2016-06

脳梗塞って複雑ですね多様ですね。もう結構。


「脳が壊れた」鈴木大介著、新潮新書、760円

6月23日から25日まで、入院していた。その時に持っていた本の1冊がこの新刊。

昨年、中国の敦煌の郊外で倒れた。サイクリングに出かけたのだが、自転車は倒れなかった。私だけが倒れた。
敦煌の東約200㎞。風の強い小さな村だった。
通りから細い階段を上って3階へ行く。4人部屋、一人部屋、窓のない一人部屋、二人部屋。男性ばかり8人、蘭州空港から万里の長城を歩いて上って、敦煌までのサイクリングだった。

夜中にトイレに起きた。だが足が動かない。みんなお酒を飲んでぐっすり寝ている。夢ではない。現実なのだ。
何とか壁伝いに足を引きづってトイレに行った。

トイレがまたすごい。ゴ~カだ。ドアがない。便座がない。床はヌメヌメ。電気もなかったかもしれない。ヘッドランプで、便器を探して入ったような気がする。

床はヌメヌメ。足は動かない。滑って転んだら起き上がれない。これがまた狭いトイレなのだ。滑って転んだら方向転換できない。あさまで便器の脇で寝転んで朝日を待つことになる。

砂漠で寝転んで朝日を待つ。これだけ聞けばロマンチックに感じるだろうが、狭いトイレの中だ。おまけに床はドロドロ。ドアのないのは救いなのかもしれない。倒れても外から丸見えだから。

そんなことがあり、仲間よりも3日ほど遅れて女性の医師の同行を得て帰国した。この時、海外旅行傷害保険に入っていたので、自己負担はほとんどなかった。

帰国後すぐに入院、リハビリ、2週間後に退院。この時姉は、「言うことがおかしい」と言っていた。

見た目には痺は残らなかったが、発音しにくい音があった。足の運びもスムースじゃなかった。


話を聞いてすぐに反応することができなかったように思う。

脳がいかれていたのだろう。

この本を読んでよくわかったのは、発達障害の実態。人間は発達障害状態から徐々に社会に触れて、成長していくらしいこと。

脳がいかれているようなので、もう一度読んでみます。
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元日本兵はナボイ劇場の仕上げ工事に関わった

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カザフスタンを派したのは2000年。地平線は見えるが、雪山が見えない。キルギスとの国境沿いの南岸を走っただけ。野生動物が多数生息しているアルタイ地方にはいかなかった。マウンテンバイクだったから、景色の多彩なアルタイの方がぴったりだったのだが。

ある町でゲストハウスに泊まった。荷物を部屋に入れていると、外から音楽が聞こえてきた。「お祭りでもあるのか」と思って慌ててゲストハウスを出た。音の源は、近くの家の中庭に続いていた。笛、太鼓、鈴の3つの楽器を奏でて、村人の浪速の中に招き入れていた。汗を書いても着替えしていなののだが、そのまま中庭に入った。村人がお菓子を食べていた。

何事かと思って聞いてみると、この家の女主人が亡くなって13回忌なのだという。13回忌って、仏教だけのものかと思って折いたら、イスラム教でもあるらしい。また、吟遊詩人が来て、何やら歌っていた。ここの家の奥さんは、親切な人だったと生前のことをほめているらしい。ドタールという民族楽器を演奏しながら歌っていた吟遊詩人は、こうして家庭の集まりに呼ばれては歌い、生計を立てているのだという。日本の歌手の、テレビに出て当てて儲けてというのはずいぶん違う。「好きすき「「」を仕事にしているという風だった。

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ウズベキスタンでは、タシケントのナボイ劇場に行った。すでに煉瓦積みが終わっていた建物は、ソビエトの有名な建築家が設設に沿って煉瓦を積んでいた。1945年10月末に元日本兵が到着し、配線などの付属的、装飾的な仕上げ作業を担ったのだった。

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サマルカンドでは、巨大な桑の木には驚いた。日本では見たことのない大きさだ。桑の木の下でおじさんが、駄菓子屋さんを店開きしていた。簡単に台を組み立ててお菓子を並べただけ。雨が降ったらいつでも店じまいできるようなお店だった。

また、桑の実は、白いドライフルーツがバザールで売っていた。日本では桑の実と言えばムラサキ。だが、みんな白い桑の実だった。紫色の実は一度も見ることが無かった。白とムラサキ桑の実の色の違いの境界は、どこになるのだろうか。

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サマルカンドは、ブルーモスクの町として有名だ。だが、玄奘三蔵がアフラシャフの丘にある町を訪れた時、拝火教、つまりゾロアスター教のお坊さんに追われている。この時はイスラム教は、サマルカンドに入っていなかったようだ。

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トルクメニスタン入ったのは、2003年のことだった。アムダリアを渡ったのは夜の9時。真っ暗な闇の中、夜走ることを想定していなかったので、ライトを持ってい中た。先導する車の赤く光るテールランプを頼りに、轍の後を踏むようにして進んだ。途中で汗が流れた。砂漠の中だというのに、急に湿度が高くなった。

タイヤの下の方で水の流れる音が聞こえた。浮き橋だった。街灯もない闇の中、アムダリアの上を横断していたのだ。

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今年の8月9日kら24日までキルギスへサイクリングに行く。そこでキルギスのことが書いてあるかと思って買ったのが、「アレクサンドロス大王の東征を掘る」エドヴァルド・ルトヴェラゼ著、帯谷知可訳、NHKBOOKS、443円より。

だが、オシュに関係する記述は、2行ほど。オシュの北西8㎞のイシュカヴァンという地域に大王が死に場所との伝承があるというのだ。伝承がるのは、あるファルガナの伝承とあるだけで、具体的な地名はない。キルギスの地図でイシュカヴァンを調べたけれども、そんな地名はない。伝承にあるだけで架空の地名なのか。

NHKに電話して聴くと同時に、雄でもそんな伝承を聞いたことがあるか尋ねてみよう。地図を開くと、オシュから北西8㎞は微妙な地域だ。キルギスとウズベクの国境にあるのだ。面白くなるばかりだ。

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2003年にトルクメニスタンへ行ったとき、マリーにあるメルブの遺跡へ行った。今では世界遺産に登録された遺跡。だが、誰もいなかった。遺跡をアrついていると女性が10名ほど観光に来た。トルクメニスタンの会社に勤めており、社員旅行だという。

この国、誰がスパイなのか全くわからない時代だった。スナックでマスターに麻薬の密輸ルートを聞いていた。翌朝、スナックにいなかったガイドに「あう言う話はしないでください。誰が聞いているかからないので。無事に日本へ帰りたいんでしょう」

脅しのようなセリフで、見張っていることを伝えられた。

来年、トルクメニスタンを走ろうと計画している。この約15年でどのように変わったのか知りたい。そのガイドが、顔色を変えたのはそのあとすぐのことだった。

明日に続く。写真が出てくるかな。

キルギス人映画監督による元日本兵映画


2012年、キルギス共和国で日本人捕虜が解放されて65年目ということで、キルギス共和国の国防省から招かれて記念式典に出席した。日本から山桜の苗木を持参して、日本人抑留者が建てた診療所の前方、入口の左右に記念植樹した。5月20日だったが、雨の日だった。キルギスでは、5月25日から夏休みなので、この時期は暑いのだが。

朝メールを見ると、在キルギス日本大使館から連絡があった。昨日の夜に来たものだった。

昨年の6月にキルギス人の映画監督サルダルガエフ・アルスタンベック氏が来日している。1946年から1948年まで元日本兵が捕虜として、東部にあるイシククル湖の南岸のタムガ村で強制労働に従事させられている。

捕虜としてキルギスで過ごした元日本兵は、毎朝顔を洗い、歯を磨き、生活の面は礼儀正しかった。このことを村人は感心してみていた。戦後で自分たちの食糧に困っている時だったが、時には収容所の金網越しに村人が元日本兵にリンゴをあげることもあっという。

映画監督のサルダルガエフ・アルスタンベック氏は、知り合いのキルギスの国会議員から日本人捕虜と村人のかかわり方を聞いて、作品にしたいと思い、来日して元日本兵にインタビューすることにしたのだった。

当時、わたしの友人のキルギス人リスベク氏が、在日キルギス大使だった。リスベク氏から電話があり、「映画は今後のキルギスと日本の関係に影響するので、恋愛小説やメロドラマのような作品になるといけないので、長澤さんからもコントロールしてほしい。気を付けてほしい」というのだった。そこで、条件として、日本での留学生活の在日キルギス大使館のチムール氏を通訳として、インタビューに同行させることを頼んでいた。
リスベク氏は、キルギス民族大学のジャーナリズム学部を卒業して、キルギスの外務省に勤めていた。リスベク氏が、青山学院大学の大学院に留学中に知り合ったのだが、15年ほど前のことだった。袴田茂樹教授のもとで学んでいるという話だった。

リスベク氏は、大学生の時に日本人捕虜のことを調べており、イシククル湖の湖畔の町バルクチの近くの墓地に、日本人の墓があるらしいと聞いて、調査に出かけたこともある。彼が大学生の頃、キルギスに日本人捕虜がいた時があったと、本に書いている日本人はいなかった。だから、リスベク氏はもともと日本人捕虜に関心があったのだろう。また、以前から、日本人捕虜の噂はキルギスにあったのかもしれない。

こんなことがあり、サルダルガエフ・アルスタンベック氏が来日した折には、新潟県と長崎県で元日本兵にインタビューできるように手配したのだった。長崎に住んでいる方の情報を、映画監督は知らなかった。映像に残してほしいと考えて、わたしからチムール氏にお願いして、インタビューに加えてもらったのだった。

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その映画が完成し、昨日在キルギス日本大使と書記官の二人で、観てきたという。42分ほどだがとてもよくできているとのお知らせだった。明日から、わたしは入院することになっている。昨年の6月も入院中で、病院の中からインターネットと電話でチムール氏や元日本兵に電話をして、インタビューにこぎつけたのだった。完成してホッとしている。

日本での試写会を映画関係者やテレビ関係者に見てもらいたい。



支倉常長を追う国内でサイクリング

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スペインで見かけた子供たちのサイクリングの様子。ヘルメットがみんな個性的。

スペインでは、支倉常長の足跡を追って仲間と一緒にサイクリングした。13名だった。

次は日本国内で支倉常長の足跡を追うサイクリングを計画した。7月2日の予定だ。天気に恵まれることを願っている。
参加を予定しているのは7名。

東京から仙台までは新幹線。石巻にあるサンファン館へとサイクリング。

また、宿泊するサンファンビレッジのホームページ
http://www.sunfun-village.com/

ルートは細かく決めないで、10キロごとに合流すればOKとしたい。
参加者の乗る自転車は、マウンテンバイク、ロートとタイヤの太さもスピードも違うので、約10キロごとに合流、自由に写真を撮るなどしながらサンファン館を目指すことにした。

支倉常長に関するサイトは以下の通り。Amazonで検索して事前に資料にも目を通してほしい。

支倉常長 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%AF%E5%80%89%E5%B8%B8%E9%95%B7
サンファン館
http://www.santjuan.or.jp/

仙台市博物館
http://www.city.sendai.jp/kyouiku/museum/syuuzou/hasekura/
支倉常長
http://www.bell.jp/pancho/k_diary-10/2014_02_21.htm

http://www.y-history.net/appendix/wh0801-115_1.html

石ノ森漫画館(入館しないと思いますが、2011年に石巻駅へ行ったときに津波で営業していませんでした。今の様子を知りたいので集合場所としたい)
http://www.man-bow.com/manga/

支倉常長メモリアルパーク
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%AF%E5%80%89%E5%B8%B8%E9%95%B7%E3%83%A1%E3%83%A2%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AF

支倉常長の墓に関して>   文字化けするようですが、以下の「」内のように書かれています。

「支倉家の墓を守った伊藤氏

ローマ教皇との謁見を果たし、帰国した支倉常長。
キリシタンになって戻ってきた常長を、功臣が捕われ処刑されないように、伊達政宗は現大郷町に隠棲するよう命じたと考えられている。
その当時成田村と呼ばれていたこの地域は、常長の義理の弟である支倉新右衛常次が治めていた。
その後、常長は成田村で世の中との接触を避け静かに暮らし、84年の生涯を閉じたと伝えられている。
墓石には常長のものだと知れないように「支倉氏」とだけ刻み、義弟新右衛常次家中の人々によって代々守られてきた。
この支倉氏には跡継ぎがなく断絶したが、家来の伊藤嘉兵衛が5代目の善三郎まで墓を守り続けてきた。

明治になり常長の功績が脚光を浴びる頃、善三郎は晩年になり成田村の墓が常長のものであること、伊藤氏が墓守をしてきたことなどを後世に伝えるべく書き残したのだった。 」

宮城県川崎町の支倉常長の墓
http://kawasaki-asobi.jp/spot/history/historical/%E5%9C%93%E9%95%B7%E5%B1%B1%E5%86%86%E7%A6%8F%E5%AF%BA/

仙台市青葉区にある支倉常長の墓
http://www.jalan.net/kankou/spt_04101aj2200025889/

支倉常長の墓について
http://www.ne.jp/asahi/chihiro/love/ooedoaruki/vol58.html
上記のリンク先に「支倉常長の墓を守ったのは伊藤さん」とあるけれど、気仙沼出身の友達で「ご先祖様は支倉常長と一緒にスペインへ行った足軽。家の墓はお寺にあるけれどもキリスト教の墓」と言っていた人は伊藤さん。多い苗字だけど。

シルクロード雑学大学長澤法隆
http://www.geocities.jp/silkroad_tanken/index.html

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8月には、キルギスでサイクリンングを計画している。約70年前にシベリア抑留の一部の日本兵が、中央アジアのアキルギスにも送られている。定年後のライフワークの一つとして、厚生労働省も把握していないシベリア抑留の元日本兵探しに取り組みたい。一緒に探してみたいという人も募集している。伴走するバスに乗っての同行も可能。

問い合わせは、nagasawa○hosyu ybb.ne.jp(○を半角の@に変更して送信してほしい)まで。

支倉常長の像を見に行くサイクリング


イタリアのチヴィタヴェッキアの港

2013年にイタリアのローマから西へ約60キロ離れた港町チヴィタヴェッキアにサイクリングに行っている。この町は、宮城県石巻市と姉妹都市を結んでいる。石巻には、支倉常長がヨーロッパに向かうときに船出したといわれている月ノ浦という港があるからだ。

支倉常長は、1615年、チヴィタヴェッキアの港に上陸して、ローマに向かったということだ。

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港町にある日本聖殉教者教会には、日本の風景も描かれている。何故なのか、知りたい人はリンク先を見てほしい。

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また、チヴィタヴェッキアには、支倉常長の銅像がある。実は、この写真は友人からもらったCDに入っていた。私は、チヴィタヴェッキアに行ったが、この銅像を見る時間がなかった。また、チャンスを作りたい。

支倉常長の銅像は、4月26日にスペインのコリア・デル・リオでも見てきた。コリア・デル・リオには、支倉常長と一緒にヨーロッパに渡った8名ほどが住みついた。帰国しなかったと伝えられている。日本人を祖先にむつ日系人は「ハポン」という姓だという。

7月2日に宮城県石巻へサイクリングに行く予定だ。仲間7人と一緒にサンファン号という舟を見に行くのだ。石巻のサンファン号の近くにも支倉常長の像があるようだ。楽しみにしている。

8月にはキルギスへ行くが、元日本兵が抑留されたといわれているジャララバードで通る。抑留者のことを調べる時間も作って、帰国後に調べた結果をもとに、抑留された元日本兵、あるいは家族を探したい。一緒に探すメンバーを募集中だ。

キルギス人の映画監督が昨年の6月に来日して、キルギスのタムガ村に抑留された元日本兵の取材に来ている。もうすぐ映画ができるという。これらは新聞で公表する準備を進めている。

種はタイムカプセル


「捨てるな、うまいタネ」藤田雅矢著、WEVE出版、Amazonで398円より

「捨てるな、うまいタネ」という本を読んでから、シルクロードで種を手に入れて、ベランダで育てることを始めている。

これまでに育てたのは、アーモンド、ビワ、イチジク、クワ、カキ、ザクロ、ダイコン、カブなどの果物や野菜。多摩市にある恵泉女学園大学は、園芸を必修科目としており、学生は畑で野菜づくりも学んでいる。この大学の澤登先生が、アーモンドの木を引き取ってくれたことがある。

中国のカシュガルにサイクリングに行った帰りに買ったアーモンド。これををプランターに入れたら芽が出のが、てきた。団地に住んでいるので、ある程度大きくなった時に声をかけたら引き取ってくれたのだった。

澤登先生がスペインに留学している時、日本の桜のように春を伝えるのが、アーモンドの花の開花だったのだという。
そのアーモンドの木は今も大学の裏にある畑にある。今ではアーモンドの見も実っている。秋にサイクリングに行き、アーモンドの実を拾うことができた時もあった。毎日新聞が紹介してくれたのだが、すでに10年ほど前の話になる。

この本を読んでから、トマトの種も蒔いてみた。アボガドは今ベランダに育っている。大きくなったら誰かに引き取ってほしい。

今は、団地の庭に植えたクワの木が2本ある。イランから持ち帰ったクワの実から育てた木で、白い実のなる桑だ。1本は枝垂れなのだが、クワガタか何かに幹を食われている。枝を挿し木で増やして、枝垂れクワの木をどこかの庭で育ててほしいものだ。ウズベキスタンのタシケントでは、街路樹に枝垂れクワの木を植えている通りがある。来年、サイクリングに行ったときに、確かめたい。

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「野菜の博物学」青葉 高著、講談社ブルーバックス、Amazonで1円より。ただし4冊しかありません。

この本は、野菜の原産地を知りたいときに使っている。また、コピーして、学校でシルクロードをサイクリングしたときの話を頼まれた時に、資料として配布する時もある。ただ、そういう話は最近なくなった。

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「野菜の学校」野菜ワークショップ著、岩波書店
Amazonで1円より、この本もいい本なのだが、シリーズそのものが無くなった。岩波書店って、利口な人が集まっているんだけれど、商売っ気がないみたい。いい本を作って満足するのが編集者だろうか。ただ、肉じゃがの作り方などのページは、誌面を使い過ぎに感じる。

