2016-11

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鎖陽城遺跡の遺物から約1000年前の暮らしを思う

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アボガドを食べた後、ベランダの植木鉢に種を入れておいたら芽が出てきた。春に芽が出てこんな大きさ。

寒くなってきたので、夕方に部屋に入れた。まだベランダに1本の苗がある。だが、大きめのプランターに入っており、重いので部屋に入れることができない。ベランダで冬を越してもらおう。

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年末ということもあり、部屋の整理を始めた。来年の4月に行く敦煌の鎖陽城遺跡で拾った陶片が出てきた。遺跡の表面から拾ったものだから、羊飼いがどこかから持ち込んだものかもしれない。歴史資料としての価値はほとんどない。

この遺跡は、唐の時代のものだから約1300年から1000年くらい前のものだと思う。どんな人が使い、どんな暮らしに用いられていたのか興味深い。

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この遺跡には、インドへ向かう途中で玄奘三蔵も訪れたと思われている。北側にストーパがあるが、その近くに緑や黄色い色をした陶片が落ちている。屋根瓦かとも思う。唐三彩とはこういう焼きものなのだろうか。

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タクラマカン砂漠の南にある西域南道を2回旅したことがある。ラクダと一緒に、テントに泊まりながらの旅だった。毎日歩いていたのだが、やることが無い。地面を見て石を拾ったり、遺物を拾って過ごした。毎日拾う小石は100個から200個。荷物が重くなるといけない。だからこの中から数個を選び、他は捨てる。毎日の楽しみはこんなこと。

そんなときに動物の骨を拾った。すっかり朽ちている。砂漠では、動物や人間の骨を頼りに次のオアシスへの道を知り、向かうのだという。こういうものを砂漠で見つけると、昔話を実感するのだった。

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明日から師走ということもあり、来年のカレンダーを壁に貼った。年末が近づくと、ビッグカメラが日本地図を使ったカレンダーを無料で配布している。毎年、これを利用している。カレンダーの右端に、世界各地の緯度を表示しており、旅先の気温などを予想するのに役立っている。

シルクロード雑学大学では、来年の7月にチベットのラサから甘粛省の敦煌までサイクリングを予定している。チベットのラサからインド方面へとサイクリングした体験を持つ会員は、寒くなかったという。しかし、ラサと敦煌は南北に約1700キロ離れている。日本の本州は1500キロ、北海道と九州を加えて2000キロくらいと考えている。日本だからと言って、同じ気温で同じ装備でいいとはならない。緯度が変わると気温も変化する。自分の体験を主張するあまり、相手を危険な状況に追い込んではいけない。相手の立場を考慮して意見を言うことが大切だ。

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そんなことを考える上でも役に立っている。まだ、来年のカレンダーを手に入れていないから、すぐにビッグカメラへ行ったらどうでしょうか。無料です。カレンダーは、一畳の広さの7割くらいの広さでしょう。1年分が1枚になっているし、日本国内をサイクリングするときにも役立ちます。
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支倉常長の資料届く


「仙台領キリシタン秘話」紫桃正隆著、宝文堂発行

注文していた本が届いた。支倉常長と一緒によーろぱから帰国した人たちの足跡を調べようと思って、申し込んだものだ。発行は昭和43年。50年前のものだ。本が発行された当時、わたしは中学校2年生。この本は2冊ものだが、セざットで1000円。日本の古書店というサイトで一番安いのを探した。この本の場合、Amazonよりもこちらのサイトが安かった。

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先日、気仙沼へ行って、支倉常長と一緒にローマに渡った足軽の末裔という人の話を聞いた。山に入って草をかき分けて、今では誰も訪れる人がいないというお墓も見てきた。時間に制限があり、時代をしっかり確認することはできなかった。春にもう一度お墓に行き、拓本を取ろうと思っている。そこで、宮城県や岩手県にあるキリシタンを調べようと思っている。その気賭けを使いたいと思って買ったのがこの本だった。

あと1冊注文しているが、それが届くのは明日になるのだろうか。徐々に資料はそろい始めている。楽しみだ。

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「LIFE ALONG THE SILK RORD」も届いた。平凡社から「唐シルクロード十話」という本が出ているが、その原書だ。パミール中央アジア研究会という団体があり、この団体の勉強会で取り上げていたものだ。翻訳には問題があるという人がいたので、自分でも確認しようと思った。

