2017-06

「この煙草入れは、父がシベリアのラーゲルで使っていたものです」

P1010091_R.jpg
監視する側のソ連兵からプレゼントされた煙草入れ(らしきもの)

10月18日、日比谷図書館でシベリア抑留に関する映画の上映があった。映画の合間に「シベリア抑留映画を語ると題しての講演があった。講演会をビデオに記録するのが、わたしの役割だった。主催は、シベリア抑留者支援・記録センター。

「『人間の条件」という映画でもシベリア抑留を一部で取り上げているが、日本人が作った映画ではソ連をそんなに悪く表現していない」と、講師の木全公彦氏の話していたのが印象に残っている。

また、ソ連に捕虜としてとらえられたのは日本人ばかりではない。ドイツ人は250万人、ポーランド人は90万人もとらえられている。日本でいう、シベリア抑留者だ。日本人の場合、捕虜になった方の10パーセントが命を落としている。一方、ドイツ人の場合は25パーセントが命を落としている。ドイツ人は、日本人以上にソ連に苦しめられていた。だが、ドイツ政府による自国民で捕虜になった人への補償は素早かった。日本は、いまだに問題解決していない。

補償問題は別として、ドイツ映画でシベリア抑留をどのように取り上げているかも、木全氏は話していた。DVD見られるようなので、後ほど見たい。

上映会にシルクロード雑学大学の友人が学生時代からの友人を誘ってくれた。映画に誘われた友人は、父親がアルマトイで抑留されたときに使っていた煙草入れをシベリア抑留者支援・記念センターに寄贈するためにも来てくれたのだった。

煙草入れは2つあった。1つはアルミ製、ほかの一つは鉄分の多いステンレス製だった。両方ともソ連兵からプレゼントされたという。シベリア抑留者の体験記を読んでいると、ソ連兵が抑留者から取り上げたアルミ製品を加工して、様々な品物に作り替えていた様子がわかる。

P1010098_R.jpg
ロシア語でタシケントと書かれていた

アルミ製の煙草入れには「1944年11月タシケント」とあった。父親が抑留されたのはカザフスタンのアルマトイ。だが、煙草入れに書かれた文字は、ウズベキスタンの首都タシケント。しかも、1944年、抑留される前の時代を示す文字だ。

煙草入れをプレゼントしてくれたソ連兵がタシケントに配属された時期を示すのか、徴兵されて初めての任地だったのか。どんな意味のある時間なのか知りたくなった。

この煙草入れの持ち主だった人は、淡徳三郎さんという。当時すでに国際的に有名な評論家で、戦前の共産党員。フランスに亡命していおり、敗戦直前にドイツ、モスクワ、満州と移動することになり、満州で抑留の身となっていた。出身の京都大学でも有名な秀才だったのだ。

実は、シベリア抑留者支援・記録センターでは、抑留者がソ連から持ち帰った持ち物の提供を呼び掛けている。だが、抑留者が日本へ復員する際には、ソ連兵による身体検査があった。軍事的なことや経済状況を知られることを恐れたのか、日記などのメモや持ち物は没収されていた。だから、抑留者の持ち物を展示しようと思っても、展示するものが集まっていなかった。
今回の上映会では、抑留の実態を知ってもらうこともあり、抑留者から寄贈された持ち物の展示を試みた。ところが展示できるのは、体験記、スケッチや絵、報道写真が中心となっていたのだった。

わたしも抑留者からいただいた写真をパソコンに取り込んで、展示してもらった。この写真は、中央アジアにあるキルギス共和国に抑留された方からいただいたもので、没収されないようにと工夫して「エリに縫い込んで持ち帰った」と聞いている。このため写真には折り目が入って割れている。そんな背景があり、抑留者の持ち物はあまりないのだ。

だから、とても貴重な寄贈だったのだ。これを機会に、持ち帰ったものを展示するチャンスに恵まれたい。

P1010096_R.jpg
抑留者が寝起きしたラーゲルで読まれた日本新聞

また、淡徳三郎氏は、日本新聞の「友の会」にもかかわっていた。

抑留者の書いた体験記を読むと、日本新聞にかかわった人はソ連の言いなりになり、民主運動を進めたように書いているケースが多い。いただいた『淡徳三郎遺稿集』に書いている小説家山田清三郎氏の文章を読んだ。そこには、抑留者が食糧の足りない事情をロシア語のできる淡徳三郎氏を通じてソ連当局に提訴して、食糧の改善及びラーゲルを管理するソ連兵の更迭に結びつけたとある。また『捕虜体験記 Ⅴ中央アジア編』にある小野地光輔氏の「アルマ・アタ収容所」と題した文章にも同様のことが書いてある。

日本新聞にかかわった人がみんなソ連寄りの考えでもなかった。食糧が足りない点は現実に即して指摘し、抑留者の要望をソ連当局に代弁していた。人間の対応としては、当然のことだろう。そう思うだけに、この点は調べがいがある。もう少し淡三郎氏の文章を読んで、あるいは周辺の人の文章を読んで、日本新聞にかかわった人に対するステレオタイプの見方に一石を投じたいと思う。

わたしでは足りないところもあると考えて、研究者にも声をかけている。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://silkroad1993.blog.fc2.com/tb.php/204-4000587e
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | ホーム |  »

プロフィール

Author:silkroadcycling
FC2ブログへようこそ!

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

スペイン「巡礼の道」サイクリング (11)
ユーラシア大陸横断サイクリング (47)
講演会のお知らせ (39)
古代道路 (11)
日記 (55)
シルクロード雑学大学 (14)
未分類 (29)
シルクロードと日本 (40)
「ツール・ド・シルクロード10年計画」 (12)
チベット文化圏 (16)
シベリア抑留 (17)
国内サイクリング (36)
海外サイクリング参加者募集 (5)
写真展のお知らせ (14)
シルクロードの旅のお知らせ (6)
シベリア抑留・キルギス (21)
本の紹介・自転車 (7)
本の紹介・自転車・日本国内 (1)
本の紹介・シルクロードの楽器 (3)
コミックの紹介・自転車 (1)
西安ウォーキング (1)
本の紹介・最近のシルクロードと中央アジア (5)
展示会などのお知らせ (15)
海外サイクリング (13)
シルクロードの植物の栽培 (36)
キルギス・サイクリング (20)
自転車事情 (2)
シルクロードを歩く (3)
支倉常長の足跡 (10)
多摩川サイクリングロード (15)
リンク (1)
東日本大震災 (2)
多摩丘陵 (3)
佐渡・新潟・北陸 (1)
河西回廊ウォーキング (5)
佛教の南北伝播 (1)
学食巡りサイクリング (1)

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR