2016-07

講演「スペイン『巡礼の道』、ペダルを踏んで第2の人生」


スペイン、サンティアゴ・デ・コンポステーラのカテドラル(今回の写真は、藤本完さんの撮影です。)

講演会のお知らせ

タイトル: 「スペイン『巡礼の道』、ペダルを踏んで第2の人生」

講 師:藤本完さん(ふじもと ひろし、元立川市職員、ひとり旅自転車愛好家)

日 時:9月11日(日)15時~17時

内 容:「ツール・ド・フランスのコースともなっているピレネーを越えてみたい」。キリスト教徒ではないけれど、キリスト教三大聖地のひとつサンティアゴを目指す巡礼の道をたどれば、パックツアーでは味わえない独特の文化が息づくスペインと出会える旅となると思った藤本さん。いろいろな人と出会い、お世話になった旅の様子を話します。

講師プロフィール:1942年東京都生まれ。50歳代の後半から自転車に興味を持ち、ひとり旅を行う自転車愛好家。2002年立川市役所定年。その後も仕事を続ける。2007年に完全リタイアするまで、強引ともいえる方法で休暇を取得してツーリングしている。国内、海外を問わずツーリング歴多数。「巡礼の道」を自転車旅行した影響なのか、その後、四国八十八か所自転車遍路を2回、秩父三十四か所自転車遍路をは巡ってもる。今後は、喜寿までは走ろうと思い自転車のトレーニングのほか、ストレッチ、筋力トレーニング、水泳に励んでいる。自転車以外の趣味は囲碁。

会 場:JICA地球ひろば 201AB室(東京都新宿区市谷本村町10-5、JR市ヶ谷駅下車 徒歩10分)

参加費:一般1000円、学生500円

備 考:講演会の前にキルギス・サイクリングの報告会(13時30分~14時30分)があります。

主催・問い合わせシルクロード雑学大学 ☎042-573-7667

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ピレネー山脈のイバ二エタ峠での講師の藤本完さん。

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カテドラルの中で聖ヤコブのもとで手を当てて祈りを捧げる巡礼者
巡礼者が手を当てるのですり減って手の跡が彫られている。

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スタート地点のサン・ジャン・ピエ・ドゥ・ポール

ピレネー山脈のイバ二エタ峠にて。
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「秀吉が聴いたヴァイオリン」石井髙著


イタリアのクレモナにある石井髙(いしい たかし)さんの工房を訪れたのは2013年だった

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3日ほど前に、資料を探しに古本屋へ行った。偶然目に入ったのは、「秀吉の聴いたヴァイオリン」石井高著、三信文庫。

石井さんとは、2013年にイタリアをサイクリングしたときに友人に誘われて工房を訪ねている。ローマからミラノまでサイクリングした後に、ミラノから電車に乗ってクレモナへ行った。

友人は、教員を定年退職後に「クレモナ」という手作りヴァイオリンの工房を開いていた。モンゴルの馬頭琴などの民族楽器の修理にもかかわっていた。好奇心が旺盛なのだが、石井さんの本を読んでその対応のヒントに気づいた。

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石井さんの工房を訪ねた時に、「秀吉の聴いたヴァイオリン」と書いたポスターや新聞記事が片隅に並んでいた。その時から気になっていた。古本屋で背表紙を見て、すぐに買ったのだった。実は、石井さんは昨年、ガンでなくなっている。新聞記事で知ったのだった。

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石井さんの工房を出て、クレモナの町を友人と歩いていると、日本人のカップルと出会い一緒に食事をすることになった。新婚旅行中で、奥さんは芸大でヴァイオリンを教えており、旦那さんはトレイルランニングの選手だと聞いた。別れた後、わたしたちの話を聞いた二人は石井さんの工房へ行くことになった。ヴァイオリンを教えているという奥さんが、とても関心を示していた。出会いは面白いものだ。

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友人とは、今年の4月に13人の仲間と一緒にポルトガルのロカ岬までサイクリングしている。

この時に立ち寄ったのは、スペインのマドリッドから出発して、支倉常長を始めとした慶長遣欧使節、天正遣欧使節の足跡だった。

「秀吉が聴いたヴァイオリン」という本で、石井さんは天正遣欧使節の4人が秀吉の前でヴァイオリンによって演奏した曲の名前、ヴァイオリンの種類を探すまでの苦労話をつづっていた。

天正遣欧使節の4人は、クレモナにも行っていたらしい。約400年前の話ですけれど。
日本人がヴァイオリンという西洋の楽器に触れて演奏にも習熟していたらしい点、興味深い。どうしてクレモナへ行ったのか。

来年6月にスペインの「巡礼の道」をサイクリングする予定だ。もうすぐ定員なりそうだ。

「巡礼の道」をサイクリングしたら、その後、もう一度クレモナを通るルートを走ってみたいと思った。
今度は、ヨーロッパから日本をめざすルートを走りながら、ユーラシア各地と日本のかかわり、日本・ユーラシア交流史に自転車に乗って触れてみようか。「ツール・ド・シルクロード」あるいは「ツール・ド・ユーラシア」、原点に戻る旅になりそうだ。


カボチャの人口受粉



ベランダのカボチャは、スーパーで買ったものの種が芽を出したもの。3つ目の雌花の花が咲いた。
雌花の蔓は短い。夏休みの小学生向け宿題のお手伝いのような出来事を紹介。

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運よく、2メートルほど離れたところには雄花が咲いていた。雄花の蔓は長い。花粉が遠くまで飛ぶようにできているのか。蜜蜂に発見されるようにできているのか。2日ほど前は、雌花は咲いたけれども雌花はつぼみだった。

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雄花を蔓の根元から手でちぎり、花びらも取り除く。

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雌花は、一面だけ花びらを取り除き、雄花を入れて人工授粉できるようにする。