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本屋に「ぶらぶらマップ」という地図が並んでいた。110円、3種類あるらしい。本屋に並んでいるのは2種類だった。国分寺へ行けばあることが分かったので、自転車で西国分寺まで行って買った。史跡の駅おたカフェというところにあった。こちらでは100円だった。

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帰りはルートを決めないで適当に帰った。

住宅街の中にて焼きせんべいを扱うお店があった。商店街はない。どんな人がお店を開いているのか気になったが、日没も過ぎていたので、後で探しに行くことにした。GPSカメラを持っていけばよかったと後悔。奇跡を記録できたのに残念だ。

中学校の同級生からの40年ぶりの連絡

今日は悲しい電話があった。40年ぶりに消息が分かったというのに、残念だ。

中学生の時の同級生のAさんが亡くなったとのこと。11月13日だったという。すべての束縛から逃れて、無の心境になれたのならそれもいいかもしれない。このように思うことにした。

私の団地の近所に住んでいる知り合いが連絡をしてくれたのだった。

2年前に60歳になった時、中学校の同級会があった。新潟県新潟市内にあり、他の同級生の経営する料亭だった。実家から3分ほどだ。

私が過ごした中学校は、新潟県中蒲原郡小須戸中学校。6クラスあり、同窓生は230名ほどだった。3年4組だったと思うが、40名ほどのクラスだった。Aさんは才媛、だが運動神経が鈍かった。私は運動神経は良かったが、成績は鈍かった。

Aさんは昭和女子大で管理栄養士の勉強をしていたという。わたしはマスプロ3流私大日本文学科に進んだ。世田谷区下馬に下宿しており、Aさんとは時々通学の際にすれ違っていた。2回くらい、他の同窓生も交えてお酒を飲みに行ったこともあった。明治大学や国士舘大学に進んだ同窓生も、生き生きとしてディスコで踊っていた。人生の先は明るかっjたのだ。

私はいろいろあって大学を卒業した時は28歳になっていた。Aさんはストレートで大学に入学し、素直に卒業していた。他の同窓生も、卒業は素直なものだったようだ。成績の優秀な人は素直な人が多い。うらやましいとは思わないけれど。

さきに書いたように、2年前に60歳になった時に中学校の同窓会があった。その時に初めて、Aさんのお父さんがある組織のお金を3億円ほどを使い込んだことを知った。40年の前の話である。

小学生の時からの同級生だった知り合いの親戚も、関係者として弁済のために田んぼを売ったりして、使い込んだ3億円に対応したことが分かった。この同級生は女性だ。小学校1年生から高校3年生まで、ずっと一緒だった。

実は、私はフリーランスのライターだ。
だが、身近なところに当人だけではなく、子供たちをもまき込むこんな問題があるとは知らなかった。恐らく高度成長の時代には、どこにでもある問題。ただ、表に出たのは少数だったように思った。

小学生の時から同級生の女の子は「Aさんのお父さんが使い込んだから、私の親戚も田んぼを売って埋め合わせなければならなくなった」と苦情らしき言葉を漏らしていた。女の子と言ったって、60歳のおばさんなんだけど。子供の時の印象がそのまま残ている。

「Aさんのお父さんであっても、Aさんとは人格が違うよ。別に考えなさいよ。Aさんだって自分のことではないのに悩んでいるだろうから」と私は諭すのだった。

中学生の時の同級生Aさんは、どこに住んでいるかわからない。だが、「ツール・ド・シルクロード20年計画」を進めている時に、近所に住んでいる主婦が中国を一緒に走っているが、昭和女子大学で管理栄養士の勉強をしていたことを思いだした。

幸にも、近所に住む主婦は大学でAさんと同級生だった。しかも、主婦の方は、大学の同窓会の幹事になるという。同級生の情報を把握できる立場になる。

「中学校の同級生だったAさんの居所と電話番号を調べてほしい」メールを送った。

すぐに返事が返ってきたが、「Aさんと連絡が取れるのは昭和女子大の一人の同級生だけ。居所は答えられない」と言われた。これが全部手紙だったという。2年前だから、2014年の話だ。

そして今日になって、Aさんが亡くなったとの連絡があった。

40年も過ぎているのだから、みんなが受け入れられるように動くのに‥‥。
Aさんには、3歳くらい下の弟さんがいて新潟大学に通っていた。無事に卒業していればいいのだが。彼がどんな人生を送っているのかも気になる。

