2017-05

支倉常長とサン・ファン号と石巻市


牡鹿半島のちいさな漁港

7月3日(日) 朝7時にサン・ファンビレッジを自転車で出発。支倉常長を始めとした慶長遣欧が出使節が出港したと伝えられている月浦をめざした。途中で通った漁港では、集落の海側では家の土台だけが残っていた。海岸から半島の奥へと続く道の真ん中は水路で、津波の時には水路の蓋となっているセメントも浮いて流されたと思われる。道路の奥には、集落がある。集落の低地にある家だけが津波に流された風であった。

半島方面にペダルを踏みながら、一軒の家から出てきた男性に「津波はどの辺まで来たのですか」と聞いてみた。

「一番海側の家で、津浪で流された大きな家が止まったんです。それで村の奥に津波が来なかった。そうでなかったら、村はみんなやられたでしょう」と返してくれた。その後、どこまでは知っていくのかと問うてきた。「月浦です」と応えたが、どこまで信じているのか。

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次の漁港で女性たちはトラックのおじさんと話し込むことができた。自転車だから、お互いに気さくに話ができる。土地のことが分かる。

漁港で休憩していると、トラックに乗ったおじさんが車を止めた。おじさんから女性たちが聞いた話では、この漁港では、4件の家が津波に飲まれた。1名が亡くなったが若い人だった。地震の後には津波が来ると考えてお年寄りはみんな山に逃げた。しかし、若い人は突っ張りだったという。だから逃げなかったのか、そこまで女性たちが聞いたのかわからない。

おじさんの話によれば、漁師は海の恵みで生きているから、津浪は仕方ないと受け止めているようだ。政府や県の補助金を受け取らないでいるらしい。漁業で得たお金を貯めており、そのお金で津波にあった時には家を建てる。これが漁師の流儀の様だ。

月浦から支倉常長が出港したことを、このおじさんが知っているのか、子供たちの遠足などで教えているのか。スペインで支倉常長の足跡を走る計画をシルクロード雑学大学として行った。そのあとの国内サイクリングだけに、出向の地・月浦の周辺でどのように住民に受け止められているのか、知りたいところだ。

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おじさんと話している脇、堤防は新旧で高さが違った。

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地盤が約1・5メートルほど沈下したように見えた。道路をかさ上げしている。
気仙沼も女川も、万石浦脇の女川街道も、2011年の東日本大震災の後には、1メートルから2メートル沈んでいた。女川街道沿いの石巻線の線路も水に濡れていたのだった。

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更にペダルを踏んで月の浦をめざした。魚港は標高0m、次の漁港への道は高いところで標高50mほどある。アップダウンを繰り返して月浦をめざすのだった。漁港の近くには、道路わきに折れた電柱を見ることが多かった。津波の水圧の大きさを、目で感じた。

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月浦へおりる道路の脇に、支倉常長の銅像があった。茶色く錆びが浮いていた。

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銅像の脇には、支倉常長たち慶長遣欧使節のたどったルートを示す石の説明版があった。東日本大震災で倒れたらしく、石板を支える石に、接着剤で貼り付けたような痕があった。

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支倉常長の銅像の脇には、プレハブの建物があった。

はじめは「何だこんな家の脇に建てたのか」と不思議に思った。

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銅像の後ろには貯水槽もあった。銅像は月浦の向こうの海を見ていた。

家や貯水槽の意味が分かったのは、ザックからパンフレットなどを出してみてからだった。支倉常長の銅像の周囲は公園だったようだ。それが、東日本大震災で月浦の漁港に住むことができなくなった人の仮設受託として、公園が利用されたようだった。それだけ、海沿いの狭い土地に漁師たちは住んでいたのだろう。

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表から見ると銅像は、後ろ向きのように見える。海を見ているから後ろを向いているだけなのだが。

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坂道を下って、月浦におりた。急な坂道だった。

約400年前に使われた南蛮井戸があった。だが、地盤沈下のせいだと思うのだが、どぶのように汚れていた。落ち着いたら修復してほしいものだ。まずは人間の暮らしの再建が一番だ。

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月浦を後にして、再び支倉常長の銅像のある公園をめざして坂道を上った。途中にマンホールのふたを見たら、サン・ファン号のイラストがデザインされていた。花火のデザインもあった。マンホールのふたのデザインの様々なを見たい人は、石巻市に行ったらいい。石ノ森章太郎のイラスト入りのののが何種類もある。マンホールだと思ったのだが。写真は次回に。

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月浦を後にして、石巻市内に向かった。アップダウンもそれほどなく、風越トンネルが見えた。歩道が広いし街灯も明るい。安心して走れるトンネルだった。

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石巻市の市街地を走った。ロボットのような建物が更地の真ん中にあった。「いしのまき観光ガイドマップ」によれば、魚町一丁目津波避難タワーだった。地図は後ほど紹介する。

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石巻市内には、東日本大震災から5年過ぎた今でも、地震や津波の痕跡が残っていた。

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中には、新築した家の外壁に津波の到達した高さを示している家もあった。津波を記憶するだけではなく、多彩な方法で記録している。自転車で廻って、こんな地点を地図にしたいものだ。誰でも津波を実感しのしがいちをできるように。

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東日本大震災の直後、テレビでは「日和山公園」の上から石巻市の市街地を撮影した映像が流れたようだ。撮影した公園の上まで上ってみた。田んぼをつぶして区画整理した後の土地の様だった。

今回のサイクリングには、石巻出身で仙台市に住む人も参加してくれた。彼の実家の家の前を通ってサン・ファン館に行った。実家のあったところは更地になっていた。祖父、父親、妹の3人を失ったと聞く。冥福を祈る。

復興は遠いように感じたが、この次は復興の様子を紹介できるようにしたい。

道を聞いたり、東日本大震災や津波の様子を聞いたり、地元の人にはお世話になった。ありがとう。

カキ小屋でカキを食べたいと思ったが、2日目は日曜日なので食べられなかった。福島からスケボーを楽しみに来ていた小学生くらいの女の子にも話しを聞いた。この次は、走るのは2の次、じっくりと耳を傾けたい。








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