2016-03

敦煌近郊自転車でゆく


敦煌をめざしてペダルを踏む

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30分に1回の休憩、と言っても腰を落とす木陰はない。温かいアスファルトが待っている。

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木陰で休憩しようなんて、誰も考えない。午後になると自分の影を踏むように、ペダルを踏みこむ。

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ようやく到着した敦煌はオアシス。果物も豊富だった。

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1995年のことだが、自転車屋さんも多かった。市民の移動手段は、大方自転車だった。

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敦煌の手前、疏勒河を堰き止めたダムがある。そのダム湖の湖底に、玄奘三蔵が通った唐代の玉門関が沈んでいる。発掘結果だけはあるらしい。

三祁山305_R
三危山が安西(今は古代の地名である瓜州市になっている)から敦煌まで約100キロ続く。その山の上を歩くと面白い。時には、うさぎの白骨死体をみつけることもある。こちらが谷底から這い上がれなくなることもある。一人で行くのは危険だ。

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敦煌の町には、水に関係する容器がたくさん並んでいた。オアシスらしい光景に感じた。
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敦煌からカシュガルまでの講演


敦煌近郊を走る参加者

講演のお知らせ
「シルクロード自転車紀行」第2回 「ツール・ドシルクロード20年計画」で走った敦煌からカシュガルまで、s写真を見ながら旅の様子を伝えます。長澤法隆(シルクロード雑学大学代表)が話します。

日時:4月3日(日) 14時から17時(途中で休憩アリ)

会場:国立市公民館3階講座室 (東京都国立市中1-15、JR国立駅南口下車、徒歩5分)

参加費:500円(資料代)

申込先:シルクロード雑学大学 090-1769-6641

備考:誰でも参加できます。

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西安歴史ウォーキング2016年3月19日その1

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クチャ出身の鳩摩羅什が翻訳を行った草堂寺

3月19日は西安の南にある草堂寺を最初に歩いた。天気のいい暖かい日だった。

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門を入ると4つの石像が待っている。二人の尼さんがお参りをしていた。そのあと、門を出ると乗り合いバスに乗ってどこかへ行った。さわやかな生き方に見えた。

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井霧庵では、いつ石のも穴から煙があがっている。温泉が寺の周囲にあるのだ。仏に使える身としては、「温泉を掘り当てて一攫千金」とはいかないようだ。そうしなくても、日本の仏教団体が寄付して、行くたびにお寺にはは立派な建物が増えてゆく。立派な建物は、とっても新しいがこのお寺のルーツは、草の屋根に覆われた庵だった。どうしてこうなったのだろうか。

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手をかざしても暖かく感じないほどの温度だった。

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鳩摩羅什の骨壺がある建物。

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この中に遺骨があるようだ。石でできている。

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8が4つもあるナンバーの車は、お坊さんのだという。ピカピカのベンツだった。お金に世知辛いお坊さんだったら、牛車に乗るのだろうが。そこまで世間擦れしていないようだ。中国は葬式仏教ではない。何処からお金が入るのだろうか。それはともかく、花がきれいだった。

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お寺を出て、近くの農村を歩いた。古い石臼や石像などが並ぶ一角があった。

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作り物かと思っていたが、ほんもののようだ。それにしても、遺物を何も馬の手綱を結ぶようにして木に結びつけなくてもいいのに。それに、こんな文字を書いたら、持っていきたくなるものも出てくるのでは。子どもは、この上を走り回って遊んでいるのだろうか。歴史に強くなる。

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通りに出ると、うっすらと終南山が見えた。

西安の北で乾陵を歩く


咸陽市の北側にある乾陵は、唐の高宗と則天武后夫妻の合葬墓

3月17日、関東の北の郊外にある乾陵(けんりょう)を歩いた。もっとも、直ぐ近くまでバスで行って、階段上から歩きだした。階段は526段あるのだが、昨年のウォーキングでは自分で上った。さらに、もっと下から歩いている。マウンテンバイクでレジャーを楽しむ中国人たちに追い越されたのだった。

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乾隆でのウォーキングのスタートは、上り坂の参道が階段の上から。羽の生えた馬、ペガサスが左右に並んでいる地点から始まっている。星座表を見たことのある人は、ペガサスと聞き、足の細くて長い馬を創造するだろう。だが、乾陵に並んでいるペガサスは、羽は描かれているものの足は短足で太い。石像だからこんな姿になったのだろう。レリーフだったら、もっとスマートに表現されただろうに、同情してしまう。世界遺産だから、世界各地の人に見られるのだから。

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参道に入って2つ目の石像はダチョウ。足を細く描いているだけに、レリーフに表現されている。ペガサスは想像の生き物だが、ダチョウはこの世にいる生き物だ。高宗に、あるいは則天武后に会いに来た外国からの使者が、貢物として長安に持ってきたのだろう。見ているだけに、足の太いダチョウを描くこともできず、レリーフとしたのではないか。

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3つ目以降、馬と人物の並んだ石像が並ぶ。だが、人物の頭部が欠けている。疫病の発生を外国人死者の石像にあると見た地元の人が壊したという説、文化大革命の時に壊されたという説など、中国でも原因はさまざまに言われている。むしろ、唐代から1200年以上も石像が残っていることを喜んだらいいように思うのだが。

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石像の並ぶエリアを過ぎても、参道は漁に向かって続いている。歩いていると、お土産に刺繍をしながらお店番をしているおばさんがいた。手作りだから買ってくればよかったと後悔。あまり観光客がいなかったから、安く買えたかもしれない。次は買ってみよう。刺しゅうをするおばさんと一緒に今も残っている乾陵を考えるために。

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乾陵の参道を歩いていくと工事している箇所があった。昨年は、ここにロープが張ってあり、さらに上には進めなかった。だが、今回はだrもいない。陵の頂上にまで上ることができる。乾陵は自然の山を利用している。土を盛って作ったのではない。かなり大きいのだ。

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ロープがないので上ってみたが、参道は自然の岩の間をゆくようになった。岩は石灰岩か。また、風による風食がかなり進んでいた。

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頂上には広場があった。階段の上からスタートしている参道も見えた。参道の脇ののろし台も見えた。古い資料の復元図を見ると、漁を取り囲むように城壁があったことがわかる。陵の頂上から、城壁の痕跡はわからなかったが、山を取り囲むように広かったことだけはわかった。岩山を降りるのは、ロープもないのでのんびりとしたものだった。

西安のザクロ、ナントか。イランのヒョウタンを種まき

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今日、蒔いた種

3月24日(木)、冬に戻ったように寒い一日。だが、種まきをした。

写真の左の正露丸のような黒い●は、西安の明代の西門に落ちていたもので木の名前はわからない。その右側の白い小さな種は、始皇帝陵のお土産屋さんでつまみ食いしたザクロの種。始皇帝陵はザクロ畑に囲まれている。

その右の大きな種6個はヒョウタンの種。以前、イランでもらったヒョウタンから種を取りに乗らせてを繰り返して、、4代目くらいだろうか。一番右は、国立の近所に捨ててあったヒョウタンの種。元は、栃木県の干ぴょうなので、スイカのように大きな丸い実を収獲できる。若い実の時に収穫すれば干ぴょうになる様だ。

大きなヒョウタンは、受粉してヒョウタンを収獲できるようになるまで、多くの日数が必要となる。収穫の時期は、ヒョウタンの実が乾燥するので、誰にでもわかる。水分が抜けて、手に持ってみると実が軽くなっているのがわかるのだ。

ヒョウタンは今年中に収穫できる。だが、西安から持ち帰った木は、実がなるまで時間がかかる。

3月27日の講演とナボイ劇場


3月23日の東京新聞朝刊のカルチャーインフォメーション

3月27日に開催する講演会「古都サマルカンドで暮らして」が東京新聞で紹介された。
講師は胡口靖夫氏だ。シルクロード雑学大学の会員でもある。

日時:3月27日 15時から17時 
会場:JICA地球ひろば(JR市ヶ谷駅下車徒歩5分)
参加費:一般1000円、学生500円
予約不要
誰でも参加できます。会員でない人の参加を歓迎します。

毎日新聞OBの記者が「ウズベキスタンのナボイ劇場は、日本人の捕虜たちが全部建てた」と講演したり著書で書いているが、あれはウソだ。1946年10月30日に元日本兵がソビエトに抑留されてタシケントのナボイ劇場に到着した時、すでにナボイ劇場の建物は、手が積みができていた。配線や装飾、壁塗りなどが約500名の抑留者に与えられた強制労働だった。

そのことを、以前のNHKの番組のビデオと日本ウズベキスタン協会の発行する「追憶 ナボイ劇場建設の記録 シルクロードに生まれた日本人伝説」、元日本兵の抑留者へのインタビューなどで証明するのが講演の目的だ。

日本ウズベキスタン協会の発行する報告書は、なぜ「シルクロードに生まれた日本人伝説」とサブタイトルを入れたのか、編集者の意図が垣間見れる。

1960年代に発生した地震でタシケントの大多数の建物は倒れたが、ナボイ劇場は残った。このことから日本人の労働をたたえる伝説が生まれたようだ。だが、伝説が生まれるように仕組んだのは誰で、何時からかははっきりしない。はっきりしているのは、タシケントにある公文書館には、日本人の抑留者がタシケントに到着する前に撮影されたナボイ劇場の工事の写真があり、すっかりレンガ積みが終わっていたことを物語っている。

戦後70年になる。日本人の抑留者がタシケントに到着する前に、ナボイ劇場の煉瓦を積んだウズベク人の煉瓦積みの職人の技術と努力、汗にまみれた労働が、ナボイ劇場を地震から救った。ウズベク人のまじめな勤勉さと技術をたたえてもいいのではないか。ウズベク人にもこの点を考えてほしい。

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今回の講演では、「古都サマルカンドに暮らして」(同時代社)
の頒布も行う。

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「シルクロードの青の都に暮らす」(同時代社)はアマゾンでかってほしい。

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ウズベキスタンのタシケントには日本人抑留者の眠る墓地がある。

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こちらは、ナボイ劇場の内部の写真。2002年に撮影している。講演を前にしての練習が行われていたが、日本からナボイ劇場を見に来たといったら中に通された。今は難しいと思う。人の大きさと比べて、劇場の大きさがわかると思う。

西安のブドウを挿し木


ベランダで育てていたダイコン

3月22日(火)、東京都国立市は快晴。ベランダには、海外サイクリングで買った野菜の種を買い、種を蒔いている。大根が大きくなっていた。ひとつだけ、若い間にとってしまった。冬を越したので、花をつけたので収穫したのだった。

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西安へ出かける前の3月20日と比べるとアーモンドの1本は大きくなっていた5センチくらい伸びたように感じる。もう一つのアーモンドはあまり大きくなっていない。でも芽を出し始めた。

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今日は暖かいので、明日には芽を出すと思う。

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他にもアーモンドが芽を出していた。全部で5つのアーモンドが芽を出したことになる。

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咸陽城遺跡の博物館の脇にあるブドウ園で、ブドウの剪定を済ませていた。

剪定で切り落としたブドウの枝が捨てられていた。山のようになっていた。1本だけ持ち帰って挿し木にした。葉が出るようになれば根を張ったことがわかる。楽しみだ。ブドウの色は何色か。それは大きくなってからの楽しみ。


海外サイクリングには、こんな楽しみもある。

東京新聞で胡口靖夫氏の講演を紹介


3月23日(水)の東京朝刊の「カルチャーインフォメーション」というコーナーで、

3月27日(日)に開催される講座

「古都サマルカンドに暮らして」が紹介されます。

会場は、JICA地球ひろば(JR市ヶ谷駅から徒歩10分)

参加費は、一般1000円、子供500円

予約は不要です。

西安の自転車事情。2016年西安歴史ウォーキング、その1


西安の街の北側を流れる渭水の畔。高層ビル街は、西安の郊外。

3月21日、中国から帰国しました。今朝は6時にホテルを出て空港へ。北京空港で5時間の時間待ち。機内で寝てあっという間に帰国しました。

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西安の北を流れる渭水、川の畔は散歩コースのようだ。

3月15日、歴史ウォーキングの1日目に、渭水の畔を歩いた。

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西安ウォーキングと言っても、1日目は咸陽市。桃の花が満開の季節だった。

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シティーバイクを咸陽市ではよく見かけた。ドタバタで値段は調べなかった。貸し出されていることは確か。貸し出した自転車が特定の地域に集まってしまうのか、トラックで移動している様子も見かけた。

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何やら、硬い人生を歩む人が勤めている建物の前。どちらかというと、中年の人がこの自転車を利用しているようだった。中学生や高校生は、自分の自転車を乗り回している。ロードはあまりなく、ほとんどがマウンテンバイクだった。

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まだ開通していない道路をサイクリストの集団がツーリングに利用していた。30名ほどのグループだった。ほとんどの人がヘルメットをかぶっていた。モーターバイクの人よりも、ヘルメットの着用率は高いように思った。恰好から入るのが基本のようで、一目でサイクリストと分かる服装が多かった。

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渭水の畔には、川の両側に片道15キロのサイクリングロードがある。レンタルもしているようで、ヘルメットをかぶらないサイクリングの人が多かった。服装も普段着だった。

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こちらは、昔々、馬の手綱をしばっておくポールとのこと。名前は忘れた。博物館の庭なので、あつめているようだ。よく見たかったが、時間があまりなかった。というか、見る知識がない。

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ヘルメットをかぶらない3人乗りのバイクもいた。大学生のようだった。渭水に架かる橋からの下り坂だったが、とても危ない。注意する警察官はいなかった。そういえば、自転車に乗った警察官はいなかった。パトカーかバイクだった。

取り急ぎ自転車事情の報告。

種から育てるアーモンドと白い実のなる桑の木


イランで買ったドライフルーツ・白い桑の実。種から育ててこんなに大きくなった

3月13日(日)、国立は寒い1日だ。

スマートフォンで撮った写真をパソコンに取り入れようとしたが、方法が変わっていた。それがわからなくて3時間ほどドタバタした。これで、旅先で文章や写真の整理ができる。ホッとしている。

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白い実のなる桑の木の幹。虫に食われている。

団地の庭にい置いている植木鉢。白い実のなる桑の木なのだが、1本は枝が垂れ下がる「枝垂れ」なのだ。だが、枝垂れ桑の木が、クワガタの幼虫らしき虫に幹の部分が食われている。自然なのだが、このままでは木が枯れてしまう。もう少ししたら、挿し木にすることにした。

もう一本の桑の木は、昨年の春に20本ほど挿し木をした。2本だけ根を張っている。10日ほどしたら、2人の希望者に送付する予定だ。一人は、一人でシルクロードを自転車で旅した女性だ。イランを旅した時に、チャイハナに呼ばれて、紅茶を飲みながら桑の実を食べたので、自転車旅行を思い出しながら桑の実を食べたいとのこと。彼女は、子育て真っ最中だが、今年は東京に呼んで旅の様子を話してもらいたいと願っている。イランの女性の暮らしぶりは、あまり公になることが無い。彼女が自転車旅行で見たのは、本の一部だろうが、イラン人の親切さとともに話してほしいと願っている。

白い桑の実も、たくさんに庭で収穫してほしいものだ。イランのようにドライフルーツにできるかは不明だ。湿気の多い日本では、ジャムがあっているのかもしれない。

枝垂れ桑の木は、ウズベキスタンでは街路樹になっていた。中央アジアやイラン、トルコでは、白い桑の実を見ている。日本のようにムラサキというかクロというか、会う言う色の桑の実を見かけることはなかった。今度、ドライフルーツにして、お土産に少し持っていこうか。珍しく思ってくれるかもしれない。

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ベランダのアーモンドの木は、昨年の秋に種を蒔いている。植木鉢の記載によれば、12月18日には芽が出ているのを確かめている。今では、10センチほどになっている。

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それと、もう一つの芽が出てきている。芽が出かかっている、といったらいいかもしれない。まだ、芽が、完全に種から顔を出していない状態だ。

アーモンドは、1998年に中国のカシュガルへ自転車で行ったときから食べ物として持ち帰っている。同時に試しに種も蒔いている。アーモンドは、梅雨の時に種が成長の途中でカビて腐ってしまうことが多い。だから、木になるのは少ない。それでも、恵泉女学園大学や近くの保育園、友人がベランダで大きくなったアーモンドの木を育ててくれている。

アーモンドは、日本でも育つ。インターネットで調べると、新潟県でも宮城県仙台でもアーモンドの花が咲いている。

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昨年の12月20日ころに撮ったベランダのアーモンド。葉の数が増えているのがよくわかる。

こんな旅の楽しみ方もあります。
アーモンドや白い桑を庭で育てたいという方は、連絡をください。

キルギスの日本人抑留者


キルギスで共和国で抑留を迎えた元日本兵と一緒にキルギスへ行ったのは2008年。

㋂11日(木)、東日本大震災から5年目。地震と津波、そして関連誌で2万人以上が命を落としている。安らかな時間を過ごしてほしい。

さて、元日本兵と一緒にキルギスへ行ったのは2008年。キルギスの新聞で大きく取り上げてもらった。その後、キルギス人の関心も高くなった。テレビ局も同行し、4社がニュースの時間に流してくれた。

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初めてキルギスに入ったのは1999年のこと。洪水で天山を越えて、ペダルを踏んで人力で天山山脈を越えることはできなかった。カシュガル、ウルムチ、ビシケク、そして、アトバシを飛行機とバスを乗り継いで、天山を迂回して越えた。天山を玄奘三蔵は歩いて越えている。

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キルギスに入ると草原が広がっていた。道は地平線の彼方まで続いていた。

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めざすは、周囲650キロもあるイシククル湖。

2000年、2006年、2007年と人力による天山山脈ペダル越えにチャレンジした。玄奘三蔵のように自分の脚力と頑張りで越えたかった。だが、いろいろあって、継ぎ足しても30キロほど残っている。今は道路が舗装されている。チャンスがあったら、一気に上り駆け降りたいものだ。

