月浦の南蛮井戸と支倉常長
カボチャの雌花が咲いた。これからどんどん大きくなる、つもり。網の外、どうやったら収穫できるか。それが問題だ。
ベランダのプランターで育てていたカボチャ。本来はヒョウタンのつもりだったのだが、緑のカーテンとして育てている。でも、部屋の暑さは変化ないようだ。
宮城県石巻市の月浦にあった看板。
読んでみると、支倉常長たち慶長遣欧使節が乗った舟・サン・ファン号に乗り組んだスペイン人もここで過ごしたようだ。
スペイン達が利用していた井戸は「南蛮井戸」囲いの痕跡はあるが、ゴミ捨て場のようになっていた。東日本大震災で地盤沈下して、全体に土を盛ってかさ上げしたために、水たまりのようになったらしい。
隣に瓦が落ちていて、南蛮小屋の後の様だ。このあたりは、見た目では捨て場に思われてしまう風だった。
南蛮井戸を過ぎた3メートルほどの高さのところに、「支倉六右衛門常長」と読める石碑があった。大正年代に建てられたようなので、90年ほど前のものになる。
こんな高さのところに建てたのは、津浪を体験していたからだろうか。何人もの人が、当時のお金で30円を寄付して建てられてもいたようだ。土地の人に大切にされていたことが、高さと金額から理解できた。
漁具の整理をしていた人が一人いるだけで、半紙を聞くことができなかったのは残念だった。次回の課題としたい
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