光っている人もいる。「あんなに黒々だったのに」と、別人を見ている気分になった。

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12月8日の都内版の記事

都内の渋谷でイスラム教の国々の作品をあるメタ映画祭があるという。

「イスラム映画祭」は12日から18日。会場は円山町のユーロスペース。年淡は新聞記事の最後の段落を読んでほしい。
上映後に写真家、研究者、作家によるトークイベントも予定されている。

1月10日(日)、講演「カナダ横断サイクリング」上原善広氏

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ノンリクション作家の上原善広氏が、カナダ横断に使っている自転車

講演会のお知らせ

シルクロード雑学大学の1月10日(日)の定例会では、ノンフィクション作家の上原善広氏にカナダ横断サイクリングの様子を話していただきます。下記の通りです。

タイトル:『カナダ横断サイクリング 西から東へ旅する Ⅰ』
講師:上原善広(ノンフィクション作家)

日時:2016年1月10日(日) 15時~17時
会場:JICA地球ひろば 600号室(新宿区市谷本村町10-5、JR市ヶ谷駅下車徒歩10分l)

参加費:一般1000円、学生500円
申込み:申し込みは必要ありません。直接会場にお越しください。
問合せ:シルクロード雑学大学 042-573-7667
備考:上原善広氏のプロフィールはシルクロード雑学大学のホームページで紹介

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カナダでサイクリング中の上原善広氏

上原善広氏の著書の一部を紹介(下記の署名をクリックするとアマゾンで購入できます)

『日本の路地を旅する』(文春文庫)
『異邦人 世界の辺境を旅する』(文春文庫)

『路地の教室 部落差別を考える』(ちくまプリマ―新書)

『被差別のグルメ』(新潮新書)
『被差別の食卓』(新潮選書)

水喰土公園で幻の玉川上水に出会う


多摩川サイクリングロードの脇にある国立市総合グランド近く、にあるイチョウの木柿の木

12月4日(金)、2日間雨模様だった。だが今朝は気持ちよく晴れた。水喰土公園(みずくらいどこうえん)が気になっていたので行くことにした。名前と言い、いわれといい気になっている。

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出発地は、海川39キロ地点と標識が出ていた。富士山は頂上だけが雲に隠れている。風が強い。

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立川市内入ってから、河川敷におりた。堤防の上で小学生がランニングというか、かけっこの練習。それにしても、小学校教師って女性が多い。まじめに勉強するから試験に受かるのだろう。

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多摩川を上っていくが、強い向かい風。時速10キロほどにスピードが落ちる時もある。それにしても、サイクリングロード沿いに家が増えている。定年後、昼寝にはいい。実際に縁側で寝転んでいるおじさんも見えた

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多摩大橋の下をくぐってくじら公園の脇を抜ける

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八高線線列車衝突事故の遺品である列車の車輪がサイクリングロードの脇に展示してある。よく見ると、車輪が欠けていた。事故は、1945年8月24日の午前7時40分に発生。列車が、鉄橋の上で正面衝突した。105名の命が失われた

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事故現場であることを伝える案内が並んでいる

亡くなったのは、復員した兵士や疎開先から自宅に帰る人だったと案内板では説明している。せっかくの助かった命、希望をもって帰宅するのだろうに残念でならない。敗戦が8月15日。8月24日にすでに復員した兵士とは、どんな地位の人で、どこから帰ったのだろうか。気になるところでもある。調べてみたい。

満州の事例からすると、関東軍の上層部は、敗戦直前に帰国に向かっている。だが、多くの元日本兵はシベリアに送られたり、現地で命を落としているという。

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道に迷いながらも、「水喰土公園」をみつけることができた。GPSを忘れてしまい、緯度経度は不明

いい公園だった。季節がよかったのかもしれない。紅葉がきれい。ゴミが落ちていない。人もいない。自然が残っている。

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ケヤキの根っこでバリアフルになった階段。高齢の身にはトレーニングによさそう。よくぞ根っこを残してくれた。公園管理者にエールを送りたい

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「水喰土公園」の名前のいわれとなった掘削地。江戸時代に、玉川上水の堀をいくら掘っても砂利層が水を吸い込んだので、こんな地名になったのだという

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雑木林は、様々な色を演出している季節。空は木の枝で覆われている。山の中みたいで、「いいね」

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公園の名前の由来を伝える説明版。地図もあり、視覚的にもわかりやすい

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掘削地に入ることはできないが、公園内で掘削された細長いくぼ地をたしかめることができる

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福生市のホームページを見て、暗い公園だとイメージしていた。だが、とっても明るかった

八高線と青梅線の間にあり、すぐわきに熊川団地がある。最寄駅はJR拝島駅。

家に戻ると、喪中はがきが届いていた。友人の奥さんからだった。友人は、一緒に敦煌からチャルクリクまでラクダで旅行している。だが、すでにがんで亡くなっている。よく読んだら、長男の死を伝えるはがきだった。まだ36歳。一緒に蘭州から張掖(ちょうえき)までサイクリングしたのは1994年の夏だった。当時、彼は中学3年生の15歳。180センチ以上あり、相撲部屋からも誘いがあった。頑丈そうだったのに、残念だ。奥さんはがっかりしているだろう。親として当たり前だ。いいと思う。その後に会った時には、建築士として忙しそうだった。

何があったのかわからない。上遠野拓君、ただ冥福を祈る。安らかに眠ってください。

講座『定年後、わたしの巡っているシルクロードへの旅』


『西南シルクロード紀行』 宍戸茂著、朝日出版社発行、1900円+税、アマゾンでは100円より。ただし、1000円以下は3冊だけ。5000円以上のものもあり。

講座のお知らせ

タイトル:『定年後、わたしの巡っているシルクロードへの旅』
講師:宍戸 茂さん(定年退職者、シルクロード雑学大学会員)
日時:12月6日(日) 15時~17時
会場:JICA地球ひろば600号室
参加費:一般1000円、学生500円
備考:その後、懇親会があります。誰でも参加できます。こちらは、飲む人4000円くらい、呑まない人2000円くらい。サインのほしい方は宍戸さんの書いた本を持参してください。

内容:仕事も続いていた55歳の時に『ツール・ド・シルクロード20年計画』に参加して、蘭州から武威までを自転車で走る。その後も、中国国内を自転車での走破を続けていた。会社での移動を契機に長い休暇の取得が難しくなり、バスや列車を利用して旅する。定年後は、仲間に呼びかけてシルクロードをバスで巡る。来年はシルクロード旅行も10回目。中国から中央アジアへと天山北路を巡る旅を計画中。
定年後のライフワークとしてシルクロードを旅し、旅の総決算を本でまとめてきました。自身のライフワークの総決算の一部を話したいと思います。
講師プロフィール:1939年山形県生まれ。東北大学卒業後、出版社へ入社。2000年に定年退職後、北京大学、雲南民族大学へ留学。1990年代より自転車でシルクロードを走るようになり、後に西南シルクロードへの関心から雲南民族大学へ留学西南シルクロードへ仲間と一緒に旅行を重ねる。西南シルクロードへの旅の結果をシルクロード雑学大学のホームページにまとめ、2009年に「西南シルクロード紀行」と題して朝日出版社より発行。シルクロードへの旅は、来年の7月に天山北路をバスで巡る予定があり、今は計画中。参加希望者がいましたら声をかけてください。事務局経由でも構いません。

予約の必要はありません。直接会場に来てください。

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