ライターとしての仕事は、始まったばかりだと思うことにした。

ノーベル賞作家アレクシェービッチさんと三浦みどりさん


東京外国語大学が配布してくれたアレクシェービッチさんの講演会パンフレット

2015年にノーベル文学賞を受賞した作家スヴェトラーナ・アレクサンドロベナ・アレクシェービッチさんの講演会があったので、東京外国語大学へ行ってきた。東京都府中市にある。

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無料だったのだが、申し込んだのが遅くなり、スクリーンで講演を受ける部屋での受講となった。

講演の後の質問の時間、東京外国語大学の学生や大学院生はもちろんだが、東京大学の留学生、早稲田大学の学生からも声が上がった。東京外国語大学1年生の学生の質問はロシア語だった。すごいなあ。

この講演会を行っている東京外国語大学教授の沼野恭子さんのご主人で東京大学教授の沼野充義さん、その教え子として学生時代に縁があった。

私の周囲の席は学生が多かった。学生たちが話す英語やロシア語の話を聞いていると、帰国子女が多いことがよく分かった。

私の友人は法政大学の大学院生だったが、ロシア語は流ちょうだった。父親がモスクワの日本人学校の校長だったので、小学生時代中学生時代をモスクワで過ごしている。アイスホッケーをしていたこともあり、すっかりロシア語を話す子供になっていた。私と会った時は大学院生だったが、英語よりもロシア語での会話を日常会話で話すことが楽なようだった。日本語はもちろん普通に話すことができていた。トルクメニスタンを自転車で横断するときに、通訳として同行してもらった。

そんな若い人が増えているのだろうと思う。いいことだ。私が住んでいる国立市にある高校の高校生を見ても、白い顔も、黒い顔も、黄色い顔も、普通に日本語を話している。普通の制服を着ている。制服は無駄だと思うけれども、こういう言語と風貌が、「日本の高校生」といった観念になることは、いいことだと思う。

さて、元に戻ろう。

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私は、分けあって18歳プラス3年の遅れて大学で日本文学を学ぶことになった。漱石研究に挫折。

そして、マヤコフスキー学院でロシア語を学び、日本文学に与えたロシア文学の影響を研究しようと思った。

その時のロシア語の先生が、沼野充義さんだった。当時は東京大学の博士課程の学生。同い年だった。私は、大学でも必修科目の教授と相性が悪く、4年生を4回体験している。そんな時のロシア語学習だった。私も沼野さんも25歳くらい、1980年頃のことだ。

勉強よりも一緒にマヤコフスキー学院のある東中野駅の周辺でお酒を飲むことが多かった。東京工業大学の江川卓先生もよくご一緒した。ポーランド語の工藤幸雄先生も元気だった。東京工業大学を卒業した演劇評論の鴻英良先生も飛び切り元気だった。

後で知ったのだが、翻訳家の三浦みどりさんは同じころに沼野充義さんにロシア語を学んでいた。もっとも、三浦さんは東京外国語大学ロシ語学科の卒業なので、上級コースだったようだ。私は、ロシア語の初級コースで学んでいた。

その三浦みどりさんに、わたしはとてもお世話になっている。シベリア抑留された元日本兵の中には、中央アジアにあるキルギスに抑留された人がいたらしいということが分かった。厚生労働省に問い合わせても、キルギスに収容所はなかったと否定するばかりだった。2006年のことだった。

ところが、わたしのところに、2007年9月11日だったと思うのだが、一通の電話があった。「あなたが探しているキルギスで抑留された元日本兵は、わたしですよ。新聞で知りましたが、明日、キルギスへ出発でしたね」と連絡があったのだ。

その後、キルギスのイシククル湖の湖畔にあるタムガ村。ここにある国防省のサナトリウムに125名の元日本兵が抑留され、1946年から1948年まで泥治療の診療所の建設に従事させられていたことが分かった。強制的だった。

この建物の中に「キルギス平和センター」を設立しようと私が奔走していた時、三浦みどりさんから大きな封筒が送られてきた。中には、シベリアに抑留された高杉一郎さんの「極光のかなたに」という作品のロシア語版のコピーが入っていた。

