2016-02

高尾から東京湾サイクリングの下見


JR高尾駅の北口

2月28日(日)快晴、3月5日(土)に仲間と一緒に高尾から東京湾まで、多摩川サイクリングロードを走る約束をしている。3月6日(日)だったかもしれない。5日は気温が低いが天気はいい、6日は曇り空だがだが気温は高いようだ。
企画を提案したのは私だった。下見を兼ねてサイクリングに行くことにした。とはいえ本の整理などしている間に時間は過ぎ、家を出たのは11時になった。

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JR高尾駅の北口。改札はホームに面していた。ただこのホームは、上りホーム、つまり東京駅方面へ向かう電車のホームだと思う。東京方面から電車できた場合は、逆のホームになると思われる。ハイキング姿の人が多い駅だった。走り出すと、若者も多かった。スピードが違うけれど。

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駅前のお土産屋さんをのぞくと、まんじゅうがあった。顔よりでかい特大せんべいもあった。

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駅前の泥を北に行くと、甲州街道にでる。ペダルを踏むこと10秒。下り坂なのでペダルを踏まなくても到着。左右にセブンイレブンとファミリーマートがある。どんな商品を並べているのか興味深い。3月6日の朝、早めに来て偵察だ。偵察の結果を何に使うか。使い道はない。ほしい情報はない。ただ好奇心あるのみ。


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甲州街道にある地図の「現在地」から「陵南大橋」に行けば南浅川に達する。そこから川は右側に流れている。つまり南側が右岸となる。川は、海に向かって流れます。流れの方向の右側が右岸。基本的には右岸のサイクリングロードを走って、東京湾に出る予定。

もっとも、浅川のサイクリングロードの一部は工事中で、対岸を走ることになるところもある。結構、路地を走るのも面白かったのだが。

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高尾駅を出て10分ほど走ると、南浅川のサイクリングロードの梅の花が満開だった。定年後と思われる男性が、大砲のようなレンズを付けて花の写真を撮っている。あるいは鳥の写真を。定年後の人が、あんな思いレンズをもって‥‥、いい運動になるだろう。高いレンズ、ぜひとも高く売れる写真を撮ってほしいものだ。間違っても、パソコンに入れたまま2度と見ることのないような「箪笥の肥やし」状態はやめてほしい。

もっとも海外の山にも登っている友人は、
「俺が死んだら母ちゃんはパソコンごと写真も何もポイ、だよ。気に入った写真は紙焼きにして取っておかないと、ごみになるだけだね」
 とのこと。facebookに載せたた写真も同じだな。2度と見ることが無い写真は、整理整頓しよう。HDDに入っている写真のうち、今後使うのは何枚あるのだろうか。

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南浅川は八王子市役所の脇で城山川と合流して、浅川となる。さらに浅川は長沼橋の手前で合流して、浅川が続く。だが、長沼橋で左岸に渡り、津具の橋で右岸に渡る。途中で路うろ工事で右岸を通れないところもあった。

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それにしても、すでに子供たちは川に入って遊んでいた。水が暖かくなった証拠だ。このあたりの子供は、塾通いとは縁がないようだ。遊ぶ時間は子供には人間関係や発想を学ぶ時間にもなっていると思う。いいことだ。

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浅川と多摩川の合流地点には、浅川0メートルの標示があった。旧甲州街道に沿っているようだけど、何キロあったんだっけ。次は源流をめざしてペダル+歩こうか。

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帰宅したのは16時頃。谷保天満宮に寄ったら、梅が満開だった。甘酒もあったが、宴たけなわでおじいさんたちが境内にテーブルを出して親睦会も過ぎて、声が大きくなっていた。今は怖いものはないが‥‥。

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谷保天満宮は、ハケの下にあった。鳥居はハケの上。もともと、鳥居の向きは今と同じか。興味深いところだった。境内には、湧き水もある。多摩川の支流は、ここからも始まっていた。
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三浦みどりさん、津島祐子さんとの出会いと作品