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雄花の花粉が落ちていることを確認して、人工授粉終わり。

どうも、カボチャの花は朝早く咲いて、昼にはしぼんでしまうみたい。朝早く起きて人工授粉したらいいと思う。花が大きくラッパの様に咲いている時が、受粉には一番いいのだと思う。ただ、受粉可能な時間は短いようなので、気を付けてほしい。この辺は既に研究されて分かっているのだと思うが。

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尚、9月9日からのキルギスでのサイクリングは、標高3300メートルくらいから標高800mくらいまで。準備会議で充電のことをしつこく聞かれたので、太陽光でも充電できるバッテリーを買って準備した。これが重い。まあ、山でテント生活するのと違い、ベッドのある宿泊施設に泊まりながらの移動だ。サポートの車もついている。

スタート地点のビシケクはキルギス共和国の首都、ゴールのオシュは第2の都市。日本で言えば、東京と大阪の間を結んでサイクリングするようなもの。その間に山があるだけ。サイクリングは、道路のある所を走るだけで、人が少ないところもあるかもしれないが秘境でも何でもない。だいたい、そこを走ると決めたのは自分自身。どんな状況も調べて受け入れたらいい。心配するよりも、楽しみとすることの方が前進するだろう。

あとは、ケガをしないように、人に迷惑をかけないようにと注意するだけなのだ。

太田篤胤さんの講演、朝日新聞で紹介

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今日(7月22日)の朝日新聞夕刊に、8月28日に予定している太田篤胤さんの講演が紹介されました。

長澤は、2014年に敦煌の郊外で脳梗塞で倒れています。蘭州から敦煌までサイクリングの途中でした。8名ほどでサイクリングしていましたが、敦煌で入院し、みんなより3日ほど遅く帰国しました。その後も近くの病院に1週間ほど入院しています。

その3か月ほど前には、サイクリングに参加予定の仲間が自宅で脳梗塞で入院しています。幸にも、わたしも仲間も今ではサイクリングを楽しめるようになっています。

このようなことから、熟年や高齢者に多いといわれている病気からのリベンジを、科学的に医学的に裏打ちのある話に耳を傾けたいと思って計画しました。

日時、場所は上記の朝日新聞の記事の通りです。

予約は要りません。当日、会場に来ていただけたら結構です。

病気を予防することはもちろんですが、病気になっても趣味や遊びライフワークを続けるためにはどうしたらいいのか。じっくりと耳を傾けたいと思います。

そして、キルギスやスペインの巡礼の道へのサイクリングを楽しみたいものです。

よろしくお願いします。

スペイン「巡礼の道」サイクリング参加者募集

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「旅好きオヤジの自転車巡礼記」小林建一著、枻(えい)出版、Amazonで1円から

上記の本には、全く同じルートをサイクリングした著者の体験が紹介されている。カラーの写真もあり、著者の乗った自転車も分かる。自転車の種類、道路状況が気になる人はこの本を見てほしい。安いし。

スペインの「巡礼の道」をサイクリンスする計画を立て、参加者の募集を始めました。

「スペイン『巡礼の道』サイクリング」と題して、

2017年5月31日に成田を出発し、6月17日に帰国と計画しました。新しくシルクロード雑学大学に入会して参加するメンバーも募集しています。

6月1日スペインのマドリッドに到着
6月2日 午前 マドリッド州立大学で東日本大震災の写真展と講演

6月3日~13日 ロンセスパジェからサンティアゴまでの「巡礼の道」をサイクリング
定員 15名(9人乗りのワゴン車を2台利用、ドライバー2名、日本語通訳1名、車の定員が募集人員、バスでの移動も可能)

参加費 52万円、他に燃料チャージなど。

参加条件 シルクロード雑学大学の会員。

備考 自転車はMTBかランドナーを勧めます。スペインでレンタルも可能(1日15ユーロくらい)。



主催・問合せ シルクロード雑学大学 nagasawa_horyu ○ybb.ne.jp(○を@に代えてメールでお願いします)

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「サンティアゴ巡礼へ行こう」中谷光月子著、彩流社 アマゾンで1円より


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「カミーノ」森知子著、幻冬舎文庫、173円より

食べたカボチャの種、イランのクワ



昨日のことだけれど、

料理の後にカボチャの種をベランダのプランターに入れていた。去年のことだ。

春に芽が出てきたとき、ヒョウタンだとばかり思っていた。花が黄色いので、カボチャだ。調理したカボチャはスーパーで買ったので、F1で同じような性質の実が実ることはない。どんな味なのか、どんな大きさになるのか。楽しみだ。

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ベランダにある植木鉢に小さな芽が出ている。白いクワの実だろうか。
クワか否かは秋にはわかる。それらしい葉が出てくるから。

実は白いのか黒いのか、実ってみないと分からない。3年くらいかかるだろう。

白ければイランから持ち帰っでタネを蒔いたクワの2代目。クロだったら鳥が運んだもの。

丸木美術館で四國五郎展 9月24日まで

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「四國五郎展 シベリア抑留から『おこりじぞう』まで」のお知らせ


6月25日~9月24日(土)

原爆の図丸木美術館にて(埼玉県東松山市下唐子1401 電話0493-22-3266)

月曜日休館(祝日の場合はよく平日) 8月1日~15日は無休

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学生の頃は、丸木美術館の脇を流れる都幾川の河原でテントを張って合宿をしていた。当時は、丸木夫妻も健在で、夜遅くまでお酒を飲んでいたものだ。

当時は、地下の者たちがつながっていた。

フランスのニースでサイクリング2014年5月



フランスのニースをサイクリングしたのは、2014年の5月のことだった。

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地中海に面した海岸沿いはサイクリングやランニングを楽しむ人でにぎわっていた。私たちが行ったときは、観光シーズンの始まりだった。10人ほどで、イタリアのジェノバからフランスとスペインの国境まで、だいたい海岸線をサイクリングしている。

バカンスのシーズンの始まるのに合わせて行っている。世界各地から観光客が集まっていた。上の写真は、車の乗り入れられないエリア。ニースで泊まったホテルから自転車でもすぐだった。