私がキルギスの国防省との交渉し、「キルギス平和センター」の設置を計画していることを知り、展示物の一つとして送ってくれたのだった。高杉さんの体験を書いた本のコピーだったが、ロシア語ならばタムガ村の子供たちにも、この村に日本人兵士がいた時もある歴史のあることを知ってもらえるだろうとの思いで、送ってくれたのだった。

もちろん喜んで展示させてもらい、三浦みどりさんにも手紙でお知らせをした。ところが、三浦さんは2012年だったと思うが、ガンでで帰らぬ人となった。

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だが、こうして三浦みどりさんの翻訳した作品の作者が、ノーベル賞を受賞している。三浦さんの眼力にも感謝もお礼もしたいと思う。そんな気持ちも持ちながら、スヴェトラーナさんの講演を聞きに行った。

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スヴェトラーナさんの講演は、上記の書籍に関係することも多かった。福島でのインタビューの体験も、そのうち日本の出版社から発行されると思う。楽しみだ。

もう一度本を読み返し、スヴェトラーナの話した「女たち」の足跡を自転車で巡ってみたいものだ。三浦みどりさんに感謝。合掌

支倉常長と東北の隠れキリシタン


「仙台夜の顔 国分寺町ほか」朝日新聞仙台支局編、仙台宝文社刊

古本屋から届いたが、直ぐにページを開いた。

朝日新聞宮城版に連載された「仙台風土記」をまとめたもので、昭和60年に発行されている。

5つの章に分かれているが、5つ目は「キリシタンの里」。

先日、支倉常長と一緒に慶長遣欧使節の一員としてローマに渡った足軽を先祖に持つと伝えられている友人を訪ねて、宮城県の気仙沼へ行った。友人の弟だ。

支倉常長の一行は総勢180名だtった。その中で、日本人は140名で宮城県の月ノ浦を出発し、メキシコ経由でスペイン、ローマをめざしている。他の40人はスペイン人だった。

メキシコで通訳として同行を求められた日本人を含めてスペインに到着したのは26名。

ローマに到着したのは16名。スペインのコリア・デル・リオに住むことにして帰国しなかった日本人が6名から9名。日本へ帰国したしたのは12名と推測されている。

支倉常長が帰国するとキリスト教は弾圧されており、支支倉は52歳でなくなったとも84歳でなくなったとも言われている。

今回、古書店から届いた「仙台の夜の顔 国分寺町ほか」を読んでいると、昭和28年8月15日付けの朝日新聞宮城版で、本吉郡津谷町馬籠で「屋根裏に中52階」が発見されたとある。この家の先祖が、隠れキリシタンだった証と受け止められている。江戸時代には、キリシタンの家は五代先まで禁教であったキリスト教からの改宗を監視されていた。それだけに、この地域ではキリスト教はすっかり悪者扱いだったのだ。

先日、友人の弟さんの話を聞いた時も、「昭和30年頃、親戚の佐藤という家で家を建て直そうと工事していたら、隠し部屋が見つかって新聞でも報道された。隠れキリシタンだったと思う」とのこと。場所は馬籠だった。

ご先祖様のお墓へ行く途中にその家はあり、車か、遠目で建て替えた新しい家を写真に納めさせてもらった。こんなこともあり、先祖は支倉常長と一緒にローマに行ったらしいと話していた。

ご先祖様のローマ帰りの具体的なモノとしては、ローマから持ち帰ったと伝えられているインクツボや十字架、香炉もあったと母親から聞いているという弟さん。インクツボは、弟さんが気仙沼市役所に勤めている時に市史編纂室にいたこともあり、この時に写真で撮影しているという。インクツボを保管している親せきの家が、東日本大震災の津波に飲み込まれている。インクツボは、気仙沼のリアス・アーク美術館にあるだろうとのことだった。

私は、弟さんと会った翌日、丘の上にあるリアス・博物館まで自転車で行った。所が、坂の上の美術館は休館日だった。

支倉常長と一緒にスペインやローマに行き、一緒に帰国した人たち。彼らの、帰国後の過ごし方、生き方は不明だ。支倉常長以外のもの、キリスト教徒への弾圧の状態を一般に伝えるためにも、調べてみたいものだ。資料があったら教えてほしい。