朝刊の広告、スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチの作品を宣伝していた。

2月23日(火)、新聞を開くと三浦みどりさんの名前があった。ノーベル賞を受賞したスヴェトラーナ・アレクシェーヴィチの作品と一緒にあった。三浦さんは、このの^ベル賞を受賞した作家の作品を翻訳していたのだった。群像社という出版社から出ていたのだが、岩波書店から文庫版になっての再発行だ。こちらの方が売れるだろから、よかった。

もっとも、三浦みどりさんは、2012年に亡くなっている。

わたしは、中央アジアにあるキルギスで抑留生活を強いられた元日本兵を、2007年にみつけている。それまでは、日本の厚生労働省に問い合わせても、「キルギス共和国収容所はなかった」との答えしか返ってこなかった。「天山の小さな国キルギス」(東洋書店)に、書写の三井勝雄氏は、キルギス人の間に元日本兵と一緒に働いたことがあるといっキルギス人の証言を記録している。

わたしは、それ以降、毎年キルギスに行っていた。そして、新聞の協力を得てキルギス共和国の収容所にいたことがあるという元日本兵を見つけ出している。当時、元日本兵は83歳と85歳だったように記憶している。接しした。

2012年にキルギス共和国のタムガ村にある収容所だった保養地に「キルギス平和センター」という元日本兵の記録を写真などを展示する施設を設けた。この時、三浦みどりさんは、「極光のかげに」(高杉一郎著)のロシア語版のコピーを寄贈してくれた。タムガ村の子供たちにも、よくりゅ社のことを記録した作品を読めるようにとの配慮だった。

その後も、保養地のロシア語のパンフレットを日本語に翻訳するメンバーを紹介してくれたりと、ずいぶんと助けられた。三浦みどりさんと話すと、同じ時期に沼野光義さんにロシア語を習っていたことが分かった。東中野にマヤコフスキー学院という施設があり、わたしは、、大学の5年目からここでロシア語を学んでいる。三浦みどりさんは、この施設でロシア語の上級のクラスに学んでいたという。沼野光義さんは、今は東大で教えている。

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「ボタンの穴から見た戦争」の解説は、沼野光義さんが書いている。三浦みどりさんは東京外国語大学の卒業だが、マヤコフスキー学院では沼野さんに教わっている。子弟による一冊なのだ。

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一緒に発行されている「戦争は女の顔をしていない」も三浦さんによる翻訳だ。

若くして亡くなったのは残念だが、いい仕事を残してくれた。締め切りにおすぁれることのない毎日をのんびりと過ごしてほしい。

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朝刊には、小説家の津島祐子の死を悼む文章も載っていた。

2010年だったと思うが、キルギスで捕虜生活を強いられた宮野泰さんと一緒にキルギスへ行ったことがある。彼にとっては、復員後2回目のラーゲル訪問となる。その時、わたしがキルギスのタムガ村での定宿で2階から降りると、見覚えのある女性がいた。それが津村さんだった。講談社の編集者と一緒だった。

「他にも日本人が一緒だよ」というと。「え、こんなところに」との返事だった。
津島さんは、マナスというキルギスの伝説に関心があって訪問していたらしい。ところが、とんでもない田舎だと思っていたら、シベリア抑留の一人である日本人がいたのでびっくりしたようだった。

相手は仕事だろうと思ったんで、あまり話さなかった。その後、津島さんは「黄金の夢の歌」という小説を発表している。シベリア抑留のおじいさんとの出会いが、どのように作品に組み込まれているのか。わたしはしらない。文庫になったようだから今度読んでみよう。作品のことに関しては、このサイトを見てほしい。

国立市公民館で東日本大震災の写真展を開催

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国立市公民館で開催中の写真展で2011年3月11日に東日本大震災による大津波で被害を受けた釜石市の様子を伝える写真展を開催中。タイトルは『第9回東日本大震災』

ふらりと国立市公民館へ行ったら、ロビーで写真展を開催中だった。主催者らしき方がいたので、少しだけ話をした。4月にスペインとポルトガルを自転車で走る。天正少年使節、慶長遣欧使節の足跡ともだいたい重なる。この体験を通して、参加者が九州や東北をサイクリングに出かけたいと思えばいい、と話した。主催者風の方は2名いたが、1名が九州の出身だった。


