2016-04

タシケントの日本人とタジキスタン

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以前にも紹介していますが、もう一度掲載します。

この写真は、2002年にウズベキスタンの首都タシケント近郊にあるコリアン・コルホーズで撮影したものです。左から2人目の男性は、コリアンコルホーズに住んでいた日本人。朝鮮族として育てられています。敗戦の時は樺太に住んでいましたが、両親は日本人であることがわかったらソビエトの兵士に殺されると考えて、朝鮮人の夫婦に預けたそうですこのような事例は多かったと思い明ます。

彼の話によれば、男ばかり3人の兄弟は別々の朝鮮人の夫婦に預けられました。
戦後、彼はソビエトでも有名なジャズドラマーとして活躍し、日本からジャズのビッグバンド♯&♭がモスクワで講演した時、共演したというのです。写真も見せてもらいました。有名なミュージシャンだからか、北朝鮮にも行って演奏しています。そして、実の兄と会ったといいます。もう一人の兄は仙台に住んでいると話していました。

タシケントへいき、もう一度彼に会いたいと考えています。日本に住んでいるウズベク人に話していますが、朝鮮族として日本人が育てられたケースは、誰も知らないようです。ウズベキスタンという特殊性と考えると、知っていても声に出しにくいのかもしれません。コリアン・コルホーズは、タシケントの周囲にはいくつかることもわかりました。

4月8日に厚生労働省は、4964人分の抑留で亡くなった方の名簿を発表して、ホームページで紹介しています。http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/syakai/soren/50onjun/h03/

おおざっぱですが、目を通しました。私は注目したのは、タジキスタンの出なくなった方の4名の名前が発表されていたことです。厚生労働省は、これまでタジキスタンで抑留されて亡くなった人はいないと主張していました。そのために、収容所の記録がないといっていたのです。

自身の発言を否定しています。ただ、亡くなったのはウズベキスタンの病院だとあります。

ウズベキスタンとタジキスタンの国境付近でダム工事をしていた方の手記や資料を読むと、タジキスタンにも収容所はあると思っていただけに、厚生労働省がどんな調査をしたのか知りたいところです。こちらも、調査をしたいと考えています。
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キルギス人の映画監督の描いた抑留者



昨年の6月にキルギス人の映画監督が来日しています。1946年から1948年にかけてキルギス共和国のタムガ村に抑留されていた元日本兵を取材するために来日したのでした。抑留された元日本へを追って、新潟県と長崎県へ取材に行っています。

3月21日のノールズの時にキルギスで上映があり、その後、日本国内で上映する予定だとのことでした。

ところが、日本語版の制作に手間取っていて、今すぐに日本で上映することはできないと、在キルギス日本大使館を通じて連絡がありました。

実は、日本側の窓口になっている長澤は、5月5日までスペインとポルトガルへサイクリングに出かけます。長澤が帰国後に、日本国内で上映のチャンスを設定することになりました。

東京都内の大学と新潟県内大学で上映する予定です。主にマスコミと研究者をを対象とする予定ですが、関心のある人は連絡をしてください。参加費は500円から1000円を考えています。

キルギスのイシククル湖でサイクリング



キルギスでサイクリングをするといえば、イシククル湖を思い浮かべる。イシククル湖は、周囲が約680キロあるといわれている。

実際に走ってみると、約550キロだった。いつも雪山を見ながら、海水浴客の脇を走る。イシククル湖の標高は約1500メートル。イシククル湖の南岸には、抑留されたが元日本兵が建てた泥治療の診療所ある。キルギス平和センターがあり、元日本兵が抑留されていたことを伝える一室がある。

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イシククル湖を回るサイクリングは、わたしはいつも日本人抑留者が建てた泥治療の診療所のあるタムガ村からスタートしている。

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アップダウンが少ないことから、オランダ人のサイクリストのツアー客と一緒になったことがある。女性も背が高かった。身長175センチくらいだったろうか。ジャイアントの自転車に乗っていたが、フレームが大きかった。にhンとオランダでは売っているフレームの大きさが違うようだ。

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自転車に乗っているキルギス人を見かけることもある。だが、たいていは子供の遊び道具だった。大人のホビーとして認められるようになったのは最近のことだ。ジャンジャンキルギスへサイクリングに行って、市民権を定着させよう。

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子供たちは、白い大きなリボンを髪に飾っている姿をよく見かける。女の子のことだ。とてもおしゃれに見える。

