ヒロシマからナガサキヘ 「ATOMIC CYCLING」
広島カープが独走中だという新聞記事。
新聞を開いたら広島カープの話題だった。私はスポーツ面はほとんど見ない。だがこの記事には刺激された。
例年、この時期は日本にいない。今年こそはと思っていた。だが、お盆を絡めたこの時期に海外サイクリングを企画してほしいとの声があり、8月9日にキルギスへ行くことにした。
8月6日に広島を出発して、8月9日に長崎に到着する。そんなサイクリングをしてみたいと、以前から考えていたのだった。だが、今年も見送りだ。
実際にサイクリングした親子をシルクロード雑学大学の定例会に招いて話を聞いたこともある。子どもの平和教育に、自転車を絡めているので楽しく話を聞くことができた。あの子は何歳になったのだろうか。もう大学生くらいかもしれない。東南アジアで、旧日本軍の足跡をサイクリングして、高齢者たちの声を聞き取りしているかもしれない。たまに連絡をしてみようかな。
さて自分のことだが、来年は誰に何と言われても走ってみよう。
人生は、何時までも続くわけではない。わたしは2014年に脳梗塞で倒れ、2015年には心不全で冠動脈にステントを入れる手術もしている。運よく、今でも自転車に乗られる。
サマルカンドでサイクリングの途中で脳梗塞で倒れた仲間を、医療用の飛行機をチャーターして日本に送り返したこともある。2001年だった。生き物には死がある。人生も時間も有限だ。多くの人が、死に直面するまで気づかない。寝たきりで、時間不足に気づいても寝たきりだったりする。
人生は無限だなんて思っていたら、寝たきりになってから後悔する。川の流れに流されている時、川の流れは感じない。楽なだけだ。流れに掉さすと。いやというほど流れと水の重さを感じる。「無駄な抵抗はやめろ」と言われている風だ。
流されるのは薬だ。簡単だ。流されていることを忘れて、記憶にないくらいだ。抵抗はやめないけど。
テレビもないくせに番組欄には目を通す。あら、見たい番組があるじゃん。広島から長崎までサイクリングしたい気持ちが強くなった。夜にはクーラーの冷気の中でテレビを見られたというのに‥‥。来年の課題。「ATOMIC CYCLING」か。暑そうな名前だなあー。
癌で亡くなった方の記事
朝日新聞の上野創さんという記者が、facebookでシェアしていた記事。上野さんには、ずいぶん前に一回だけ取材を受けたことがある。癌で手術を受けているが、そんなことを感じさせない元気な人だった。
自転車で世界一周中に癌を患い、オーストラリアで暮らしているエミコとfacebookで「友だち」になっている。それで上野さんのシェアした記事が、時々目に入ってくる。もっとも、エミコとは会ったことが無い。世界一周の再開を楽しみにしている。
この記事の中で、「生徒に『癌になる前の自分に伝えたいことは』と質問されると、『もっとできることがあるんじゃないか、と投げかけたい」、「自分しかできないことをやって輝いていこう」というフレーズがある。
こういう文章に出会うと、「流されている自分」を実感してしまう。そうなんだ。自由がないんだったら辞めればいい。だからシンクタンクもやめて、フリーライターになったのだった。古い話だけけれど。
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