玄奘三蔵と支倉常長のコミック


一般社団法人 富士山観光連盟から届いた「ふじごっこ 富士五湖サイクリングガイド」

富士山のガイドブックが届いた。20部も送ってくれたのだ。ありがとうございます。

来年の7月には、チベットのラサから敦煌までのルーとの半分を、7名ほどで自転車で巡る予定だ。

ただサイクリングするだけではなく、チベット仏教の伝播の足跡を実感したい。ルート上でチベット仏教がモンゴルへと伝播した痕跡があれば、記録したいと思っている。そのために、高度順応のためにも冬の間に富士山も近くをサイクリングしたいと思って送っていただいた。

必要とするシルクロード雑学大学の会員には、わけたいと思っている。連絡をください。

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Amazonで探していたが、4000円以上の値段だった。日本の古本屋というサイトで探して、1000円だったので予約した。これからよみます。たのしみだ。

支倉常長と一緒に欧州に渡り、帰国した人たちがどのようになったのか。私家版のものでもいいので、資料があったら紹介してほしい。

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「玄奘西域記」
注文していた本が届いた。古本だ。玄奘三蔵の足跡をコミックで表現したものだ。上下2巻ものだ。

以前購入していたが、友人に貸したら返ってこない。Amazonで探したら安く出ていた。それで注文していたのだった。

これは、「玄奘三蔵」講談社学術文庫
よりも気楽に読める。全体を把握するのに便利だ。

これを、シルクロード雑学大学の会員に貸し出すことにした。もちろん、これを読んで、玄奘三蔵の足跡を推理してサイクリングする予定なのだ。

キルギス登山ガイダンス日本開催

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「キルギス登山ガイダンス日本開催」のお知らせ

日時・場所
第一回 12月2日(金)
18:20〜20:40(開場18時)
JICA地球ひろば:202AB号室[座標:35.6945, 139.7313]
地下鉄有楽町線・JR総武線(各駅停車):市ヶ谷駅(徒歩8〜10分)
ゲストスピーカー:

武川俊二氏(JFMGA山岳ガイド)
奈良間千之氏(新潟大学准教授:地理学・雪氷学)
第二回 12月3日(土)
13:20〜15:40(開場13時)
JICA横浜4F:「かもめ」[座標:35.4546, 139.6405]
横浜・みなとみらい線:馬車道駅(徒歩8分)
JR京浜東北線・横浜・根岸線:関内駅・桜木町駅(徒歩15分)
ゲストスピーカー:

奈良間千之氏(新潟大学准教授:地理学・雪氷学)
山野井泰史氏(登山家・クライマー)
早稲田大学山岳部OB(予定)
入場無料・申請不要(定員内であれば、中央アジアの自然や登山・冒険に関心のある方はどなたでも参加可能です。)また、両日とも、ゲストスピーチ以外、内容は同じものとなります。

詳しくは、ホームページを見てください。そこで申し込みもできます。

多摩丘陵 小野路へ行く


多摩市内、恵泉女学園大学に行く坂の途中。電柱がないので黄葉したイチョウも全体がよく見える。

小野路へ行けば多摩丘陵の地図が手に入るというので、午後1時過ぎに出かけた。

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恵泉女学園大学裏にある畑には、2本のアーモンドがあると聞いている。

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木の下は雑草に覆われており、落ちたアーモンドを見つけることはできなかった。

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道路に種が落ちていたが、アーモンドではない。

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団地に持ち帰り、スペインで買ったアーモンドと比べてみた。右側がスペインで買ったアーモンド。左側が恵泉女学園大学の畑の脇で拾った種。拾った種はモモの様だ。育てて、3年後を楽しみに待ちたい。同時にアーモンドも育ててみよう。

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今日の目的は、小野路で地図を探すことだった。この辺りは、東京都多摩市と町田市、それに神奈川県川崎市が入り組んでいる地域だ。

小野路宿里山交流館という施設を見つけた。町田市内になるらしい。ここには、簡易印刷による無料の地図があった。

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そして、「鎌倉街道を探索しよう」という1500円の資料があった。友人の宮田太郎さんが書いていた。68ページ、ちと高いなあ。

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ただ、地図もついていて、楽しめそうだ。宮田さんは鎌倉街道を調べている。芝居をやっていただけに面白く話をする。一時は人気があった。近畿日本ツーリスト、朝日カルチャーセンターでも講師を務めていた。今はどうしているのだろうか。

宮田さんと競合するといけないので、わたしは古代道路に限っていた。でも方向転換。鎌倉街道も調べて歩きます。エリアはこちらが広いので様々なところに行けるし、細かい道にも入ることになるから。