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ランニングをしている人の姿も多い。道路を横切ったりするときに乗用車で出会うことはあった。だが、トラックとすれ違ったり道を譲ってもらったりした記憶はない。昼間は、トラックの入域を制限しているエリアを走ったせいかもしれない。偶然なのかもしれない。

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自転車に4つバッグを付けた4バッグのサイクリストもいたが、ニースの町の近くはレンタサイクルを利用した観光客風が多かった。あくまでもバカンスや日光浴が目的という服装が多かったように思う。

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子供と一緒に休暇を楽しんでいる家族連れの姿は多い。

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サイクリング・ロードは、だいたいスペインとの国境まで続いていた。時には、廃線の跡がサイクリングロードになっていた。海岸沿いで、景色には恵まれたエリアだ。

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ニースのように海岸沿いにビルが並んでいる地域もあるが、緑の多い地域もある。

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新聞によれば、2年前に走ったフランスのニースの海岸沿いで、トラックにより84名の方が亡くなったという。2年前は、安心してサイクリングできる街だった。異文化理解、交流を求めて世界各地をサイクリングしているが、今後も続けたい。文化の違いの根本に、何があるのか。今後も知って理解できるように出かけたいし、異文化圏からも日本に来てほしいものだ。

支倉常長の足跡を宮城県川崎町で追う

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先日、シルクロード雑学大学の仲間8人で石巻、サン・ファン号、月浦とサイクリングに行った。仙台までは新幹線だった。実を言うと、石巻の近くまでも電車だった。のんびりとと走ってきた。2011年11月に石巻は走っている。当時とすっかり変わっていたが、子供が遊んでいる風景や年配の漁師が網を補修している光景に日常を感じた。徐々に復興している。

秋には、仙台から川崎町にある支倉常長のお墓にサイクリングしたいと思っていた。facebookで仙台駅から川崎町までバスが出ていることが分かった。
輪行袋に入れて自転車を持ち込めるか心配だったので、メールで問い合わせていた。今日の夕方連絡があった。下記の通り、輪行袋に入れた自転車をバスに乗せてもらえるとのこと。自転車を乗せる料金は無料とのこと。

川崎町には、「支倉」という地名がある。地名のいわれはわからない。サイクリングに行って地元の人に聞いてみよう。
支倉常長に関心のある人は、行ってみましょう。このバスを使えば、東京からでも日帰りできます。

、㈱タケヤ交通の電話は、こちら

「㈱タケヤ交通○○と申します
このたびはお問い合わせいただきありがとうございます

お問い合わせの仙台西部ライナーの件ですが
基本的に輪行袋での乗車は可能です

料金は仙台駅前~川崎町間大人1,100円です
(※輪行袋はJR同様手回り品扱いで無料です)

ただ、若干心配なのは運行時間によってバスの大きさが異なり

朝夕運行しているバスですと座席数19の小さいサイズなので
ほかのお客様にご迷惑になるかもしれません。

もし可能であれば乗車3日前にご一報いただければ幸いです。

支倉常長ゆかりの川崎町をお楽しみください」

シルクロードはライフワークの舞台


クワの実。2005年頃にイランで携行食として買ったクワの実。イランでは、クワの実は白いのが当たり前だった。

イランで買ったクワの実。帰国後にベランダで育ててみた。

ベランダで育てるには、大きくなってしまった。団地の庭に植木鉢に入れたまま置いてきた。
植木鉢の底はくりぬいてある。これで、水やりは不要となった。

5年ほど前から、白い実が実るようになった。写真の桑の実は、今年最後の実だった。乾燥させて種からもう一度育ててみたい。
昨年は挿し木をした。20本の中の2本が根を出してくたいれた。ほしいという人に送っている。

実は桑の木は2本、団地で育てている。。もう1本は枝垂れクワだった。タシケントでは街路樹は枝垂れの桑の木だった。
枝垂れクワの木も春に挿し木してみた。

だけど、スペインへサイクリングに出かけている間に枯れてしまった。スペインでのサイクリングは天気に恵まれたが、日本も晴れが続いたようだ。

シルクロードをサイクリングするのは、日本に伝播した野菜や果物の伝播の歴史を調べながら、気候や風土が植物の定着に適していたかを実感する旅にもなっている。こんな面でもシルクロードを舞台としたサイクリングは面白い。

クワの木は、シルクロードの民族楽器に使われているケースが多い。民族楽器や民具の伝播、民族の移動を考える上でも楽しい。シルクロードは、ライフワークのテーマがたくさん見つけられる舞台だと思っている。

支倉常長のお墓を巡る


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4月に13名でスペインをサイクリングして、約400年前に旅した支倉常長の足跡を走った。

先日、仙台まで新幹線で行き、8名で石巻やサン・ファン号、月浦をサイクリングしてきた。

時間がなかったので、支倉常長の3つの墓に行くことはできなかった。秋にはサイクリングで巡りたいと考えていた。

株式会社タケヤ交通
http://www.takeyakoutu.jp/sendaiseiburaina.html


宮城県にある川崎町には支倉常長の墓がある。支倉常長には3つのお墓があるが、その一つのある街だ。是非行ってみたいと思っていたら、バスがあることが分かった。

バス会社に、仙台から川崎町までバスに乗る際に、自転車を乗せてもらえるのか問い合わせている。帰りは、仙台までサイクリングの予定だ。できるだけ古い道を利用して、当時の人が見た風景や距離感を感じたい。

バス会社から返事があったら紹介したい。

中国の砂漠の真ん中で脳梗塞で倒れた事例 長澤法隆の場合


武威にある遺跡から発掘された青銅の像を題材としたモニュメント

8月28日に、くも膜下出血で倒れたことのある太田篤胤さんを定例会の講師に招いたところ、何件かの電話があった。関心が高いようなので、わたし自身の事例を紹介したい。

著者の長澤法隆は、2014年、敦煌の東約200㎞のところにある小さな村で脳梗塞を患った。日本を出た時から、ペダルを踏んでいても息切れがするなど、体調がすぐれなかった。だが、日常生活には支障はなかった。