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2007年、4回目の天山山脈ペダル越えのチャレンジ前に、「天山の小さな国 キルギス」(東洋書店)の著者三井勝雄氏を招いて、講座を行った。イシククル湖の湖畔にあるタムガ村には、日本人が抑留されていたとの伝説があることが分かった。ただ、元日本兵の証言がなかった。日本の厚生労働省も、キルギスにラーゲリはなかったと答えていた。タムガへ行き、キルギス人の証言を確認するのが、2007年の課題でもあった。

ところが、2007年9月10日、出発の前日に、わたしたちがキルギスでキルギス人に元日本兵に関する証言に触れようとしていることを知った人から、わたしの携帯電話に連絡があった。タムガに抑留された日本人は125名、全員が帰国している。そう答える電話の主の返事を耳にして、この人は元日本兵だと確認した。三井氏の本の記述と同じだったのだ。

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タムガ村のラーゲリは、ソビエト時代の国防省の空軍の高級将校の保養所だった。泥治療の診療所を立てるのが、日本人抑留者に課せられた労働だった。

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タムガ村は、国防省の保養所によって経済的に成り立っているような小さな村だった。のどかだった。元日本兵が抑留されていた時代も、2007年も人口は大体同じく約800名。

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元日本兵が建設にかかわった保養所は、大きな建物だった。

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三井氏が取材したマリアさんは、宿の裏に住んでいた。

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元教師は、の本人兵士は自宅に来て日本新聞を煙草をまく紙にするためにもらいに来ていたと証言した。自宅には、当時の写真がたくさんあった。

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2010年、わたしは元日本兵の宮野泰さん(当時83歳)と一緒に、タムガ村に向かった。宮野さんにとって60年ぶりの再訪だった。

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宮野泰さんと一緒にタムガ村に抑留された仲間に、長崎市に住む松田六郎さん(90歳)がいる。

松田さんは、日本へ帰るとき、ソ連兵がくれた写真を服の袖に縫い込んで持ち帰った。ソ連兵に持ち出しが見つかったら、再びラーゲリへ逆戻り。帰国は遠のく。だが、成功した。

こんな写真があると、ある新聞社に知らせた。先週取材に行ってきたと記者から電話があった。松田さんと一緒に写真に納まっている仲間の名前も分かった。どんな労役についていたのか聞きたい。これからの課題だ。

天山を越えて?キルギスをゆく


中央アジアにあるキルギス共和国

始めてキルギス共和国へ行ったのは199年。中国との国境に近いアトバシからのスタートだった。

中国のカシュガルから天山山脈を国教としているのだが、トルガルト峠(3752メートル)を越えて中国に自転車で入国する予定だった。

だが、カシュガルをでてトパという中国にある検問の町に到着する前から、道路がなくなっていた。洪水のために、道路が流されていたのだ。トパはまだ標高2200メートルほどだと思う。国境となっているトルガルト峠までは約120キロ。フランスの観光客は、国境を越えたものの道路が流されており、中国軍から食料をもらって、かなり大変な目にあったらしい。

川の水は荒れ狂っていた。添乗員には一足先にカシュガル、ウルムチと飛行機で移動してもらい、18名分のウルムチからキルギスの首都ビシケクまでの航空券を確保してもらった。

ウルムチからビシケクへ向かう飛行機は、1週間に2便だったと思う。ウルムチに到着すると参加者は、ビシケクに向かう飛行機に乗るまで2日ほど時間があった。こういう時、中国では飛行機がいつ飛ぶかわからないので、ホテルの近くに待つのが基本だ。だが、4駆をチャーターして山の中にある天地へ行くものも出る始末。観光旅行気分のメンバーもいて、まとめるのは大変だ。

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プラナの塔。何度か行っているが、青空の向こうに雪山の見えた記憶はない。

飛行機でビシケクに入ると、バスで山の中をアトバシへ向かった。暗くなるとバスは雨の中をアトバ。シに向かった。標高が高いので、雨が多いのだった。

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アトバシを出ると道は草原と山の間を繰り返し通った。この写真は、ドロン峠だと思う。標高は約3050メートルくらい。今は往来する車が多いが1999年当時は、峠にクムスという馬乳酒を売っている少年がいた。丼でクムスを売っており、丼のふちには羊の毛がついていた。でもうまかった。のぼりががしんどかったからだろう。