すでに地震から5年が経とうとしている。当初は、新聞でもテレビでもラジオでも毎日のように報道していた。だが、最近はあまりニュースを見たり聞いたりすることが無くなった。それだけに、この時期の写真展の開催は志の強さが感じられる。

新聞記事や雑誌の特集も展示している。写真展は2月21日、今度の日曜日まで。入場無料だ。時間の都合が付いたら、ぜひ見に行ってほしい。

ひょっとすると、9月末に自転車を持って釜石へ行き、被災者の案内で被災地を巡ることになるかもしれない。たぶんなるでしょう。希望者は時間を空けておいてください。釜石で『東日本地震復興秋まつり』があるので、楽しみながら盛り上げに行こう。

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主催は、「NPO特定非営利活動法人復興応援かけこみキャラバン」です。facebookで、この名前で検索すると国立dネオ写真展の会場の様子などを見ることができます。

尚21日は、15時から17時までトークとミニライブがあります。

同じように13時30分から17時まで、長澤の講演も別の部屋であります。



「ツール・ド・シルクロード20年計画」の講演


2月21日の講演を伝えるフリーペーパー(アサココ2月18日)

アサココというフリーペーパーで2月21日国立市公民館で行う講演が紹介された。

1993年から2012年までの20年をかけて「ツール・ド・シルクロード20年計画」と銘打ったサイクリングを主宰して実施した。西安からろローマまでを20分割して、毎年少しづつ自転車で走って、仕事を持ちながらも趣味や特技に取り組もう、ライフラークのある人生を過ごそうという提案を実践した取り組みだった。

朝日新聞が大きく取り上げてくれたので、参加希望者が多くいた。1回目だけゴールデンウィークを利用した。会社の休暇を得るなどして17名が参加している。

当初は日本も景気がよかった。財団法人日本自転車産業振興協会は、毎年1名の職員を派遣し参加させてくれた。物質的な支援でもお世話になった。また、1回の海外サイクリングは18日間だが、休暇を取得して参加する会社員もいた。学校を休んで参加する高校生や大学生もいた。参加者の平均年齢も40代と若かった。日本は活気があった。

何よりも、すでに核家族と言われていたが、いろんな世代が集まって、自分でペダルを踏んで汗を流し、共通の話題を話し合えることは楽しかった。自分の子供、あるいは親の世代との会話は、自身の子供や親を理解する上でもプラスになったと思う。

20年だから自分も変わっている。38歳から58歳に。体重は‥‥。

20年間で写真はずいぶん変わった。フィルムを50本持参すると荷物はかさばった。最近になってビデオカメラが出てきて、荷物が少なくなった。ビデオカメラも小さくなった。今はデジタルカメラでもビデの撮影ができるようになった。

初めの頃は、「仕事の督の電話もかかってこない」のは魅力だった。情報を断ち切る意識が、社会の多くの人にあった時代だった。
今では携帯電話やスカイプで、毎日、奥さんに連絡している人もいる。どうしてか、女性の参加者は夫に電話しない。羽を伸ばすのは、今も昔も女性の方が上手のようだ。いったん家を出たら、自分のことに集中している風だ。その方が安全だが。

定年後の生き方や趣味や特技を持った生き方に関心のある人は、どうぞ。まあ、今後何回か連続して講演し、話しながら20年のサイクリング計画をまとめようと思う。場所や時間など、詳しくは記事を読んでください。

弱者の視点からシルクロードの東西を見る

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国立市内大学通りの梅は満開

2月14日(日)、PR誌の編集をしている時にお世話になっていたデザイナーが、facebookにグループ展をアップしていた。予定がずれたが、腫れたので出かけた。いつも通る大学通り、梅の花は満開だった。花には、青空があっている。


グループ展は、JR国立駅南口から3分ほど。

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コート・ギャラリー2で2月16日まで開催している。

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そのありで有楽町へ行った。イラクの内戦などでケガや病気をした子供たちを支援しているNGO法人日本イラク医療支援ネットワークが有楽町で絵を展示しているので見に行った。