友達が神田の古本屋買いを歩いていて、古本屋の「ワゴンを見たら自分の本があった。がっかりしたよ」といっていた。1冊どれでも100円のワゴンだった。1円って、買う方としては安くていいが、作った側としては知りたいくない情報だな。野菜も作る側に立ったら、安すぎると思うのだが。安いけど、野菜を食材という視点でもとらえることができる。

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「果物の博物学」渡部俊三著、講談社ブルーバックス、Amazonで1000円より。高いのは18900円。

八百屋やスーパーに並んでいる果物は、たいていが原産地は日本ではない。ではどこから来たのか。原産地と伝播のルートを知りたいと思って買った本。専門的な本は眠くなるので、一般的な資料をと思って買ったのだった。

今、一番育てたいのは、蟠桃(ばんとう)という桃貴婦人の小指というブドウ

どちらも育てたことはあるが、育てた果物を食べたことが無い。蟠桃は文京区の友達、貴婦人のブドウは佐度の友達が育てている。実が届いていないから、まだ実がついていないのかもしれない。どちらも、10年ほど過ぎている。

蟠桃も貴婦人の小指も、今年のキルギスでのサイクリングで食べられると思う。帰国したら種から育ててみよう。

武蔵国分寺はカップルの聖地だった


武蔵国分寺の尼寺

晴れたので散歩に出かけた。買い物自転車で出かけたのだった。国分寺の写真、ちょっと斜め。注意しなければ。
最近、三半規管がおかしくなったらしい。カメラのGPSを確かめようと思ったのだが、今日はカメラ機能だけチェック。

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工事中かと思った。

尼寺の前で工事中なのか作業している人の姿があった。

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遺跡調査だった。家の建て替えか何かがあり、工事が始まったらしい。

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瓦が出てきたようだ。模様もよく見えた。

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尼寺の周囲に掘られた「濠」を発掘しているとのこと。「あの茶色い土が関東ローム層です」などと細かく説明してもらっった。ありがとうございます。また来ます。

定年後に、遺跡の発掘に関わるアルバイトを希望する人が多いと聞いたことがある。この方たちがアルバイトなのか、国分寺市の職員なのかは聞かなかった。だが、楽しそうだ。うれしそうにすすんで説明してくれた。

キルギスでは、発掘していない遺跡がたくさんある。それも、世界遺産の発掘も終わっていないようだ。まだ発掘されていないものもある。定年後の人たちに中央アジアで発掘のボランティアがあったら、丁寧に作業をしてもらえるように思った。

以前、キルギスで玄奘三蔵が通ったと伝えられているアク・ベシム遺跡で発掘の様子を見ていた時、鉄のスコップで遺跡を掘っていた。しかも、目の前でスコップがあたり、ガラス玉が割れてしまった。もったいない。

しかも、割れたガラス球をゴミとして捨てていた。成分を調べれば、どこで作られたガラス玉かわかるし、運ばれたルートの推測から交流の足跡を明らかにする手掛かりにもなる。もったいないと思って見ていたのだった。残念な出来事だった。

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武蔵国分寺の遺跡の話に戻るが、掘った土の下から瓦が出ていた。掘っているのは「濠」だから、埋めたゴミなのだろう。

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遺跡の発掘は、武蔵国分寺尼寺のすぐ前。天気のいい日には散歩にどうぞ。

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伝鎌倉街道。尼寺のすぐ近くにある。

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梅雨の晴れ間だが、アジサイが咲いていた。アジサイにはやはり雨が似合うのだった。今日は晴れ。


東山道武蔵路。今は道路ではなく、「復元した古代道路」で、公園になっている。小さな子供たちの自転車の練習場。車が来ないので安心して練習できる。

私の話だが、ここから古代道路を走るサイクリングをスタートしたい。レポートを書いてほしい雑誌の編集者は、いつでも連絡をください。定年後のサイクリングの楽しみ方に生かせます。しかも全国各地に古代道路の遺跡があります。ただし、古代道路の一部は推定となります。

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武蔵国分寺の遺跡にある大きな木

武蔵国分遺跡にも行ったが、何時も気になっていたのは大正年代に作られた墓のような石碑。木にめり込んでいるところを見ると、木の方が石碑よりも古い。それよりも、この木は1本だと思っていたが、2本だったことに気が付いた。

そうかここはカップルの聖地か。国分寺市よもっとPRしろ。若者にアピールしよう。

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尼寺前の発掘調査は1週間ほど。天気のいい日に案内してほしい人は連絡をください。調査の方も喜んで説明してくれると思います。

尚、尼寺の版築には、中国から技術者が来て工事にかかわったと思われているようです。

黄色い花にはハチが来る


花は黄色だった。

6月17日、ベランダで黄色い花が咲いた。残念ながら、ヒョウタンではなくカボチャだった。

イラン、ブルガリア、中国、ウズベク、日本のどこかの国のヒョウタンの種かもしれないと思って花の咲くのを楽しみにしていた。

だが、以外にも西友で買ったカボチャの種だということが分かった。雄花だからカボチャは実らない。まあ、F1の作物から何が出てくるのか、楽しみを路線変更。

黄色い大きな花には、大きなハチが集まる。蜜が採れるのだろう。
大きなハチが来ないことを願ってる。

シルクロードを庭で育てる


イランのドライフルーツ。その2代目の実。つまり日本生まれ。写真の茶色い部分が種。実が完熟するのを待っており、ベランダで干している。たまには虫も来ている。

日本では桑の実と言えば紫色というか黒。だが、イランや中央アジアでは桑の実は白だった。八百屋の店先ではなく、街路樹などの実を食べてみてのこと。

スペインでは桑の木を見ることはなかったが、スーパーマーケットの店先で桑の実を売っているのを見かけた。白が多いが、ムラサキもあった。

スペインでもらった桑に見kら種を取り、ベランダで蒔いてみた。まだ芽は出ない。ひょっとすると、寒い時期を体験させていないからかもしれない。種は、冷蔵庫に入れて冬のような気温を体験させてから蒔くのが普通だ。来年のあるには芽を出すかもしれない。

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ヒョウタンかカボチャかわからないけれど、ツルはどんどん伸びている。

子ツル、孫ヅルもめど芽をした。これで、雌花の出てくる条件はそろった。親ヅルから伸びた雄花の中には、もうすぐ開花しそうなものもある。花が白ければヒョウタン、黄色だったらカボチャだ。花の咲くのが待ち遠しい。