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湖を離れるとダートとなり、奇妙な岩山に魅せられることが多い。温泉も多い。源泉をたっぷりとたたえた湯船があるのは、キルギスでは普通のこと。温泉を温めるなんて無駄な電気や石油を使うことはない。エネルギーの無駄使い。

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道路わきに食べ物を売っているお店があったので食べた。おそらく、お米の粉を似て固めたビーフンのようなもの。名前は知らない。でもおいしい。

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自転車に乗って喜んでいる大人は、子供たちにとって興味津々。車の窓からみんなで覗いていた。

中国からキルギスへ 国境での騒動



「ツール・ドシルクロード20年計画」は、1999年に中国のカシュガルからキルギスのビシケクまでサイクリングの予定だった。だが、洪水で国境へ行く道が流されて、自転車で天山山脈を越えることはできなかった。

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朝は曇り空だったが、そのうちに青空が広がった。だが、国境へ向かう道の橋は流されてしまっていた。参加者は記念写真だけでも残したいという。記念撮影の脇を流れる川には、濁流が流れていた。上流は雨が続いていたのだろう。

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2000年は青空が広がっていた。昨年の続きだから、記念撮影の場所も自転車で通り抜けた。

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国境は10時から開くというので、9時から並んでいた。出国手続きを待っていたのだ。だが、後から来るバスは次々と国境に向かっていくが、わたしたちの順番が来ない。

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自転車を通りの真ん中に寝かせて、お店でお茶を飲んで順番を待った。

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だが、呼ばれることはなかった。

午後になった。14時頃にようやく呼ばれた。一人当たり10ドルで通してやるとのこと。そうでなければ通さないという。賄賂がほしかったら、朝の段階で行ってほしかった。何のために時間を過ごしたのかわからない。国境の兵士は、雲南省から来たという。わたしたちのガイドは、ウイグル人だった。こんなところにも民族差別がはびこっていた。兵士に話を聞くと、漢族以外は人間とみなさないような教育を受けているようだった。

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だが、国境を通る手続きが始まると、またもや問題が待っていた。参加者の一人が持っていた本に、「靖国」とあったのだ。中国で、日本の靖国神社や戦前の日本軍を賛美するような活動を行っていたのだろうという。持ち主は個室で尋問を受けることになった。他のメンバーは、持っていた地図に台湾を中国の一部と書いていないことから、これも政治活動をしていたと判断された。彼も個室で尋問を受けることになった。

こんなことがあり、国境へ向けてのサイクリングはすっかり遅くなってしまった。

カザフスタンをゆく


カザフスタンをゆく

カザフスタンを走ったのは2000年のこと。夏だというのに、牧草履かれていた暑くてこんな色になるらしい。5月だと緑がきれいだという。

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舗装は簡易舗装の感じ。今はきれいに舗装されていると思う。

アルマトイからビシケクへ車で向かうことが多いが、時々サイクリストを見かける。暑いだろうと思うが、それ以上に脇を走る車のスピードによる恐怖が、そして野良犬がもっと怖い。でも、枯れた草原を派してみたい。

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めったにないのだが、木陰を見かけることもある。そんなときはすぐに休憩だ。立っているのは親でも使え。立っ「ているとジュースを取って」「コーラを取って」「リンゴちょうだい」と子供のお使いが続く。

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年配の人は木陰ですぐに寝てします。

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街並みに入ると、子どもたちがが水辺で一休み。子どもたちは木陰で遊んでいる。オアシスの子どもたちは水遊びが好きだ。

謎の「ネコ目豆」

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中国のイーニンで買ったアーモンドを種まきする前に水に漬けたのは2016年10月7日だった。

昨年の10月に植えたアーモンドの種。ベランダの植木鉢の端とプランターに蒔いた。

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昨年の12月18日に芽を出した―モンドは、大きくなった。寒い時期に芽を出したのが原因か、葉の大多数は丸まっている。暖かくなるとともに葉がまっすぐになっていくようだ。葉の日の当たる方は成長が遅い。日陰の方は成長が早い。明るい時間が長くなるとともに、葉はまっすぎになるのようだ。

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同じ日に種を蒔いたのだが、最近芽を出した種もある。種の一部がかびており、うまく種が開かなかったが指で広げてあげた。茎は、腰が曲がっているような形だがだんだんまっすぐになるだろう。晴れの日が続いてカビが消えればいいのだが。

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昨日(4月8日)、種を4個蒔いた。3月20日頃に西安のスーパーでもらった種だ。「ネコ目豆」という名前だと思っていたが、違った。