中国の甘粛省にある天祝に到着すると、自転車を組み立てた。ここは標高が2200mほどだ。ホテルの駐車場で自転車を組み立てている時に、同率の人が、ホテルの6階にある部屋まで階段を駆け上ったのちに息苦しいと訴えた。おそらく高山病だ。

夕食の時、あまり食欲がなかった。だが、ビールだけは飲んだ。街に買い物に行って部屋に戻ると、同室の人は既にベッドに入っていた。寒かったので、電気をつけないで布団を探したが見つからず。寒いまま横になったが、結局、寒くて眠れなかった

朝、同室の人は布団が見つからないので、衣類を全部身に着けて寝たという。寒いのは気のせいではなかったようだ。

朝食後、サイクリング1日目。わたしは、息切れがして、スピードが出ない。他の人に迷惑をかけてもいけないので、伴走のバスに乗ることにした。

お昼頃、万里の長城が左手にみえるところに来た。川の手前だ。ここではみんなと一緒に万里の長城に上った。1時間半ほど歩いて上ったのだった。

その後ビールは飲めるが、食欲のない日が続いた。

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河西回廊は、高速道路になっていたが、トラクターなどの農業用の車の走る一般道を走った。私はずっとバスで移動して、食堂や木陰を探して休憩のタイミングを見計らった。

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時には緑色の畑もあったが、道路わきでは木陰は少なかった。
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風力発電の風車がたくさん並んでいたので、風の強い地域だと見た目でもわかった。だいたい、砂漠は午後2時になると風が強くなる。それまでにオアシスに入り走行を終えるのが、基本だと思っている。

ある村に到着した時、何軒もないお店に入ってビールを飲んで休憩した。ビールを買って、部屋でもみんなで飲んでいた。部屋は4人部屋に入った。他には二人部屋、一人部屋2つだった。必然的に、4人部屋に人が集まった。何処へも行くところのない村なので、部屋でビールを飲むでいたのだった。部屋は3階で、トイレは一つ、シャワーはない。トイレはドアが閉まらなかったと記憶している。

夜中にトイレへ行こうと思って起きた。だが、足が動かない。手は大丈夫。話すこともできる。電気をつけて、壁伝いに足を引きづってトイレへ行った。トイレはタイルの床で滑りやすい。足が動かないんので、倒れたら起きられないと思った。

何とか部屋に戻ることができた。足が動かないのは、一時的なものかも知れないと思い、再びベッドに入った。

朝、やはり足が動かない。朝食を近くの食堂で食べることにしたが、足が動かないし食欲もないので、ベッドで待つことにした。吐き気がするようになった。

9時頃、サイクリングの出発の時間だが、病院で調べた方がいので、約100キロほど車で運んでもらい、安西の病院まで送ってもらうことにした。すぐに入院となった。

他のメンバーはサイクリングを続けて、2日後に安西に到着し、2名が病院に来てくれた。

病院では、食塩水を点滴しベッドでずっと寝ている。何もすることはない。レントゲンと心電図、心エコーの検査を受けたのは入院の時だった。

この病院では、外国人の入院は1日10万円だという。幸にも、海外旅行傷害保険に加入していたので、病院の費用を心配する必要はなかった。。

よく朝には、敦煌の病院へ車で送ってもらった。診察を終えてからホテルで1晩過ごしたが、再び入院することになった。ベッドに寝ているだけ、歩けないのでトイレに足を引きづっていくような状態だった。

わたしは退院できるし、みんなと一緒に帰ることができると思っていた。だが、保険会社の判断なのか、入院したままでみんなと一緒に帰国できなかった。みんなとは別に、遅れて帰国することになった。

中国の病院では、食事が出なかった。付き添いとして日本語ガイドを雇うのだが、付き添いの人が食事を買ってきてくれる。水も買ってきてもらった。病院では動いてはいけないというので、トイレもベッドの上だった。リハビリは一切行われなかった。

3日ほどして、入院を続けるか、帰国するか。ただし、日本人の医師や看護師を派遣できないので、香港から医師を呼んで一緒に帰国させる。3日ほど待ては、日本人の医師を派遣できるとのことだった。だが、脳梗塞と分かったが、リハビリが始まらないのでは、回復が心配だ。すぐに退院して、日本の病院に入院することにした。

日本では、1週間ほど入院して、障害が残っているかどうかを作業療法士が調べていた。また、2日後にはリハビリが始まった。

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反省

①同室の人を起こしてもいいので、寒さ対策をしてから休む。
②アルコールを飲んだら水分を補給する。
③食欲のない時は動かないで、砂漠の場合は水分補給をする。
④体調がすぐれなかったら病院へ行く。

2015年に心不全で冠動脈にステントを入れている。だが、海外サイクリングも国内のサイクリングも楽しんでいる。国内では人のいないところで一人でサイクリングをしないようにしている。

参考のためにメモをしておきます。

定年後の過ごし方

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太田篤胤さんに講演をお願いしています。チラシができました。

8月28日(日曜日)です。


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7月17日(日)の講演会はこちらです。話しよりも写真がメインになります。

どちらも予約不要です。誰でも参加できます。

シルクロードの果物を食べて、ベランダで育てる


ベランダのアーモンドの苗

キルギスでサイクリングし、日本で育てる果物を探す

シルクロードを自転車でサイクリングしながら、日本でも育つ果物や野菜の種を持ち帰っている。もちろん、櫃世のある場合は、植物検疫を通している。

ドライフルーツは、土がついていないので検疫の必要がない。
写真は、昨年の9月に中国のウルムチからカザフスタンに入るサイクリングの時に、携行食として現地で買ったアーモンドを、団地のベランダで育てたもの。春に芽が出たが、しばらくはを落としていた。3日ほど前からはらしきものが顔を出すようになった。