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交流館の隣りには、小野神社があった。入口にあった石碑は、先日気仙沼で見た、支倉常長と一緒にローマに渡って帰国した足軽の方の石碑に似た、とんがった石だった。

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石碑の裏側には、天保8年とあった。昨日、歴史手帳を買っている。1837年に建てられた石碑だった。

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神社は階段の上にあった。古墳のような形なのだろうか。

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裏山があった。山の斜面を利用しているのだった。さらに、神社なのに、お寺のような鐘があった。

今日は、懐中電灯を持って出るのを忘れた。時計を見ると4時だった。暗くなると事故が怖い。家路についた。

ぶらつくのは、日の長い季節にしよう。

榎本航さんの講演


2016年10月19日東京新聞に紹介された講師の榎本航さん

講演会のお知らせ

タイトル:ワタルの自転車世界一周のお話し会

日時:2016年11月20日15時~17時

会場:JICA地球ひろば202B室

参加費:フリー

主催:シルクロード雑学大学

備考:誰でも参加できます。予約は要りません。

問合せ:シルクロード雑学大学 nagasawa_horyu〇▲ybb.ne.jp(〇▲を@マークに代えて送信願います)

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自転車世界一周から国際交流へ


「会社員 自転車で南極点に行く」大島義史著、小学館、1400円+税

今日は面白い本を見つけた。インターネットでは知っていたが、関心があっても詳しく知る機会はなかった。10月24日に発行したばかりだったのだ。

一昨日、日本アドベンチャーサイクリストクラブの数名が集まった。大阪からきていた池本元光さんから、「最近は自転車で世界一周しても新聞でも取り上げてくれない。」と言い、自転車旅行を普及し良さを伝えるためにはどうしたらいいか、考えてほしいとのことだった。

インターネトでどんな遠いところに情報も手に入る時代、そうでなくても新聞や雑誌を読んでいれば、様々な地域の情報が手に入る。行っていなくても、行ったかのように話をして、いった気分になるのも簡単だ。

池本さんは、70歳だと思う。50年も前に、自転車で世界一周をしている。何の情報もない。ドルの持ち出しには制限がある時代、皿洗いなどをしながら自転車で地球を巡ってきた人だ。日本を出たのも船だった。

日本を出たら最後、いつ帰ってこれるのかわからない。日本に来る飛行機が限られていた。簡単に航空券が手に入る時代でもなかった。ビザの取得も大変だった。今のように、ビザなしの国が多ければ簡単に誰もが世界一周に旅立つのだが‥‥。

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池本さんの著書「自転車冒険大百科 日本一周から地球走破までのノウハウ」(大和書房)の巻末に『アドベンチャー・サイクリストによる世界冒険旅行の記録』によれば、1556年8月から1985年までの間に、海外で1000キロ以上のサイクリングを、あるいは1か月以上のサイクリングにチャレンジしたものは340名ほどいる。平田オリザが、1979年に16歳の時、北半球を走った記録が残されている。

日本アドベンチャーサイクリストクラブでは、常に10名から20名のメンバーが海外をサイクリングしているとも聞く。海外サイクリングも特別のものではなくなった。最近、8年ほどかけて世界一周した日本アドベンチャーサイクリストクラブのメンバーを紹介した新聞は1紙だけだったという。

こんな時代にあって、どうやって自転車による国際交流や旅を広めていったらいいのか。

その答えがこの1冊にあると思った。勤めや仕事をつづけたまま、夢に挑戦して実現することだ。そして、その体験をもとに国際交流に結びつける。

一昨日の集まりで、57歳元キックボクサーのメンバーが突然、「今月末にアフリカへ行きます」と言い出した。

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彼は、1983年から8年間かけて世界一周している。その当時に走ったアフリカを訪ねながら、一人でアフリカを走った女性・山田(旧姓山崎)美緒が、今年に子連れで引っ越したで開いたルワンダお店を見て、今は不安定と伝えられているアフリカの現状を見てみんなに伝えるのだという。