2003年にイランで地震があり、26000人から42000人の市民が犠牲になっている。シルクロードを自転車で見聞する「ツール・ド・シルクロード20年計画」に取り組んでいる最中で、2004年にイランを走る計画だった。そこで、義援金を呼び掛けて、現金とペルシャ語で書かれた絵本を、サイクリングの初めに届けている。お礼にイランの子供たちが絵を書いてくれたので、帰国後に日本国内で展示会をしたことがある。

絵は自宅にあるが、今後どのように生かそうか考えていたところだった。子どもたちが書いてくれた絵に、サルの絵が描いてあった。「どうして書いたの」と聞くと、「さる年だから」と、子供は返してくれた。あれから、すでに12年が過ぎている。20歳は過ぎているだろう。大人になっている。会いに行くサイクリングもいいもんだ。できるだろうか。

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17時に帰宅予定だったが、買い物などで30分ほど遅れてしまった。友人が荷物を届けてくれたが、間に合わなかったのでノブにかかっていた。ビニール袋に入った荷物は重かった。ありがとう。

また、友人の胡口靖夫氏から新刊が届いていた。中央アジアにあるウズベキスタンには、ナボイ劇場というオペラ劇場がある。1939年に建設が始まった建物だが、1946年にこの地に抑留された元日本兵が建てたとの説を唱える自称ジャーナリストがいる。時間的につじつまが合わない。

すでにNHKの番組でも、日本ウズベキスタン協会の発行する「追憶 ナボイ劇場建設の記録 シルクロードに生まれた日本人伝説」に元ウズベキスタン大使の孫崎亨氏が「ナボイ劇場 日本人抑留者の建てた大舞台」と題してソ連第一級の設計家シュシェフの設計だと明記している。シュシェフは、「赤の広場」「レーニン廟」の設計者でもある。

胡口靖夫氏は、シベリア抑留を研究している友人からNHKが放送した番組のDVDを送ってもらったことがある。そのDVDには「わが青春のナヴォイ劇場 日本人捕虜が建てたウズベキスタンのオペラ座」が収められていた。また、日本人抑留者の役割は、土木・配管・彫刻・外壁といった肉体労働だったと記録されていた。

これらのことを胡口靖夫氏は、本の中で丁寧に論証している。

「ウズベキスタンと現代の日本」は、楽天でも取り扱っている。紀伊国屋書店でも取り扱っている。1800円+税だ。事実は事実として認めた上で、ウズベキスタンの市民が自分たちの技術やまじめさに自信を持つように伝えるのも日本の市民の役割ではないか。ウズベキスタンの公文書館で写真を見れば、事実はすぐにわかる。

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杉山春氏の「満州女塾(まんしゅうじょじゅく)」(新潮社)も届いていた。この本、日本の古本屋で2500円。Amazonでは6000円もする。

三浦英之さんの「五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後」の影響で、満洲に関する本を読んでいる。戦中の日本政府は、満洲へ開拓や戦争のために男たちが渡るように仕向けているが、その妻になるためにと女性を養成する施設を設置している。この施設で過ごした女性に取材したノンフィクションである。杉山春氏は、「ネグレクト」(小学館文庫)と題する作品で小学館ノンフィクション賞を受賞しているノンフィクション作家だ。

野川サイクリングロードは風の中


野川にもカワセミがいた

2月13日(土)、4月にスペインとポルトガルを一緒にサイクリングする仲間と一緒にサイクリング。野川を走ってきた。

JR西国分寺駅で待ち合わせて、南口近くにあるお店でお茶を飲んでから9時30分過ぎに出発。国分寺市の資料室2か所、古代道路、推定鎌倉街道、国分寺と見どころは多、時計の針はどんどん進むばかり。結局、深大寺でお昼にそばを食べることになった。

野川のサイクリングロードは空いていた。桜の花の時期、混むだろうけれども、来たいものだ。次は花見サイクリングだ。
植物園に行く時間はなく、野川に戻ってサイクリングとした。それにしても、深大寺は人が多かった。日本語の通じない人も多く、スペインではこんな風にみえるんだ。わたしたちも。