「紅絞り豆」という名前らしい。

以前北京で「ネコ目豆」といううのを買ったことがある。中国語の表記だったのかもしれない。北京の胡同(フートン)で買った。猫の目のような模様でかわいいと思ったものだった。インターネットで「ネコ目豆」と調べても分からなかった。

胡同は、北京オリンピックの際に壊された。北京には1100年ほど前のモスクもあった。周囲には、回族やウイグル族が住み、羊の肉料理を食べることができた。新疆村もあった。最近は北京へ行っていない。中国とは言っても、もっと空気なきれいなところを旅したいからだ。とはいえ、新疆村のウイグル族の人たちの暮らしぶりも気になる。たまには、北京の郊外をサイクリングしてみたいものだ。

キルギスを行くサイクリング 2


中国のカシュガルからキルギスへ向かう道路は、洪水で流された消えていた。

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キルギスに入ってからは、路面はダートだった。今は舗装だけれども。

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舗装されていても、アスファルトが薄くい。自転車も牛もトラックも通る。スピードの異なる乗り物が一緒に移動すると、時に追い越すことがある。そうなるとすぴーにh根化が出て、コースに変化が出ることから事故に結びつくこともある。

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以前は、クラシックカーを見るような好奇心で行きかう車を眺めていた。今は、すっかり新しい車が行きかうようになった。

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ビシケクの約300キロ手前にバルスコーン渓谷がある。きれいな警告だ。だが今では道路工事で警告を見るチャンスは少なくなった。

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ビシケクに到着すると、以前は瓶詰のジュースがごちそうだった。今はペットボトルが普及して、田舎の農家が瓶詰したジュースは高くて手が出ない。

天山山脈を越えてキルギスへ



20年かけて自転車でシルクロードを見聞する「ツール・ドシルクロード20年計画」。中国の西安から出発したのは、1993年のことだった。そして、1999年には中国のカシュガルからキルギス共和国の首都ビシケクをめざす予定だった。中国は大きく、シルクロードの2国目としてキルギス共和国を選んだ。本当は、玄奘三蔵が越えたといわれているベデル峠を越えたかったのだが、国境が閉じている。そこで選んだのが、トルガルト峠だった。標高は3752メートル。

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運悪く、洪水で道路が流されてしまった。復旧するのを待ちたかったが、めどを立てられる状態ではなかった。

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トパからカシュガルへバスで戻り、ウルムチへ飛行機で飛び、3日ほど待って飛行機でビシケクへ移動し、アトスまで車で行った。

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国境を挟んで400キロほど残して、アトスからビシケクまで自転車で走ったのだった。

その後、2000年、2007年、2012年頃と峠越えにチャレンジしたが、今も30キロほど残っている。今は舗装道路になっていて、距離も時間も稼げそうだ。無一度チャレンジしたいと思う。一緒に天山山脈を自分の脚力で越えたいと思う人は、わたしに連絡をしてほしい。

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プラナの塔。地震で約半分になったと伝えられている。星を見て方角を知る昔の旅人にとって、灯台のような役割だったという人もいる。この遺跡の中にサウナもあり、西方の文化がここまで伝わっていたことも分かる。もっとも、サウナの遺跡に行く人はいないのだが。

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1999年、自転車で行ったのは18名だったと思う。道端でスイカや瓜を買いながらの旅だった。子どもの多い国で、教育に熱心だ。日本に関心のある若者も多く、日本語を勉強している学生は多い。これからの日本との交流が楽しみだ。

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1999年に天山山脈越えにチャレンジしたメンバー。後ろの像は、キルギスの伝説の英雄マナス。

東山道武蔵路と桜


JR西国分寺駅の近くにある尼寺の遺跡。約1300年前、桜は咲いていたのだろうか。春の訪れを伝える花は何だったのだろうか。

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国分寺尼寺遺跡の隣の公園では、最後の春休みを楽しんでいる小学生の姿があった。

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桜の花のトンネルの向こうには、伝鎌倉街道の坂道がある。

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東山道武蔵路遺跡を復元しているが、1本だけ桜の木を残してある。

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国分寺市では、今日は入学式。入学式を終えた親子が桜の木と一緒に子供の記念写真を撮っていた。桜の木と比べることで、子供の成長がわかりやすくなるのだろう。

自転車はここを走れるのか


バーストしたタイヤ

4月5日(火)、寒い1日だった。

朝、買い物自転車で出かけた。「まずは自転車屋さんで空気を入れて」と思って、自転車屋さんで後輪、そして前輪に空気を入れた。自転車屋さんには、誰でも無料で使ってもいい空気入れを置いているのだ。