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挿し木をした桑。

団地の庭にある桑の木は、4メートルほどの成長している。白い実も実るようになっとぃる。昨年は、20本を挿し木したところ、2本だけ根がついて大きくなった。2本とあげたも知り合いに。

今年も挿し木をしている。その中の1本から新芽が出てきた。根付いたようだ。この桑の木は、今年中に1・5メートルほどになると思う。来年の春には花が咲き実も実ると思う。シルクロード好きで庭のある人、育ててみませんか。


手ぬぐいを買いに浅草へ

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浅草へ手ぬぐいを階に行った。昨日の話だ。

4月18日から5月5日まで仲間たちと一緒にスペインとポルトガルをサイクリングした。女性2名を含めて13名だった。

この時に、コリア・デル・リオという町に行っている。スペインのセビアリアの近くにある。

支倉常長をリーダーとした慶長遣欧使節が、この町を訪れたのは約400年前。支倉常長たちは、全員が帰国したのではなかった。8人ほどがスペインに住みついた。そして、この日本人の子孫が、今でも暮らしているというのだ。

休養日に「私たちは日本人です。日本人を子孫に持つ『ハポン』さんを探しています」と書いた紙を胸につけて探した。小さな町なので、すぐに「ハポン」さんは見つかった。その中の一人のおばあちゃんが、次から次へと、「ハポン」さんを紹介してくれたのだった。

そのおばあちゃんに、お礼に手ぬぐいを送ろうと思って、買い物に出かけたのだった。

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新宿のお店へ行き、シリアの写真展を見た

帰りに新宿に下車して、ベルクというお店に入った。新宿駅の東口の並びに。あった。
吉竹めぐみさんという写真家の写真展だった。シリアの暮らしを伝えている。

お店は、ワインを飲んでいる人が多かった。ビールの人もいる。私はジュース。

ワインを飲んで、パンを食べている脇で、立ったまま写真を見て回った。本来ここは食事をするところだったのだ。

飲んでいる脇で見て、食べている脇に立ち止まる。日常生活の中に、異空間の日常生活がある。写真展は、本来こうあるものだと感じた。

写真の中のシリアの人々は、ごく普通に暮らしていた。

スペインのテレビのニュースでは、シリアのことを伝える時間が多かった。日本のテレビのように、都知事のゼニゲバだらけではない。

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スペインのガイドの言うには、「ヨーロッパに難民として脱出できるのは金持ちばかりですよ。本当に金のない人はシリアから出られない」という。写真展にもう一度行きたい。今度は、食事をしながらじっくりシリアの暮らしに触れたい。

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団地に帰ったら、大きなごみ袋に気が付いた。中には、梅の実がたくさん入っていた。

昨年までは、団地の梅の木から梅の実がたくさん落ちていた。だが、今年はない。不思議に思っていたのだった。

団地には、お掃除のおじさんが6人ほどいる。朝早く、お掃除のおじさんが団地の庭をきれいに掃除して、梅の実を捨てていたのだと分かった。梅干しでも、梅酒でも、ジャムでも‥‥、食べモノとして保存できるのだが。
ゴミを作るのが掃除人か。世の中、常識と非常識の区別が難しくなっているようだ。

キルギスでオジさんは夏休み


団地の庭で採れた桑の実

団地の庭に桑の木がある。イランで乾燥した実を買った。帰国後に半信半疑でプランターに植えてみた。芽が出た。大きくなった。

時々海外へサイクリングに出かけることがあり、手に負えなくなり、植木鉢の底を抜いて、知らん顔して団地の庭に下した。当然、蜂の下から根が出ているはず。水をあげなくてすむのでとっても便利。植木鉢に入れた風を装っているので、誰も文句は言わないし、庭を管理している人も切り倒たりししない。桑の木は、異国で大きく伸び伸びと育っている。

桑の木は、実が採れるに様になった。白い。これで完熟していて、甘い。スペインでも桑の実は白かった。ムラサキもあった。白い桑の実をプランターに蒔いてみたが、芽は出ない。来年の春だろうか。

団地で採れた桑の実を、ベランダで干してみた。種を成長させて、種まきをするためだ。

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ヒョウタンと思って育てているツルものは、ちょっとお。かしい。

雄花がスマートすぎる。芽カキをしたので、子ツルや孫ツルから雌花が出てくるだろうそうすれば、カボチャかヒョウタンか、素人にも分かるようになる。

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キルギスの子供たち。キルギスでは5月25日から夏休みに入る。夏休みが終わるのは8月末。3か月の夏休み。大人も夏には1か月は休みを取る。それでも国家は存続している。家族も一緒に休みを過ごしている。田舎の子供たちは、自転車代わりに馬に乗って遊びに出かける。カーボーイのようにさっそうと、遊びに行く。

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アイスクリームのパッケージ

中央アジアのアイスボックスでは、マトリョウシカのデザインをしたアイスクリームを見かけることがある。たまにはパーとお金を使って、周りにいる子供たちにアイスクリームやキャンディーを買ってあげることがある。次からつぎへと子供がわいてくる。2本食べた子供もいたかもしれない。これでいい。おじさんも夏休みだ。明日のことは考えない。

キルギスへサイクリングに行く 準備編


中央アジアの地図

今年の8月、「ツール・ド・シルクロード10年計画」でキルギスへサイクリングに行く。
今のところ参加者は8名、女性は2名。

ルートは、ビシケクの近郊からオシュまで。約650キロ。9日間で走る予定だ。全体的に下り坂。天山山脈の雪山を眺めながらの走行が多いのだが、風景に見とれての追突などの前方不注意に気を付けたい。風景に見とれそうな部分は下り坂だから、事故になると大けがに結びついてしまう。

また、高いところは標高3200メートルほど。内陸部なので朝晩は冷えると思われる。手袋は冬用の厚いものも準備したい。気温が低くなると手がしびれてブレーキを握れなくなる。これもまた事故の原因になりかねない。富士山よりも低いけれど、内陸部だから冷えると思う。それに天候が崩れる可能性は、標高が高いだけに確率は高い。後はのんびりと下ることだ。