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峠を降りて、イシククル湖に到着した。湖畔にある合宿所のような施設にとまった。シャワーはとっても冷たい。夏だったけれど、山の水のような冷たさだった。今はみんなきれいになり、値段も高いリゾート地だ。

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平均年齢50歳くらいの自転車軍団。帰国して2週間後くらいに、JICAの日本人技術者が拉致されたというニュースが新聞をにぎわせた。

2012年にキルギスへ行ったとき、とっても高い通訳に数時間依頼した。医学用語も温泉などに関する日本語も翻訳は正確だった。オムルベックさんという男性だった。モスクワの鉱山大学を卒業しており、そのために理系の言葉や教養が深いのだった。オムルベックさんは、1999年に日本人技術者が拉致された時、日本語通訳を務めていた。1か月ほどタジキスタンの山中を日本人技師と一緒に拉致されていた。今度は、一緒にキルギスをサイクリングで巡りたいものだ。

400年の時間を超えて スペインと東日本大震災

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「野口健×藤巻亮太 100万歩写真展」。写真展は入場無料だったが、今日までだった。明るい写真展だった。


3月9日(水) 国立は朝から晩まで雨。静かな1日だった。

「野口健×藤巻亮太 100万歩写真展」に行った。どんな画角で写真を撮っているのかを知りたかった。写真は大きくプリントされていたが、時間とともに印象が薄くなった。

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写真を見ていたのは、老若男女。この写真展では、写真撮影が許可されていた。facebookやブログで紹介することで、さらに人を呼ぶことを念頭に置いているのだろう。出口には、山のように写真集が積まれていた。1冊2700円。買っている人の姿はなかった。写真を見て満足する人が見に来るのではないか。facebookの数が、売り上げと結びつかない事例のように思う。でも、あの写真の大きさは魅力的だ。

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目黒区美術館で「気仙沼と、東日本大震災の記憶」展を見た。写真展は㋂21日まで。入場無料。

2011年の東日本大震災の時、わたしは心臓の手術を1か月後に控えていた。手術と言ってもカテーテル手術で、調布の病院まで自転車で行って、手術の翌日に自転車で帰ってきた。だから、お手軽な手術だったのだが。

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気仙沼では、東日本大震災の記憶を失わないために震災の痕跡のあるモノを展示するなどして、教訓にしてみようとしているようだ。

2011年10月末に気仙沼の小学校で、ブルガリアやイタリア、スロベニアなどで被災者へのメッセージを書いてもらい展示したことがある。11月初めに帰ったのだが、気仙沼から石巻まで自転車で被災地を周りながらだった。あの頃、のどが渇いてもコンビニがなかった。海辺では家がなかった。家の土台に、トイレとお風呂場だけはタイルとセメントが残って生活の痕跡が残るだけだった。

ある家の跡で、写真のプリントを見つけた。だが、地震は半年前。どんな人の写真なのかを見る勇気はなかった。近くに神社の登り口の階段があり、携帯電話が置いてあった。誰から、水にぬれないところに置いたのだろう。石段の一角にあった。だが、携帯電話に触る勇気もなかった。あの場所が、南三陸町歌津だと写真展を見て分かった。道路が流されて橋脚だけが残った写真もあった。立ち入り禁止のロープを無視して、橋の先端まで行って写真を撮った。これも歌津だった。お腹が空いてのどが渇いても、コンビニもお店もなかったのを思い出した。人の姿もなかった。

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「あれから5年 3・11 東日本大震災写真展」が弁護士会館1階エントランスホールであった。3月10日まで。入場無料。


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写真展のチラシ

100点ほどの写真を展示している。場所が場所だけに、高齢者が多かった。写真展も3つ目で疲れた。

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チラシの裏。

チラシの裏表で写真38点も掲載。写真家の名前には知り合いの名もあった。チラシに掲載されている小さな写真を見ても、いろいろ思い出す。一度自転車で廻っているせいだろうか。写真の人物から喜怒哀楽を感じることができる。これが腕なのか。

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ブルガリアのソフィア大学、日本語学科の学生が書いてくれた東日本大震災の被害者への激励のメッセージ

20011年に海外サイクリングでは、日本語を学ぶ学生たちに東日本大震災の被災者への激励メッセージを書いてもらった。今年はスペインとポルトガル。約400年前に支倉常長たちがスペインへ行っている。

スペインで被災者への激励のメッセージを書いてもらうように準備をしている。日本語を学ぶ学生にとっても、日本を知るチャンスにもなる。満開の桜の下で被災者が笑顔で並んでいる写真もあった。5年後の今日の様子も伝えたいと思う。