アーモンドは6個の種が出した。家を空けて水を上げることのできないときもあるので、元気なのは1本の苗だけ。
1本の苗は、写真の通り、小さな葉を出すようになった。あと1本は、ひょろりと伸びた苗には、葉がない。すべて枯れ落ちた。だが葉がつくような感じ。

来月にはキルギスへ行く。アーモンド、アンズ、ブドウ、リンゴ、クルミ、蟠桃(平べったい桃)、ヒョウタン、イチジクをドライフルーツとして持ち帰りたい。あるいは、実を食べた後の種だけを持ち帰りたい。


中央アジア3か国を走った体験を話す

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トルクメニスタンの世界遺産 メルブの遺跡で見かけた女性たち

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ウズベキスタンのサマルカンド 旧市街地全体が世界遺産。今はすっかり街は変わっていると日本に住むウズベク人は言う

講演会のお知らせ

報告:『シルクロード自転車紀行④ 中央アジア3国』

報告者:長澤法隆(ながさわ ほうりゅう、ライター)
内容:1993年に西安をスタートして始まった『ツール・ド・シルクロード20年計画』。毎年1回、500キロから1000キロを同じ目的を持った仲間と一緒に自転車で見聞する人力旅行。定年後に手作りバイオリンの楽器工房を開き、定年後はシルクロードを自転車で巡りながら民族楽器を集めている人の事例を話し、定年後の過ごし方、を伝えたいと思います。第4回目はカザフ、ウズベク、トルクメンの中央アジア3か国で目にした風景や暮らしぶりを伝えます。

  講師プロフィール:1954年新潟県生まれ。1991年に中国の新疆ウイグル自治区チャルクリクからカシュガルまで、1992年に中国の甘粛省の敦煌から新疆ウイグル自治区のチャルクリクまでラクダと一緒に旅する。1993年に『ツール・ド・シルクロード20年計画』を企画し実施し、2012年にローマに到着。2013年からロカ岬をめざす『ユーラシア大陸横断サイクリング』『ツール・ド・シルクロード10年計画』に取り組んでいる。次回の報告は9月を予定。

日 時:2016年7月17日(日)14時~16時(途中で休憩あり)
会 場:国立市公民館3階 講座室(東京都国立市中1-15-1、JR国立駅下車南口徒歩5分)

資料代:500円
主催:シルクロード雑学大学 ☎042-573-7667 http://www.geocities.jp/silkroad_tanken/index.html
               メールnagasawa_horyu○ybb.ne.jp(○を半角@マークに代えてください)

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抑留された元日本兵も建設にかかわったと伝えられているナボイ劇場。設計したのはロシア人であり、建設が始まったのは1943年。日本人の抑留者がタシケントに到着したのは1945年10月末だった。すでに建物の煉瓦済みは完成していた。日本人が関わったのは配線や装飾など。

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カザフスタンのイスラム社会でも「13回忌」があった。故人をしのんで村人が集まっていた。日本の法事にあたるのだろう。お坊さんはいなかった、吟遊詩人が即興の歌を歌っていた。

講演会「歩く、走る! のばせ健康寿命」大田篤胤氏

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『歩く、走る! のばせ健康寿命 栄養学と運動生理学で考える「走る、アンチエイジング」』太田篤胤著、EL.P発行、三一書房発売
 アマゾンでも扱っています。→1400円+税

講演のお知らせ

講 座:「ウォーキングやランニングで、伸ばせ健康寿命」(15時~17時) 
講 師:大田篤胤氏( おおたあつたね、城西国際大学教授(臨床栄養学、元同大女子駅伝顧問))

日 時:8月28日(日)  15時~17時 

会 場:JICA地球ひろば 大会議室(新宿区市谷本村町10-5、JR市ヶ谷駅下車徒歩10分) 

講師プロフィール:39歳の時にくも膜下出血で倒れリハビリでランニングを始める。これがきっかけでマラソンランナーとなる。長くなった人生の終盤を輝かせるプランニングの考え方を話していただきます。著書に「歩く、走る! のばせ健康寿命」(E-lock.planning発行、三一書房発売)がある。

参加費:一般1000円、学生500円
備 考:誰でも参加できます。予約不要。
    尚、遠征報告会 (13時30分~14時30分) があります。

主催:シルクロード雑学大学 090-1769-6641

キルギスに抑留された元日本兵と収容所を探す

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日本の厚生労働省も把握していなかった収容所に抑留された元日本兵を見つけ、帰国後の写真展を行って収容所や元日本兵と一緒に働いたことのあるキルギス人を紹介しました。

8月9日からのキルギス共和国でのサイクリングでは、キルギス共和国の南部にある国立オシュ大学の教授の協力を得て、元日本兵と一緒に働いた体験を持つキルギス人などにインタビューする計画です。サイクリングの参加者の中にも、定年後はお金と関係ないことに取り組みたい、社会に貢献したいという参加者もいて、いっしょに取り組みます。

以下はこれまでの新聞記事です。

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キルギスのオシュまでサイクリング、シベリア抑留の元日本兵を探す旅


キルギスの草原をゆく。長い下り坂のサイクリングは気持ちがいい。視界がいいので安心して走ることができる。サイクル・メーターでスピードを出さないように気を付けている。

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年齢の平均は25歳、日本人は46歳くらい。若い人が多く、元気のいい国だ。

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5月25日に終業式があり、翌日から8月いっぱい夏休み。子どもたちはよく遊び、よく働く。夏休みが3か月もあるが、日本への留学生を見ると勉強はできる。日本への関心も強い。ヨーロッパからの観光客が多い。登山やハイキングなど、中央アジアのスイスと言われているだけあり、自然を求めて訪れるヨーロッパ人が多い。

東部にあるイシククル湖は、一周680㎞と言われている。自転車で廻ると550キロくらい。あまりアップダウンがないので、オランダ人のサイクリストが多い。ドイツ人、フランス人、スペイン人、ロシア人、韓国人のサイクリストと出会ったことがある。シルクロードに関心のあるのは、これらの国々の人たちの様だ。