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キルギスのタシラバット

キルギスのナリンという町よりも、さらに天山山脈の近いところにタシラバットという遺跡がある。昔のキャラバンサライ遺跡と言われている。何回かサイクリングで行っているが、いつもヨーロッパからの観光客を見るばかり。ここで日本人と会ったことはない。
標高は3200メートルほどだ。周囲にある山に登ると息切れがした。周囲に夏にはユルタを立てて、観光客の宿泊施設にしている。

サウナに入るときは、車にのせてもらって4キロほど離れたところでを利用した。当然、帰るまでに冷え切ってしまう。だが、夜空の星がきれいだった。今回は方向は違うけれども、標高はだいたい同じくらい。大粒のくっきりと輝く星を見たいものだ。
ぼんち
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「アレクサンドロス大王の東征を掘る」NHK出版700円により

オシュは、フェルガナ盆地に近い。ピント外れているかもしれないけれど、アレクサンドロス大王の伝説があるだろかと考えて、上記の本を買った。

するとこんな記述があった。「大王の死の場所は、オシュの北西8キロメートルのところにあるイシュカヴァンという地域だといわれている」。民間伝承を聞きながらサイクリングを楽しみ、考古学に近づくのも面白そうだ。発見があると楽しい。地名を、地図で調べてみよう。幸い、キルギスの地図を買っており、持っているので。

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「中央アジア・蒙古旅行記」カルピニ/ルブルク 護雅夫訳、講談社学術文庫、1436円

オシュまでのルートと重なった部分があるかと思って買った。だが、全然ダメ。

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今日蒔いたヒョウタンの種

シルクロードを自転車で旅行しながら、ヒョウタンを買ってはベランダで蒔いたり、近所の学校に「緑のカーテン」としてあげたりしていた。最近は、ゆとりのある先生がいなくなったのか、緑のカーテンに取り組む先生が少なくなった。あるいは業者任せになっている。

実は、ニガウリやキュウリなどは、食べられる実がなるので緑のカーテンとして人気だ。だが、昼間に花が咲き大きな鉢が飛んでくるので窓を閉めたら、教室の温度が高くなった。子どもたちは汗だく、という話も聞く。

ヒョウタンは、夕顔科。夕方から朝にかけて花が咲き、受粉を手伝うのは蛾なのだ。だから、蜂騒ぎで教室の窓を閉める必要がない。また、できたヒョウタンでお面を作ったり、楽器を作ったり、コップなどの器を作ったりと、工芸や音楽にも結び付けることができる。ひと時代の流行だった総合学習とやらができるのだ。

実は、ヒョウタンをベランダでたくさん蒔いたが、芽が出たのは3つだけ。しかも葉の感じがカボチャ見たい。それで慌てて、今日も種まきをした。その種がこの写真。芽が出るといいのだが。

サイクリングしながら、ヒョウタンでできたスプーンを使っているか調べたい。つい砂金までキルギスにはあったとの話を聞いている。もちろん種入りのヒョウタンも飼ってきたいものだ。来年の種まきのために。

種の希望者は連絡をください。一緒にヒョウタンや歴史の舞台を体験に行きたいメンバーも募集しています。希望者は長澤法隆を検索してメールをください。

キルギスと中国の本


『検証 キルギス政変 天山小国の挑戦』浜野道博著、東洋書店

現代のキルギスを知るには、この本がいい。古書で読むことができる。

大倉忠人さんの書いた書評が優れている。大倉さんの書いた書評はこちらでをクリックして読んでほしい。


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『キルギスタンへの誘い』日本キルギス友好協会編

1998年に発行された増刷版を読んだ。古いけれども、キルギすの基本的な情報を知ることができる。読みたい人は連絡をください。

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『中国史の風景』山口直樹著、実業之日本社 Amazonでは1円より

友人の文と写真による本。いい本だが、1円で売っているとは驚き。PHP研究の発行する雑誌でも連載していた山口さんは、漢詩の世界を写真に納めるのを仕事としている。NHKの「漢詩の世界」でも写真を担当していた。

キルギスの資料

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キルギスに関する新聞記事。朝日新聞だが、発行日は不明。

バザールで見かけた黄色いニンジンのことを書いている。

中国をサイクリングしていると、バザールで見かけるニンジンの色が変わってくる。赤から黄色になるのだ。

それとともに、漢族からウイグル族へと民族も変化してくる。中央アジアに入ると黄色いニンジンが多くなる。プロフという焼き飯、ピラフでは黄色いニンジンが使われていた。8月のサイクリングでは、バザールで人参の色も確かめてみたい。

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『湖底に消えた都』加藤九祚著、角川新書

Amazonでは800円からあった。だが、5冊くらいしかなかった。高いのは1万8000円。きれいなんだろうな。

キルギスのイシククル湖に沈んだ集落のことを書いてある。地震で湖底に沈んだのか、温暖化によって湖の水位が上がり沈んでしまったのか。この点は不明。

この調査をするために学者が泊まっていたと伝えられているゲストハウスに泊まったことがある。今でも学者たちは、毎年、夏になると調査を進めているようだ。湖のほとりにあり、朝早く湖岸を歩くと、陶片が落ちていた。考古学者は、舟を出して少し沖合で調査をしているようだ。最近、他のところでも集落の遺跡が見つかり、調査が進められているようだ。まだまだ新発見のチャンスが多い地域だ。

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『キルギスの青い空』 C・アイトマートフ著、高田三郎訳、フォア文庫

何と、解説を書いているのは、4年間もシベリアに抑留された文学者の高杉一郎だった。1982年当時の肩書は、和光大学教授となっていた。解説にも、抑留のことが少しだけ書いてある。

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『キルギの雪豹』チンギス・アイトマートフス著、阿部昇吉訳、潮出版社

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『キルギスよりアムールへ』T・W・アトキンソン著、満鉄広報課訳、朝日新聞社

私が持っている本はボロボロ。昭和17年発行。

キルギス・サイクリング参加者募集中 シベリア抑留を知るキルギス人へのインタビューも


2012年、キルギスでのサイクリングの様子

キルギスでのサイクリングに参加するメンバーを募集中

8月9日から24日の日程でキルギスへサイクリングに行きます。

走行するルートは、ビシケクの南西約100キロのところにある標高3586メートルのテョル・アシュー峠のあたりから南部の街オシュまでの約750キロ。走行するのは、8月11日から19日までの9日間。