彼は、自転車で世話になったことからケニヤの子供たちの支援もしている。

わたしは、中央アジアにあるキルギス共和国に抑留された元日本兵を調べながら、キルギスの大学に日本語の本を届ける活動を行っている。

今後は、サイクリングをした後での交流が大事になるだろう。そんなことを考えながら、「会社員 自転車で南極点に行く」のページをめくっている。

「河西回廊ウォーキング」参加者募集 その2 苜蓿峰 瓜州城遺跡、寿昌城遺跡、大仏寺

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天祝にあるチベット仏教の寺院

2017年4月に行う河西回廊ウォーキングで訪れる遺跡などを紹介します。

上記の写真は、天祝にあるチベット仏教寺院の入り口。元々は、町はずれにある小さな寺院でした。だんだんと、町にビルが増えると同時に寺院も土塀ができるなど立派になっています。今でもチベット族の人がお参りに訪れている寺院です。邪魔にならないように訪れたいと思います。

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張掖にある大仏寺の涅槃仏。マルコ・ポーロの「東方見聞録」にも記述があります。また、玄奘三蔵の「大唐西域記」の巻物もありました。ただ、このお寺の中は写真を撮ることはできません。中国人はルールに関係なく写真を撮っている人がいますが、決して真似をしないでください。

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現在の瓜州市の近く、双塔湖ダムの脇にある苜蓿峰(もくしゅくほう)、「玄奘三蔵」(長澤和俊著、講談社学術文庫)玄奘三蔵が瓜州城を出て弓矢を射られた第1の烽火台と言われている。

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烽火台の周辺にある丘の上には、塹壕のようなものがある。よく見ると、西側だけ10センチほどの土を盛っている。風はいつも東から西へと吹いている。

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瓜州城遺跡にあるストーパ。昔は青かったのか、黄色かったのか。唐の周辺には色のついた瓦がたくさん落ちていた。すでに、保存のためにきれいになっているかもしれない。遺跡の北側にある。

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陽関の烽火台の遺跡近くにある寿昌城遺跡。砂に埋もれていて静かだ。ブドウ畑の奥にあり訪れる人はいなかった。陽関は、烽火台しか発見されていない。この寿昌城遺跡が、陽関だとも言われている。玉門関のようなもんの土台だけでも見つかるといいのだが。ウォーキングの参加者にも、陽関を発見するチャンスがある。

「河西回廊ウォーキング」①参加者募集中

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読んでから歩こう。

タイトル:「河西回廊ウォーキング」参加者募集

日時:2017年4月12日(水)から19日(水)8日間

ルート:中国・蘭州空港近くの天祝から敦煌まで

備考:蘭州から敦煌までの河西回の一部、万里の長城、唐の時代の瓜州城遺跡周辺を中心に歩きます。1日に2時間から3時間歩きます。なるべく自由時間とします。基本的に、博物館などの入場料は入っていません。

募集人員:15名(すでに7名が参加、男性4名、女性3名、62歳から73歳まで、11月12日現在)

出発前の2017年1月、3月に準備の会議を行います。必ず参加したい方は、12月中旬くらいまでに申し込んでください。それを過ぎると、高い航空券になる可能性が高く、参加費も高くなります。

参加費:29万3千円(他に燃料チャージなどが必要です。一人部屋追加料金は2万5千円)

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これらの本も読んだら楽しい旅につながります。

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「シルクロードが好き」プラス「シルクロードを知る読書も好き」という参加者が大多数です。シルクロード好きな人はここで紹介している本を読んで、心の面でも旅を楽しんでください。

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敦煌を知るには、まずはこの本を1冊読んでください。

問い合わせ:シルクロード雑学大学 nagasawa_horyu〇▲ybb.ne.jp(○▲を半角の@マークに代えてメールを送ってください)


明治大学登戸校舎で陸軍の秘密の研究所を探検



小田急線の生田にある明治大学登戸校舎へ行った。ここには、農学部と理工学部がある。

他に、明治大学平和教育登戸研究所資料館がある。石井部隊で知られている陸軍の秘密の研究所があったところで、当時の建物を生かした平和教育の一つの拠点となっている。登戸までは多摩川のサイクリングロードを走っていくのだが、明大生田校舎へ行くのは今回が初めてだった。

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案内のガイドは無料で、定年に案内してくれた。ガイドブックもいただいた。毎週のように土曜日の午後に見学会を行っている。こちらも無料だが、予約が必要だ。1回の見学会では20名を定員として、参加者を募集している。毎回早くに定員に達するようだ。

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当時の弾薬庫の倉庫も保存されていた。

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農学部があるので温室もあった。ナマズを買っているいけすがあったのには驚いた。目的はわからない。

