2017-10

朝鮮人として育てられたタシケントの日本人


タシケントで朝鮮族として育てられた日本人(左から二人目)

2002年、「ツール・ド・シルクロード20年計画」では、ウズベキスタンのブハラからトルクメニスタンのマリーまでの自転車旅行だった。

前年の12月に地球と話す会を退会し、「ツール・ド・シルクロード20年計画」をシルクロード雑学大学(歴史探検隊)の取り組みとして継続することにした。シルクロード雑学大学としての最初の海外自転車旅行だった。

参加者は2名なので、法政大学の大学院で学んでいる渡辺信という学生を連れていった。彼は、父親がモスクワの日本人学校で教えた関係で、小学生時代をモスクワで過ごしている。また、アイスホッケーのクラブチームに所属していた。そんなことで、ロシア語会話に不自由はない。タシケントの大学への留学経験もあった。

トルクメニスタンのビザが発給されるまでタシケントに滞在しなければならなかった。この時間を利用して渡辺君は、郊外にあるコリアンコルホーズに案内してくれた。

コリアンコルホーズで1軒の平屋の家を訪問した。出迎えてくれた老人は、「よくいらっしゃいました」と日本語で迎えてくれた。「どうしてこんなところに、日本人が一人で暮らしているのだろうか」と、好奇心がわいてきた。

わたしなどよりも丁寧な、由緒正しき日本語を話す日本人。日本から持参したビールを飲みながら、彼は身の上話を始めた。中風で半身不随だが、地域の朝鮮族の人が身の回りの世話をしていた。2回の離婚で一人暮らしだった。

彼が生まれたのはサハリンで、日本が敗戦を迎えるとロシア人に迫害されると考え、両親は朝鮮人に3人の男の子を別々に預けた。そのひとりという。

ところが、スターリンの政策により彼を預かった朝鮮人は中央アジアに移送され、タシケント郊外で開拓事業を強いられた。コリアンコルホーズが誕生した。彼は、ここでウズベキスタンの朝鮮族の子供として育てられた。

成人するとジャズドラマーとして活躍し、原信夫と♯&♭というバンドがモスクワで講演した時には共演したといい、写真を見せてくれた。北朝鮮に演奏旅行に出かけた時、サハリンで別れ別れになったお兄さんと再会することができた。もう一人のお兄さんは日本にいることが分かったとも言っていた。

「日本へ帰ったら、日本にいるお兄さんを探すのを手伝ってもいいですよ」と声をかけた。断られた。北朝鮮にいるお兄さんに、悪い影響があるのを恐れている風だった。

彼のことが気になっていたが、キルギスの日本人捕虜のことでドタバタしており、タシケントまで足を延ばす機会を作れなかった。今年は、カザフスタンのアルマトイ、キルギスのタムガ、ウズベキスタンのタシケントと巡り、日本人墓地や日本人が建てた建物を見て来ようと思う。今では75歳くらいであろうか。タシケントで、コリアンコルホーズを訪ねて、無事な彼の姿を確かめたいと願っている。

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タシケントでは、タタール人の家に招かれた。ワインを飲みながら「リンゴ追分」を歌うと、

タタール人が「お前はタタール人だろう。タタールの歌をうまくうたうなあ」と言いだした。「これは日本人の美空ひばりという歌手が歌っている歌だ」と応じても「タタールの歌だ」と譲らない。夜中の1時過ぎに帰宅することにした。アパートを出ると警察に拘留された。「夜中に外国人が歌っている」というだけで、通報されたのだろう。自由の身になったのは、朝の7時30分だった。

img204_R.jpg
サマルカンドでは渡辺君の友人の結婚式に呼ばれた。飲んで踊ってご機嫌だった。司会者は、わたしたちを「日本大使館の職員」と紹介したが、半ズボン姿だった。結婚式では男女別々の席だったが、わたしたちは女性の席に案内され、じゃんじゃんお酒を勧められた。

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走ったのは2人だったが、マリーの町に入ると、地元の子供3人が加わった。急きょ、国際チームとなった。

img203_R.jpg

トルクメニスタンのアシガバードで、バザールへ買い物に出かけた。「日本人ですか」と若い女性が声をかけてきた。「そうです。自転車で旅行しています」と返事をすると、「いとこが日本に留学しています」と続けた。

車に戻り1枚の写真を彼女の前に差し出した。「トルクメニスタンから日本へ留学している人は、彼一人だけです」と説明した。「従兄です。彼のお姉さんを連れてくるからここで待っていてください」と言うとすぐに駆けだした。

すぐにお姉さんが来た。写真を渡した。
「今日の夕食は、わたしの家で一緒に食べましょう」と招待された。しかし、ニヤゾフ大統領が、個人崇拝の独裁体制にあるトルクメニスタンだ。彼女たちに迷惑をかけてはいけないので、丁寧に断った。

わたしは、学生時代に少しだけロシア語を学んでいたことがあり、ソ連崩壊後にロシア語圏からの留学生同士のネットワークづくりに取り組んでいた団体に所属していた。トルクメニスタンへ自転車旅行に出かける前に、トルクメニスタンから慶応大学に留学している学生と会い、写真を撮らせてもらった。

トルクメニスタンから日本へ留学しているのは、高級官僚の子弟だろう。何かトラブルがあった時にこの写真を使おう、と思って持ち歩いていたのだった。
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