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途中のジャララバードでは、元日本兵の抑留の様子を調べるインタビューをします。

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旅の様子は、インターネットで日本でも知ることができるようにしたいと思います。キルギスでは急速に無料のWifiが進んでいるので、参加者によりfacebookやブログでもお知らせすることができるようになっています。

現在の参加者は、7名(男性5名、女性2名)です。

日程:2016年8月9日から24日
走行ルート:ビシケクから約100キロ南西のテョル・アシュー峠近くからオシュまで
参加費:約50万円

備考:伴走のバスがあり、何時でもバスに乗れる。バスdネオ移動の人も参加可能。
主催:シルクロード雑学大学
問合せ:090-1769-6641(シルクロード雑学大学長澤法隆)まで、メールの場合 nagasawa_horyu○ybb.ne.jp(○を半角のアットマークに代えて送信してください)

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参考となるブログ「キルギス満喫一人旅」

ビシケクからオシュまでの車で移動した様子が写真とともに紹介されている。3回の休憩を含めて11時間弱だったという。

1943年の満州を伝える写真展 赤羽末吉


1943年の満州の様子を伝える写真を知らせる新聞記事

6月5日まで国立市公民館で写真展を開催してた。撤去の時に手伝ってくれた方から新聞記事をもらった。

絵本画家の赤羽末吉さんが撮っていた、1943年頃の満洲の様子を伝える写真を展示しているというものだった。

赤羽さんは、「スーホの白い馬」という絵本で国際アンデルセン賞画家賞を受賞している。

写真展は以下の通り。

タイトル:「赤羽末吉スケッチ写真展 モンゴル・1943年」

会場:日本カメラ財団(JCII)フォトサロン(東京都・半蔵門)

期日:6月26日まで(月曜休館) 開館時間は不明

備考:入場無料

先祖は支倉常長の部下でクリスチャン


6月6日のヒョウタンらしきもの10センチくらい伸びた。外は曇り。

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一昨日、本屋さんに寄ったら金子民雄さんの著書「ルバイヤートの謎」と題した新刊が出ていた。さっそく買った。集英社新書。

金子さんがこの本に魅せられているとは知らなかった。

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朝刊に集英社の雑誌「kotoba」の広告があった。三浦英之さんと金子民雄さんの名前があったので買った。

三浦さんは、昨年の「開高健賞」の受賞者だ。今は南アフリカの支局にいるはず。今は何を追いかけているのかと思って買ったのだ。特集に合わせた文章だったが、読ませてくれた。立川支局で私と会う前にいた仙台支局で、真珠湾攻撃の生き残りに取材した時の話だった。

金子さんの記事は「ルバイヤートの謎」だった。

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スペイン・ポルトガルをサイクリングする前に、友人と会った。越谷駅の近くにある飲み屋で、わたしは烏龍茶を飲んでいた。今度のサイクリングでは、支倉常長で知られている慶長遣欧使節の一部のメンバーが帰国しないで、スペインで暮らす道を選んだことを話した。その子孫が、今もセビリアの近くにある町で暮らしているらしいと。

すると、「うちのご先祖様は、支倉常長と一緒にスペインへ行って帰ったらしい。お寺の墓の中でも、うちの墓だけ違うんだよ。キリシタンなんだよ」との答えが返ってきた。2011年に気仙沼へ行った後、同じ店で地震の後の気仙沼の様子を撮った写真を見せたことがある。なんと、弟さんは市役所に勤めていて定年退職、暇なので話を聞きに行ってほしいとのこと。喜んで。行きたい。もっとも、友人が78才だから、弟さんもそれなりに。急がなくては。

その後、東北のキリスト教徒を調べているのだ。古い話だけなんだけれど。

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昨日で国立公民館での写真展は終ったが、帰りに「サンファン号」を見に行こうと盛り上がった。サンファン号は、支倉常長たち慶長遣欧使節が日本を出発するときに乗っていた船の名前だ。復元したサンファン号が、石巻に展示されており、博物館のようになっている。これを見に行こうというのだ。

仙台まではバスか新幹線で、仙台から60キロほど走ってサンファン館に行きたい。近くにホテルもあるという。1泊5800円、朝食付き。支倉常長の墓は仙台の近郊に4か所あるらしい。金曜日の夜の夜行バスで出かけて、日曜日の夜に新幹線で帰れば、土日を使ってサイクリングできる。7月の話だが。今のところ、女性4人、男性3人。

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「たったひとりの引き揚げ隊」石井博子著、角川文庫。よく書けているノンフィクションなので、単行本を読んだ後に文庫でも買った。「天山の小さな国 キルギス」の著者三井勝雄さんに、この本の内容を話すと「本に書かれている主人公ビクトル古賀」は三井さんの子供の頃の友人だという。いつ遺産は、今年80歳を過ぎている。ソウルで生まれている。

サンファン号を訪れたいという人の中に『母は満洲生まれ。小澤征爾と同級生だった」という人がいる。彼のお母さんは、我が家から歩いて5分ほどのところに住んでいる。ビクトル古賀も知り合いだろうか。

キルギスをサイクリングした事例を講演


昨日の桑の実の収穫

昨日(6月4日)、写真展の留守番から帰ると、団地の桑の実が落ちていた。

プランターにそのまま蒔いて、芽の出るのを待つことにした。

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今朝(6月5日)のベランダ、ひょうたんは5センチほど伸びていた。芽の先端を切ったので、子ツルといわれるわき芽が少し伸びてきた。1週間もすれば再び芽かきをして孫ズルを得られるかもしれない。そうすれば、雌花の誕生に結びつく。

今日(6月5日)、14時から国立市公民館で中国のカシュガルからキルギス共和国のビシケクまで自転車走った時(1999年)の話をする。希望者は、予約なしでも会場に来てください。今回は、今年の8月にキルギスへのサにくリングに参加する人にも参考になると思う。

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当時の様子を記録した報告書が出てきた。基本的には参加者の帰国後の感想文とケガや病気、どんな修理の準備をしていたかを記録している。165ページもある。これを50ページくらいにページ数を限定した方が、次にこの地域へ行く人に参考になると思われる。写真やビデオでは、実際に行こうという人には、あまり参考にならないことが分かった。写真やビデオが参考になるというのは、観光をしたい人向けだと思った。