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冒険家の植村直巳の記念碑もある。

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陸軍の登戸研究所当時の消火栓が残されている。内部の部品はアメリカ製だったそうだ。どんな流通ルートで手に入れたのか、気になった。

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登戸研究所の設立当時に植林されたヒマラヤスギが今も残っている。時間を感じるのに、一つの指標となっている。

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今では生田神社と言われている神社があった。研究(知恵)の神をまつっているという。合格祈願で売り込めば、明治神宮よりは数倍の安心感がありそうだ。

詳しいことは、見学会に参加して実感してほしい。歴史の舞台や証言が身近にあることに驚いた。次回は自転車で行きます。

多摩川の始点は工事中

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多摩川の河口から源流までサイクリングとウォーキングでゆっくり見たいと思った。
まずは、河口にある多摩川の起点を探しに行った。

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だが、工事中で目印を探すことが出来ない。

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満潮で水位は高かった。

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集合場所を探しに羽田空港の国際線への駅へ行った。

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1階なら待ち合わせに使えそうだった。

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これが案内板

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満ち潮で、アサリやシジミを趣味でとっているというおじさんは暇そうにしていた。「来週とりにくるんだ」と話し、「国立から自転車で来たといったら驚いていた「遠いなあ」と。アサリやシジミを取っている人の中にも、八王子から自転車で通う人もいると聞いた。

とったアサリやシジミは、この近くのスーパーにも出回るのだという。

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多摩川の河口にある船の中には、アサリやシジミを取る船もあるのだという。近くの佃煮屋さんは、この辺りで採れたシジミを使っているとも聞いた。

それで、源流までのサイクリングは、工事中にスタートか、工事が終わった後にスタートとか。冬ならば草が低くて川がよく見えるのでいいのだが。

加藤九祚先生の追悼講座



11月5日(土) 麻布台にある大阪経済法科大学麻布台セミナーハウスへい行った。

9月にウズベキスタンで亡くなった考古学者の加藤九祚さんの追悼講座があったのだ。講座は、当初は、加藤先生の講演を聞く予定だった。シベリア抑留者支援・記録センターの事務局も関係しているので、加藤先生のシベリア抑留体験を聞けると思って楽しみにしていた。

だが、ウズベキスタンの発掘現場で倒れて、帰らぬ人となった。

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講演会では、成蹊大学名誉教授の富田氏に送られてきたというS.I.クズネツォーフ(イルクーツク大学)から届いたという「加藤九祚教授の思い出」を、富田先生が翻訳して配布してくれた。これはいい資料になる。

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また、会場である大阪経済法科大学学長の藤本和喜夫さんは、国立民族博物館を加藤先生が退職する時に、加藤先生が書いた文だという版画のコピーを配布してくれた。版画だという。1986年だから、加藤先生は64歳の時だった。私が加藤先生と出会ったのは、この10年ほど後になる。

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また、受付で加藤先生の「私のシベリア体験から」と題した本を販売していたので、買ってきた。

加藤先生は、「シベリア抑留といっても、わたしはスターリンのもとに留学に行ったと考えることにしている。だから、あまり話したくない」とお酒を飲んでも詳しいことは話してもらえなかった。

ただ、著書に中に、同じく抑留された一人の仲間を、脱走した二人組の抑留者が食糧として連れ出して、後に発見されたとあり。このことは1回だけ話してもらったことがある。

私の父はガダルカナルで敗戦を迎えたが、現地の家からお米を盗んだり、ネズミを食べたりと食料には困ったという。戦争に行ったというより、泥棒に行ったと同じだといっていた。人間の肉はおいしくない、渋いと話していた時は珍しくお酒に酔っていた。同じようにガダルカナルで敗戦を迎えたおじさんは、可なりののん兵衛だったが、この時ばかりは静かになった。

子供の頃だったので気にしていなかったが、大学で日本文学を学んで卒論は「武田泰淳のヒカリゴケにおける罪の意識」だった。4年生を4年かにやったが、この卒論で卒業となった。この卒論は、古林尚先生がほしいというので、差し上げた。この先生は、特攻隊員だったが、飛び立つ前に敗戦となっていた。古林先生はすでに亡くなっている。ヒカリゴケの舞台である北海道の羅臼へ行ってみたいものである。もちろん自転車で。

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今日の受け付けは、北原美智子さんが対応してくれた。彼女の著書「北方部隊の朝鮮人兵士」も買ってきた。今年中に読みたい。

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