野川を走っている間に、風が強いことを時々感じた。これでは目標とした多摩川の0メートルポイントまで行けそうもない。
二子玉川から多摩川の河川敷に出たが、向かい風が強かった。多摩川の神奈川県側に目をやると、河川敷にあるグランドは茶色い砂煙が舞い上がってすごい。つむじ風が出ているのだ。逃げやしないんだから、0メートルへ行くのは次回とした。

二子玉川から多摩川の河川敷を走り、途中で土手に上がる。巨人軍のグランドのあたりで再び河川敷へ。なかなか進まない割には忙しく、写真を撮る暇がなかった。風が強いから埃で壊れてもいけないと思ったこともある。もっとも、カメラよりも先に持ち主が壊れそうなのだが。

ガス橋で帰りがけ、バレンタインデーが近いからチョコレートをいただいた。もちろん女性。お返しは、敦煌近くの瓜州城で拾った陶片としよう。約1300年前のもの。

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小金井に到着した時、空は暗くなっていた。

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街頭で交差点は明るくたらされていた。まだ、ライトがなくても走られる明るさ。ライトをつけたけれど。

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そんなに大きくありません。これは瓦の一部。

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これは、どこで拾ったんだっけ。おそらく、トルクメニスタンのメルブの遺跡。今は世界遺産だ。


鎌倉街道を下見サイクリング


東京都国分寺市にある推定鎌倉街道

明日(2月13日)は、4月にサイクリングに行くメンバーを中心としたメンバーでサイクリング。天気予報は組りながらも暖かいらしい。気になるのは、12時を過ぎると南西の風が強くなってくること。多摩川の河口で向かい風のようだ。

明日のサイクリングのルートは、JR西国分寺駅から周辺にあ。る遺跡や資料館を巡って、野川に出る。野川沿いに二子玉川までサイクリングロードを走り、多摩川沿いに下って、多摩川の0メートルのポイントがゴール。再びガス橋を通って、わたしは野川経由で帰宅の予定。疲れたら電車で帰る。至って、なまけもののサイクリングを思いめぐらしている。

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推定鎌倉街道を北から南に見る。向うは下り坂なんですけど。写真では斜めに取らないと分からないですね。

野川公園の周辺では、戦争遺跡や水車を見る予定。

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看板を大きくすると、なんだ車は交通止めということか。モーターバイクもダメ。自転車は車両なのに、ここを通られる。車のル^とも通ってみたいものだ。

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下から学生さんが自転車で上ってきた。スピードを出して下ると、鉄パイプが待ってるので注意してください。殴られるわけではありません。ご安心を。

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地図を買おうと思って国立の大学通りを自転車で走ったら、梅が満開だった。写真の右に小さく赤い梅の花が咲いています。

春は近い。

野川でサイクリング

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朝の団地。快晴の空の下

2月11日(木)、4月にスペインとポルトガルへサイクリングに行く。15名の仲間と一緒に。13日に一緒に行く仲間5名で顔合わせの意味もかねてサイクリングの計画をした。その下見に行った。た。朝は快晴だった。雲一つない。

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野川を通った。何度も通っているサイクリングロードだが、初めて気づいた車に、通り過ぎたが戻って写真を撮った。長年ご苦労様でした。

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野川を通って多摩川に出る前に世田谷区内を通るのだが、高速道路にインターチェンジを作るために工事をしている箇所がある。ところが工事中に古いお墓が発見され、急きょ発掘作業が始まった。はずだった。だが、工事が進んでいる、発掘作業はしっかり行われたのだろうか。

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工事現場の脇には公園がある。公園の東側は、ハケになっている。その上は高級住宅街。マンションが並んでいた。マンションの下には墓が埋まっている。遺骨も出ている。はけは、古代からお墓として利用されていたことは、よく知られている。わたしが住んでいる団地は、近くの畑から古墳が出ている。似たり寄ったりか。

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野川を通っての帰り道。昨日と打って変わって風がない。野川の水面は鏡のように、流れの脇の家並みを映していた。

団地とシルクロード


団地の庭の片隅に落ちていたミカン

2月9日(火)、語呂合わせから言ったら、今日は肉の日か。でも団地の庭に落ちていたのは、ミカン。以前から40個ほど実のなっているミカンの木が、気になっていた。もちろん、気になっていたのは実である。木ではない。ミカンはおいしそうな色になっている。だが、届かなかった。見るだけだった。