シルクロードのヒョウタンと桑を育てる


昨日の風で団地の庭にある桑の実は落ちるようになった。熟した実があるということだ。

この桑の実は、イランのバザールで買った乾燥した桑の実から種を取って育てたもの。

東京都国立市内の団地に住んでいるが、国立で育「った友人によれば「子供の頃は、桑の畑だった。気候や土があっているんじゃないか」とのこと。お言葉に甘えて、今年はスペインから持ち帰った桑の実から種を取りプランタ0で植えている。まだ芽は出ていない。

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葉の裏にたくさんの虫がいた。

ベランダには、杏の木もある。キルギスから持ち帰ったドライフルーツの種から育てたものだ。10年以上過ぎるのだが、花が咲かない。だが、葉の裏には虫がたくさんいた。写真を見て分かったのだが、ふ化したばかりの様だ。葉をちぎって捨てた。

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ヒョウタンの蔓

プランターには、数種類のヒョウタンの種を蒔いていた。だが、芽が出たのは3つだけ。2つは大きくなり、ツルの先端部分を切る摘心も済ませた。摘心をするのは、雌花のできる枝が出てくるようにするためだ。摘心をしないと、枝というかツルというか、どんどん伸びるのだが、雄花が咲くばかりで、受粉できない。実を収獲するために、摘心する。自然の中ならば、虫に食べられたり風でツルが折れて、自然と雌花の咲く枝が出てくるのだろうが。

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ヒョウタンの種は、ブルガリア、イラン、トルコ、中国の蘭州、中国のカシュガルとシルクロードの各地で採取したヒョウタンから種を取っている。今年も夏にキルギスへ行くし秋には中国の敦煌へ行く予定がある。この時もヒョウタンを買って種を持ち帰りたい。

シルクロードを旅行した後で植物を育てて理科と地理と歴史、それに工芸と区別なく触れる。

育ててみたい方は、nagasawa_horyu○ybb.ne.jp
まで連絡をください。尚、メールの○は半角の@マークに変更して送ってください。


講演会 キルギスの魅力を伝えます 元青年海外協力隊員の大倉忠人さん


イシククル湖の畔にて

講演のお知らせ


タイトル:報道とデータで見るキルギスとその実態 ビシケクからオシュを中心として」

日時:6月11日(土)15時~17時

講師:大倉忠人(メーカー勤務、青年海外協力隊ボランティア キルギス共和国に派遣)

会場:JICA地球ひろば2階 大会議室(JR市谷駅下車、徒歩10分、新宿区市谷本村町10-5)

参加費:一般1000円、学生500円

備考:誰でも参加できます。予約不要。

主催:シルクロード雑学大学 090-1769-6641

8月9日から24日に行うキルギス共和国のタシケント郊外からオシュへのサイクリングの前に、青年海外協力隊のボランティアとしてキルギスで2年間を過ごし、キルギスの大統領選挙にあたって、選挙監視団のメンバーとして派遣された体験を持つ大倉忠人さんに、ビシケクからオシュへ行った際のことも交えて、魅力と原図用を話していただきます。質問大歓迎。キルギスへのサイクリングの参加も大歓迎です。

サイクリングは現在のところ7名が参加を表明。休暇などを調整中が6名います。

遠征の参加者は、50代から70代まで。サイクリング歴50年以上から初心者まで。バスの伴走が付くので、荷物を持たないでサイクリングできます。注意は、山岳地の風景に見とれての自転車のわき見運転。

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キルギスに関する講演


中国側、国境の村トパの手前で洪水で道はなくなっていた。

キルギス共和国のことを、国立市内で話します。

タイトル:「シルクロードで一緒にペダルを踏んだ仲間たち」第3回 きるぎす
日  時:6月5日(日) 14時から17時 
会  場:国立市中央公民館(東京都国立市中1-15-1、JR国立駅南口下車、徒歩5分)
会場費:500円
主催:シルクロード雑学 042-573-7667
申込み:不要 誰でも参加できます。

中国の西安からイタリアのローマを20年かけて自転車で見聞する「ツール・ド・シルクロード20年計画」。1999年には中国のカシュガルから、キルギス共和国の首都ビシケクをめざしていた。だが、カシュガルから約60キロ走った地点で洪水に遭遇し、道路は決壊。中国を自転車で出国できなかった。

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キルギスを走る参加者。彼女は当時、48歳くらい。後ろを走っている男性は、56歳だった。この道路も、いまでは舗装道とになっている。

すぐにガイドをウルムチ空港に向かわせた。空路、ウルムチからビシケクに飛び、ビシケクからバスで国境方面へと進み、再びビシケクをめざしてペダルを踏んだのだった。私たちは、いったんカシュガルに戻り、のんびりとウルムチへ向かい、ウルムチで飛行機が飛ぶまで待機していたのだった。

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中国とキルギスの国境と津ガルト峠、標高3752メートル。

国境に立てたのは、2000年だった。8月だったが、国境は雪に覆われていた。

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キルギスを行く、羊の群れ。

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夏休み、「愛車」の馬に乗って遊びに出かけるキルギスの子供たち。小さな子供はロバに乗っていた。「大きくなったら馬に乗りたい」が、保育園児くらいの子供の夢なのか。

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友達が書いてくれた新聞記事。

中国からキルギスへと続くトルガルト峠を自らの脚力で越えたい。だが、洪水、国境警察、日没などで3回国境越えに失敗しています。そして、2007年、キルギスに関してでとんでもない発見をした。

日本の厚生労働省は「キルギスに日本人抑留者の収容されたラーゲルはなかった」と発表していたのだが、長澤の電話にキルギスに抑留された元日本兵から電話があったのだ。以後、「キルギスの抑留者のことを調べている」と厚生労働省に電話をすると、わたしの名前を教えるようになった。

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キルギスに抑留されてたことのある方を招いてシンポジウムも開いた。

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キルギスに抑留された元日本兵が抑留中に立てたのは、この建物。今でも泥治療の病院として使われている。国防省の管轄するサナトリウムの中にあり、一般の人も利用できる。宿泊施設を利用して、アルマトイから避暑に来る人も多い。日本人のあなたも泊まれます。

講演ではサイクリングのことを話します。





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