報告会 シルクロード自転車紀行2 敦煌からカシュガルまで


敦煌の近郊を走る

講演会のお知らせ

1993年から2012年にかけて、シルクロードを自転車で見聞しています。仕事だけじゃない生き方を提案して、定年後に夢の実現をめざす生活を過ごしてほしいと願ってのことです。

シルクロードを見聞して感じたことや現地の暮らしぶりなどを写真を交えてお伝えします。

タイトル:シルクロード自転車紀行2 敦煌からカシュガルまで
日 時:4月3日(日) 14時から16時30分(休憩アリ)

会 場:国立市公民館3階 講座室(東京都国立市中1-15,JR国立駅南口下車5分)
資料代:500円

定 員:30名

申込み・問い合わせ:シルクロード雑学大学 042-573-7667 090-1769-6641

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高尾駅から東京湾までサイクリング

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JR高尾駅北口でトイレに入った。男性トイレのマークはこれ。わかりやすくって、いいなあ。

㋂6日(日)、曇り空が広がっていたが、予定通りにJR高尾駅から南浅川、浅川、多摩川のサイクリングロードを通って多摩川の河口をめざした。鳥居ではない、多摩川を走るからにはスタート地点である0メートル地点か河口。今日は右岸だったので河口まで走ることにした。

JR高尾駅北口から甲州街道、さらに南浅川のサイクリングロードにでた。のどかだ。

浅川は南浅川よりも少し川幅が広い。澄んだ川には魚の姿も見える。野鳥の種類も多い。川幅と同時に景観も空も広くなった。

11時頃か、多摩川と浅川が合流したあたりにある府中四谷橋で1名が流れ解散。このころになると曇り空の間から青空が広がる。

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水神前で多摩川のサイクリングロードから1分ほど脇に入り、万葉歌碑を見る。いつ行っても誰もいない。今日も誰もいなかった。ベンチは無人だった。万葉歌碑の隣には、枝垂れ桜の大木がある。満開の時は、人はいなくてもにぎやかに見える。行ってほしいところだ。

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万か陽の前にはボックスがあり、、ポストカードと万葉歌碑の説明の文章を無料で配布している。教育関係者には、万葉集に触れる機会を作ってほしいものだ。

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多摩川脇にある「せせらぎ館」では、入り口で桜が咲いていた。館内もにぎやかだった。

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多摩川河川敷には、ところどころに河津桜があり、満開でした。

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ここはきれいだった。五座を強いて花見の人もいました。すぐ近くに藤棚とテーブルがありいつもは誰かが休憩しています。でも今日は、桜に乾杯でした。

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こちらが桜の花。桜の花にはメジロがたくさん集まって蜜を吸っていました。残念ながらビデオがない。

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多摩川のサイクリングロードの脇には、からしダイコンがたくさんあります。

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同行の方が取ってくれたので、明日はそばにします。葉も食べよう。からしダイコンがほしい方は、ご自由にお取りください。無料です。なかなか掘れないので、覚悟を。

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右岸、神奈川側を河口に向かって進むと、馬横断注意の交通標識。こんなの始めて見ました。

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今日も河口は寒かった。再び、雲が空を覆っていました。しかも、行きは向かい風。工事中で迂回あり。注意してください。今日は、満潮なのか水量が多く感じた。

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いつものようにガス橋で解散。今日の走行は75キロ。ここから自宅まで自走。この写真、明るく映っているけれど、実際はもっと暗かったのでした。



講演会「古都サマルカンドに暮らして」胡口靖夫


『ウズベキスタンと現代日本』(胡口靖夫著、同時代社)アマゾンで1944円より、講演会でも買えます。

講演会のお知らせ

タイトル:古都サマルカンドと現代日本

講 師:胡口靖夫氏(サマルカンド国立外国語大学名誉教授、シルクロード雑学大学会員)

内 容:中央アジアにあるウズベキスタン。国を代表する建物であるナボイ劇場は、抑留された元日本兵によって建てられたtの。電設があります。しかし胡口靖夫氏の調査によれば、ナボイ劇場の設計を行ったのはロシアの有名な建築家A・シューセフ。1945年10月30日、抑留された元日本兵がウズベキスタンのタシケントに到着した時、すでにナボイ劇場の煉瓦積みはできていました。抑留された元日本兵としてナボイ劇場の建設工事にかかわった永田行夫氏によれば(「追憶 ナボイ劇場建設の記録 シルクロードに生まれた日本人伝説」NPO法人日本ウズベキスタン協会編集・発行)、元日本兵が関わったのは、電気の配線や装飾などでした。また、1960年代にタシケントを襲った大きな地震で、ナボイ劇場は残りました。ウズベキスタンで家を建てる作業に従事していた職人さんを見て、ナボイ劇場が地震で残ったのは、ウズベク人の煉瓦積みの職人さんの技術が確かでまじめに働いたことと関係があるように胡口さんは思いました。事実を追う調査の過程を話していただきます。