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落ちているミカンに魅かれても、引力には思いが至らない。リンゴじゃないから、ニュートンのように力学に思いは至らない。食い気だけ。この団地は東京オリンピックの前に建てられている。40年ほど経っていることになる。種は誰かが蒔いたのか、落ちただけなのか。どっちでもいいけれど、うまいといい。次のサイクリングの時のおやつにしよう。

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団地の庭には、他にも食べられる実のなる木がある。わたしが置いている鉢植えは、桑の木。白い実がなるのだ。鉢植えだが、水をあげたことはない。植木鉢の底を抜いて、海外サイクリングに出かけても水やりの心配をしなくても済むようになっている。

都市公団の人がこのブログを見たら大変だ。団地の人がこのブログを読んだら問題だ。わたしも種を植えたいという人が、続出するに違いない。団地で野菜をつくっている人もいるくらいだから、果物くらいいいだろう。そう、言えば昨年一緒に西安ウォーキングに行った人の中に、都市公団に勤めていた人がいた。しかも、サイクリングが趣味だった。でも、ぼけたふりで切り抜けよう。

白い実のなる桑の木は、イランで買ったドライフルーツを、好奇心でベランダで育ててみたのだった。芽が出た。実がなった。昨年の今頃に挿し木をしたら、2本だけ根付いた。都内と奈良県にもらわれていくことになっている。

昨年挿し木しなかった木は、カミキリムシのようなのに木の幹を食われている。ところが、しだれ桑の木だった。今年は、挿し木してみよう。虫に食われて枯れる前に、この世に残してあげたいものだ。

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団地の片隅には、シルクロードを自転車で走りながら遺跡で拾った陶片も置いてある。オブジェと思っているが、関心を示すのは保育園児だけ。ままごとに使っている。1000年以上も前の陶片とは知らないだろうが、色や模様には関心があるようだ。興味に応えるために、またシルクロードの遺跡に行って、きれいな模様のオブジェを増やしてあげたい。

「桑の木」の挿し木、ほしい人は1年待ってください。ドライフルーツはイランからのお土産でした。

国立市内の古墳


国立市、一橋大学の前にある駐輪場に乗り捨てられたと思われる自転車

昨日家の近所を散歩したら、一橋大学の前にある駐輪場に、レンタサイクルかシェアサイクルとして一橋大学内でに使われていると思われる自転車があった。すでに1か月ほど同じところにある。こういうことをする人がいる限り、一橋大学のある国立市でシェアサイクルは普及しないと思う。はやいところ本来の利用形態に戻してほしいと思う。

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「五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後」を読んでいて、気になることがあった。満州建国大学のOBの百々和さん、森崎湊さんの書いた資料を読みたい。藤森孝一さんの日記を読ませてもらう機会は得られないだろうが。古本屋で手に入るものだけでも読みたい。そう思って注文した。

そんな矢先、友人から電話があった。「本を読んでいたら長澤君の名前が出てきた」という。友人、大学でロシア文学を専攻していた。仕事でモスクワへ行ったついでに「満州建国大学のロシア人の卒業生が書いた資料を買ってきてほしい」と頼んだ。

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国立市内の団地の近くには、まだまだ畑が多い。聖護院大根のような大きな野菜も栽培していた。先日、多摩川の河川敷で見たからしダイコンと葉の広がり方が似ている。南武線の南側から写北に向かって真を撮っている。ビルの手前に南武線が通っている。

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また側まで散歩に行く途中、トイレに寄ろうと思って公園に入ったら、古墳の複製があった。

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家の写真は南からの撮影。この写真は北側kらの撮影だ。古墳の石室が南側、つまり多摩川に向いていることがよくわかる。

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多摩川に面した高台の上は、古墳が並んでいたようだ。この古墳は7世紀のもの。鉄製品や玉製品が出土している。高台の上にある団地の下にも古墳が眠っているかもしれない。他の大きな古墳も、小さな古墳も見たいものだ。



多摩川サイクリング

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朝8時30分の団地。寒い朝だった。とは言ってもモンゴルと比べたらかなり暖かい。ここは国立市。