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日本の厚生労働省の記録には、キルギスに抑留された日本人はいないことになっていた。だが、2007年にシルクロード雑学大学でキルギスへのサイクリンの際に、元日本兵と働いたことのある人に取材して写真展で紹介した。

新聞で取り上げてもらったら、元日本兵が名のり出てきた。ニュースになった。その後、厚生労働省に電話して「元日本兵はいたのか」と聞くと、「長澤さんに電話してほしい」と返事が返ってくるようになった。外務省でも新聞の切り抜きをしており、在キルギス日本大使館に連絡しているようだ。今は新聞の切り抜きではなくて、電子版の収集かもしれないが。

この時は、キルギスのタムガ村にあるサナトリウムの診療所の建設に従事させられた元日本兵125名がいることが分かった。名簿も手に入れることができた。シンポジウムを開催し、中央アジアのある所に125名のキリル文字で書いた名簿があると教えてくれる人がいた。タムガ村の収容所の写真が手に入るかもしれない、調査に行ってみたいものだ。

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キルギスには、ノンアルコールを扱う「ショロ」という飲料メーカーがある。最近はペットボトルも増えているが、街頭でこのような大きな容器から直接コップに移し、販売してくれる。暑い町の中で飲んでみてほしい。安い。

この会社の社長(今では会長)は、とても日本好きだ。東日本大震災の時には、飛行機で宮城県にペットボトルの水3トンを送って支援している。リンクしているので記事を読んでほしい。

「ショロ」の元社長もサイクリング好きだ。キルギスでは何回か一緒にサイクリングをしている。

元日本兵に関して、国立オシュ大学の先生が、元日本兵と一緒に働いたことのあるキルギス人を知っている。「天山の小さな国 キルギス」の著者三井勝雄さんは、本を書くにあたって、オシュ大学の先生に通訳をお願いして、キルギス人に取材している。

この時に取材に協力してくれた日本語の先生を、在キルギス日本大使の職員が調べてくれた。

日本人と一緒にはなたいたことのあるキルギス人は、すでに90歳を過ぎている。このキルギス人の子供たちに取材したい。あるいは、労働現場となった地域のお年寄りに、インタビューして、日本人が働いていた場所を特定したい。帰国後に、新聞などで紹介してもらえたら、元日本兵の証言も加えて裏を取り、日本の厚生労働省が把握していない収容所も明らかにすることができるかもしれない。場所はジャララバードだ。

また、バトケンには3基の墓があるとも聞く。これが明らかになったら日本の厚生労働省も人を派遣して調査が必要になる。シベリア抑留の空白の部分を書き換えることになる。

今年の8月9日から24日までのサイクリングで、いっしょに取材やサイクリングに関心のある人は連絡をしてほしい。まだ、参加は間に合う。

連絡は、nagasawa_horyu○ybb.ne.jp(○を半角の@マークに代えてください)

月浦の南蛮井戸と支倉常長


カボチャの雌花が咲いた。これからどんどん大きくなる、つもり。網の外、どうやったら収穫できるか。それが問題だ。

ベランダのプランターで育てていたカボチャ。本来はヒョウタンのつもりだったのだが、緑のカーテンとして育てている。でも、部屋の暑さは変化ないようだ。

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宮城県石巻市の月浦にあった看板。

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読んでみると、支倉常長たち慶長遣欧使節が乗った舟・サン・ファン号に乗り組んだスペイン人もここで過ごしたようだ。

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スペイン達が利用していた井戸は「南蛮井戸」囲いの痕跡はあるが、ゴミ捨て場のようになっていた。東日本大震災で地盤沈下して、全体に土を盛ってかさ上げしたために、水たまりのようになったらしい。

隣に瓦が落ちていて、南蛮小屋の後の様だ。このあたりは、見た目では捨て場に思われてしまう風だった。

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南蛮井戸を過ぎた3メートルほどの高さのところに、「支倉六右衛門常長」と読める石碑があった。大正年代に建てられたようなので、90年ほど前のものになる。

こんな高さのところに建てたのは、津浪を体験していたからだろうか。何人もの人が、当時のお金で30円を寄付して建てられてもいたようだ。土地の人に大切にされていたことが、高さと金額から理解できた。

漁具の整理をしていた人が一人いるだけで、半紙を聞くことができなかったのは残念だった。次回の課題としたい

支倉常長とサン・ファン号と石巻市


牡鹿半島のちいさな漁港

7月3日(日) 朝7時にサン・ファンビレッジを自転車で出発。支倉常長を始めとした慶長遣欧が出使節が出港したと伝えられている月浦をめざした。途中で通った漁港では、集落の海側では家の土台だけが残っていた。海岸から半島の奥へと続く道の真ん中は水路で、津波の時には水路の蓋となっているセメントも浮いて流されたと思われる。道路の奥には、集落がある。集落の低地にある家だけが津波に流された風であった。

半島方面にペダルを踏みながら、一軒の家から出てきた男性に「津波はどの辺まで来たのですか」と聞いてみた。

「一番海側の家で、津浪で流された大きな家が止まったんです。それで村の奥に津波が来なかった。そうでなかったら、村はみんなやられたでしょう」と返してくれた。その後、どこまでは知っていくのかと問うてきた。「月浦です」と応えたが、どこまで信じているのか。

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次の漁港で女性たちはトラックのおじさんと話し込むことができた。自転車だから、お互いに気さくに話ができる。土地のことが分かる。

漁港で休憩していると、トラックに乗ったおじさんが車を止めた。おじさんから女性たちが聞いた話では、この漁港では、4件の家が津波に飲まれた。1名が亡くなったが若い人だった。地震の後には津波が来ると考えてお年寄りはみんな山に逃げた。しかし、若い人は突っ張りだったという。だから逃げなかったのか、そこまで女性たちが聞いたのかわからない。