日時:3月27日(日)15時~17時

会場:JICA地球ひろば2階 大会議室(JR市ヶ谷駅下車10分、新宿区市谷本村町10-5)

参加費:一般1000円、学生500円

問合せ:シルクロード雑学大学 042-573-7667、090-1769-6641

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ナボイ劇場とナボイ公園の噴水

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路地の木陰で休む家族。サマルカンド

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サマルカンドのシェルドル・メドレセ。ナボイ劇場で夕鶴を踊る人たちが練習をしていた。

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「リンゴの本」アルマトイで抑留された元日本兵の残した好きと一致する箇所が多い。

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ナボイ劇場の内部。リハーサル中だったが、日本から来たということで内部を見せてくれた。

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日本人抑留者の眠る墓地。イスラム教徒の地元の人たちが掃除をしており、いつ行ってもきれいになっている。シルクロードを自転車で見聞する「ツール・ド・シルクロード20年計画」で、2001年にタシケントを訪問した。その時に、抑留者の墓地を訪ねて花をあげてきた。2003年にもタシケントへ行き、トルクメニスタンのマリーまで走ったのだが、墓参りをしている。サイクリングのついでにできることに取り組み、社会とのかかわりの中でサイクリングを生かしたい。


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サマルカンドの路地見見かけた光景。大きな鍋で作ったプロフを子供たちに無料で上げていた。結婚式とか葬式といった行事があったようだ。

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バザールでパスタを売る人。見せ方がうまい。

東京芸術劇場で写真展「日本の海岸線をゆく」を見る


池袋にある東京芸術劇場前の広場

3月2日(水)、早いもので2016年も3月になった。わたしも来月で62歳だ。あまり関係ないか。とにかく時間の経つのは早い。

13時に新宿で打ち合わせがあった。じいさん3人で、西安の郊外を歩く相談だった。場所も年齢も、なんとも渋い。

その後、池袋へ向かった。東京芸術劇場で、知り合いが写真展に出展しているのを知り出向いたのだった。

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写真展のお題は「日本の海岸性をゆく 日本人海の文化」。日本写真家協会の創立65周年記念写真展だったのだ。

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チラシの裏側はこちら

井田宗秀さんという友人のfacebookでのお知らせで写真展を知った。井田さんは、わたしが主催していた『ツール・ドシルクロード20年計画』に参加している。

井田さんが『ツール・ド・シルクロード20年計画』に参加して中国の蘭州から張掖まで自自転車で走ったのは、1994年のこと。彼はまだ、高校2年生だった。だが、自分の意思で参加している。あの頃は、日本も景気がよくて、高校生や大学生も参加していた。井田さんは、追い抜くトラックの風圧や重力をを利用して時速98キロ超のスピードを出したようだった。

自転車や写真撮影が好きな井田さんは、大学を卒業すると写真で食べていく道を選んだ。自分の夢を追い続けているのは、自転車で一緒に走った仲間の中でも、数少ない。そもそも高校生の時から追いかける夢を持っているのは少ない。まして、社会にでも手夢を追い続けるのはらに少ないのだろう。そんな井田さんが、どんな写真を撮るのか楽しみだった。

思ったよりもまともというか、日常を記録していた。写真展では、ハレやケもあったが日常の記録写真も多かった。日本の多様性を記録していた。帰ろうとしたら「第2会場も見て行ってください」と井田さんに声をかけられた。

東北大震災の時の写真が並んでいた。それも、2011年3月11日の写真が多かった。被災した人たちが記録したものが大多数だった。中には、石川凡氏、安田菜津紀氏といった知っている人の名前もあった。石巻日日新聞の手書きの号外の複写もあり以上の真ん中の柱に壁新聞として張り付いていた。

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また、山本皓一氏は今でも同じテーマにこだわり続けているようだ。ライフワークを追い続ける姿勢は偉いと思った。っている。同時に、そんなテーマを持っていることをうらやましく思った。

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展示している写真を掲載している写真集を見ながら、やはリ写真は大きく伸ばして見るものだと思った。

日本の海岸線をゆく
の詳細は、上記をクリックしてください。

東京芸術劇場での会期は 3月1日から13日まで

京都市美術館での会期は、6月14日から19日まで

横浜の日本新聞館での会期は、来年の4月の予定

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