2月3日(水)はサイクリングの約束がある。いつもは野川のサイクリングロードを利用しているが、この日は多摩川のサイクリングロードを利用してガス橋へ向かうことにした。

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谷保天満宮の池は鯉がのんびりと泳いでいた。寒いからか、亀の姿は見えなかった。ここは湧き水だから温かいのだろうか。

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まずはガス橋まで2時間半ほど。国立から狛江高校の脇までは東京都側。さらに神奈川県側に移動して東へ向かう。

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ガス橋で仲間と合流して、再び神奈川県側を登戸の近くにある「二ケ嶺せせらぎ館」をめざす。登戸から南には青空が広がっていて暖かかった。

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ここでは、木を活用した展示会があったのだ。

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「木鳥・焼絵展」が開催中で、鳥の作品24点(出展は11名)、焼絵4点(出展は1名)が展示されていた。

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鳥の名前も知りたいと思って、見に行ったのだ。この展示会は2月いっぱい行っているという。休館日や開館時間が気になる人は問い合わせてほしい。

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「二ケ領せせらぎ館」の周囲には桜の木が何本もあり、つぼみは大きくなっていた、中には咲いている桜もあった。

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ガス橋へ戻る際には、神奈川側のサイクリングロードを利用して、溝の口で二子玉川に渡って、東京側をサイクリング。途中で、ポストのデザインをした郵便受けに遭遇。普通の一戸建ての郵便受けなのだが、以前から前を通るたびに気になっていた。もちろん中を見ていない、寒中見舞いも投函しませんでした。

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ガス橋で仲間と別れて、国立へ向かう。普段は丸子橋の交差点を渡るのだが、河原のサイクリングロードをまっすぐ進みました。あらら、亀甲山古墳脇にある堰の横を通り抜けられるようになっていた。ただし、自転車から降りなければならない。散歩の人が多かった。

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自転車禁止は、約300m。自転車をひいて通るのに問題はなかった。それも、のんびりできていいもんだ。

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多摩川の河川敷には、大根の葉がたくさん見えた。野宿暮らしの長いおじさんは、「多摩川には美味しいものがたくさんある」といって、からしダイコンを抜いてくれた。自分で抜いてみようとすると、葉が切れて抜けなかった。次回は、簡易スコップを持参しよう。な何だか、サイクリングなのか、山菜取りなのかわからなくなってきた。

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国立へ帰るルートは、東京都側のサイクリングロードだった。神奈川県側を走っている時に、緑色のビニールでラッピングされた「何か」が気になっていた。わからないけれども、とっても目立つ。

東京側を走っていると、二子玉川を過ぎたところで目の前に、あの不思議な物体を見つけた。ラッピングされた鉄塔だった。鉄塔のさび止めを塗るためか、ペンキが周囲に飛び散らないようにしているようだ。電線もついていた。この電線、福島第一原発までつながっているのか。ますます奇妙な気分で鉄塔を見あげたのだった。

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登戸駅の対岸で夕陽が見えた。夕陽をもっと暗く撮りたかったが、小さなカメラで撮ったことが無い。

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狛江高校の脇で夕陽が差してきた。木の影がきれいな色だった。もっと赤かったのだが。

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18時ころに谷保に戻った。谷保天満宮には人が集まっている。お祭りだろうか。保育園児から小学生くらいのこどもたちでいっぱい。節分の夜だった。

上原善広氏のカナダサイクリングのレポート再開


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1月10日(日)にシルクロード雑学大学で行われた講演、地図で走ったルートを説明する上原善広氏

ノンフィクション作家の上原善広氏が、昨年(2015年)、カナダをサイクリングした体験をブログで再開した。

http://canada.jp/blog/post-4312/

開のスタートは、オタワのリドー運河の近くにあるユースホステル。監獄をそのまま利用しているらしい。泊まってみたいものだ。

どんな人が収監されていたのか。それは、本にまとめた時に書かれるのだろう。カナダの歴史と重なるだろうから、興味深い。

食べたものの写真も多いが、これを全部食べると、かなり走ったからできたことと納得。

カナダをサイクリングして、歴史と土地に暮らす人と触れたくなってきた。

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