おじさんの話によれば、漁師は海の恵みで生きているから、津浪は仕方ないと受け止めているようだ。政府や県の補助金を受け取らないでいるらしい。漁業で得たお金を貯めており、そのお金で津波にあった時には家を建てる。これが漁師の流儀の様だ。

月浦から支倉常長が出港したことを、このおじさんが知っているのか、子供たちの遠足などで教えているのか。スペインで支倉常長の足跡を走る計画をシルクロード雑学大学として行った。そのあとの国内サイクリングだけに、出向の地・月浦の周辺でどのように住民に受け止められているのか、知りたいところだ。

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おじさんと話している脇、堤防は新旧で高さが違った。

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地盤が約1・5メートルほど沈下したように見えた。道路をかさ上げしている。
気仙沼も女川も、万石浦脇の女川街道も、2011年の東日本大震災の後には、1メートルから2メートル沈んでいた。女川街道沿いの石巻線の線路も水に濡れていたのだった。

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更にペダルを踏んで月の浦をめざした。魚港は標高0m、次の漁港への道は高いところで標高50mほどある。アップダウンを繰り返して月浦をめざすのだった。漁港の近くには、道路わきに折れた電柱を見ることが多かった。津波の水圧の大きさを、目で感じた。

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月浦へおりる道路の脇に、支倉常長の銅像があった。茶色く錆びが浮いていた。

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銅像の脇には、支倉常長たち慶長遣欧使節のたどったルートを示す石の説明版があった。東日本大震災で倒れたらしく、石板を支える石に、接着剤で貼り付けたような痕があった。

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支倉常長の銅像の脇には、プレハブの建物があった。

はじめは「何だこんな家の脇に建てたのか」と不思議に思った。

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銅像の後ろには貯水槽もあった。銅像は月浦の向こうの海を見ていた。

家や貯水槽の意味が分かったのは、ザックからパンフレットなどを出してみてからだった。支倉常長の銅像の周囲は公園だったようだ。それが、東日本大震災で月浦の漁港に住むことができなくなった人の仮設受託として、公園が利用されたようだった。それだけ、海沿いの狭い土地に漁師たちは住んでいたのだろう。

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表から見ると銅像は、後ろ向きのように見える。海を見ているから後ろを向いているだけなのだが。

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坂道を下って、月浦におりた。急な坂道だった。

約400年前に使われた南蛮井戸があった。だが、地盤沈下のせいだと思うのだが、どぶのように汚れていた。落ち着いたら修復してほしいものだ。まずは人間の暮らしの再建が一番だ。

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月浦を後にして、再び支倉常長の銅像のある公園をめざして坂道を上った。途中にマンホールのふたを見たら、サン・ファン号のイラストがデザインされていた。花火のデザインもあった。マンホールのふたのデザインの様々なを見たい人は、石巻市に行ったらいい。石ノ森章太郎のイラスト入りのののが何種類もある。マンホールだと思ったのだが。写真は次回に。

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月浦を後にして、石巻市内に向かった。アップダウンもそれほどなく、風越トンネルが見えた。歩道が広いし街灯も明るい。安心して走れるトンネルだった。

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石巻市の市街地を走った。ロボットのような建物が更地の真ん中にあった。「いしのまき観光ガイドマップ」によれば、魚町一丁目津波避難タワーだった。地図は後ほど紹介する。

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石巻市内には、東日本大震災から5年過ぎた今でも、地震や津波の痕跡が残っていた。

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中には、新築した家の外壁に津波の到達した高さを示している家もあった。津波を記憶するだけではなく、多彩な方法で記録している。自転車で廻って、こんな地点を地図にしたいものだ。誰でも津波を実感しのしがいちをできるように。

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東日本大震災の直後、テレビでは「日和山公園」の上から石巻市の市街地を撮影した映像が流れたようだ。撮影した公園の上まで上ってみた。田んぼをつぶして区画整理した後の土地の様だった。

今回のサイクリングには、石巻出身で仙台市に住む人も参加してくれた。彼の実家の家の前を通ってサン・ファン館に行った。実家のあったところは更地になっていた。祖父、父親、妹の3人を失ったと聞く。冥福を祈る。

復興は遠いように感じたが、この次は復興の様子を紹介できるようにしたい。

道を聞いたり、東日本大震災や津波の様子を聞いたり、地元の人にはお世話になった。ありがとう。

カキ小屋でカキを食べたいと思ったが、2日目は日曜日なので食べられなかった。福島からスケボーを楽しみに来ていた小学生くらいの女の子にも話しを聞いた。この次は、走るのは2の次、じっくりと耳を傾けたい。








講演会「キルギスの村仕事 晩夏の頃を中心として」 講師:佐藤桃子さん

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キルギスの子供たち

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羊を追うキルギスの人。

シルクロード雑学大学の講演のお知らせ

シルクロード雑学大学雑学では、8月9日から24日に中央アジアにあるキルギスでサイクリングを行います。現在の参加者は8名(女性2名)です。サイクリングに行く前にキルギスのことを知るために、遠征の主準備会議の後に講演会を開催します。

タイトル:「キルギスの村仕事 晩夏の頃を中心に」

講師:佐藤桃子さん(元青年海外協力隊員、派遣先キルギス共和国)

内容:2011年より2年間、中央アジア地域・キルギスにおいて、JICAボランティアとして村落の女性たちの組織化にかかわりました。そうした活動を通して実際に見聞きしたキルギスの村の営みについて、放牧シーズンの終盤である8月の様子を中心にお話しさせていただければと思います。

講師プロフィール:1988年生まれ。2011年、大学院(芸術学専攻)在学中にJICAボランティア青年海外協力隊としてキルギスに赴任。13年、帰国。14年より、一般社団法人に職員として勤務。東京都北区在住。

会場:JICA地球ひろば600号室(新宿区市谷本村町10-5、JR市ヶ谷駅下車徒歩10分)