さあ出かけよう、と思って空気入れを所定の場所に戻した。同時に「ぱーん」とけいきのいい音が響いた。脇を通っていたおじさんが「パンクだよ。空気を入れ過ぎたんだろ」と二日酔いの残ったようなにやけた顔で言う。

自転車屋さんの店の前でパンクだ。見たら後輪だった。見事なバーストだった。寿命だったようだ。

すぐにタイヤとチューブの交換を頼んで、代車を借りて出かけた。

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多摩川まで出かけての帰り道

道路の左端に自転車の走るゾーンを色分けしていた。歩行者も一緒に通るゾーンだった。交差点の手前に電柱が立っていた。こんなのを立ててあるゾーン、いったいどこを走ったらいいのか。これをが、車道の真ん中だったら苦情も多いのだろうが。

歩行者やサイクリストは警察や市役所に苦情を殺到させよう。車天国の府中市を、歩行者天国、自転車天国に。

アーモンドの種



昨年(2015年)9月に中国の新疆ウイグル自治区で買ったアーモンド。種を噛んで、人工的に熱を加えていないのを確かめて買った。そして10月頃にベランダのプランターに植えていた。

昨年の12月18日に一個目の種が芽を出した。その後、今年の3月になってから次々と芽を出した。5個のアーモンドが芽を出していた。だが、芽を出しそうでなかなか伸びてくれない種があった。指で種を開くと、一部がカビでくっついていた。

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指で開けたのは朝の9時頃だった。夕方6時ころに見ると、少し種が開いた感じがした。6本目のアーモンドの苗となる。明日の朝が楽しみだ。

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団地の庭に出している植木鉢。枝垂れ桑の枝を切って挿し木した。4本だけ。

ブドウも枝を切って挿し木をした。根を張ってほしい。

大宮駅からさきたま古墳群へ行く


4月2日(土)、JR大宮駅を出発して、さきたま古墳群をめざす


雨が心配。荒川沿いにさきたま古墳群を目指し、見沼用水のサイクリング道路を通って再び大宮駅に戻る予定だった。見沼用水か
らさきたま古墳群を目指すことになった。まずは、大宮公園へ。花見客で午前9時20分頃、すでに人間も咲いていた。人生に団子にありつければいいのだけれど。

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ヘルシーロードを通って、いるのかどうかわからないがまずは北へ向かう。

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いいねえ。鉄の檻に木材で目隠しをしている。風景が柔らかくなっている。見沼用水沿いは、桜がきれいだった。だが、花見客は少ない。一組、トイレの脇にテントを張り、花より酒のグループがあった。テントの中でどうやって花を楽しむのか。目の悪い私にはできない芸だ。うらやましい。

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腹が減ってはサイクリングはできぬ。ということで、途中の講演で弁当とした。そして雨の気配の中をさきたま古墳群へ。わたし以外は初めてのようで、感激してくれた。なら、また行きます。今度はじっくりと見たい。ボランティアガイドの話にも耳を傾けたい。何故、みんなが感激したのか。それは秘密です。PRは次回に。

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さきたま古墳群への途中、みんなの目を引いたのが鮮やかな花。さびれたお寺の境内にあったが、来年も見たいものだ。できたら、バックは青空がいい。

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境内に会ったお地蔵さん。古いお寺なのだろう。お地蔵さんもいいのだけれど、添えられている花がいい。そういえば、家に帰って用事で近所へ出かけると、団地脇の踏切にたくさんの花が添えられていた。パッケージに入ったままのチョコレートとともに。女子中学生が頭を下げていた。何があったのだろうか。

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お昼を食べた公園の花。

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さきたま古墳群へ行っての帰り、遅くなったのでちょっと食べることにした。巨大なヒョウタンが出迎えてくれた。

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注文したのは、焼きそばとフライ、よくわからないが、出てきたのはこれ。おいしい。安い。これで500円。もちろん、ビールは飲みません。おいしかっ。たなあ。また行きたい。さきたま古墳群へ。

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帰り道。用水の脇の道を西へ向かったが、すっかりきれいになって、自転車で走りやすくなっていた。次回はじっくりさきたま古墳群を見てから、のんびりと見沼用水を下りたい。自転車はやはり、のんびりと風景を楽しめる。気づいたら止まってうろつき、簡単にバックできるのもいいもんだ。

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