日時:7月10日(日) 15時から17時まで

参加費:一般1000円、学生500円

備考:予約不要。誰でも参加できます。

主催:シルクロード雑学大学 090-1769-6641

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山間部の草原でフェルトに手づくりで取り組み人たち

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フェルトづくりをしている人たち、ドロン峠近くにて

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元日本兵と一緒に働いたことがあるというキルギス人の老人

尚、8月9日からのキルギスでのサイクリングでは、シベリア抑留によりキルギスに抑留された元日本兵がいあるのか調査をしています。キルギスのタムガ村では証言を得て、元日本兵も探すことができました。今回のサイクリングの途中にある町・ジャララバードにも元日本兵がいたという情報があるので、関心のある参加者を募集しています。サイクリングの参加者も募集しています。

在キルギス日本大使館、オシュ大学の協力を得る予定です。

支倉常長の足跡を求めて石巻へ サン・ファン号


仙石線の陸前小野からサイクリングをスタートした

7月2日 仙台まで新幹線、仙台からサイクリングで宮城県石巻市にあるサンファン号をめざす予定だった。だが、のんびり復興の様子を見るには、もっと先まで行った方がいいとのアドバイスがあり、ここから自転車道の復興ぶりを見たいと思っていた。

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この駅で降りたのは5人ほど。電車は空いていて、輪行袋の存在を他のお客さんに気を使うことはなかった。

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土を盛って、防潮堤のようなものを作っていた。工事中の中を横切って海岸方面に向かう

液から国道45号線を走れば道もわかりやすいし、道路状況もいいだろう。だが、復興の様子、津波や地震の痕跡に接する機会は少なくなる。地図を開くと海側にサイクリングロードがあるようなので、海側へと走ることにした。

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海岸に平行なに土を盛ってた。道路なのか防潮堤なのか。

土森にはいくつも杭が立っていて、20までの数字が描いてあった。水平に土を盛るための高さを表しているのだろうか。どこからどこまで続いているのか不明だが。いつの日かサイクリングで確認したい。

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「土盛り」を横断すると田んぼの向こうに水路が見えた。がこの砂利道だと思い込んでいた。

土盛りを過ぎて海岸の津波の痕跡を核にした方に向かって走ると、水出の中に水路が見えた。これが産業遺産の運河かと思っていた。運河沿いのサイクリングロードは砂利道だった。

後でわかったのだが、この水路は地図に描かれている水路ではなかった。またサイクリングロードもここではなかった。水路の反対側のあるのは自衛隊の基地。その海側に産業遺産にになっている水路があり、サイクリングロードがあったようだ。確かめるのは次回の課題になった。

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田んぼの中を走っていて見えた民家。周辺は草ぼうぼうだった。

サイクリングの途中で民家があったが、となにリ荒れ地があったり、またらしい家が建っていたりと、売れ残りのある新興住宅台といった風であった。国道45号線をを避けて、農道のようなところを走った。車の往来を気にしながら走るよりは、津波の被害や復興の様子を確かめながらのんびりと走りたいと思っていた。

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石巻駅の近くにある石ノ森漫画館

石ノ森漫画館で休憩。トイレに行く。2011年の地震の後に通った時は、夕方だった。戦後の風景と重なるほどれきが散乱していた。だが、今回は周辺は何も建物がなかった。周囲は繁華街で、石ノ森章太郎が通っていた岡田劇場という映画館が建っていたのだという。繁華街の面影は何もなかった。

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漫画館には押し寄せた津波の高さを表すサインがあった。

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どんなに高いところまで津波が来たのか。ぜひ石巻まで行って、確かめてほしい。
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ちなみに、翌日の3日、漫画館は大勢の人でにぎわっていた。10歳くらいの子供に「この人の書いた漫画を見たことがああるの」と聞いたらメガネの子供は、「あるよ」と自慢げに教えてくれた。

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石ノ森漫画館のある中洲には、他の建物はない。

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石巻市の町の中を徘徊してみた。国道は避けて裏道を走ると、津波をかぶったと思われつ家があった。

東日本大震災からから5年経つが、今でも崩れかけた家を見かけることがある。

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アップダウンを越えて苦労の末に到着したサン・ファン号

サン・ファン館に到着したが、舟に乗れないことが分かった。船は180人も載って太平洋を渡ったというので大きい舟化と思ったが、思いのほか小さかった。一緒に行った仲間の一人が、トイレがないのに驚いていた。そういえばそうだ。サンファン館には展示室があるので、展示室を回った。

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サン・ファン館の隣にあるサン・ファンビレッジ。宿泊施設だ。

4月にスペインへサイクリングに行くときに、サン・ファン館から写真を借りている。2011年の東日本大震災の被災前のサン・ファン号と被災後のサン・ファン号だった。この写真を、スペインのマドリッド州立大学で展示して、東日本大震災の状況を学生達に伝えている。写真を借りたお礼にと、サン・ファンビレッジに宿泊した。

サン・ファンビレッジは、大学の合宿上のようでベッドは2段ベッド、部屋も狭かった。食堂で食事をするのだが、朝食・夕食はバイキングで食べ放題。中には、一緒便をテーブルに載せて食べている人もいた。駐車場の車を見ると、北海道から鹿児島まで、ナンバーは多彩だった。

仲間がスタッフに聞いたところ、この建物は、復興のための工事できている人たちの宿泊施設として建てたものだという。工事の人が少なくなり、一般の宿泊客を泊めるようになったということだろうか。6人で宿泊したが4人は女性だった。わたしたちのほかには女性は、食堂の従業員くらいだった。とはいえ食事はよかったし、部屋もきれい。サン・ファン館の周囲に宿泊施設はないので、自転車で行ったときには宿泊してみてはどうだろうか。

サンファン館

サンファンビレッジ


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7月3日の朝、サン・ファン号の前の海

3日の朝、サン・ファン号を見に行くと、小さな船が港を出る様子が見えた。沖にあるカキの養殖の様子を見に行くのだろうか。カキ小屋へ行きたいものだ。

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月浦に向かってサイクリングを始めた。

港におりるたびにカキの養殖用の貝が積み上げてあった。



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